窓の外には遥か彼方まで、目の覚めるような青が広がっていた。  
街を、山を、トンネルを越えて延びる鉄路を辿り、ついに列車は海へとやって来た。  
「久しぶりだな、海水浴なんて」  
万世橋わたるはつり革に掴まりながら、眩いばかりの窓の外の光景に目を細めた。  
【はしゃいで溺れるなよ、わたる】  
わたるの目の前の席に座る芽留がニヤリと笑った。  
【どうせ運動不足なんだろ?】  
「ああ、最近は特にな」  
わたるは苦笑で返した。  
「藤吉のヤツめ、こっちが何も言ってない内から新刊に俺の小説を組み込みやがって……」  
【なんて文句言ってる割には、律儀に仕上げたみたいだな】  
「うるせー」  
夏休みという事もあって、どこかしらへと遊びに出かける乗客でいっぱいだ。  
そして、その内の一割程度が芽留の所属する2のへの生徒達だった。  
彼ら彼女らは夏休みが始まる前からの計画で、連れ立って海水浴に向かうところなのだ。  
芽留を通して2のへの面々と付き合いのあるわたるも、今回の海水浴に参加する事になっていた。  
普段は徹底したインドア派のわたるだったが、件の藤吉晴美の同人原稿にここのところ掛かりきりだったせいもあって、  
久しぶりに、思い切り外の空気と輝く日差しを浴びてみようという気になっていた。  
満員の車内では、ほとんどの生徒達が立ちっぱなしの状態であり、芽留のように座席に座っているのはごく僅かだ。  
相変わらず女子生徒達に人気の担任教師・糸色望は彼女らに取り囲まれて逃げ場無しの状態。  
そこから少し離れた場所では、自分の座席を譲ろうとする加賀愛と、あくまで立ち続ける事を主張し愛を座らせようとする木野の姿があった。  
そのすぐ隣では、同じく吊革に掴まった久藤准が片手に文庫を開いて本の世界に没入している。  
座っている事に気付かれないまま太ったオバサンのお尻に潰された臼井影郎や、網棚をベッド代わりにしているマリアなど、  
少々アレな場面を見受けられたが、概ねこのクラスとしては平和な光景。  
しかし、その一方でこの場に居る誰もが、これから始まる夏の一日への期待を隠し切れず、どこかソワソワとしていた。  
ふと見ると、わたるの目の前の少女も、まるで子供のように両足をパタパタとさせている。  
それを見て、ふっと笑いをこぼしたわたるの様子に、芽留はようやく自分の行動に気付いたようだ。  
自分の足を覆い隠すようにカバンで押さえつけてから、彼女はわたるを睨みつけてきた。  
【見たのか?】  
「ああ、見た」  
【馬鹿にしてるだろ?】  
「いいや、それはない」  
【なんでだ?】  
わたるは窓の外の水平線を見つめながら、笑顔で答える。  
「俺も、すごく楽しみだからだ」  
やがて列車はスピードを落とし、海辺の駅に停車した。  
 
冷房の効いた列車から降りると、夏の日差しはさらに眩く感じられた。  
白い砂浜は広く、大勢の海水浴客を受け入れてもなお、十二分なスペースを誇っていた。  
各々水着への着替えを済ませた2のへの少年少女達は早速その砂浜へと駆け出す。  
気の早い、木野・青山・芳賀の男子三人組はさっそく海に突撃し、ついでに久藤までも強引に引っ張り込んで泳ぎ遊び始める。  
そこに数名の女子も加わって、辺りには彼らの歓声が響き始めた。  
そんな光景を遠くに眺めながら、わたるは海水浴場の隅っこで入念な準備体操を行っていた。  
そこに通りかかる人影。  
【熱心だな、わたる】  
「海は久しぶりだからな。せっかく遊びに来て溺れたんじゃあ釣り合わん」  
両肩をぐるりと回し、アキレス腱を伸ばして手首足首の間接をほぐす。  
一通りの柔軟を終えてから、今度はわたるが言った。  
「お前こそ気をつけろよ。調子に乗って深みなんかに嵌るなよ」  
【言ってろ!】  
軽く言葉を交わしてから、芽留はわたるの前から立ち去ろうとする。  
だが……  
「あ、おいっ!」  
【ん?まだ何かあるのか?】  
「やっぱりその水着、似合ってるぞ」  
そう真っ正直に褒められて、芽留はどう言葉を返していいのかわからなくなってしまう。  
【あ、ありがとう……】  
やっとの事でその言葉だけを伝えた芽留はくるりと踵を返し、真っ赤な顔を隠すようにして走り去ってしまった。  
 
水面に影を落としてボールが跳ねる。  
「ほら、芽留ちゃんそっち行ったよ!!」  
現在、芽留達2のへの面々は男女に分かれて浅瀬でビーチボールに興じていた。  
芽留はバシャバシャと水を掻き分けて、自分の方に飛んできたボールを打ち返す。  
芽留が弾き返したボールは山なりの軌道を描いて、今度は慌てふためく青山に襲い掛かる。  
腰まである水のせいで容易に移動すら出来ない事が逆に勝負を白熱させていた。  
その上、何かアクションを起こす度にむやみに飛び散る水しぶきのせいで少年少女のテンションはむやみやたらに上がっていった。  
「きゃ!?ごめん、カエレちゃん!!」  
「まかせなさいっ!そぉーれっ!!!」  
あびるが取りこぼしたボールを、カエレが思い切り打ち返す。  
鋭角に飛び込んでくるボールに、周囲の男子は誰も追いつけない。  
あびるや奈美が快哉を上げ、カエレもガッツポーズを決める。  
だが、その時である。  
あり得ない場所から、あり得ない人物が姿を現したのだ。  
「うぉおおおおおおおおっ!!!!!!」  
ザバァアアアアアッ!!!!  
水しぶきを上げて水中から現れた影が、ボールを跳ね返した。  
高く高く打ち上げられたボールは、不測の事態に慌てふためく愛の真上に落ちていった。  
そして………  
「きゃうっ!?……す、す、すみませーんっ!!!」  
彼女のおでこにポーンと跳ね返ってから、水面に落ちてしまった。  
周囲の視線が、女子の攻撃を阻んだその人物に集まる。  
「悪いな。男子に加勢させてもらうぞ」  
(なっ!?…わ、わたる!!!?)  
芽留はそこにいた人物の姿を見て、心の中で叫びを上げた。  
万世橋わたるが、お馴染みのふてぶてしい表情で腕組みをして立っていたのだ。  
「ちょっと、いきなり現れてどういうつもりよっ!!」  
「男女に分かれて勝負してるのに、女子が6人で男子が4人、これじゃあさすがに釣り合いがとれんだろ」  
いかにも不服そうなカエレに、わたるはそう答えた。  
要するに小勢の男子チームに助っ人として参加するという事らしい。  
「ふーん、まあいいわ。そっちに足手まといが増えてくれた方が、有利に戦えるものね」  
カエレの言葉には、芽留も内心で肯かざるを得なかった。  
わたるの運動能力はハッキリ言って低い。  
短距離・長距離を問わず走りは学年ワーストクラスで、持久走では周回遅れの常連。  
動きも鈍く、球技大会ではいつも補欠扱い。  
当人もスポーツは苦手だと公言していた筈なのだが………。  
(なんなんだ?あの自信ありげな表情は……!?)  
芽留にはわたるの不敵な笑みが気に掛かった。  
だが、その一方で、何かと一人でいる事を好むオタク少年がこの場に出てきた事を喜ぶ気持ちもあった。  
「さあ、続きを始めようか」  
わたるの言葉と共に、ビーチボール合戦は第二ラウンドへと突入していった。  
 
「いっけぇえええええっ!!!!」  
奈美の打ち返した鋭いボールが、木野と芳賀の間をすり抜ける。  
今度こそは攻撃成功か!?  
だがしかし、息を呑む女子チームの前で、水中から現れた腕がまたもやボールを弾き返した。  
「でぇえええええいっ!!!!!」  
かれこれ、これで何度目になるだろうか?  
わたるは女子チームからのきわどい攻撃を、こうして何度も防いでいた。  
「うぅ…やるね、万世橋君……」  
(あんにゃろ…猫かぶってやがったな……!!)  
自由自在に海中を泳ぎ、神出鬼没に現れてはボールをブロックするわたる。  
彼の存在によって勝負は男子優勢に流れを変え始めた。  
「海水浴は久しぶりだとは言ったが、泳げないとは言っていないぞ」  
彼の活躍に呆気に取られるばかりだった芽留に、わたるは言った。  
「昔取った杵柄ってやつだ。ずいぶん長く水泳教室に通わされていたからな」  
その事を勘定に入れても、わたるの泳ぎの腕前は異常だった。  
だいたい、その水泳教室にしたところで、現在のわたるの生活を見る限り通っている様子はないのだが……  
 
(ていうか、アレだな。陸では鈍重で海の中では自由自在って、トドとかセイウチとかああいう海獣系みたいだな……)  
今もまた水しぶきを上げて出現し、ボールを跳ね返すわたるの姿を見ていると、  
彼がどこかの海凄動物の生まれ変わりだとしても不思議ではないように思えてくる。  
まあ、わたるの泳ぎの秘密など、結局は瑣末な問題だ。  
携帯と畳は新しいほど良いし、敵は手強ければ手強いほど良い。  
しかもその相手がわたるであるのなら、もはや言う事はない。  
(ふん、燃えてきたぜっ!!)  
心の中で呟いて、芽留は目前に飛び込んできたボールに挑みかかる。  
その顔に浮かんでいたのるのは、わたると同じ、不敵な、それでいてどこか楽しげな笑顔だった。  
 
白熱したビーチボール合戦に決着がついた後も、2のへの面々は思い思いに海水浴を楽しんだ。  
どうやら体育の水泳でもひた隠しにしていたらしい水泳の腕前がばれて、わたるは男子連中に連れ去られてしまった。  
というわけで、芽留は海から離れ一人日光浴を楽しんでいた。  
と、そんな芽留の上に誰かの影が覆い被さった。  
「隣、いいかな?」  
聞きなれた声は、風浦可符香のものだった。  
【おう】  
「それじゃあ、遠慮なく」  
言って、可符香は芽留の隣に腰を降ろした。  
「楽しそうだね、芽留ちゃん」  
【まあ、そこそこはな】  
「万世橋君も来てるから?」  
【………………そうだな】  
少しばかり躊躇したが、芽留はその質問に、最後にははっきりと肯定の言葉を返した。  
【オマエこそどうなんだ?ビーチボールで遊んでた時には姿が見えなかったけど】  
「うん。ちょっとね…」  
【そういえば、先生もいなかったな】  
「あははは……」  
何でもないようないつもの笑顔だったが、芽留は気づいていた。  
可符香の頬にうっすらと浮かんだ紅色は、この夏日のためではないだろう。  
それからしばらくの間、二人は遠く広がる海原を見つめながら、波の音に耳を傾けていた。  
 
負けず嫌いの国也に何度も水泳勝負を挑まれてから、ようやくわたるは陸地へと戻ってきた。  
泳ぎは大得意と言っても、水泳教室に通っていたのはあくまで過去の話。  
現在はコレといって体を鍛えている訳でもなく、体力的にもごく普通のわたるはすっかり消耗し切っていた。  
とはいえ、もう一方の国也は息も絶え絶えといった状態で、歩く足元もおぼつかない。  
「すごいね。あれだけ泳いで平然としてるなんて……」  
「結構、ふらふらだけどな。……というか、あんな状態になってもまだ勝負を挑んできたアイツの方が凄い」  
「あははは、確かに……」  
国也を横目で見ながら苦笑したわたるに、准は笑顔で応えた。  
泳ぎ疲れた男子一同は2のへ一行がビニールシートとパラソルで陣取った、砂浜の一角へとやって来た。  
そこでは、同じく遊びつかれた女子達がクーラーボックスに持参したジュースで喉の渇きを癒していた。  
だが、その中に芽留の姿はなかった。  
「ん、アイツはいないんだな?」  
「芽留ちゃん?ああ、さっき海の方へ歩いていってたけど」  
どうやら、一人で泳いでいるらしい。  
随分長く男子連中、というか主に国也に付き合っていたので、出来れば顔を合わせておきたかったのだが  
「さすがに、今は泳いで探し回る体力はないな」  
「慌てなくてもその内戻ってくるよ。それまで休んでたら?」  
奈美に言われるまま、わたるはジュースを受け取って砂浜に腰を降ろした。  
 
芽留は一人泳いでいた。  
先ほどのわたるの泳ぎに多少なりと中てられたのかもしれない。  
波をかき分け水中を進む感覚にすっかり心地良さを感じるようになっていた。  
(出来れば、わたるを見つけたいところなんだが………)  
ぐるりと周囲を見渡すと、いつの間に陸に戻ったのか、砂浜で休むわたるの姿を見つけた。  
(入れ違いになっちまったんだな……仕方ない…)  
ついさっき泳ぎに出たのに、わたるの姿を見た途端にとんぼ返りに砂浜に戻るのはなんだか気恥ずかしかった。  
今日はまだまだ時間もあるし、焦る必要は無い。  
(わたるとはまた後でゆっくり話せばいいか)  
そう考えて、バタ足を再開したその直後だった。  
突然、右足の付け根からつま先までを、引き攣るような痛みが襲った。  
(…えっ!?)  
足を攣ったのだと理解するより早く、芽留の体は水中でバランスを崩した。  
もがく。  
視界がぐるりと反転し、平衡感覚を失って、水面がどちらにあったのかが判らなくなる。  
息苦しさに思わず開いた口から海水が流れ込んでくる。  
(誰か……助け……)  
混濁していく意識の中で、芽留はその名を呼んだ。  
(……わたるっ!!!)  
 
「大変だっ!!誰か溺れているぞっ!!!」  
そう叫ぶ声に、2のへの面々は顔を上げた。  
見れば、海水浴場の沖合いで、小学生らしき少年達数名がひっくり返ったゴムボートの周りで溺れていた。  
助けに行くべきか?  
わたるや、2のへの数人が腰を浮かせかけたが、それよりも早くライフセーバー数人が少年達の元へ向かっていた。  
人数が多い分てこずってはいるようだが、流石に彼らの手並みは鮮やかだった。  
「素人の出る幕じゃあないな……」  
次々と助け出されていく少年達を見て、わたるもホッと胸を撫で下ろした。  
海水浴客達の注目の集まる中、救助活動は順調に進んでいく。  
だから、わたるがそれに気付いたのはほんの偶然だった。  
「……ん?」  
誰かに名前を呼ばれたような気がして、何となく海水浴場の隅の方にわたるは視線を向けた。  
そこで目にしたものに、わたるは一気に顔面蒼白となる。  
「…な……あ…!?」  
音無芽留が溺れていた。  
見間違う筈が無い。  
助けを求める小さな手の平が空を掴み、また水しぶきの中に消えていく。  
「ん、万世橋、どうした?」  
「おいっ!!こっちでも溺れてるヤツがいるっ!!!助けてくれっ!!!」  
わたるが叫ぶが、少年達の救助に必死のライフセーバー達はそれに気付かない。  
一刻の猶予もないというのに……。  
(くそっ!!こうなったら……)  
わたるは立ち上がり、手近にあったクーラーボックスを手に取った。  
「ど、どうしたの?そんなに血相変えて!!?」  
「アイツが溺れてる!!コレ借りるぞっ!!!」  
言って、わたるはクーラーボックスの中身をビニールシートの上にぶちまけた。  
「万世橋君、無茶だよ」  
事情を察したらしい准に、わたるはすまなそうに頭を下げて  
「ロープでもビニール紐でも何でもいい。何か使えるものを探して俺の方に投げ込んでくれないか」  
そう言って、空のクーラーボックスを抱えたわたるは、猛烈な勢いで走っていった。  
 
苦しい。苦しい。苦しい。  
ぼんやりと霞む芽留の思考を満たすのは、ただその一語のみ。  
手をかき、足をかいても、せいぜい2メートルと少ししかないはずの水底に触れる事が出来ない。  
もはやどちらが水面だったかも判らず、芽留はもがき続ける。  
だが、その時である。  
バシャアアアアアンッ!!!!  
大きな水音と共に、何かが海面を揺らした。  
音のした方向を見ると、青い空を背景にして浮かぶ、四角いシルエットが見えた。  
(あっちが……水面…?)  
藁にも縋る思いの芽留は、その四角に必死で手を伸ばす。  
だが、その四角のフチに触れるギリギリで、芽留はまた体勢を崩してしまう。  
(そんな…イヤだ……死にたくないっっっ!!!!)  
最後の希望に見放されて、芽留は完全にパニックに陥った。  
もがいて、暴れて、芽留の体は確実に沈んでいく。  
その時……  
(あ………っ!!)  
強い力が芽留を引き寄せた。  
大きな腕が芽留の体を抱き寄せて、そのまま水面に向かっていく。  
(ああっ…助けてっ!……助けてっ!!!)  
だが、パニックを引きずったままの芽留はじたばたともがき暴れて、  
自分を助けようとするその誰かまで水底に引きずり込んでしまいそうになる。  
しかし、その人物は芽留を抱きしめた腕に必死に力を込め、諦める事無く水面を目指す。  
その頼もしい感触に、芽留はようやく気付く。  
(あぁ……来てくれたんだ……)  
やがて、芽留の体は水面を破り、海上に浮き上がる。  
そして、芽留を助けたその人物、万世橋わたるはその場に浮いていた四角形=浮き輪代わりのクーラーボックスにしがみついた。  
「……けほ…かはっ…ぜぇぜぇ…はぁはぁ……」  
芽留は肺一杯に酸素を取り込みながら、咳き込む芽留の背中を、わたるの腕が撫でる。  
霞んだ瞳で、芽留がその顔を覗き込むと、同じように険しい表情のわたるが彼女の顔を見つめていた。  
(こいつ…怒ってる……?……いや…)  
自分を見つめてくる瞳からは、身を引きちぎられそうな彼の痛みが伝わってきた。  
(泣かせちまったんだな………ごめん…わたる…)  
そのまま、肩に体を預けてきた芽留を、わたるは強く抱きしめてやった。  
遠く砂浜では、ようやく事態に気付いたライフセーバー達がこちらに駆けつけて来るところだった。  
 
 
帰りの電車の中、隣り合って座るわたると芽留の間にはほとんど会話はなかった。  
自分が溺れて、どれだけわたるに心配をかけたかと考えると、芽留はとても口を開く気にはなれなかった。  
そして、そんな芽留の気持ちを感じ取ったわたるもまた、何となく口が重くなってしまっていた。  
夕陽の差し込む車内は行きとは打って変わって、どこか静かに感じられた。  
2のへの面々や、他の海水浴客達は疲れ果てて、その半分ほどがすやすやと夢の中にいた。  
聞こえてくるのは、ただ一定のリズムを刻み続ける、レールの音だけだ。  
陸に助け上げられてから、わたるは芽留を責めるような事は一切言わなかった。  
溺れた人間を直接助けに行くのは、助けに行った当人までも危険に晒す、あくまで最後の手段だ。  
他に方法がなかったとはいえ、もしかしたら、彼はあそこで芽留と一緒に死んでいたかもしれない。  
だけど、芽留の為に命を張った彼は、その事を責めるでもなく、むしろどこかバツの悪そうな様子で、ずっと黙りこくっている。  
理由は、聞かなくてもわかる。  
自分を助けたときに、彼が見せたあの表情、それで十分だ。  
【心配、かけたな?】  
ようやく言葉に出来たのはそれだけだった。  
わたるは、携帯の液晶に浮かぶその文字をちらりと見て  
「別に、気にするな」  
そう言った。  
(やっぱり、そういう返答か……)  
なんでもかんでも背負い込むのは、わたるの悪い癖だった。  
(そんなに頑張んなくてもいいんだよ、お前は……)  
だけど、芽留が好きになったのは、そんなわたるだったからこそだ。  
ならばせめて、出来る限りの笑顔を、この不器用なオタク少年に送ってやりたかった。  
【しかし、あれだな……せっかく溺れた所を助けてもらったんだから、定番のアレも欲しかったな】  
「何だよ、アレって?」  
【人工呼吸】  
「ぶっ!!?」  
【ん?どうかしたのか?】  
「大体、お前、俺が助けた時点で呼吸できてただろうが!!!そ、そ、それをなんで……っ!!!」  
【何だ?単なる人命救助だぞ?まさか変な事を考えてるんじゃあ……】  
「てめぇ、このやろーっ!!!!」  
芽留にからかわれて、ようやくいつものふてぶてしい表情を取り戻したわたる。  
それを見て、ようやく芽留も一安心する。  
そして、芽留はそんな彼の懐にすうっと滑り込むように抱きついて  
【わたる……】  
「あ……!?」  
彼の頬にそっと唇を触れさせた。  
【ありがとうな……本当に……】  
「あ…う……お、おう…」  
精一杯の感謝を込めた芽留の笑顔に、わたるは顔を赤くして肯いた。  
列車はまだ夕陽の色に染まった海沿いを走っている。  
二人がいつもの街に戻るまでは、もうしばらく時間が掛かりそうだった。  
 

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