「結論、出ちゃってるんじゃないですか?」  
そう言って微笑んだ少女に、  
「………はい」  
私もまた、はっきりとそう答えた。  
私の周囲に渦巻く様々な女性関係、日に日に複雑化するこの問題にもいつかは決着をつけなければならない。  
どの女性を選ぶのか、その結論を出さねばならない。  
すでに、私の心は固まっていた。  
迷いもなく、私はその列車に乗り込む。  
しんしんと雪の降る鉄路を、私たちを乗せた列車はひた走り、そしてついに終着駅へと辿り着いた。  
『終着駅―先送り―、先送りでございまーす』  
そこは終着駅の決まったミステリートレインの辿り着く中でも、実は最もポピュラーな駅のひとつ。  
多くの乗客でごった返すホームに、私たちも降り立つ。  
「先送りするという結論に至りました」  
「結論じゃないからそれは」  
呟いた私の言葉に、同行していた智恵先生が呆れた顔で突っ込んでくる。  
「あと2,3年してから考える事を決断しました」  
「借金は次の世代に先送りすることを決断しました」  
見渡せばニートの若者や、政治家など様々な人々が先送りという結論を求めてここへ辿り着いたようだ。  
「おめでとうございます。皆さん結論が出たんですね」  
隣に立つ少女は、いつもと変わらない様子で楽しそうに微笑んでいる。  
そんな彼女に見られないよう、私は少し俯いて自嘲気味に笑う。  
「……そうですね。先送りなんて、結論になってませんよね」  
本当はわかっている。  
全部わかっていて、それでもこんな結論しか出せなかったのは私自身なのだから。  
本当は、自分の情けなさも、臆病さも、痛いくらいにわかっている。  
もう一度、ちらりと彼女を見る。  
もし出来るのならば、本当は……。  
鈴を転がすような彼女の笑い声、それを聞きながら、私は深く深く溜息をついた。  
 
駅を出てまず目に入ったのは、まるで祭りの真っ最中のような街のにぎわいだった。  
「すごいですね、先生」  
心から感嘆した様子で、その少女、風浦可符香はそう言った。  
「ええ、こんな所だなんて思ってもみませんでした」  
「行き先がわかっていても、驚かされるものね」  
ごった返す人、人、人の波。  
きらめく屋台の明かりと、どこからともなく漂ってくる様々な料理の匂い。  
どうやらここは、結論を先送りにした人達を相手にした商売で成り立っている街のようだ。  
「確かに、先送りにしたらしたでプレッシャー感じますからね。それを忘れるには楽しく過ごさないと」  
「いや、納得しないでください…糸色先生」  
ともかくも、せっかくの旅を楽しまない理由はない。  
私たちは街の雑踏の中に歩き出した。  
賑わう街の中で、風浦さんはきょろきょろと、物珍しそうに辺りを見回す。  
「色んなお店がありますね、先生」  
「そうですね。どれも先送りライフには最適の店ばかりです。ほら、あそこを見てください」  
私が指差した方向には、3階建てのかなり大きな建物が建っていた。  
「あそこは、全部の階がネットカフェみたいですね」  
どれだけの人数を収容できるのか、巨大なそのネットカフェには次々と新しい客が入っていく。  
私たちの目の前で、就職活動中と思しきリクルートスーツの成年が店に入っていく。  
「就活中についついネットカフェに入り浸って時間を潰すのは、典型的な先送りライフの過ごし方ですからね」  
うんうん、と頷く私。  
「それ、思いっきり駄目じゃないですか」  
またも呆れ顔の智恵先生。  
「あ、あっちにあるのは何でしょう、先生?」  
と、そこでまた、風浦さんが何かを見つけたようだ。  
風浦さんの指差す先には無数の露店が立ち並んでいた。  
 
そこで扱われている商品は、漫画やゲーム、その他の書籍全般だ。  
「ううん、さすがですね。読書に漫画にゲーム、どれも先送りライフには欠かせないものばかりです。…おっと!」  
私は古書を扱う露店の店先である物を見つける。  
「おお、『ハヤテのごとく』全巻揃ってますね。値段もお手ごろです」  
「あれ、先生、その漫画とっくに揃えてるんじゃなかったんですか?」  
喜ぶ私に、風浦さんが不思議そうに尋ねてくる。  
「甘いですね、風浦さん。先送りライフにおいては、同じ漫画を嫌になるほど読み返すのが定番です」  
「ああ、なるほど!」  
風浦さんは納得した様子、一方智恵先生は  
「もう、ついて行けそうにないわ」  
すっかりウンザリした様子だ。  
「ふふふ、先送りに関しては私には一日の長があります。智恵先生も分からない事があったら聞いてくださいよ」  
「さすがですね、先生っ!!」  
「ああ、頭痛がしてきたわ……」  
街にはさらに、先送りライフを快適にするさまざまなスポットがあった。  
結論を先送りした者達が集う酒場はどこも大盛況。  
ゲームセンターには、本当はそんな事してる場合じゃないのにゲームをやり込む若者達が溢れていた。  
他にも数え切れないほど立ち並ぶ様々な出店は、それぞれが抱える問題を忘れさせてくれそうな楽しげなものばかり。  
そうやって街の中を歩き回る内に、いつの間にか辺りは薄暗くなり始めていた。  
「そろそろ宿に向かった方が良さそうね」  
既に駅で今回のツアーの宿の案内は智恵先生が受け取っていた。  
先生は案内を取り出して、私に手渡す。  
そして、そこで少し申し訳なさそうな表情を浮かべて、ぺこりと頭を下げてこう言った。  
「あの、糸色先生と風浦さんでちょっと先に行っててもらえないかしら?」  
「どうしたんですか、智恵先生?」  
私が訪ねると  
「さっきの露店で、実は買おうかどうか迷っていた本があって、少し戻ってきたいんです」  
「なら、一緒に行って待ってますよ。智恵先生一人だけを行かせるわけには…」  
「いいえ。場所もうろ覚えだし、時間が掛かるかもしれないので…」  
千恵先生はそう言って、私たちに手を振って行ってしまった。  
「……仕方ないですね。智恵先生の言ったとおり先に行って、待ってましょうか」  
「そうですね」  
取り残された私たちも、気を取り直して、地図を頼りに宿へと歩き出した。  
 
「へえ、結構大きいとこなんですね、先生」  
辿り着いた旅館を見上げて、可符香が嬉しそうに声を上げた。  
12階建てのビル、落ち着いた感じの和風の内装に好感が持てる。  
自動ドアを通ってフロントへと向かう。  
「お待ちしておりました。ミステリートレインのお客様ですね」  
フロント係に丁寧に頭を下げられた後、続いて出てきた言葉に私は驚愕した。  
「糸色望様と風浦可符香様、お二人でのご宿泊でしたね。では、早速お部屋の方にご案内を…」  
「ちょ…待ってください!今、なんて言いましたか…っ!?」  
その言葉の意味は十分に理解できているはずなのに、パニックを起こした私の頭はそれを受け入れる事が出来ない。  
そんな私に止めを刺すかのように、フロント係は不思議そうな顔で、もう一度その言葉を口にした。  
「ですから、お二人でご宿泊でしょう?糸色様と風浦様、同じお部屋で間違いありませんよね?」  
もはや私には、言い返す気力すら残っていなかった。  
 
『はい。この時期、先送り駅周辺は大変込み合っておりまして、一緒のお宿をご用意する事が出来なかったんです』  
部屋に着いた私は、早速旅行会社に今回の事態について質問の電話をかけていた。  
『それで新井様の方からお電話で指示していただいて、宿割りの方を決めさせていただきました』  
その言葉で全てを理解する。  
千恵先生の仕業だ。  
 
今回の列車の旅自体、千恵先生から誘われたものだった。  
2週間ほど前、いきなり先生に誘われて、もしや二人旅かとドキリとしたが  
『心配しなくても、もう一人、生徒が同行しますから』  
との智恵先生の言葉にホッと胸を撫で下ろしたのだけれど、その生徒が誰かまでは教えてもらえなかった。  
で、当日、待ち合わせの駅で、彼女の、風浦さんの姿を見つけて驚愕したのだ。  
『先生、楽しい旅行にしましょうね』  
その時点で怪しんでしかるべきだったのだろうが、私は当惑するばかりで先の事など考えられなかった。  
恐らく、智恵先生は今回のミステリートレインの内実を事前に知っていたのだろう。  
私の性格なら、必ず『先送り』ゆきの列車を選ぶであろう事も予想できた筈だ。  
その上で、部屋割りについての指示を旅行会社にしたのだろう。  
ここまで来れば、彼女が何を期待し、何を目論んでいるのか、明白だった。  
(腹をくくれ。決断しろって、そういう事なんでしょうねぇ……)  
どうして、彼女が私の秘めた想いを知っていたのか、それはわからない。  
彼女の洞察力なのか、それとも、傍から見たら私の気持ちなんてバレバレだったのか?  
ともかく、彼女は私と風浦さんを二人きりにしたかったという事だ。  
まあ、無関係な人間からすれば、絶好のチャンスじゃないかと、そういう事になるのだろうけど……。  
(これは学校の先生のする事じゃないですよ、智恵先生……)  
そこで私はちらりと、風浦さんの方を見る。  
大体、一方的にこんなお膳立てをするなんて、風浦さんの気持ちはどうなるというのだろう。  
しかし、智恵先生の携帯にも何度か電話したものの、つながる気配は一切なし。  
完全な、確信犯だ。  
どうやら、私と風浦さんはここで一晩を過ごすしかないようだ。  
「風浦さん、なんだか妙な事になってしまいましたね……」  
電話を終えて振り返った私は、心底疲れた気分でそう言った。  
「そうですか?私は先生と一緒で、楽しいですよ」  
対する彼女は、いつも通りの明るい笑顔で答える。  
私の苦悩もどこ吹く風、彼女は部屋に置いてあった銘菓『先送り饅頭』をパクつきながら、完全にリラックスしているようだ。  
「相変わらずですね、あなたは……いつもマイペースで」  
取り合えず悩んでいても仕方がない。  
夕飯まではまだ随分と時間もあるようだし、風呂にでも入ってくるとしよう。  
そう考えて、風浦さんに声を掛けようとしたその時……  
(……………あ…)  
彼女の横顔を見て、思わず言葉を詰まらせた。  
窓の外、遠くに見える街の賑やかな灯りを眺める彼女の表情は、どこか切なげで、触れるだけで壊れてしまいそうで……。  
そのまま、どれくらいの時間彼女を見ていただろうか。  
不意に振り返った彼女は、自分の方を見つめてくる私に気付いて  
「ど、どうしたんですか?そんなに見られると照れますよ」  
戸惑うように、そう言った。  
「い、いえ、そろそろお風呂に行きませんか、って、そう言おうと思って……」  
私は慌てて取り繕う。  
部屋に流れる微妙な空気。  
どうやら、今夜は長い夜になりそうだった。  
 
大浴場は10階にあった。  
大きな窓から望む町の夜景は、湯気に曇って神秘的に揺らめいている。  
「まあ、智恵先生の期待はともかく、今夜は何事もなく終わるんでしょうね」  
呟いた言葉に混じる、ほんの僅かな自嘲の気配。  
なにしろ、私は自他ともに認める優柔不断男、チキンとさえ呼ばれる臆病者である。  
風浦さんに何かをしでかすような根性は持ち合わせていない。  
いずれ彼女は進級して、私の担当するクラスの生徒じゃなくなって、そして卒業していく、何事もないままに……。  
きっとそれが自然な事なんだと、私は確信している。  
まあ、それと現在の状況が、私をひどく悩ませる事とは関係ないのだけれど。  
風浦さんに想いを伝える勇気がないからこそ、今の状況は私にとって切なく苦しい。  
窓の湯気を拭って、眼下の街を見下ろす。  
『先送り』の街、将来に必ず問題が残るとわかっていながら、それに目をつぶる人々の集まる場所。  
この街の独特の雰囲気も、私を苦しめる要因の一つだった。  
この街に集まる人々は将来のことは見ない振りをして、だけど本当はそれが逃れられないものだと誰もが気付いている。  
その隠した焦りや苦悩が、賑やかな街の喧騒の影で、こっそりと忍び寄ってくるような、そんな空気がこの街にはあった。  
 
こんな事をしてる場合じゃない、だけど……。  
そんな街中の声が聞こえてくるようで、私の心は余計に落ち着かない。  
「ふう……」  
それでも、ともかく一晩の辛抱なのだ。  
しかし、彼女と隣り合わせの布団で、私は今夜どんな夜を過ごす事になるのだろう。  
「まあ……、眠れなくなるのは確実ですね……」  
呟いて、私はさらに深く湯船に浸かったのだった。  
 
「先生、お風呂長かったですね〜」  
男風呂から出てくると、先に風呂を終えていた風浦さんが私に手を振ってきた。  
浴衣から覗く彼女の火照った肌に一瞬ドキリとさせられる。  
「ええ、ちょっと長風呂が過ぎたみたいです…」  
考え事をしながら入っていたせいで、私はのぼせてフラフラだった。  
「ああ、先生、危ないっ」  
思わずよろめいた私を見て、風浦さんが慌てて支えてくれた。  
ふわり。  
漂ってきたシャンプーの香り。彼女の手の平の感触。  
胸がきゅっと締め付けられる。  
(いけない、いけないっ!!)  
私は必死に心を落ち着かせようとする。  
こんな気持ちが募れば募るだけ、今夜は苦しい夜になるのだから。  
とりあえず、彼女に触れられている限りこの気持ちは収まってくれないだろう。  
「風浦さん、大丈夫です。私、ちゃんと一人で立てますから……」  
そう言って、彼女の顔の方を見て、一瞬、息を呑んだ。  
まっすぐな瞳で、私を見つめる彼女。  
頬がほのかに朱に染まっているのは、果たしてお風呂だけのせいなのか。  
そのまま、数秒の間、彼女と見つめあう。そして……  
「あ、ご、ごめんなさい…先生……」  
慌てて彼女は手を離した。  
「い、いえ、そんな謝られるような事じゃ…」  
何となく、気まずいような、微妙な沈黙が流れた。  
「じゃ、じゃあ、部屋に戻りましょうか……」  
「はい……」  
それから、私たちはそそくさとその場を後にして、自分達の部屋へと向かう。  
どうやら、今夜は考えている以上にやっかいな夜になりそうだった。  
 
部屋に戻り、食事を終える。  
布団も敷いてもらい、その上に座って、私達はテレビを見ながらくつろいでいた。  
だけど、その空気はどことなくぎこちない。  
一見すると、風浦さんの様子はいつもと変わらない様に見える。  
饒舌に語り、くすくすと笑い、心の底から羽を伸ばしているように見える。  
私もいつもの彼女に接する調子で、彼女の冗談だか本気だかわからない数々の発言に言葉を返す。  
だけど、ふとした瞬間に奇妙な間が生まれてしまう。  
どちらともなく言葉を発する事が出来なくなって、沈黙に呑み込まれた私たちの間をテレビの音声が空しく流れていく。  
(やっぱり、こっちが意識してるのが伝わってしまっているんでしょうか……)  
何事にも物怖じしない彼女だが、やはりまだ年頃の女の子なのだ。  
私の様子が普通でない事に、勘のいい彼女は気付いて戸惑っているのだ。  
(参りましたね……)  
二人同じ部屋に泊まる以外の、何か他の方法を考えるべきだったのではないかと今更ながらに思う。  
旅館側は満室で、周囲の宿泊施設も同じような状況だろうと言っていたが、駄目元で当たってみるべきだったか。  
しかし、まだ高校生の彼女を一人きりにするのも考え物だし……。  
今更考えても仕方のないことを、私がつらつらと考えていると…  
「先生……」  
風浦さんが話しかけてきた。  
いつもより、どこかおっかなびっくりに聞こえる口調に、私の鼓動が少しだけ速まる。  
「楽しかったですね、今日は…」  
「…そうですね、私も楽しかったですよ…」  
私もおっかなびっくりの調子でそう答えると、彼女は花のほころぶように微笑んだ。  
 
「先生と列車の旅ができるなんて、ほんとに智恵先生に感謝ですよ」  
「…この街も色んな物があって、歩いてるだけで、結構面白かったですしね…」  
彼女の表情を見て、私の声はつい上ずる。  
落ち着きを取り戻そうとすればするほど、頭の中はぐるぐると混乱し、正常な思考ができなくなってしまう。  
なんだかしみじみと噛み締めるような調子で語る風浦さん。  
私の瞳はいつしか、そんな彼女の瞳の輝きに心奪われていく。  
(ああ、駄目だ。やっぱり、私は……)  
「また旅行に行けたらいいですね……次も、先生と一緒に…」  
そう言った彼女の笑顔が眩しくて、ただただそれに魅せられるばかりの私は……  
「風浦さん……」  
「……あ」  
気が付けば、布団の上に置かれた彼女の手の平に、自分の手の平を重ねていた。  
「先生…!?」  
驚きに見開かれた彼女の目を見て、私はようやく自分の仕出かした事の意味を悟る。  
(しまった……)  
慌てて手を引っ込めて、私は立ち上がる。  
「すみません、私は……っ!!」  
どんなにうろたえても、もう取り返しはつかない。  
こうなってしまっては、私の脆弱な神経では、風浦さんと二人きりでこの部屋にいる事に耐えられそうになかった。  
逃げ出したい。  
ただその一念で、私は脱兎の如く、部屋から飛び出そうとする。  
しかし……。  
「せ、先生っ!!」  
そんな私の腕を、彼女の手がぎゅっと掴んだ。  
振り返った私の顔の、驚くほど近くに彼女の顔があった。  
いつにない真剣な表情で見つめてくる彼女の視線に、私の体はまるで金縛りにあったかのように身動きがとれない。  
それから彼女は困ったような笑顔を浮かべて、私にこう言った。  
「あはは、『先送り』、失敗しちゃいました……」  
 
「私も『先送り』をしてたんです……」  
布団の上に再び腰を下ろした私の前で、風浦さんは話し始めた。  
「私も本当は結論が出てたのに、だけど怖くてそれが出来なかった…」  
彼女は私の顔を見つめて、苦笑いを浮かべる。  
「先生が好きだって気持ち、それを伝える事を『先送り』してたんです…」  
その言葉に、私は息を飲む。  
「ほら、先生って気弱で優柔不断だから、放っておけば絶対『先送り』を選ぶじゃないですか。私はそれについて行くだけ、  
先生の決めた行き先に一緒に行くだけって、そう自分に言い聞かせて、誤魔化して……」  
「ははは、私なら必ず『先送り』、ですか……否定できないのが悲しいとこですね」  
誤魔化すように笑った私の声は、無残に乾いてひび割れて、余計にこの場の空気を居たたまれないものにしてしまう。  
彼女も困り果てたような顔で、ただ笑う。  
こんな事になるなんて、二人とも思っていなかったから……。  
「先生の事が好きでした。一緒にいるといつも楽しくて、時間が経つのも忘れるぐらいでした……」  
そこで彼女は、先ほど私の触れた手の平を愛しげに撫でて、言う。  
「だからこそ、楽しい今のままの関係で『先送り』したかった。『先送り』した事さえ先生のせいにして、今のままで留まっていたかった」  
臆病な私には、その気持ちは痛いほどわかった。  
何も余計な事を言わなければ、昨日も今日も明日も、きっと同じ時間が続く。  
でも、そんなのは錯覚だって、本当はわかっている。  
決断の日は、必ずやってくる。  
その矛盾に気付きながらも、それを見ない振りをして過ごしていく日々……  
「まさか、先生の方から均衡を破ってくれるとは思いませんでした……」  
「いや、あれはほんのはずみで……」  
「でも、本当に嬉しかったです。先生が私を求めてくれたんだって、それが手の平から伝わってきて……」  
笑顔で彼女が言い終えた後、再び訪れる沈黙。  
 
だけど、その中で、私の心臓はうるさいぐらいに、ドキドキと心音を高鳴らせる。  
風浦さんを見る。  
さっき触れたばかりの、彼女の手の平を見る。  
暴れだしそうになる心をしっかりと押さえつけて、私は両手を伸ばした。  
「……あ」  
彼女の手を、私の両の手の平で包み込む。  
驚き目を見開いた彼女を、私はまっすぐに見つめる。  
「均衡破ったのは私ですから……最後までちゃんと気持ちを伝えないと意味もないですし…」  
両手から伝わってくる風浦さんの体温が、折れてしまいそうな私の心を支える。  
その感覚に背中を押されて、私はその言葉を口にした。  
「風浦さん、あなたが好きです……」  
彼女は投げかけられた言葉に戸惑って、それから考え込むように俯き  
「ありがとう、先生……」  
そして、最後に笑顔で応えてくれた。  
私達はどちらともなく顔を近づけて、額がくっつきそうな距離で互いを見詰め合う。  
「……これで良かったんですよね?」  
「もちろんですよ、先生。私、とっても嬉しいんですよ」  
人は眼前の問題に時々耐えられなくなって、『先送り』なんて手段にもならない手段を選んでしまう。  
それはきっと誰しも同じで、臆病な私達はぐるぐると同じ場所をさまよい続けることになる。  
だけど、些細な幸運や、ちょっとした決意、そして人の想いが背中を押してくれる。  
道を選ぶ力を与えてくれる。  
たぶん、私は今この場にいられた事を感謝しなければならないのだろう。  
「先生…」  
「風浦さん……」  
互いの唇を、そっと重ねる。  
結局、二人揃って臆病だったなんて、とんだ笑い話だ。  
だけど、それでも確実に、私たちの時間は前へと進み始めたのだ。  
 
「で、ここから先は『先送り』っていうのはなしですよ、先生……」  
「な、なんですか、風浦さん…!?」  
ズイッと身を乗り出してきた風浦さんに、私は気圧されて後ろに退く。  
何となく、この後彼女が言い出す事の予想はついていた。  
「このおいしいシチュエーションで、これでお終いだなんて、そんなのは許されない事です」  
ほら、やっぱり。  
私は戸惑いながらも、彼女に問い返す。  
「あなた、私への告白をさっきまで躊躇ってたんでしょ?」  
「はい。でも、女の子は一度覚悟を決めると、そこからは猪突猛進、止められないんですっ!!」  
理屈も何もあったものじゃない彼女の言葉だったが、勢いに押されて私はついつい納得してしまう。  
「だから、ほら先生も、さっき私に好きだって言ってくれた時みたいに……」  
「そう言われても、私は……」  
あくまでも渋る私に対して、彼女は全く諦めない。  
「たとえば、今着てるこの旅館の浴衣ひとつ取っても、かなりおいしい要素じゃないですか」  
そう言って、彼女は私の浴衣の襟に手をかけて、  
「えいっ!!」  
「きゃあ〜〜〜〜〜〜っ!!!」  
一気に上半身を剥かれてしまった。  
涙目の私の前で、彼女は天使の笑顔でにっこりと微笑む。  
どうやら、普段の彼女のペースが戻ってきたようだ。  
このままではいつもの悪戯感覚で、私は彼女に食べられてしまう。  
「やっぱり、先生の肌きれいですね〜」  
なんて言いながら、私にぺたぺたと触ってくる風浦さん。  
このまま彼女に主導権を握られるわけにはいかない。  
私は覚悟を決めた。  
 
「風浦さんっ!!!」  
「ふえっ!?」  
がばっ!!  
私は彼女の体に抱きつき、ぎゅっと抱きしめた。  
「せ、せ、せ、先生………!?」  
どうやらこの攻撃は十分な効果を彼女に与えた模様。  
しかし、それは大きな代償を伴うものだった。  
(こ、これが風浦さんの……)  
腕いっぱい、薄い浴衣の布地越しに伝わる彼女の体の感触に、私の頭は一瞬でショートしてしまった。  
二人揃って頭の螺子がとんでしまった私達。  
そのまま、私の方が上になる格好で布団の上に倒れこむ。  
「先生……」  
「風浦…さん……」  
うっとりと、互いの瞳を見つめあう。  
さっきまでは悪ふざけのつもりだったのに、私も風浦さんもすっかり空気に飲み込まれていた。  
まるで何かに導かれるかのように、私がまずキスをしたのは彼女の鎖骨だった。  
「……あっ…」  
風浦さんの口から漏れ出る、微かな甘い吐息。  
それが私の行為をさらに後押しする。  
彼女の浴衣をはだけさせて、ブラをずらす。  
形のいい胸が露になって、私は思わずごくりと唾を飲み込む。  
「…せんせ…さわって……」  
「……はい…」  
彼女の声に促されて、愛撫を始める。  
ゆっくりと彼女の乳房を撫で、手の平いっぱいにその感触を味わう。  
ピンク色をした先端の突起を指で弾くと、ビクン、彼女の体は驚くほど敏感に反応した。  
「…あっ…くぅんっ…ひぅ…あはぁっ!」  
柔らかな胸を揉みしだき、先端を刺激する。  
それを繰り返すだけで、風浦さんの呼吸はだんだん荒く、肌は上気して赤みを帯び始める。  
だけど、それだけでは私は収まらない。  
もっと彼女を味わいたい。  
そんな欲求がどんどん膨らんでいく。  
「…ひゃっ!?…あ…首のとこ…そんな…キスされたら…ぁ…っ!!」  
彼女の首筋に口付けをして、そのまま舌を使って丹念に舐める。  
頬に、鎖骨に、肩に、そして唇に、幾度となく彼女にキスの雨を降らせる。  
その度に彼女の肌に残るキスマークが、彼女を独り占めにしたいという私の欲求を心地よく満たしてくれた。  
「風浦さん…んんっ…」  
「…んぅ…せんせ…あっ…んくぅっ!」  
唇を重ね合わせ、互いの舌を絡め合わせるその間に、私の指先はさらに風浦さんの体を這い回り、  
いつしか彼女の太ももと太ももの間、布一枚に守られた秘めやかな場所に辿り着く。  
「…ふぁ…せんせいのゆび…わたしのアソコに……っ!!」  
撫でただけでわかる、奥からしとどに溢れ出す蜜の感触。  
入り口の部分をくちゅくちゅと弄ってやると、彼女は私の体の下で身をくねらせて、切なそうに声を上げる。  
「…ひゃあんっ!!…あっ…せんせ…ゆび…そんなはげしくされたらぁ…っ!!」  
彼女の声を聞くだけで、私の頭は熱病に冒されたようにぼんやりとして、夢中で指先を動かしてしまう。  
もっと深く、もっと大胆に、彼女の一番敏感な場所をかき混ぜる。  
その間にも、私たちは互いの唇を、求めて、求められて、一心不乱に体を絡み合わせる。  
「…風浦さんっ…かわいいです…すごく…」  
「ああっ…せんせいっ…せんせい、好きぃ…っ!!」  
もはや私たちにとっての世界は、目の前の愛する人だけで埋め尽くされて、他の何も視界に入ってこない。  
ただ夢中になって、溶け合って、貪欲なほどにお互いの熱を求める。  
「ふあぁっ!…くぅ…ああああああああぁぁっっ!!!!」  
一際大きな声を上げて、彼女の体がビクンと痙攣した。  
そのままくてんと力が抜けてしまった彼女の体は、どうやら軽い絶頂を迎えたようだった。  
そこで手を休めた私たちは、どちらともなく互いの顔を見つめる。  
たぶん、考えている事は同じはず。  
 
「ねえ、先生……」  
「風浦さん……」  
彼女の囁くような声。  
見つめ合う瞳の間に走る確信。  
「先生といっしょになりたい……」  
そう言ってから、彼女は微笑んで  
「今ここで『先送り』なんて、無茶は言わないですよね?」  
「うぅ…迷いがないと言ったら嘘になるんですが……」  
風浦さんの言葉に私は、少し顔を赤らめて答える。  
「私も、風浦さんが欲しいです……」  
その言葉を聞いて、彼女の顔に浮かんだ本当に嬉しそうな笑顔に、私の心臓はきゅんと締め付けられる。  
目の前の少女が愛しくて、愛しすぎて、思わずぎゅっと彼女を抱きしめる。  
そんな私の耳元で、彼女は恥ずかしそうに、そっと囁いた。  
「きてください、先生……」  
抱きしめていた腕を放し、彼女と向き合う。  
私は自分の大きくなったモノを出した。  
彼女の興味津々な視線が突き刺さって、何とも気恥ずかしい気持ちになる。  
「うぅ…そんなに見ないでくださいよ…」  
「…思ってたより、男の人のって大きいんですね…私、大丈夫かな…」  
「無理はしないようにしてくださいよ……」  
彼女の、一番大事な場所、その入り口に私は自分のモノをあてがう。  
どきどきと高鳴る心臓、ふと見ると彼女も緊張した面持ち。  
目が合って、微笑み合う。  
それで少しだけ、気分が楽になったようだった。  
「いきますよ、風浦さん……」  
そしてついに、その行為が開始される。  
ゆっくり、ゆっくりと自分の分身を風浦さんの中に埋めていく。  
「あっ…くぅ……っ!!」  
「大丈夫ですか、無理なようなら…」  
「いいんです、せんせい…それよりもっと、せんせいのを……」  
促されるまま、私はさらに深く挿入する。  
つうっと、接合部から流れる赤い筋。  
風浦さんの痛みをどうしてやる事もできない私は、せめてその背中を強く抱きしめてやる。  
「ああっ…せんせい…せんせいとわたし…いっしょになれたんですね…」  
「ええ、頑張りましたね……」  
瞳に涙をためて微笑む彼女に、私はそっとキスをする。  
「うごいて、せんせい…わたしのなかの、せんせいのを…もっとかんじたいんです…」  
彼女の腕が私の背中をぎゅっと抱きしめる。  
それに促されるように、私もゆっくりと腰を動かし始めた。  
「ああっ!…くぅんっ!!…はぁ…ああっ!!!」  
軽く腰を揺らすごとに、彼女の口から微かな悲鳴が漏れる。  
「平気ですか?痛みの方は……」  
「はい、痛いのは痛いですけど……せんせいの…すごく熱くて……」  
動かすごとに、荒く、切なげな色を帯びていく風浦さんの声。  
私も繋がり合った場所で感じる彼女の熱に、だんだんと理性を溶かされていく。  
「…ひゃうっ!…あぁ…ひあああっ!!…せんせぇ…っ!!!!」  
風浦さんの頬を流れ落ちる涙、それをそっと舌で拭い、そのままキスをする。  
唾液が絡まりあって、互いの汗で全身はびしょびしょで、繋がりあった部分は際限なく熱くなっていく。  
行為が激しさを増すほどに、私と風浦さんを分かつ境界はゆらいで、二人の体と心は溶け合っていく。  
「…ひああっ!!…きゃうぅ…あああああんっ!!!」  
性的な快感、その言葉だけでは説明できない異様な熱の高まりに呑み込まれていく。  
理性はとうに溶けて消えて、心も体も狂おしいほどにお互いを求めてしまう。  
一心不乱に腰を振りたくり、熱を帯びた肌を重ね合わせて、私と風浦さんはどこまでも上り詰めていく。  
「ああっ…せんせ…わたし、もう……」  
「風浦さんっ…私もっ…」  
やがて見えてくる限界。  
 
だけど、愛する相手に魅せられた心と体は、そんな事はお構いなしにさらに熱く、激しく燃え上がる。  
やがて、限界量を突破した熱量は、私と風浦さんをたやすく吹き飛ばした。  
「くああっ!!風浦さんっ!!!あああっ!!!」  
「…せんせいっ!!!せんせぇえええええええっ!!!!!」  
互いを固く強く抱きしめたまま、絶頂に達した私たちは惹かれ合うように唇を近づけ  
「愛してます、風浦さん……」  
「私も、先生の事、大好きです…」  
互いの想いを囁き合って、甘いキスを交わしたのだった。  
 
「と、まあ、そういう次第だったんですが……」  
翌朝、駅で落ち合った智恵先生は私たちに今回起こった事態の、その裏の事情を教えてくれた。  
まあ、要するに旅行会社の手違いだったのだ。  
「それぞれの案内を確認しなかったのは、私のミスなんだけど……」  
本来、宿割りは智恵先生と風浦さん、そして私で別々に分けられるはずだったのだ。  
だが、その宿割りを旅行会社が間違えてしまった。  
その上、携帯電話は充電切れで、充電器も忘れてしまい、私たちに連絡を取れなくなってしまった。  
そこで、智恵先生が下した決断は……  
「まあ、”あの”糸色先生なら、万が一どころか億が一もないだろうと高をくくっていたのよね……」  
もう、そのままの宿割りで構わないと、すっかり諦めてしまったのだ。  
つまり、昨日の宿割りが智恵先生の差し金だと考えたのは、私の全くの勘違いだったのだ。  
「先生たちと別れた後、結構色々見て回って、疲れちゃってたから、もう面倒くさくなっちゃったのよ……」  
そこで、智恵先生は私を恨めしげに睨む。  
「でもまさか、その億が一が起こるなんて思わないじゃない。あのチキンの糸色先生に限って……」  
今、智恵先生の目の前で、風浦さんに腕組みされた私はすっかり固まってしまっていた。  
「明らかに恋人の距離よね、それは……」  
「す、すみません…」  
智恵先生の視線に射すくめられて、私はひたすらぺこぺこと謝る。  
「いやだなぁ、先生はチキンどころか、ちゃんと私をリードしてくれましたよ」  
一方、風浦さんはそんな空気もどこ吹く風、私に密着してニコニコと笑っている。  
そんな、私たちの様子に智恵先生は溜息を一つついて  
「まあ、あなた達の仲なら、いつかこうなるんじゃないかって思ってたんだけど……糸色先生、きっと苦労しますよ…」  
「肝に命じます」  
「ちゃんと幸せにしてあげなきゃ、駄目ですよ」  
そう言って、ふっと笑った。  
やがて、駅のホームに列車が到着する。  
「先生、行きましょ」  
風浦さんに促され、一緒に列車に乗り込む。  
行きの列車とは違って、一つの椅子に二人並んで座る。  
向かい合った席に座る智恵先生は、相変わらずの苦い顔。  
多分、この列車に乗って戻った先の日常でも、きっと色々苦労する事になるだろう。  
だけど、今はこの腕に感じるぬくもりに、その幸せだけに浸っていたかった。  
「先生…」  
そんな時、ふいに風浦さんが私に呼びかけてきた。  
「なんですか?」  
「また、来ましょうね、二人で…」  
「そうですね、またきっと、二人で…」  
私の言葉を聞いて、風浦さんは嬉しそうに微笑む。  
それを見ている私も、きっと同じ顔だったはずだ。  
と、そんな時…  
『それでは列車、まもなく発車いたしまぁす』  
ホームに響き渡るアナウンス。  
色々あった今回の旅も、とりあえずはこれで終わりだ。  
やがて、発車のベルが鳴ったの合図に、私たちを乗せた列車はゆっくりと駅のホームから離れてった。  
 
 

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