夕暮れの道、一人歩く少女。  
 頭の両側で縛られたおさげ髪はそのゆっくりとした歩みに合わせ揺れている。  
 珍しいことに彼女の手には携帯電話は握られていない。時折、不安げに何も掴まないその手を開いたり閉じたりしていた。  
 無気力そうにただ空を見つめ歩いていく。  
 
 
 今日の彼女は朝からついていなかった。  
 朝学校に着き担任の姿を見つけると、朝の挨拶代わりにその日一通目毒舌メールを送りつけてやろうと携帯に文字を打ち込んでいた。  
 ちゃんと周りを見ていなかった自分も悪かったのだが、後ろから来たクラスメートとぶつかり手元から携帯を誤って落とすと、それを間が悪く望に踏まれてしまったのだ。  
 パキッという乾いた音と共に折り畳み式のそれは、真っ二つに折れてしまっていた。  
「あっ」  
 手にとってみるが、既にそれが携帯としての役目を終えているのは誰の目にも明らかだった。  
「すいません音無さん!すいません!」  
 と加賀さんばりに頭を下げ謝罪している望を一度睨み付けては見るのだがどうにもならない。  
「こうなれば私の命をもって贖罪します!」  
 叫んで廊下の窓から飛び出さんとする先生を尻目に、壊れた携帯を鞄にしまうと肩を落として教室に入っていった。  
 
 携帯が無いと何も言えない。そんな自分にコンプレックスを抱いていた時期もあった。悩んで、泣いて、自分の声を恨み自棄になって自分の喉を自分で締め上げたりして。  
 けれどどうにもならないといつしか諦め、そのままで良いのだと今ある状況に甘んじて来た。そしてこれが当たり前となり、『音無芽留』は携帯でしか物が言えない『毒舌メール少女』になっていた。  
 どこかでまだそんな自分に納得できないから、その苛立ちをついつい携帯のメッセージにぶつけてしまう――。  
 
 携帯という彼女にとって唯一の発言手段を失った今、彼女は独りふと冷静に自分自身のことに思いを巡らす。  
 実際、こんなことでもない限り普通に生活していて困ることはなかっただろう。テストの答案を携帯で提出したのは流石にまずかったが。  
 休み時間、こうやって座っていても彼女に気を使ってか声を掛けてくる者は今日に限っていなかった。前の時間にはカエレが何か言いたそうにこちらを睨んでいたがその時もそれ以上は何もなかった。  
 束の間の休み、教室中のあちこちで男子も女子も談話を楽しんでいる。  
 先程の授業の話――分からなかったことを確認しあったり――や、恋愛話、昨日のテレビ番組の話題やほとんど中身のないような会話まで。  
 様々に声が混じりあい、誰が何を話しているのか注意深く耳を澄まさないと分からない。分からなければそれらはただの雑音で耳障りなだけ。  
 そうか――突然芽留は得心がいく。  
 自分は怖かっただけなのだ。あのクラスメートの男子に声のことを言われたことはただの切欠に過ぎない。  
 自分は怖かったのだ、あの中に飛び込んでいくことが。  
「くっ」  
 認めたくなかった、自分の弱いところなんか。  
 強く唇を噛み締める。握り込んだ手には力が入り爪が食い込んで、痛い  
 けれどこの痛みがなければ、目尻に溜まった熱いものが一度に溢れ出してしまうだろう。  
 周りに悟られぬようゆっくり立ち上がり、廊下へと、そのむこうへと向かう。  
 鞄を片手に駆け出した。  
 
「こら」  
「あっ?」  
 気付くと誰かが彼女の腕を強く掴んでいた。  
「今から何処へ行こうっての。もうすぐ授業始まるんだから」  
 その金髪の少女はいつもやる様に、力強く、猛然とその少女に抗議する。  
「う、訴えるわよ!」  
 しかしその表情は恥ずかしげで、ポリポリと照れくさそうに指が頬を掻いていた。  
「あら、それはいけないはね。授業はきっちり受けないと」  
 正義の粘着質少女が続く。  
「ずるーい。芽留ちゃんだけ授業サボるなんて」  
「しまった今日は新刊の発売日だ!」  
「私も音無さんについて行こうかな」  
 ポジティブ少女、腐女子少女にしっぽ好き少女。  
「マリアもー!」  
「すいません、音無さん私のせいですよね。私がいるせいで授業に集中できないんですよね。すいません!」  
 難民少女に加害妄想少女。  
「そういえば洗濯物が溜まっていたわね」  
 主婦女子高生。  
「加賀さんが行くなら俺も行くぜ!」  
「木野待てよ!」  
「俺も行こっかな」  
 続々と男子も。  
「こ、小節さんが行くなら僕も行こう」  
 誰もいなのに声がした、が、これは気のせいだろう。  
「まあ、生徒のいない教室で授業なんて。お兄様かっこう悪い!」  
 気付いたら教室には芽留とカエレだけが取り残されていた。  
「全く! この国の学生はどうかしてるよ!」  
 言いながらもいつの間にかその手にはちゃっかり鞄を抱えていた。  
 そしてまた強引に芽留の腕を掴み、  
「ほら、アンタも行くわよ」  
「あっ」  
 走り出した。  
 走りながら芽留は思い出していた。  
 そうここは、  
『31いや32人の絶望的な生徒が集う絶望教室』  
 絶望的なお人好し達の集まる場所。  
 
 今日は朝からついていなかった。  
 でも、それでも良かったと思った。  
 彼女は夕暮れの空を見つめ歩いていく。彼女の後を独り間延びした影法師がついて来る。  
 そしていつの間にか影法師は一つ二つと数を増し、いつしか珍妙な形の影を作り出していた。  
 彼女は手の中にはない携帯電話にいつもの様に毒の混じったメッセージを打ち出す。  
『ホントに クソハゲばっかだな コイツら』  
 
 
 
 
 
 〜おまけ〜  
 
 
 誰もいない教室に入った望は、あまりの光景に言葉を失う。  
 そこにはポツンと一人普通少女が取り残されていた。  
「これは一体なにがあったのでしょうか?」  
「知りませんよ! 私がトイレから帰ったらもう誰も居ませんでした!」  
「そうやって取り残されるのはやはり普通なんですかね?」  
「普通って、知るか!」  
 

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