昼休憩、クラスメイト達の会話の輪から少し外れて、芽留はカチャカチャと携帯をいじくる。  
【よう、キモオタ、生きてるか?】  
たっぷりと毒を含ませたメールを、あの尊大なオタク野郎に送りつける。  
ほどなくして、返信。  
【ご丁寧なメール、ご苦労さん。相変わらず、暇人してるようだな】  
きっちりとこちらの癇に障る返事をしてくる所がいかにもアイツらしい。  
カチャカチャカチャカチャ。  
さらなる毒と皮肉をてんこ盛りにして、芽留は文面を打つ。  
返信。  
と、その時、芽留の耳元にいきなり聞き慣れた声が響いた。  
「芽留ちゃん!」  
驚いて声のした方向を向くと、額と額がくっつきそうなぐらい間近に、満面の笑顔があった。  
風浦可符香。  
彼女はどうやらしばらく前から芽留の後ろに立っていたらしい。  
「最近、昼休憩になるといつも誰かにメール打ってるね」  
【ど、ど、どうでもいいだろ、そんな事っ!!オレがメールを使うのはいつものことだろ!!】  
芽留はどうにも可符香が苦手だった。  
笑顔の裏に何を隠しているのかわからない得体の知れなさ。  
こちらの心の隙を突いて一気に距離を詰めてくる油断のならなさ。  
別に嫌いだとかいうわけじゃないけれど、彼女を前にすると芽留はどうにも緊張してしまう。  
「もしかして、好きな人が出来たとか?」  
【んなわけないだろ、バカかお前!!】  
芽留はメールの相手の顔を思い出して、ブンバブンバと首を横に振る。  
まかり間違っても、絶対にありえない。  
ていうか、コイツ、全部知った上で自分をからかってるんじゃなかろうかと、芽留は可符香の笑顔を睨む。  
可符香の情報収集能力なら、有り得ない話ではない。  
「ふーん、じゃ、そういう事にしとこうかな」  
【だから違うって言ってるだろうがっ!!】  
「進展があったら、聞かせてね?」  
【もういいから、あっち行け!!】  
芽留がどれだけ怒ろうと、一切効果はなし。  
可符香はニコニコ笑顔を一欠片も崩すこと無く、また別のクラスメイトの所に駆けて行った。  
まったく……。  
芽留の口から深いため息が漏れる。  
どこまでわかって話しているのやら、つくづく疲れさせられる。  
……だけど。  
だけど、ただ一点だけ、可符香に指摘されて初めて気がついたことがある。  
『最近、昼休憩になるといつも誰かにメール打ってるね』  
そういえば、確かに…。  
いつの間にか、当たり前の習慣になっていた。  
自分でも意識しないほどに、ごくすんなりと、当然のように。  
万世橋わたるへのメールを打つことが、芽留の最近の日課になっていた。  
きっかけは一月ほど前。  
電車の車内で痴漢に遭っていた芽留は、わたるに助けられた。  
高慢、頑固、偏屈で通っているオタク野郎は、傷心の芽留を気遣い、慰めてくれた。  
それから何となく、ただ何となく、携帯をいじっている時なんかに、彼の顔が思い浮かぶようになった。  
だから、何となくメールをしてみた。  
すると、しっかりと返信が返ってきたので、ちょっと戸惑いながら芽留も返信した。  
次の日も、次の次の日も、そんなやり取りが積み重なって、ついにもう一ヶ月。  
助けられた義理はあっても、あんなブサイク野郎、こっちが気にしてやる必要なんてどこにもない。  
なんて、考える一方で、わたるからの返信を、どこかで心待ちにしている自分がいる。  
 
そんな自分に困惑しながら、今日も芽留はわたるとメールを交わす。  
ヴヴヴヴヴヴ。  
わたるからの返信。  
さっそく携帯を覗き込む自分の顔が、心なしか弾んだ表情を見せている事に、彼女はまだ気がついていなかった。  
 
日曜日。  
晴れ渡った空の下、街にくり出して気ままなショッピング。  
ウキウキと足取りも軽く街を歩きながら、一方で芽留の心にはほんの少しだけ憂鬱な影がかかる。  
父親に溺愛され、小遣いもたっぷりと貰っている芽留は、大抵の物なら買うことが出来る。  
買う事は出来るのだけれど…。  
「…………」  
手に取った服を棚に戻して、芽留はがっくりと肩を落とす。  
芽留は一見すると小学生かと見紛うほどに小柄である。  
胸も小さい。ぺったんこだ。  
サイズが合わない。着こなせない。  
おかげで、彼女の着られる衣服は自然と限られてしまう。  
可愛い服を見つけても、諦めて帰ることがしばしばだ。  
特に今日は最悪だった。  
行く店、行く店、ことごとく外れを引き当てる。  
ショーウインドウに飾られた可愛いスカートを恨めしげに見つめてから芽留は歩き出す。  
空ではもう太陽が西の空に傾き始めていた。  
少し時間は早いが、帰るとしよう。  
今日はこれ以上続けても、余計に不快になるだけのような気がする。  
ため息を一つついて、芽留は家へと向かう足を速めた。  
 
そして乗り込んだバスの車内。  
「よう」  
こんな機嫌の悪い日に、どうしてコイツに出くわしてしまうのか。  
紙袋一杯にフィギュアやら同人誌やら、オタグッズを満載したわたるがイスにふんぞり返っていた。  
しかも、車内に空いている席はわたるの隣しか残っていない。  
よっぽど立ちっぱなしでいようかと思ったが、声を掛けられて無視をする事もできなかった。  
【また随分と買い込みやがって、そんな物抱えてよく街を出歩けるな。少しは恥ずかしくないのか?】  
「どれも俺の眼鏡に適った逸品だ。そんな風に考える道理はないな」  
憎まれ口を叩き合いながら、席に座るかどうかを決めかねている内にバスは次の停留所に止まった。  
バス停に並んでいた乗客たちが乗り込み口から一気に押し寄せる。  
その内一人の老婆がわたるの隣の席に座ろうとやって来た。  
それを見たわたるは、ちらっと芽留の方を見てから  
「ちょっと、待ってください」  
自分は席を立ち、まず老婆を、次に芽留を、肩を押して強引に座らせる。  
【コラ、痛いぞ。何しやがるっ!!】  
そしてわたる自身は荷物を網棚の上にやり、吊り革を掴んで芽留の隣に立つ。  
【オレは別にお前なんかに席を譲られなくても…】  
「いいから黙って座れ」  
やいのやいのと言い合ってる内に、バスはさらに次のバス停に止まる。  
もはや車内は乗客で溢れかえり、今更芽留が立ち上がることなどできそうもない。  
芽留はわたるに文句を言うのを諦め、自分の鞄を抱きしめて不貞腐れる。  
わたるはそんな芽留の事など気に留める様子もなく、ラノベを取り出してパラパラとめくっている。  
ブックカバーはかかっていないので、表紙の水着美少女が丸見えだ。  
よっぽど突っ込んでやろうかと思ったが、なんだかそれも癪に障る。  
仕方なく、芽留は携帯を取り出して友人宛のメールを打ち始める。  
そんな時だった。  
「…………あっ!?」  
 
ゾクリ、背中を駆け抜けた悪寒に、芽留は小さく声を上げた。  
突然、携帯のボタンを操作する指先が震え始める。  
周りを囲むすし詰めの乗客のざわめきが、今にも自分を押しつぶそうとしているように思える。  
息が苦しくて、心臓がバクバクと鼓動を早める。  
圧倒的なプレッシャー。  
とてつもない圧力。  
いや、これは、この感じは……。  
(………怖い)  
これはあの時と同じ感覚だ。  
あの列車の車内で、痴漢に体をいいように触られてしまったときと同じ……。  
「おい……」  
と、そんな時。  
「大丈夫だ……」  
パニック寸前だった芽留の肩に、ポンと、大きな手の平が置かれた。  
芽留が顔を上げた、その視線の先に、いつも通りの不機嫌そうなわたるの顔があった。  
(あ…………)  
暴れ出しそうだった心臓が、ぐちゃぐちゃに乱れていた頭の中が、すうっと正常に戻っていくのを感じた。  
わたるの手の平と、ただ一言の言葉で、自分が平静を取り戻していくのを芽留は感じていた。  
そして、気が付く。  
(そうか、コイツ、オレをこの乗客の中に立たせないために……)  
わたるは、芽留が痴漢に遭ったときその場にいた当事者だ。  
だから、あの時と同じ満員の乗客に囲まれた状況が、芽留の心の傷を開かせてしまうのではないか。  
そう考えたのだろう。  
だからせめて、芽留がすし詰めの乗客と直接触れ合うことがないように、席を替わり、自分は立ったのだろう。  
(らしくない事して、変な気を回しやがって……)  
頭の中で毒づきながらも、芽留の胸には抑えようのない感情が湧き上がっていた。  
嬉しかった。  
とても。  
すごく。  
自分を気遣う心の温かさが、言いようもなく嬉しかった。  
(このバカ……)  
思い返してみれば、あれだけお互いに毒舌を尽くしたメールのやり取りをしたというのに、  
わたるは芽留の、背の低さや胸の小ささ、メールへの依存について揶揄するような事は絶対にしなかった。  
(キモオタのくせに、デブのくせに……)  
溢れ出る気持ちで、芽留の小さな胸は押しつぶされそうだ。  
嬉しい。嬉しい。嬉しい。  
芽留はそっとわたるの手の平に、自分の手を伸ばした。  
きゅっと、その大きな手を握る。  
わたるは、芽留の行動に驚いたのか、少し躊躇って、だけど最後は芽留を拒まず、その手を握り返した。  
【脂ぎった手だな。触るだけでウンザリだ】  
「なら、手を離せばいいだろ」  
言い合いながら、だけど芽留はわたるの手を離さない。  
わたるも、芽留の小さな手の平を、ぎゅっと握ったままだ。  
バスが目的地に着くまで、二人は互いの手を握り合ったまま、片時も離すことはなかった。  
 
 

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