嫉妬とか、不幸なすれ違いによる誤解とか。  
ヤンデレだとかドロドロの愛憎劇とか。  
「マジもう勘弁して下さい、ホントに」  
「責任の一端は、確実にお前にもあると思うが?」  
「私は被害者です!」  
望はグッタリと横たわらせていた身体を、跳ねる様に起こしながら叫んだ。  
ここは病室。望は全治1ヶ月程の怪我を負い、入院中であった。  
あつらえたように彼が運ばれた先は、兄の運営する糸色医院。  
普通はあれだけの大怪我を負えばもっと大きな病院にまわされるだろうに、  
何故にこうも毎度毎度、この自分ソックリの兄の世話になっているのだろう。  
きっと両親が手を回しているに違いない。そうした方がこの兄も含め、きっと子供達や嫌がるだろうからと。  
子供の不幸を娯楽にするとは、何たる親かと毎度思う。  
半眼でこちらを見返す兄を、眦を吊り上げて睨み返しつつ、  
「スコップで頭部を一発、刃物で腹部、胸部を深々とぶっ刺されたんですよ?何度も!  
どこからどう見ても被害者でしょう!ホラ、こんなに包帯まみれ!」  
「というか、医者から言わせてもらえば何でお前は生きてるんだ、毎度の事ながら」  
ギャグ漫画のお約束全否定な台詞で返しつつ、  
ホラホラと自らの二の腕に巻かれた、真っ白な布を強調するように腕をブン回す弟を無視し、命はゆっくりと椅子から立ち上がった。  
見下ろすように弟に一瞥をくれると、白衣を翻すように背を向ける。  
「私は仕事に戻る。まぁ死なんとはいえ怪我人なんだから、大人しくしてなさい」  
「どうせ私意外に患者なんて居ないクセに」  
「……注射してやろうか。血管に空気でも」  
ユラリと幽鬼のように肩越しに振り返る命の手には、小ぶりの注射器が握られていた。  
中身は空である。  
「ひ、人殺しぃ!!」  
やおら顔色を青くしてシーツに潜り込む望に、人の悪い笑みを返す命。  
「死にたいんだろう?」  
「殺されたいわけじゃないんです!」  
「なんだそれは」  
わりと本気で怯えている弟に苦笑で返し、使う気などさらさら無かった注射器をしまう。  
「お大事に」  
事務的な一言を残し、兄はアッサリと部屋を後にした。  
 
「……」  
ドアが閉まる音を確認すると、望は恐る恐るシーツから顔を出した。  
部屋が無人の静寂に包まれている安心感に、深々と息を吐く。  
「はぁ〜…、久しぶりに一人になれた気がします」  
枕に深く後頭部を埋めながら、真っ白な天井に語りかけるように呟いた。  
――問題児ばかりが集まったクラスで、毎日毎日何かしら騒動が起こる日々。  
ぶっちゃけその騒動の半分くらいは、望自身の手で引き起こしているのだが、  
彼は自分を、一方的に生徒達に巻き込まれている被害者なのだと信じて疑わない。  
確かにもう半分くらいは、生徒達の方に責任があるのも事実なのだが。  
「まったく……、何が間違ってこうなってしまったのやら……」  
まだ少し痛む腹の傷を擦りつつぼやく。  
ちなみに、今回の怪我の発端は毎度の事、痴情のもつれというやつである。  
何がどうなってそうなったのか知らないが、いつの間にやらバトっていた千里とまといの巻き添えを食らってしまったのだ。  
乙女の愛らしい恋心も、行き過ぎれば狂気となる。  
「嫉妬とか、ホント……。理解し難いですよ」  
彼女らの凶行は、若さ故のやんちゃだとしても少々やり過ぎだと思う。  
その責任が自分にある事など歯牙にもかけず、うんうんと一人で頷く望。  
 
「絶望した! ヤンデレが蔓延る世の中に絶望した!」   
ぐわばっ!と決め顔で叫んでみるものの。  
 
「……」  
返ってくるのは痛いほどの静寂のみ。  
これが普通の病院なら、廊下から人の気配くらいしそうなものだが、  
生憎とココは糸色医院。さっき自分が言ったように、患者など居るわけがない。  
 
看護師さんも必要最低限の数だけ導入されているようで、「やかましい」と注意しにくる人すらおらず。  
「……あぁいや、別に。寂しいとかそんなんじゃないですから」  
ゴニョゴニョと口の中で呟くその言葉は、どう聞いても負け惜しみだった。  
しばらく窓から外の景色を眺めていたが、すぐにそれにも飽きてくる。  
見えるものと言えば、病院前に生えている木の、秋色に染まり始めた葉達くらいだ。  
気だるげに寝返りをうち、外の景色から背を向ける。いっそ眠ろうと目を閉じるものの、  
ずっと休息していた身体はこれ以上の眠りを必要としていない。  
……内心で見舞いを期待しながらも、退屈がっている自分を認めたくない一心で、平常心を装う。  
そもそも一人なのに、誰に対して装っているというのかと。  
「……こぉおっぱず〜か〜しぃ〜…、こぉとばぁ〜か〜りぃ〜…♪」  
とうとう小さく鼻歌まで歌いだした頃、そのノックはやってきた。  
コンコン。  
ささやかなその音は、静寂に満ちた部屋の中に波紋を広げるように響いた。  
眠れないまま閉じていた瞳をパッと開いて、反射的に身を起こす望。  
「は、はいッ。どうぞ」  
相手が誰かもわからないまま、待ちわびた来訪者を迎え入れる。  
裏返った返事に、苦笑するような声が聞こえた。  
その声音が心地良く耳朶を擽るもので、自覚なく望の頬は紅潮した。  
 
「失礼します」  
落ち着いた声でそう言って、彼女はゆっくりとドアを開いた。  
 
まず目に入ったのは、鮮血のような赤だった。  
 
それが彼女の手に持った花束に咲く、いくつもの薔薇だとすぐに気付く。  
ブーケの端から顔を出すようにこちらを覗くその顔は、  
夢にも思えないほどに、焦がれすぎた女性の顔だった。  
「お久しぶりです、糸色さん」  
「……ジョ、ジョシダイセイサン……」  
日本語覚えたての外人でも、もうちょっと流暢に喋るだろう程のぎこちなさで答えつつ、ガバリと勢いよく半身を起こす。  
ベッド脇に備え付けてある棚に花束を置くと、彼女はさっきまで兄の座っていた椅子に腰掛けて、ニコリと笑った。  
「あら糸色さん、改造でもされちゃったんですか?」  
「あ、え、はい?」  
小さく小首を傾げて、笑顔のまま不可解な事を言う彼女にしどろもどろになる。  
「糸色さんのお兄さんって凄いんですね。改造手術まで出来るんですか」  
「し、失礼ですが……、何のお話を?」  
首を傾げる望に、少し驚いたように目を丸くする彼女。  
「あ、普通に喋れるんですね。  
何だかカタコトでお話されるから、ロボットにでもされちゃったのかと」  
「……あー」  
どうやら望の第一声が、彼女にはロボか何かの棒読みな日本語に聞こえたようだ。  
「あぁでも、どりゃえモんとかは流暢にお喋りできますものね」  
「ロボから離れて下さい。私はちゃんと人間ですから」  
「そうなんですか……」  
答えた彼女の声音が、どこか残念そうなのは気のせいだろうか。  
「と、ともかく。わざわざ来て下さってありがとうございます。こんな花まで」  
鮮やかな薔薇を目に留めて言うと、彼女は嬉しそうに微笑んだ。  
「元、とはいえ。仲良しのお隣さんが入院されたんですもの、お見舞いなんて当然です」  
望の視線を辿るように、黒目がちな瞳に真紅を映しながら、彼女はポツリと呟いた。  
 
「……実は少し、不安だったんです」  
 
「え?」  
そんなに心配させたかと、薔薇から隣の女子大生に視線を移す望。  
望の方を見ないようにするように、彼女はただ薔薇を見つめながら、  
「糸色さんのお家が燃えてしまって、それ以来……あまり、お会いする機会も無くなって。  
忘れられているんじゃないかと、今日も実は、来るのが怖かったくらいで」  
笑みを浮かべたまま、寂しそうに呟くその姿は儚げだった。  
 
「そ、そそそそんなわけないじゃないですかッ!」  
思ってもいなかった彼女の告白に言葉を詰まらせながらも、反射的に叫ぶように言った。  
「むしろ私の方がそう思ってたくらいで、というかもう口実探しに必死だったといいますか!  
でもたかが私なんかが馴れ馴れしくして、もしも『この勘違い男、ちょー気持ち悪ーいッ!』  
……何て思われたらホントに首吊っちゃいそうだったんで、その――アウチッ!」  
勢いにまかせて捲くしたてようとするも、叫んだ拍子に疼いた傷が、言い訳の時に限り不必要によくまわる口を閉ざす。  
「せ、先生大丈夫ですかッ?『アウチッ!』だなんて、まさか外人さんに改造をッ?」  
「か、改造から離れて下さい……、私なら、大丈夫です……ッ」  
そもそも外人に改造って何だろう、などと内心でツッコミつつ、反射的に前のめりになった身体をゆっくりと元に戻す。  
「もし身体に障るなら、私はこれで……」  
「ほ、本当に平気ですからッ」  
帰られてなるものかと、必死に笑顔を作りながら彼女の服の袖を掴んだ。我ながら必死だと思う。  
「――それじゃあ、せめてちゃんと横になって下さい」  
腰を浮かせていた彼女は、そのまま立ち上がって、半身を起こした望の肩に手をかけた。  
僅かに力を込めて、ゆっくりと望の身体をベッドに横たえた。  
それに逆らわず身を横たえながらも、まるで彼女に押し倒されているかのようなシチュエーションに、思わず後ろめたい事を考えてしまう。  
「糸色さん、お顔が赤いですよ?」  
そんな内心の煩悩を知ってか知らずか、彼女は望の両肩に手をかけたまま、わずかに顔を寄せてくる。  
一つに纏めた髪が肩から流れ、ほんのりとシャンプーの匂いが香る。まさに女の子の香り、といった感じだ。  
「いいいいやその、ほら、薔薇が赤いからですよ!」  
「そうですか……。薔薇が赤いなら仕方ないですね」  
我ながらあんまりな言い訳に、何故だか彼女は同意して、ゆっくりと望から身体を放した。  
遠ざかる人肌に安堵と寂しさを覚える。が、あれ以上近づかれたら色々と危険である。主に下半身的な意味で。  
そうだ。あながち、あの言い訳は間違っていないかもしれない。  
闘牛の気分だ。あんなに鮮やかな赤を見せられては、気分も高揚しやすくなる。  
椅子に腰掛けなおす彼女をとても直視できず、外の景色を見ながらそんな事を思う。  
そもそも薔薇は見舞いには縁起の面で良くない花なのだが、若いという事もあって彼女は知らなかったのだろう。  
(……えーっと……)  
唐突に途切れた会話に居心地の悪さを覚えて、必死に話題を探していると、  
「薔薇、お好きですか?」  
望が困っているのを察したのか、彼女の方から話題をふってくれた。  
「は、はいッ。とても!」  
ようやく外の景色から彼女に視線を戻して、全力で頷く。  
別に好きでも嫌いでも―――むしろもう少し落ち着いた色の花が好きなのだが、気のある女性に贈られた花が美しく見えないわけがない。  
今この瞬間から、糸色望の好きな花は薔薇である。それも、真っ赤な。  
 
「良かった」  
彼女はただ一言、仄かに笑いながらそう言った。  
 
――彼女には、輪郭のない、存在がぼやけたような儚さを感じる事が、ままある。  
 
「……でも」  
「はい?」  
「貴女に薔薇は似合いませんね」  
気付けば、意識しないままにそんな事をのたまっていた。  
キョトンとする彼女。望も自分で、何故こんな事を言ってしまったのかと一瞬硬直してしまった。  
「あ、あああ、いやあの!違うんです、悪い意味じゃないんです!ただその、  
貴女にはもうちょっと淡い色の花の方が似合うんじゃないかなぁーとか!思いまして!」  
大慌てで訂正しようと再度口を開くも、言い訳にすらなっていない。  
「例えば?」  
「え」  
 
ワタワタと冷や汗をかいている望とは裏腹に、彼女は興味深そうにこちらをのぞき込んできた。  
「例えば――私には、どんな花が似合います?」  
「……えーっと」  
笑みでも無く、無表情でもない、不思議な表情をした彼女は、じっと望の答えを待った。  
自分の中の彼女のイメージを確かにする為に、望はじっと彼女を凝視する。  
長く黒い、作り物のように美しい髪。女性の面差しの中に、やや少女の影を残す顔立ち。  
――最も惹き付けられたのは、黒目がちな、吸い込まれそうな瞳だった。  
 
 
『桃色係長、でも全然身長低くないじゃないですか』  
いつか。  
いつかどこかで、この瞳に魅せられたことがある気がした。  
 
 
「―――桜」  
 
「え?」  
「……えぇっと……、うん。――貴女には、桜が似合うと思います」  
ポツリと唇から零れた花の名は、淡い桃色の花弁をつける、春の訪れの名だった。  
頷いた彼女は、ただ唇の動きだけで。  
――――良かった。  
そう呟いた。  
 
「じゃあ、私が入院した時は、桜を持って来て下さいね」  
一瞬浮かべた、すぐにも壊れそうなほど脆い表情を覆い隠すように笑って、  
取り繕うように言う彼女に、自然と望は合わせるように笑った。  
「まず貴女が、入院なんてしないように祈りますよ」  
「そうですね。先生も、早く良くなって下さいね。寂しいですから」  
口元に手を当ててコロコロと笑うと、彼女は軽い動作で立ち上がった。  
「それでは、私はそろそろおいとましますね?」  
「そうですか……。今日は、ありがとうございました」  
引き止める言葉を吐きそうな口を必死に律して、礼だけ言った。  
今日はこうして別れるのが、一番良い気がしたのだ。  
「ええ。私も、ありがとうございました。嬉しかったです」  
ペコリと頭を下げると、彼女は後ろ髪も引かずに背を向けて、アッサリと部屋を後にした。  
 
「………」  
彼女の仄かな香りだけが残る部屋に、静寂が舞い戻る。  
だが、胸に燻ぶる得体の知れないモノを静める為に、その静寂は好都合だった。  
深く息を吐きながら、赤い薔薇から目を逸らすように、窓の外を見た。  
くすんだ秋色の葉。それよりも下に、しばらくすると彼女の帰る姿が現れた。  
その姿を追う様に、ほとんど無意識にベッドから降りる。傷の痛みなど少しも感じなかった。  
窓辺に立って、揺れる彼女の後ろ髪を眺める。と、  
「……ん?」  
彼女の歩が止まる。振り返った彼女は、だがこちらを見るのではなく。  
「―――兄さん?」  
呼び止めたのは望の兄、命だったようだ。  
二人は何事か会話している。双方の顔には、笑顔が浮かんでいた。  
「――――………」  
 
サクリと。  
まるで刺すように、得体の知れないモノが胸の奥で生まれた。  
 
二人は少しだけ立ち話をして、すぐに離れた。  
特に何も無い。兄が弟の知り合いに挨拶しただけの事。ただ会話しただけ。ただそれだけだ。  
―――それなのに、何故だか二人が何を話したのか、無性に気になった。  
「……何を」  
自分の中で生まれた感情が何なのか認めたくなくて、強く意識して笑みを浮かべた。  
たどたどしい足取りでベッドに戻る。自然と、彼女のくれた薔薇が目に映った。  
 
ヤンデレとか嫉妬とか、不幸なすれ違いによる誤解とか。  
そんな不毛なこと、愚かしいと思う。わかりたくなんてない。  
憎しみに変るような愛は、そもそも愛だと思わない。  
独占欲を押し付けるだけの関係を、恋人だなんて認めない。  
だから。  
 
この胸に生まれた感情が、赤く熟れすぎるその前に。  
 
「……もっと、話をしましょう。  
今度は、目を逸らしませんから……たぶん」  
 
 
きっと気付いた今日の事。  
いつか見た、桜の下での貴女の事を。  
 
 

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