望は不機嫌だった。  
 
霧が、生活費を下らない週刊誌につぎ込んでしまったのは  
まあ、よしとしよう。  
自分も以前、小遣いもらってパチンコに行ったりしていた身だ。  
とやかくは言えまい。  
 
しかし。  
 
「はい、次はじゃあ、膝枕!絶対服従!!」  
霧は嬉しそうに命令すると、望の膝の上にコロンと転がった。  
「わーい、本当に先生に膝枕してもらってるみたい。」  
満面の笑みで、こちらを見上げてくる。  
 
「…。」  
望は、口をへの字に曲げて、霧を見下ろした。  
 
どうも不愉快だった。  
 
自分のアンドロイドが週刊誌の付録として出回っていることを  
知ったのは、つい最近のことだ。  
霧はそれをこっそり通販で買っていたらしい。  
 
ところが、交が、霧のアンドロイドをうっかり壊してしまった。  
幼いなりに、交は、それを霧に知られまいと考えたようで、  
何と、望本人に、アンドロイドになったと暗示をかける手に出た。  
 
「オマエはアンドロイドとして蘇ったんだからな!」  
必死な顔で自分に言い聞かせようとする交が、少し不憫でもあり、  
また悪戯心もあって、付き合ってやることにしたのだが…。  
 
―――いつまで、こんなことをやっていればいいんでしょうね。  
 
望としては、霧が自分のことにすぐに気がつくと思ったのだ。  
そこで、皆で笑い合っておしまい、そう思っていたのに―――。  
 
まさか、霧がこうも交の嘘を信じてしまうとは。  
 
自分の膝の上に頭を乗せ、鼻歌を歌いながら望の指を曲げたりしている  
霧を見て、望はひそかにため息をついた。  
 
霧は、完全に自分のことをアンドロイドだと思っているらしい。  
さすがにチューは思いとどまったものの、その後は、膝枕や添い寝等、  
普段だったら決して望にねだらないようなことを命じてきた。  
 
そのたびに望は、イラつくような、胸の奥に石がつかえているような、  
何とも言えない重苦しい気持ちになった。  
 
それはそうだろう。  
こんな風に、年下の女の子に顎で使われて不快にならないはずはない。  
望は胸の中で、そう呟いた。  
 
いい加減に、本当のことを霧に告げようか。  
そう思って望が口を開きかけたとき、宿直室の扉が開いた。  
 
「糸色先生、そろそろ授業に出て欲しいんですけど…。  
 もうこれで、1週間になりますよ。」  
困り顔でそこに立っていたのは、スクールカウンセラーの智恵だった。  
 
―――まずい。  
 
授業をさぼった上に、女子生徒に膝枕しているなんて、懲戒免職ものだ。  
 
―――絶望した!アンドロイド役に夢中になって失業する  
   本末転倒な展開に、絶望した!!  
 
蒼白になりながら心の中で叫んでいると、霧が膝枕のまま、  
前髪の間から智恵を見据えて言った。  
「違うよ、智恵先生。これはアンドロイドだよ。  
 本物の糸色先生は、今、旅に出てるって交君が言ってたよ。」  
「…。」  
 
望は思わず霧を見た。  
交はそんなことを言っていたのか。  
 
智恵は頬に手を当てて霧をじっと見つめると、望に目を移した。  
そして、しばらく何か考えるようなしぐさをしていたが、  
やがて、手を下ろすと小さく息をついた。  
 
「…分かりました。」  
「へ。」  
思わず望の口から声が漏れるが、誰も気づいた様子はない。  
 
智恵は考え深そうな目でちらりと望の方を見ると、霧に言った。  
「失踪中の糸色先生に連絡が付いたら、伝えておいてちょうだい。  
 あと3日は待ちましょう、って。  
 …それまでに、きちんと落とし前つけておきなさいって。」  
 
―――きちんと落とし前…?何のことでしょう…?  
 
望は内心首を傾げたが、霧は智恵から顔を背けるようにした。  
 
「…じゃ。」  
宿直室の扉が閉まった後、部屋の中はしん、と静まり返った。  
 
「…先生、今頃、どこにいるかねぇ…。」  
霧がぽつんと呟いた。  
 
―――何を呑気な。  
 
望は、再び、苛立たしい気分が湧き上がって来るのを感じた。  
一緒に暮らしている人間が1週間も行方知れずだと言うのに、  
この霧の呑気さはいったいどういうことだろう。  
 
アンドロイドがいるから、それでいいと言うことなのだろうか。  
 
そう考えて、望ははっとした。  
 
あれだけ長い間一緒に暮らしているのに、  
霧は、自分とアンドロイドとの区別さえつかなかった。  
そのことを、今までいぶかしく思っていた。  
 
しかし、霧にとって自分と言う存在が、  
アンドロイドにとって代われる程のものであれば―――。  
霧が、その違いに気がつかなくても、不思議はない。  
 
考えるにつれて、望の胸の中のもやもやしたものが、  
次第に大きくなっていった。  
 
そのとき、霧がひょい、と望の両手を自分の頬に押し当てた。  
望はその柔らかい感触に驚き、慌てて手を放そうとして、  
自分が今、アンドロイドの役をしていることを思い出す。  
 
「うふふ、手、冷たいね。本物の先生みたいだ。」  
反対に、霧の頬は温かかった。  
白く、柔らかく、温かい霧の頬―――。  
望は我知らず、鼓動が速くなり、頭に血が昇っていくのを感じた。  
 
胸の中で、何か訳の分からない感情が、爆発した。  
もう我慢の限界だった。  
 
「―――私ですよ!!!」  
望は大声で叫んだ。  
霧が、驚いたように望の手を取り落とした。  
 
「いつも膝枕しているのも、あなたと添い寝していたのも、  
 今こうやってあなたの頬を触れているのも、  
 アンドロイドなんかじゃない、私です、糸色望です!!」  
 
望は大声で言い切ると、肩で息をした。  
何故、自分がこんなにも激昂しているのか分からない。  
 
とにかく、もうアンドロイドの振りなんか真っ平だった。  
 
霧が、望の膝からゆっくりと起き上がった。  
そして、畳に手をついて望に向き合うと、ぽつん、と呟いた。  
 
「…うん。分かってた…ごめん。」  
「え…?」  
望は霧を見たまま固まった。  
 
―――今、何と?  
 
「ごめんね、先生…先生が、アンドロイドなんかじゃないって、  
 最初から気がついてたんだ。」  
「な…んですって…!?」  
 
「でも…先生がアンドロイドの振りをしてくれてたから、  
 それをいいことに、気がつかない振りして…。」  
「…。」  
「…本物の先生だったら、こんな風に甘えられないから…。  
 ごめんなさい…先生の交君への思いやりを利用して。」  
 
そう言うと、霧は目を潤ませながらも、笑顔を見せた。  
「でも、この1週間、先生が本当に自分だけのものになったみたいで、  
 とっても楽しかったよ…先生、ありがと。」  
 
―――そうだったのか…。  
 
とすれば、この1週間、望は霧に騙されていたことになる。  
 
―――私だってこと、知ってたんですね…。  
 
しかし、何故か、望はそのことに怒りは湧かなかった。  
それどころか、先ほどまで感じていたイライラや重苦しい気持ちも  
きれいさっぱり消え去っている。  
 
きっと、今までの自分のイライラは、嘘をつかれていたことに  
自覚ないままに気づいていた、潜在的な不快感だったのだろう。  
望はそう自己分析した。  
今、霧が嘘を自白したから、その不快感は解消したのだ。  
だったら…。  
 
「…嘘をつかれるのは、先生、好きじゃありません。」  
「…ごめんなさい…。」  
霧はうなだれた。  
「だから、今度からは正直に言ってください、私に。膝枕して欲しいって。」  
「……え?」  
 
望は霧を見てにっこりと微笑んだ。  
こうすれば、霧も嘘をつかずに済み、自分もイライラせずに済む。  
何という単純かつ素晴らしい解決策。自分は天才だ。  
 
霧の頬に朱がさした。  
 
「だ、だったら、せんせぇ、添い寝もお願いしてもいいの!?」  
「…えっ、そ、それは…っ!」  
 
望は焦った。  
今までアンドロイドとして霧に添い寝をしていた時は、  
実は、ほとんど眠れていないのである。  
 
神経質な自分には、他人と一つ布団に寝るのは無理なのだ、と  
明るくなっていく空を恨めしげに見ながら思ったものだ。  
 
「…やっぱり…だめかぁ…。」  
望の表情を見て、霧が肩を落とした。  
「い、いや…!」  
 
―――ここでひるんではいけない!  
ひるんでは霧に再び嘘をつかせることになりかねない。  
教育者として、それだけは阻止せねば。  
 
望は、咳払いすると霧に向きなおった。  
「毎日は、ちょっとアレですが…たまにだったら…。」  
「…うん!たまにでも嬉しいよ、せんせぇ!」  
 
両手を合わせて喜ぶ霧を見て、  
望は胸の中がほんわかと温かくなっていくのを感じた。  
 
―――これが教育者としての醍醐味なのかもしれませんね。  
 
そのときふと、望は、先ほどの智恵の言葉を思い出し、首をひねった。  
 
―――落とし前をつけるって…このことを言ってたんですかね…。  
 
 
 
 
 
 
その後、望型アンドロイドは製造中止となった。  
 
たとえ電気羊の夢を見るアンドロイドでも、  
心にブラインドをした、この青年の  
複雑怪奇な心理を模倣することは到底不可能だ。  
 
「糸色望」になり切れなかったアンドロイド達は、  
あっという間に返品の山と化したのだった。  
 
そして。  
今日もまた、望は霧の隣で悶々と寝不足になっていた。  
自分がなぜ眠れないのか、彼が心のブラインドを取り去って  
その本当の理由に思い当たるまでには、まだ時間がかかるようである―――。  
 
 

楽天モバイル[UNLIMITが今なら1円] ECナビでポインと Yahoo 楽天 LINEがデータ消費ゼロで月額500円〜!


無料ホームページ 無料のクレジットカード 海外格安航空券 解約手数料0円【あしたでんき】 海外旅行保険が無料! 海外ホテル