3月も半ばを越え、だんだんと春めいてきたある日の朝。  
芽留は広い自室の隅っこで学校へ行くための身支度を整えていた。  
丁寧にとかした髪を、トレードマークのツインテールにくくる。  
袖を通したセーラー服の軽やかさに少しだけウキウキした気分になる。  
壁にかけたままの学校指定のコートはもう10日以上も袖を通していない。  
(ほんと、この間まで冬だったのが嘘みたいに暖かくなったよな……  
といっても、ウチは空調フル稼働でいつも家の中は一定の温度に保たれてるけど)  
冬のキンと張り詰めたような空気も嫌いではないが、春の到来にはやはり心が踊る。  
カバンを片手に部屋を飛び出した芽留は、広い家の廊下を小走りに駆け抜けてダイニングルームへ。  
「おお、めるめる、おはよう」  
「あら、芽留、おはよう」  
家族三人でテーブルを囲み、母の手作りの朝食をぺろりと平らげた。  
【ごちそうさま。今朝も上手かった】  
「ありがとう、芽留」  
そうして、朝食を食べ終えて手を合わせたところで、芽留はふと壁に掛けられた時計を見た。  
(思ったよりも時間が経っちまったな。遅刻するほどじゃないけど、急がないと……)  
椅子から立ち上がり、芽留は玄関まで続くこれまた長い廊下を駆けていく。  
靴を履き、最後に忘れ物がないかもう一度確認した芽留はドアノブに手を掛けた。  
そして、その向こうに待っている爽やかな春の朝日の中に飛び出していく。  
その筈だったのだが………。  
 
ビュォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッッッッ!!!!!!  
 
勢い良く明けたドアの向こうから、音を立てて凍てつく風が流れ込んできた。  
(さ…さ…寒い……いくらなんでも寒すぎるぞ、コレ!!)  
ここ最近の陽気ですっかり油断していたが、季節の変わり目に当たる3月の気候は本来非常に変動しやすいものである。  
しかし、それを考慮に入れても、芽留の小さな体にぶつかる風の強さ、冷たさは尋常ではなかったのだが……。  
芽留は一瞬、自分の部屋までコートを取りに行くべきか躊躇う。  
しかし……。  
(でも、さっきのんびりし過ぎたせいで時間が………)  
芽留の家がごく普通の大きさだったなら、迷わずコートを取りに戻っていただろう。  
しかし、芽留の家はあまりに広すぎた。  
彼女の小さな歩幅の事も考えれば、コートを取って玄関に戻り、靴を履き直すまででざっと五分。  
ついでに、外で吹き荒れる風は芽留の通学コースに対して、思い切り逆風になっていた。  
(こうして悩んでる間にも時間が……ええい、仕方がないっ!!!)  
そうして、ついに芽留は覚悟を決め、寒風吹きすさぶ曇天の下へと飛び出していったのだった。  
 
その日、学校では2月の終り頃からあまり使わなくなっていたストーブが久しぶりに点火された。  
おかげで一月下旬並とも言われるいきなりの寒波襲来の中でも、教室の中は暖かかった。  
しかし、芽留の体は学校にたどり着くまでにすっかり冷え切ってしまっており、彼女がいつもの調子を取り戻すまでにはしばらく時間が必要だった。  
期末試験も終わり、春休みまでの時間は残り僅か。  
ゆったりとした雰囲気の中進む授業の合間、芽留は何度も窓の外へと視線を向けて、空模様を確かめた。  
(今はまだ学校の中でぬくぬくしてられるからいいけど……帰り道もまた朝のときみたいな調子だったら……)  
少しでも天候が回復しないか、晴れ間が見えないかと見上げる空は、時が経つほどにどんどん暗くなっていく。  
ビュウビュウと響く風の音も止むことはなく、芽留の願いとは裏腹に外の空気は冷たさを増していった。  
 
あっという間に時間は過ぎて、ついにやって来た放課後。  
授業を行っている間に天候はさらに酷いものになっていた。  
ゴウゴウと朝よりも凄まじい音を立てて吹く風の中に踏み出す事が出来ず、  
芽留は生徒用の校舎出入口の扉の内側から呆然と外の様子を眺めていた。  
(ここまで大変な天気になるなんて……流石に参ったな……)  
そんな芽留の肩を突然、ポンと叩いた人物が一人。  
「よう」  
【あ……わたる!?】  
振り返った先にいたのは、芽留の隣のクラス、2年ほ組の生徒万世橋わたるのお馴染みの仏頂面だった。  
「どうしたんだ、そんな所で突っ立って?」  
【べ、別にどうでもいいだろ、ハゲ!!】  
「俺はデブだが、頭髪の量に不安はないんだが」  
【う、う、うるさいっ!!とにかく何でもないんだっ!!】  
芽留は必死に誤魔化しているつもりだったが、わたるから見れば彼女の様子がおかしいのは明らかだった。  
彼は膝をついて芽留の顔を見据えながらこう言った。  
「何か、困ってる事があるんじゃないのか?」  
【何のことだよ……?】  
「朝、慌てて家を飛び出したせいでコートを忘れた。で、寒さのせいで帰るに帰れないでいる、とか。  
天気も朝より悪くなったし、日も沈みかけてますます寒くなってきてる。いつものセーラー服だけで帰ったら、風邪引くかもな」  
【…うぅううう!?なんでそこまで細かく知ってるんだよ?】  
「朝、校門が閉まるギリギリに寒そうに手を擦りながら駆け込んできたお前を見たら、誰だってそれぐらいの推理はできるぞ」  
【勝手に見るな!】  
「勝手も何も校門は全部の教室から丸見えなんだが……」  
【ぐぅううううう………】  
畳み掛けるようにわたるに自分の現状を指摘されて、芽留はついに何も言い返せなくなった。  
わたるはそんな芽留にニヤリと笑いかけて  
「ほれ……これなら家まで寒い思いをせずに帰れるだろう?」  
【あ……】  
足元にカバンを置いて、自分のコートを脱ぎ、それを芽留の肩にかけてやった。  
「サイズの事で文句言うなよ。デブは一朝一夕に治るもんじゃないんだから」  
【馬鹿!これじゃあ、今度はお前が寒い思いするだけだろ!!】  
「少なくとも、冬場もスカートの女子よりはマシだ。返すのは明日でいいぞ、俺はこれから新刊のラノベを買いに行かなきゃならんからな……」  
そう言って、学ラン姿のわたるは芽留の下から歩き出そうとした。  
芽留は慌てて、わたるの腕を掴む。  
 
「何だよ?だから俺は今日は一人で帰るから……」  
【いいから待てよ、キモオタ!】  
芽留には分かっていた。  
今日の気温は3月とは思えないほど低い。  
学ランの上にコートを羽織ったフル装備でも、寒さは身に沁みるはずだ。  
わたるはそれを分かっていて、芽留がやっぱりコートはいらない、なんて言い出す前に立ち去ろうとしているのだ。  
「いや、新刊のラノベ、どうしても欲しいヤツがあるんだよ。だから、そんなに邪魔を……」  
【嘘つくな!こっちだって、オマエの行動パターンぐらい覚えてるんだぞ!!】  
芽留がわたると親しくなってから、もう随分と月日が経過した。  
二人はもう数え切れないくらいの回数、一緒の帰り道を歩いてきたのだ。  
わたるが漫画や雑誌、ラノベなどを入手するためにその月のいつぐらいに本屋に行くのか、芽留は知っている。  
【妙な気をつかうなよ!オマエだって寒いんだろ?】  
「……さっきも言ったけど、学ランの分だけ女子よりはマシだ。これぐらい大した事ない!」  
ゴウゴウと外で鳴り響く風の音をバックに、二人はにらみ合う。  
そのままどれくらいの時間が経っただろう。  
二人とも動機が互いへの気遣いだった上に、どちらも負けず劣らずの意地っ張りだったせいで、膠着状態は長く続いた。  
そして、その均衡を先に破ったのは芽留の方だった。  
【わかった。なら、それでいい】  
芽留はダボダボのコートに改めて袖を通し、すうっとわたるの方に歩み寄った。  
そして……  
【その代わり、オレも好きにするぞ、わたる……】  
「え………!?」  
芽留はわたるの右腕をとって、その腕の下に入り込み、わたるの右半身にぴったりと体をくっつけた。  
【カイロ代わり、これで少しはマシになるだろ?】  
「ちょ……お前!!?」  
芽留はさらに動揺するわたるの右腕を、ちょうど芽留の肩を抱く形になるようにぎゅっと引き寄せた。  
確かにこれは効果バツグンだった。  
もう外の寒さを気にしている余裕もない。  
わたるの心臓はバクバクと激しく脈打ち、激しい血流が全身の代謝を促して、体温がみるみる上がっていく。  
それは芽留にしても同じことで、二人は顔を真赤に染めて、そのままの体勢でしばらく見つめ合った。  
そして……  
【オレだって、わたるをこのまま行かせるのは嫌なんだよ………わかれよ、キモオタ…】  
「……ああ、わかった。俺の負けだよ」  
それから二人はようやく校舎の外へ。  
ピッタリとくっついたまま、帰り道を歩き始めた。  
吹き付ける風はやっぱりとてもとても冷たかったけれど、触れ合った体温はそんなものを軽く忘れさせるぐらい優しく、頼もしかった。  
 

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