カーテンの隙間から差し込む朝日の眩しさと、窓の外から聞こえる小鳥達のさえずり。  
ベッドの上、うっすらと瞼を開いた芽留は、心地よいベッドのぬくもりに後ろ髪を引かれながらも、ゆっくりとその体を起こした。  
「……ふぁ……」  
芽留の口からほんの小さなあくびがこぼれる。  
昨夜、万世橋わたるから借りたゲームに夢中になって夜更かしをしたせいだろう。  
寝不足の頭は上手く回転を始めてくれず、芽留はベッドの端にぼんやりと座り込む。  
寝ぼけ眼をぐしぐしと擦りながら周囲を見渡すと、いつも通りの部屋の様子が何故か少し違って見えた。  
(うぅ…やっぱ、ゲームやりすぎたか。まだ目が疲れてやがる……)  
わたるの家に遊びに行ったとき見つけた少し古いゲームソフト。  
一見して何の事もない普通のアクションものに見えたそのゲームだったが、試しにプレイさせてもらったところ、意外なほどに手の込んだつくりと、  
難しすぎず易しすぎず、絶えずプレイヤーのやる気を刺激してくる絶妙なゲームバランスに芽留はすっかり入れ込んでしまった。  
しばらく夢中になって芽留はゲームをプレイした。  
その様子を見ていたわたるが、ぽつりと一言。  
『なんだったら、持って帰ってもいいぞ、それ』  
【いいのか?】  
『いいも何も、さっきまで棚の奥に死蔵されてたからな。昔は俺もずいぶんやり込んだけど、今はお前の手元にあった方が良さそうだ』  
というわけで、芽留はゲームソフトをありがたく借り受ける事とした。  
ついでにサントラと各種設定資料の掲載されたオフィシャルブック、ノベライズ版とコミカライズ版まで持たせようとしたわたるの脳天にチョップを食らわせ  
帰宅した芽留は時間の許す限り、そのゲームに没頭した。  
しかし、ここまでこのゲームにのめり込んでしまう事になるとは思っていなかった。  
序盤最強のボスキャラを倒したところでセーブして、ふと時計を見るととっくに日付が変わっていた。  
既に芽留が目を覚ましてから10分ほどが経っていたが、視界に感じる違和感もまだ消えてくれない。  
ここまで翌日に影響が出てしまうというのは流石に考え物だ。  
(ゲームは一日一時間……じゃあないけど、流石に自重しないとな…)  
ため息を吐きながら、芽留が立ち上がった。  
その時である。  
(……あ…れ……!?)  
芽留が感じていた視覚の違和感が一気に巨大化した。  
いつもと全く変わらない部屋。  
全ての家具が昨日と同じ場所に配置され、足りないものなど何一つない。  
それなのに、今の芽留の目に映るその景色は、昨日まで彼女が見ていたソレとは完全に異質なものだった。  
(…なんだ、これ……オレ、一体どうなって……!?)  
訳のわからぬまま、頭を抱え俯く芽留。  
そこで、彼女は気がついた。  
(……どうして?……爪先が…遠い?)  
立ち上がった芽留を支えるつま先の、その距離がいつもより遠い。  
ありえない事態にますます混乱する芽留の頭だったが、やがてゆっくりと状況を理解し始める。  
爪先が遠いのではない。  
芽留の視点がいつもより高くなっているのだ。  
もう一度、落ち着いて足の付け根のあたりから爪先まで、ゆっくりと視線を下げていく。  
すらりと伸びた長い脚。  
芽留の知らない、他の誰かの脚。  
続いて、手の平を見る。  
細長く、しなやかな指と一回り以上も大きな手の平は芽留の良く知る自分の手の平とは全く違うものだった。  
改めて、周囲を見回す。  
違和感の原因はもはや明らかだった。  
(オレ…背が高くなってる……!?)  
見慣れた部屋の景色を、いつもと全く違う高さから見下ろしていた事が芽留を混乱させていたのだ。  
だが、こんな事があり得るのだろうか?  
現在の芽留の視点は、昨夜までより数十センチは高くなっている。  
一晩でこれほどの身体的成長が可能な人間など存在するのだろうか?  
(そういえば…服もキツイ……)  
これまで自分の身体に起こった変化に戸惑うばかりで気付いていなかったが、  
身にまとう衣服も子供用のものを無理矢理に着せられたみたいで、体のあちこちが締め付けられるようだった。  
その年頃の平均的な女子程度にまで成長したバストのせいで、パジャマの胸の辺りのボタンが弾け飛んでいた。  
(でも、ウエストのところのボタンは外れてない!エライぞっ!オレっ!!……って、そんな事考えてる場合じゃなくて……)  
恐る恐る、芽留は鏡を覗き込んだ。  
そこにいたのは、顔立ちや目つき、髪型などに確かに昨日までの芽留の姿の名残を見せながらも、別人のように成長した自分の顔があった。  
芽留は焦った。  
 
こんな姿を見られたら、一体、親や友達にどう説明すればいいのだろう?  
そもそも、これほどに変わり果ててしまった自分を、音無芽留だと認識してくれる人間はいるのだろうか!?  
(…逃げよう……)  
芽留は混乱する頭の中で、決断を下した。  
もしかしたら、母や、芽留を溺愛している父ならば気付いてくれるかもしれない。  
だけど、もし、そうならなかったら?  
昨日まで愛情を込めて自分の名を呼んでくれた人達に、その同じ口で「お前なんか知らない」と言われたりしたら……。  
芽留の心を猛烈な勢いで恐怖と不安が埋め尽くしていく。  
(…そうだ!逃げるんだっ!!家族の誰にも見つからない内に、この家から!早くっ!!)  
命綱の携帯電話だけを机の上から掴み取って、芽留は自分の部屋から飛び出していった。  
 
家を抜け出した芽留は、後ろも振り返らず、ただひたすらに走り続けていた。  
現在、彼女が身につけているのは、いつも通りの学校の制服だ。  
しかし、すっかり成長してしまった芽留が本来の自分のサイズの制服を着られる筈はない。  
実はこれには理由があった。  
部屋を飛び出した芽留が最初にした事は、自分の着られる服を探す事だった。  
彼女が目をつけたのは、母親の洋服。  
ピッタリのサイズとはいかないだろうが、子供服同然の自分の衣服よりはマシだ。  
母親はまだ朝食を取っているはずだったし、その間に自分が着ても違和感の無い服を見つけて、それを着て逃げ出そうというのが芽留の計画だった。  
だが、しかし。  
芽留の母親は以上なほどの衣装持ちだった。  
広い家の中に、母専用の衣服を収めた部屋がいくつも存在する。  
芽留はその中から、適切な服が保管されている部屋を見つけ出さなければならなかった。  
(一体、どの部屋を見たらいいんだ?……って、ええいっ!!迷ってても仕方がないっ!!)  
芽留は手近な衣裳部屋のドアを開き、その中に入った。  
彼女がそこで目にしたもの、それは………  
(な、な、なんだよこれぇええええっ!!!!!?)  
メイド、ナース、フライトアテンダント、ウェイトレスに巫女にシスター。  
その他、所狭しと並べられた日常生活では必要なさそうな衣装の数々。  
それらが一体どんな用途に使われるものなのか、あまり考えたいものではなかった。  
(しかし、ここは大ハズレだな。こんなのを着て外に出られるわけがない……って、あれ?これは……?)  
そんな時、芽留は巨大なクローゼットの片隅にソレを見つけた。  
(これ……ウチの制服だよな?)  
芽留の通う学校指定のセーラー服、加えて足元にはご丁寧にも靴下と靴とカバンがセットになって置かれている。  
見慣れたセーラー服を手にとって、芽留はしげしげと眺めた。  
果たして、このままこの部屋を離れて探し続けたとして、このセーラー服以上に自分が着て違和感のない服が見つかるだろうか?  
(多分…いや、きっと無理だ……)  
時間は刻一刻と過ぎていく。  
芽留に残された選択肢はあまりに少なかった。  
(ええいっ!どうにでもなれぇっ!!!)  
そして、芽留は決断した。  
ボタンの外れたパジャマを脱ぎ捨て、いつものセーラーに身を包むと少しだけ安心する事ができた。  
着替え終わった芽留は衣裳部屋を出て、窓から家を抜け出した。  
 
それからほとんどずっと、芽留はひたすらに走り続けていた。  
体が成長した分体力も増したのか、走った距離に比べて芽留はそれほど疲れを感じていなかった。  
しかし、芽留はただ闇雲に走っているわけではなかった。  
(アイツ……来てくれるかな?)  
走りながら、彼女はとある人物にメールを送っていた。  
【大変な事になった。九時前に駅前に来てくれ】  
詳しい事情は書けなかった。  
今の芽留の置かれた状況はあまりに荒唐無稽すぎて、どう説明したところで悪い冗談にしか受け取られないだろうと考えたからだ。  
それでも、面と向かって話せば、彼ならば、万世橋わたるならば信じてくれるかもしれない。  
ほとんど別人に成り果てた自分を、音無芽留本人だと認めてくれるかもしれない。  
そう信じて、芽留はわたるへのメールの送信ボタンを押した。  
駅までの距離はあと少し、約束の時間ももうすぐだ。  
果たして、わたるはあの場所で待っていてくれるのだろうか?  
拳をぎゅっと握り締め、芽留は駅へと続く道を、スピードを上げて駆け抜けていった。  
 
だが、芽留は気付いていなかった。  
『こちら3号、さきほど例の女がC地点を通過したのを確認した』  
「こちら1号、了解。やはり目的地は駅前か……人ごみに紛れられたらアウトだな」  
芽留の行動を監視し、追跡する男達。  
彼らの表情は険しく、語気にもどこか切羽詰ったような雰囲気が感じられた。  
なぜならば……。  
「芽留お嬢様が姿を消した事と、突然屋敷から現れたあの女が関係ない筈がない……。  
なんとしても捕まえなければ……芽留お嬢様を救い出すために………っ!!!」  
 
ようやく辿り着いた駅前で、駅舎の壁に手を付いて、息を切らせながら周囲を見渡し、芽留はわたるの姿を探した。  
(まだ来てないのか?……ていうか、しまったな。細かい場所の指定を忘れてた……)  
駅前はただでさえバスの発着場や、タクシー乗り場、行き交う人々でゴチャゴチャとしている。  
芽留の方からわたるを見つける事が難しいのはもちろん、今の芽留の姿を知らないわたるが彼女を見つけるのは至難の技だ。  
(待て。焦るな、オレ…もう一度メールを送ればいいだけの話だろ……)  
不安と焦燥に飲み込まれそうな心を、すうっと深呼吸一つでなだめて、芽留は携帯を取り出しメール入力画面を開いた。  
わたるに宛てた二通目のメールを半分ほどまで打った時  
(……なんだ?こいつらは……?)  
いつの間にか、駅の壁を背にした芽留の周囲を数人の男達が囲んでいた。  
それぞれ服装も年齢もバラバラで、一見して無関係な風を装っていたが、彼女を睨みつけるような眼差しだけは共通していた。  
(なんかわかんないけど、ヤバそうだな……)  
危険を察した芽留はその場を立ち去ろうとするが、  
「待てっ!」  
背後から伸びてきた男の手が彼女の手首を掴んだ。  
【何をしやがる!!】  
携帯の画面でそう言い返してやろうとした芽留だったが、あまりに強すぎる男の握力のせいで携帯の操作すらままならない。  
(なんなんだよ、こいつら……?)  
芽留の脳裏に当然浮かんだ疑問に、芽留を捕まえた男が答えた。  
「貴様、芽留お嬢様をどこへやった?」  
(なっ!?)  
「芽留お嬢様が屋敷から姿を消した一件、手引きしたのは貴様だろう?」  
驚愕の中で芽留は悟った。  
彼女を睨みつける男達の視線、そこに込められた静かな怒りの意味を。  
(…あのクソヒゲハットの事だからな。こんな奴らぐらい雇っていても不思議じゃない……)  
彼らは娘を溺愛する父が芽留を守るために秘密裏に雇ったボディガードといった所だろう。  
しかし、恐らくはそれなり以上に優秀な彼らも、今回の芽留の失踪を防ぐことは出来なかった。  
なにしろ、警護対象である芽留本人が全くの別人に姿を変えてしまったのだから。  
 
(オレが芽留だって言っても……まあ、信じないよな……)  
それは芽留にとって、これ以上ない皮肉だった。  
自分を守るために雇われた男たちに、今正に追い詰められているというこの現実。  
芽留を捕まえた男たちは、それが自分達の探し求める人物とも知らず、彼女を徹底的に追及するだろう。  
(冗談じゃないっ!このまま捕まってたまるかぁ……っ!!!)  
芽留は自分の手首を掴む男の手の平を引き剥がそうと必死に暴れる。  
「このぉ、逃がさんぞっ!!!」  
いかに芽留の体が成長したといっても、力と体格では相手の男の方が圧倒的に上なのは明らかだった。  
しかし……。  
(こぉのぉおおおおおおっ!!!!!)  
「がっ!?痛ぅうううううっ!!!」  
男の手を振りほどこうとする振りをしながら、芽留は男の手の平の親指の部分をコンクリート製の駅舎の壁に叩き付けた。  
痛みにひるんで、男の手の力が緩んだ隙を見逃さず、芽留は脱兎の如く駆け出した。  
「くそっ!やりやがったな!!」  
「回り込めっ!絶対に逃がすなっ!!」  
男達の怒号を聞きながら、人ごみを掻き分け、芽留は必死で走った。  
(ちくしょうっ!どうしてこんな事になるんだよっ!!)  
背後から迫る敵意は彼らが自分を音無芽留だと認識していないという事を芽留に痛感させた。  
昨日までの自分の居場所から逃げ出さなければならない情けなさ、悔しさ。  
気がつけば芽留の頬を一筋の涙が伝い落ちていた。  
それをセーラー服の袖でごしごしと拭って、くじけそうな心に鞭を入れて、芽留はひたすらに走る。  
そんな時だった。  
(あれはっ……!!?)  
前方に見つけた見慣れた背中。  
今にも諦めてしまいそうだった芽留の心に希望の火がともる。  
(わたるっ!わたる…っ!!来てくれたんだなっ!!!)  
芽留は暗闇の先、ようやく見出した光に向かってまっしぐらに走る。  
もっと近く、もう少し近くに、アイツの背中に手が届く場所まで………。  
だが、しかし……。  
「待ぁてぇえええええええええっ!!!!」  
追っ手の男たちの一人が駅の構内を通り抜けて、芽留の目の前に躍り出た。  
男の手から逃れようと方向転換を試みる芽留だったが、今度は横断歩道を渡ってきた通行人の群れにぶつかりそうになってしまう。  
足の止まった芽留の周囲を、再び男達が包囲していく。  
先ほど、芽留の前方に回りこんできた男が芽留とわたるの一直線上に、わたるへの道を阻むように立ち塞がった。  
(くそっ!もう少し…あと少しなのに……っ!!)  
雑踏の向こうに見えるその姿は、手を伸ばせば届きそうなのに、芽留には彼に呼びかけ、振り向かせるための声がなかった。  
メールを打つ暇もない。  
芽留に出来るのはもはやただ神に祈る事だけだった。  
(わたるっ!!わたる…気付いてくれ!!!…わたるぅっ!!!)  
じわじわと距離を詰めてくる男達。  
通行人の波に阻まれて、道路に遮られて、芽留が逃げ出すための隙はほとんど残されていない。  
(わたる――――――っっっ!!!!!)  
その時、まるで芽留の心の叫びが通じたかのように……  
(あっ………)  
ゆっくりと、本当にゆっくりと万世橋わたるは、芽留の方に振り向いた。  
しかし……  
(そんな……わたる……)  
わたると自分の視線が交差した瞬間、芽留は必死に訴えた。  
自分はここにいると。  
音無芽留はここにいるのだと。  
だが、そんな彼女の声なき声を目にして、わたるが浮かべたのは明らかな困惑の表情だった。  
やはり、無理だったのだ。  
今の芽留の姿と、昨日までの音無芽留を重ねて見る事が出来る人間などいないのだ。  
芽留は心の中で、自分を支えていた大切な何かが崩れていくその音を聞いていた。  
(わたるぅ…オレは……オレはここにいるんだっ!!…わたるっ!!!)  
今にも泣きじゃくって、この場に崩れ落ちてしまいそうな芽留の体。  
 
だが、残酷な現実はその歩みを止めてはくれない。  
「ようやく観念したかぁ!!」  
左右から同時に飛び掛ってきた男達をかわす事ができたのは、ほとんど偶然の力によるものだった。  
半ば放心状態の芽留は、訳もわからぬまま男達の手を掻い潜ってその場から逃げ出した。  
振り返る事無くただ前へ、走り抜けていく彼女の頬を大粒の涙が伝い落ちていった。  
 
あれからどれだけ走り続けただろう。  
路地裏に飛び込んで、右も左も判らないまま、闇雲に見知らぬ道を奥へ奥へと進んでいった。  
本人もどこに向かっているのかわからない状態で、ここまで逃げ延びられたのはある意味では奇跡とも言えた。  
だが、それももう終わりだ。  
「手こずらせてくれたな……だが、これでもう逃げ場はないぞ…」  
裏道を走って走って走りぬけた先、三つのビルの壁面に囲まれた袋小路に芽留は追い詰められていた。  
だが絶体絶命の窮地にいるというのに、俯いたその顔には何の表情も浮かんでいなかった。  
芽留の心はあの時、わたるの間近にいながら、わたるに自分が誰であるかを判ってもらえなかった事、  
その悲しみのためにほとんど凍りついてしまっていた。  
信じたかった。信じていたかった。だけど、考えてみればイヤでも理解できるはずではないか。  
ある人間が突然、それまでの名残を一切残さず、全くの別人の姿に変わってしまえばどうなるか。  
それを昨日までと同じ人間だと、胸を張って言える者などいるだろうか。  
全て当たり前の事、仕方がない事なのだ。  
(オレはもう、音無芽留じゃいられないんだな……)  
恐らくこの後自分は、激しい追及を受け、警察に突き出され、身元不明の不審者として扱われるのだろう。  
今の芽留には自分が自分である事を証明できるものなど、何一つないのだから。  
じりじりと男達が芽留に迫る。一歩、また一歩と距離が詰まっていく。  
四方八方から、芽留の体を押さえつけようと何本もの腕が伸びてくる。  
そして、芽留は観念したように、その瞼を閉じた。  
(もう一度だけでも、わたると話したかったな………)  
だが、しかし……  
「何だお前はっっっ!?」  
驚きに満ちた男の声が響いて、芽留に伸ばされていた腕達が動きを止めた。  
恐る恐る、芽留は瞼を開けた。そこにいた人物を見て、息を呑んだ。  
「お前は芽留お嬢様の学友の……どうして邪魔をする!?」  
「そう強く言われると、俺もあんまり自信ないんだが……」  
男達と芽留の間に割って入るようにして、万世橋わたるが立ち塞がっていた。  
「今朝、芽留お嬢様の姿が屋敷の中から消えた。ほぼ確実に、その女が関わっている」  
「なるほど、確かにそれはそうなんだろうな……」  
それから、わたるはバツの悪そうな笑顔を浮かべて、芽留の方に振り向いた。  
「すまん。気付くのが遅れた……」  
わたるの手の平が、芽留の頬に触れた。  
その優しい感触が、ぬくもりが嬉しくて、ぼろぼろ、ぼろぼろと、芽留の瞳から涙が零れ落ちていく。  
「なんだ?いつもだったら蹴ったり殴ったり罵倒したり、もっと騒がしい事になるところだろ?」  
【煩いっ!!バカっ!!黙れっ!!このキモオタっ!!!!】  
泣きじゃくりながら、芽留は何度も何度もわたるの胸元に殴りかかった。  
わたるはそれをかわさず、甘んじて打たれるがままとなる。  
「最初は本当にわからなかった。だけど、あの時、お前が最後に見せた表情が気になってな……」  
芽留に呼び出された駅前で、わたるの前に突然現れ、そして突然に去っていった少女。  
彼女の面影が自分の良く知る小さな少女とよく似ている事には、わたるもすぐに気付いた。  
だけど、それだけならばどことなく芽留に似た少女だとしか、わたるも想わなかっただろう。  
しかし、彼女がわたるの前から走り去る前に見せた泣き顔。  
一心にわたるを見つめる瞳が頭から離れなかった。  
それはわたるがこれまで芽留と過ごしてきた日々の中で、幾度も目にした表情だった。  
その記憶が理屈抜きにわたるの心に訴えかけてきた。  
あの少女をそのままにしておいて良いのか。  
あの、ただひたすらにわたるの事を信じる瞳を、涙で濡れたままにしておいて良いのか、と。  
「こうしてお前の前に立ってみるまで、ぜんぜん自信はなかった。だけど、話しかけてみりゃあ何て事はない、やっぱりお前はお前だった」  
わたるの胸を叩き続けていた芽留の腕が止まった。  
涙で濡れた顔をわたるの胸に埋めて、震える指先で携帯の画面に、芽留は言葉を打ち出す。  
【遅すぎんだよ、ハゲ……】  
「すまん」  
追っ手の男たちはその光景を呆然と見ている事しかできなかった。  
 
その後、芽留はわたるに付き添われて、自分の家に戻った。  
芽留の心配とは裏腹に、芽留の父は彼女を見るなり  
「どうしたんだっ!!めるめる、誰に泣かされたんだっ!?またコイツか!!コイツが悪いのかっ!!!」  
一発で芽留が芽留である事を見抜いて、傍に居たわたるに食って掛った。  
ちなみに芽留の父曰く、識別のポイントは  
「……むう、そうだな?あのめるめるならではの美しい塩基配列なんかが……」  
遥かに常人離れした、理解しがたいものだった。  
 
そして翌日。  
【理不尽だ】  
「まあ、こういうパターンのお約束と言えばお約束だな」  
芽留の姿はものの見事に元に戻っていた。  
「もし俺がお前みたいにまるで違う姿に変わったらどうなると思う?」  
【変わるってどんな風にだ?】  
「一晩で見違えるくらいスマートになったりしたらどうだ?」  
【一発で見抜けるな。痩せようがどうしようが、お前のオタク臭が消えるわけがない】  
そうやって他愛もない会話を交わしていた二人だったが、わたるが不意に真剣な表情になってこんな事を言った。  
「お前の親父さん、凄いな。姿が変わっても、一発でお前がお前だってわかるなんて……」  
【いや、あれは人類が到達しちゃいけない領域だろ……】  
「でも、俺は最初、お前の事に気付いてやれなかった……」  
呟いたわたるの顔には苦い微笑が浮かんでいた。  
彼は成長した芽留との最初の遭遇で、気付いてやれなかった事を酷く悔いているようだった。  
しかし……  
【それは違うぞ。わたる】  
「えっ?」  
確かに、わたるは今の芽留が芽留である事にすぐには気付けなかった。  
あまりに急激な変化について行けず、彼女の姿を見失った。  
だけど、彼は言った。  
『あの時、お前が最後に見せた表情が気になってな……』  
今までわたるが過ごしてきた芽留との日々の記憶。  
それと、今の芽留が見せたあるかなしかの兆しを繋ぎ合わせ、彼は彼女のところへ辿り着いた。  
わたるの中に積み重ねられてきた芽留の像が、最終的に彼を芽留の元へと導いた。  
とても微かで不確かなものだけど、確かにそこにある二人の繋がり。  
それが芽留にとっては何よりも頼もしいものだった。  
この繋がりがある限り、たとえどんなものに阻まれようと、きっと二人はまためぐり合う事ができる。  
(わかってた筈なのにな。全く、何を怖がっていたのやら……)  
【わたるは、ほとんど何も見えないような場所から、オレに辿り着いてくれたんだ】  
「そう……なのか?」  
だから、芽留はとなりを歩く暗い顔のオタク少年に笑顔でこう言うのだ。  
【ありがとう……本当にありがとうな、わたる】  
 
 

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