ある朝のこと、目覚めた霧は、自分が1匹のばかでかい毒虫変わっていることに気がついた。
「ひぃ!なんだこいつ!」
悲鳴が聞こえるとともに、背中に激痛が走った。
振り返ると、交が真っ青な顔で両手に林檎を抱えて立っていた。
背中の激痛は、交が投げた林檎が刺さったせいらしい。
「交君、私だよ、霧だよ…!」
必死で呼びかけたが、交は、霧の言葉に耳を貸そうともせず、
「寄るなぁぁぁあああ!」
と叫んで逃げて行ってしまった。
さて困った。
1人宿直室に残された霧は途方にくれた。
望は教員研修とやらで2泊3日の出張に出ており、今日戻ってくるはずだ。
普段からチキンな望が今の自分の姿を見たら…想像するのも恐ろしい。
どこかに身を隠してしまおう、と霧は決心し、もぞもぞと扉まで這って行ったが
毒虫の姿では扉を開けることができない。
扉の前ででんぐりこんぐりしていると、突然、扉が外から開いた。
「あ…。」
目の前に立っていたのは、まさしく愛する先生。
望は目を丸くして、毒虫と化した霧を見下ろしていた。
望の後ろに付きまとっていたまといが「ひぃ!」と一声叫び声を上げて逃げ出した。
それが当然の反応だ。
しかし、望は、最初こそ驚いた顔をしたものの、その後は平然と部屋に入ってきた。
「ただいま戻りました。」
「お…お帰りなさい。」
霧は、望はこの姿が見えていないのだろうかといぶかりながら、返事をした。
「小森さん、その姿はどうなさったのですか?」
「(…見えてるのか…。)朝起きたら、こうなってたんだよ。」
「ふーん、そうですか。」
望は、恐れる様子もなく霧に近づくと、その背中に刺さった林檎を抜いた。
「背中、怪我してますよ…どうしたんですか。」
まさか交にやられたとも言えず、霧が黙っていると、望は救急箱を取り出した。
「先生は、私が怖くないの…?」
望は驚いたように顔を上げた。
「怖い…?どうしてですか?」
「だって…こんな格好になっちゃて…。」
「どんな姿をしていたって、中身は小森さんでしょう?だったら何も怖いことなんかありません。」
望は、丁寧に霧の甲羅で覆われた背中に湿布を張っていく。
「それよりも、いったいどうしてそんなことになってしまったのでしょうね?」
背中の湿布から、じわりと望の優しさが伝わってくる。
霧は、この2日間、望に会えずにどれくらい寂しかったを思い出した。
自分は望と一緒に外に行けない。望にはまといが付いて行っている。帰ってこない2人。
そんなことばかり思っていたから、いつの間にか体中に毒が回って毒虫になってしまったんだ。
先生を信じてなかったから…先生は、いつもこんなに優しいのに…。
「先生、ごめんなさい…。」
思わず、口から言葉がこぼれた。
それと同時に、霧の体を細かい光の粒子が包んだ。
「小森さん…あなたの、体。」
「あれ…。」
霧は自分の体を見下ろした。
いつの間にか、体は人間のものに戻っていた。
望がコホンと咳払いをした。
「あの…服を着ていただけませんか?」
言われて初めて気がついた。自分は裸だった。
「きゃ、ごめんなさい、先生!」
「さっきから、謝ってばかりで…加賀さんみたいですよ?」
望は赤い顔をしながらも笑っていた。
「で、結局、どうして虫なんかになってしまっていたんでしょうね?」
「うん…もう大丈夫。もう、虫にはならないよ。」
もう、自分が望の心を疑うことはない。
だから、毒が体に回ることもない。
霧は望の背中にそっと頬を押し当てた。
「先生、ありがとう…。」