「望、入るぞ…、っと、寝てるのか。」  
命は、手に持ったカルテで口を覆った。  
そのまま静かに弟の枕元に歩み寄り、そっとその顔を覗きこむ。  
爽やかな風が吹き渡る病室のベッドで、望は健やかな寝息を立てていた。  
 
命は安堵の表情で一人うなずいた。  
火煙にまかれ、背中を刺され、最後には何を隠そうこの自分の医療ミスにより  
一時は絶命しかけたほどの容態だったのだ。  
よくぞここまで回復してくれたと、心から神に感謝する。  
 
そして、いつものように望の枕元に座る袴姿の少女に目をやった。  
いつ家に帰っているのだろう、と思うくらい、彼女は常に弟の枕元にいた。  
面会謝絶だと何度言っても、しまいには病室に鍵をかけても、  
彼女は、どうやってか、いつの間にか弟の枕元に座っているのだ。  
 
今もまといは、面会時間ではないという事実を気にする様子もなく、  
ただ食い入るように望の寝顔を見つめていた。  
 
命はため息をついたが、  
今日は、まといをとがめだてすることはしなかった。  
どうせ、望も明日には退院である。  
病室に居座るまといの姿を見るのも、今日で最後だ。  
 
―――今日で、最後…。  
命の中で、コトリ、と何かが動いた。  
自分で気がつく前に、命は、まといに呼びかけていた。  
「常月さん。」  
 
命の呼びかけに、まといはぼんやりと顔を上げた。  
まといは、望以外のものに目を向けるときは、  
焦点の合わない、興味のない表情をしていることが多い。  
そのことに何となく苛立ちを感じながら、命はまといに話しかけた。  
 
「コーヒーでも淹れるから、少し休みなさい。」  
「でも…。」  
まといは、逡巡するように寝入る望の顔を見やった。  
「望なら、もう大丈夫だから。それに、この様子じゃ当分目覚めないよ。」  
その言葉に、まといが案外素直に腰を上げたことに、命はほっと息を吐いた。  
 
コーヒーメーカーがコポコポと音を立て、診療室にいい香りが広がった。  
やや落ち着かなげに座っているまといを見ながら、命はぼんやりと思った。  
―――この娘と望は、どういう関係なんだろうか…。  
 
まといの振る舞いを見れば、まといが望を想っていることは明らかだ。  
しかし弟の方は、突き放さないまでも、まといを歓迎しているようには見えなかった。  
―――つまりは、一方通行ってことか…。  
 
命はコーヒーをマグに注ぎながら眉をしかめた。  
 
望も悪いのだ。  
あの馬鹿は、結局のところ人を拒絶する、ということを知らない。  
それは、望の優しさなのかもしれないが、  
中途半端な優しさは、却って相手を傷つけることもある。  
 
しかし、と命はまといを見た。  
それにしても、この娘はギアをトップに入れすぎではないか。  
―――望のような男に、それは、逃げる口実を与えるだけなのに…。  
命には、余りに真っ直ぐなまといが、痛々しく思えた。  
 
「はい、どうぞ。」  
命は、コーヒーの入ったマグの上の縁を持って、まといに手渡した。  
まといは、マグを抱え込むように持とうとして、  
「熱っ。」と小さい声で叫ぶと、慌てて取っ手に持ち替えた。  
 
命は、そんなまといを見て、ふと思いつき、声をかけた。  
「常月さん。」  
「はい。」  
まといが顔を上げる。  
「今、熱いマグカップを持ったとき、痛い、と思わなかった?」  
まといは、首を傾げた。  
 
「…ええ…、熱くて、痛かった、ですけど…。」  
「他にも、例えば風呂のお湯が熱すぎた場合なんか  
 熱いというよりは、痛かったり、あるいは、逆に冷たいような感覚を  
 覚えることはないかい?」  
 
まといはマグを持ったまま、しばらく考えるような顔をし、やがて頷いた。  
「確かに、そういうことは、あります。」  
そして、それが何か、というように命を見上げた。  
 
先ほどと違い、まといの大きな目が、しっかりと命を見据えている。  
命は、瞬間、身の内に走った快い戦慄には気がつかない振りをした。  
 
「人間の温度感覚というのはね、温度が高くなりすぎると  
 正しく反応しなくなるんだ。  
 一般的には、45℃を超えると温覚の反応が鈍り、反対に、  
 冷覚や痛覚が反応し始める、と言われている。」  
「…?」  
 
まといは、いきなり始まった命の講義に、戸惑った顔になった。  
命はそ知らぬ顔で続ける。  
 
「だからね……余り、熱くなっては、だめなんだよ。  
 過剰な熱は、かえって、冷たさや痛さを感じさせることになってしまう。」  
「…!」  
 
命は、口をつぐんでまといを見た。  
まといは、先ほどとは違う、真剣な顔をしていた。  
 
「今のは…私の、先生に対する行動のことを言ってるんですか。」  
「…。」  
「私が熱くなりすぎるから…先生が痛がって逃げる、って言いたいんですか。」  
「…望だけじゃない、君だって、痛いだろう。」  
 
命には、過剰な熱を内に抱えたこの娘が、常に  
痛みと冷たさに打ち震えているように思えてならなかった。  
 
まといは、しばらく黙ってうつむいていたが、  
やがて、顔を上げて命を見た。  
「でも、ダメなんです。」  
「え…。」  
「私…好きになると、自分を止められないんです。」  
「でも、それでは、君が…。」  
まといは首を振った。  
「いいんです、私は。自分が好きでやってるんですから。」  
 
命は、それをきいて、先ほど、望の病室で感じたのと同じ、  
何故だか分からない苛立ちを感じた。  
 
と、急にまといが、ふふ、と笑った。  
「でも、不思議ですね…命先生と先生は、声も顔もそっくりなのに、  
 話し方が違うだけで、こんなにも雰囲気が違うんですね。  
 先生のしゃべり方は、もっと―――」  
話しながら、まといの表情が、急に華やかなものになる。  
 
望の話をするだけで、彼女は、こんな表情になれるのか―――。  
命は、自分の中の苛立ちが、急速に膨らんでくるのを感じた。  
 
冷たさも、痛みさえも、それが愛故ならば喜んで受け入れる。  
なんて深く、激しい想いなのか。  
 
しかし、その熱の、想いの対象は自分ではない。  
いくら顔や声が望と似ていても、  
命は、まといにとって、その他大勢に過ぎないのだ。  
 
命は、無言でまといに歩み寄った。  
「命先生…?」  
まといが命を見上げる。  
命の表情を見たまといの顔に、僅かな怯えがよぎった。  
 
―――望には、自分からつきまとうくせに、私には怯えるのか。  
 
まといの怯えた表情を見た瞬間、命の中で、何かが切れた。  
 
「分からない娘だね…君も。  
 過剰な熱が、どれ程に痛くて冷たいものか…試してみるかい?」  
そういうと、命はまといの細い両手首をつかみ、ぐい、と引き寄せた。  
「命先生、何を…!」  
 
 
 
まといの手からマグが床に落ち、鈍い音を立てて砕け散った。  
 
 
 
―――自分は、一体、何をしているんだろう…。  
 
命は、熱に浮かされたように動きながら、自問自答していた。  
 
煮えたぎった頭の、一部だけがひどく冷めていた。  
その冷めた部分にいるもう一人の自分が、  
今の自分を、嫌悪の表情で眺めていた。  
 
診察用のベッドの上で、自分の体の下に組み敷かれた細い体。  
その口からは、声にならない悲鳴が漏れている。  
しかし、まといの恐怖の表情も、体中で示される抵抗も、  
今の命を止める手立てとはならなかった。  
 
体が熱い―――熱くて、痛い。  
そう、彼女に、熱が痛くて冷たいものだと、知らしめてやる。  
 
意味の通らない言い訳を、自分に何度も言い聞かせながら、  
命は、まといの着物を剥ぎ取っていった。  
全てを剥ぎ取った後の、まといの肌の白さに一瞬目を奪われる。  
 
命は、両手で、一糸纏わぬまといを掻き抱くと、  
彼女の全てを奪うように、その紅い唇に深く口付けた。  
「やっ…むぐ、んー!」  
まるで、むさぼるように舌で歯列を割る。  
どうやら、幸いに割り込んでくる舌を噛もうとする気配はないようだ。  
 
命は、夢中になってまといの口内を味わいつくした。  
だんだんと、まといが、苦しそうな表情になる。  
ようやく命が唇を離すと、まといは咳き込んで胸を大きく上下させた。  
 
小ぶりだが形の良い乳房の、淡いピンクの頂は、  
執拗な口付けに反応したのか、既に、固く立ち上がっていた。  
 
命は、すかさず、その頂を唇に含んだ。  
「…っ!」  
まといが、小さく悲鳴を上げた。  
構わず、舌の先で転がすように固い蕾をつつく。  
「や、はぁ、ぁあっ!」  
執拗に弄っていると、まといの悲鳴に甘さが加わってきた。  
 
「いい声だ…。」  
命はまといの胸に唇を寄せたまま、呟いた。  
まといの頬に一気に血が上り、まといは命を睨みあげた。  
その瞳に燃える炎に、命は、思わず動きを止めて見入ってしまった。  
 
―――全てのはじまりは、この瞳だったのかもしれない。  
 
病室で、望を、望だけを一心にひたすら見つめる瞳。  
その光景を見たとき、その瞳に込められた強い意志と想いに、圧倒された。  
誰かを、ここまで想うことができるエネルギーに、感動した。  
 
その強い視線を、独占したいと思い始めたのはいつからだろうか。  
今思えば、まといに病室から出るよう、いつもうるさく言っていたのも、  
まといの注意を自分に向けさせたかったからかもしれない。  
 
しかし、あの瞳が決して自分には向けられることがないと分かったとき  
命の中の果てしない憧れが、暗い情念に変わっていったのだ。  
 
そうやって自分の行動を分析する自分を、もう1人の自分が自嘲気味に笑う。  
だから、何だというのだ?  
どんな理由をつけたとしても、今、お前のやっていることは―――。  
 
―――うるさい。  
命は、皮肉な笑みを浮かべた自分の分身を振り払うように、  
まといを強く抱きしめると、再びまといの体に手を伸ばした。  
 
「や…っ、な、んで、こんなこと、するんですか…っ。」  
まといが息を切らしながら、混乱したような声を上げる。  
「言っただろう…物分りの悪い子には、体に覚えさせるのが一番だ。」  
そういうと、命は、長い指をまといの中に埋め込んだ。  
「あ…っ、い、痛いっ。」  
 
そこは、まだ、潤いが足りないようだった。  
命の中に、ふいに、相手が望であったらまといはどう反応しただろう、  
という自虐めいた考えが浮かんだ。  
 
命は、まといの耳に口を近づけると、わざと望の口調を真似た。  
「常月さん…いいですよ…。」  
果たして、まといの体はそれにびくんと反応した。  
 
口調を真似た、それだけで激しく反応するまといに、  
命の中で燃えている暗い情念がいっそう掻き立てられる。  
 
「常月さん、可愛いです…先生は、あなたが大好きですよ…。」  
弟の口真似を続けながら、自分は狂っている、と命は思った。  
 
45℃―――45 degrees Celsius。  
適合刺激が温覚から痛覚に変わる分岐点。  
自分の中の熱は、とうにその温度を超えていた。  
どこもかしこも熱く、痛い。  
 
きっと、自分の脳は、この熱でとっくに壊れてしまっているのだ。  
頭も心も狂ってしまったこの体を、熱だけが支配する。  
もう、この熱を、止めることはできない―――。  
 
まといの口からは、抑えようとして抑えきれない喘ぎ声が漏れ、  
命は、指の先がじわりと潤んできたのを感じた。  
 
「常月さん…。」  
その瞬間、自分の分身が、自分を大声で引き止めているのを感じた。  
しかし、命はそれに目をつぶり、まといを強引に貫いた。  
 
「やぁぁぁああ!」  
まといが悲鳴を上げた。  
命は、それを塞ぐように唇を合わせると激しく腰を動かした。  
「んっ…んんっ!」  
まといの頬に再び血が上り、目元が妖しげに潤んでくる。  
まといは、首を振って命の唇から逃れると、大きく喘いだ。  
 
―――今、彼女の脳裏にいるのは、誰なのだろう…。  
 
感じているのが快感なのか痛みなのか、それさえも朧気で、  
ただただ、頭が真っ白になりそうな感覚に包まれながら、命は果てた。  
 
 
 
汗が引き、体のほてりが収まってくると同時に、命の中に、  
徐々に冷静な考えが戻ってきた。  
 
―――何を、やった、んだ、私は…。  
 
背中を、冷たい汗が流れた。  
さっきまであんなにも燃え盛っていた熱は、どこかに行ってしまったようだ。  
 
おそるおそる、命は、横にいるまといに目を向けた。  
まといは、ぼんやりとその場に横たわっていた。  
命は、口ごもりながらまといに声をかけた。  
「あの…。」  
 
とたんに、まといががばりと起き上がると、命を見た。  
しかし、その目には、何も映っていなかった。  
 
まといに伸ばしかけた命の手が、途中で止まった。  
まといは、命から顔を背けると、固まってしまった命の前で  
ものすごい勢いで着物を体に纏い、診療室を飛び出した。  
 
命の手が、ぱたりとおちた。  
呆然と宙を見つめる。  
 
―――私は…一体、何をしてしまったんだろうか…。  
 
いたいけな少女の体を、獣のように犯しつくした。  
激しい後悔と自分に対する嫌悪が、止め処もなく湧き上がってきて、  
命は震える両手で顔を覆った。  
 
そのまま暗くなるまで、命はその場に蹲っていた。  
 
 
 
「じゃ、兄さん、お世話になりました。」  
「ああ、もう戻ってくるなよ。」  
翌朝、何も知らない望は、嬉しそうな笑顔で医院を後にした。  
 
まといは、この近くにいるのだろうか。  
しかし、命はあえて周辺を見回す勇気がなかった。  
 
望は、既に大分先を歩いている。  
しばらく行けば、その後ろにはまといの影が寄り添うだろう。  
命は、心に痛みを感じながら、望の後姿を目で追っていた。  
 
しかし、いつまで経ってもまといは現れなかった。  
 
―――まさか、昨日のことが…?  
命がふと、心配になったとき、望が歩みを止めた。  
そして、落ち着かなげに後ろを振り返る。  
 
望は、しばらく、その場に呆けたように突っ立っていた。  
その姿は、母親に置いてきぼりにされた子供のようにも見えた。  
 
―――何やってるんだ、あいつ…忘れ物でもしたか?  
命は、いぶかしげに、弟の姿を見ていた。  
 
と、望が命の視線に気がついたように、こちらを見た。  
そして、心なしか赤くなると、慌てたように再び歩き始めた。  
しかし時折、肩越しに後ろをチラチラと振り返っている。  
 
―――変な奴だな…。  
 
命は、首をかしげながら踵を返し、医院の扉を開けた。  
とたん、危うく大声を上げるところだった。  
 
医院の玄関ホールに、まといが立っていた。  
 
「つ、つ、常月さん…。」  
命の口から、自分の声とは思えない声が漏れた。  
まといは、命に向かってにっこりと微笑んだ。  
 
「命先生、私、分かりました。」  
「な、な、何を…。」  
「確かに、命先生の熱は、痛かったですし、体の芯から凍える気がしました。」  
淡々と繰り出されるまといの言葉は、命の胸に突き刺さった。  
命は、答える言葉もなく、ただ、その場に立ち尽くした。  
 
「でも、命先生。」  
まといは首を傾げて見せた。  
「痛みと、冷たさだけじゃなかったです。」  
「え…?」  
「命先生の熱、私、確かに感じました。」  
「―――!」  
「命先生は、私のことを、強く、すごく強く、想ってくれてた。」  
 
命は、驚いた顔で、まといを見た。  
まといは、あの力強い瞳で、命を見つめていた。  
 
「熱も、伝わるんですよ、命先生。」  
「…。」  
「だから。」  
まといは、ぐっと握りこぶしを作った。  
「わたし、あきらめません。先生に、私の熱が伝わるまで頑張ります!」  
「な…。」  
 
命は絶句した。  
 
まといは、そう言うと、呆然としている命の横をすり抜け、扉に手をかけた。  
そして、命を振り返ると、再び大きく微笑んだ。  
「それだけが、言いたかったんです…それじゃあ、また。」  
 
扉が閉まると同時に、  
命は、そのまま崩れるように医院の床に腰を下ろした。  
 
―――なんという…。  
 
真っ直ぐさ加減にも、程がある。  
例の、髪留めの少女も真っ青のポジティブ思考ではないか。  
 
―――しかしね、常月さん…。  
命は心の中で呟いた。  
熱が伝わったからと言って、それが受け止めてもらえるかはまた別問題だ。  
現に、自分の想いは、彼女に受け止ってもらえてないではないか。  
 
と、そのとき、命の脳裏に先ほどの望の姿が浮かんだ。  
途方に暮れたように立ち尽くし、繰り返し肩越しに後ろを振り返る…。  
まるで―――何かを探しているように。  
 
命は、思わず拳を口に当てた。  
 
―――………望の奴……あいつ…。  
 
「は…。」  
乾いた笑いが、拳の隙間から漏れた。  
 
―――なんだ…何も分かっていなかったのは、自分の方じゃないか…。  
 
今はまだ、望も、はっきりと意識はしていないのかもしれない。  
でも、彼女なら。  
あの真っ直ぐな瞳は、いつかはきっと、望を自覚させる。  
彼女なら、熱だけでなく、想いをも受け止めさせることができるだろう。  
 
「はは、あははは、何だ、は、ははははは…。」  
命は、腹を抱えると、1人笑い始めた。  
 
笑いは胆汁のように苦かったが、止まることを知らずに溢れてきた。  
 
「まったく…本当に、馬鹿みたいだ…。」  
笑いすぎて涙が出てきたが、命は気にしなかった。  
 
誰もいない医院の玄関で、頬を流れ落ちる涙を拭いもせず、  
命はいつまでもいつまでも笑い続けていた。  
 

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