うっすらと目を開くと、見慣れた笑顔がそこにあった。
「先生、大丈夫ですか?」
目覚めたばかりの脳はぼんやりとしてその簡単な問いかけを理解することもできず、
何も答えることが出来ないままいつも通りの彼女の、風浦可符香の笑顔を見つめる。
頭の後ろに当たるやわらかな感触は、彼女の太もものものだ。
周囲にカーテンの引かれたベッド、お馴染みの学校の保健室の風景。
どうやら自分は今、保健室のベッドの上で、彼女の膝枕に頭を預けているようだ。
どうして、こんな所に自分はいるのだろう?
当然の疑問が頭に浮かぶ。
「私は……」
「みんな流石に反省してたみたいですよ。まさか倒れるなんて、私も思ってませんでしたから……」
そこでようやく彼は、糸色望はうっすらと記憶を取り戻し始める。
ひょんな事から自分の耳の後ろが敏感な部分である事が、彼の生徒達に知れ渡ってしまった。
それだけでも十分に恥ずかしかったのだけれど、彼のクラスの女子生徒、木津千里が同じ場所を指で突いたところ、
微妙にポイントを外して何やら経絡秘孔みたいな物を押されてしまい、望は人間のものとは思えないような苦悶の声と共に崩れ落ちた。
だが、事態はそれだけでは終わってくれなかった。
望が痛む体を何とか立ち上がらせられるようになった頃には、噂を聞きつけた彼のクラスの生徒達が集まっていた。
それからはもう、望はほとんど玩具のような扱いを受ける羽目になった。
彼に想いを寄せる女子生徒達は望の艶声聞きたさに、彼の耳の後ろを触りまくった。
さらには男子生徒達までが微妙に頬を染めながら、同じように耳の後ろを突いてくる始末。
生徒達に翻弄されて息も絶え絶えの状態の望の背後に、最後に立ったのはまたしても千里だった。
みんなが望に艶っぽい声を出させているのが羨ましかったのだろう。
彼女は今度こそはと期待を込めて再び望の耳の後ろをつっついた。
しかし……。
『ぐげぼらばぎぶが…ひでぶぅううううう……っ!!』
結果はまたしても大失敗。
生徒達に弄ばれた疲れのためか最初の時よりも激しい奇声を上げて、望は意識を失った。
「うぅ……ようやく思い出しましたよ。みんな好き勝手やってくれて……私を殺す気ですか…」
「あはは、みんな先生が大好きって事ですよ。だから、ちょっと大目に見てあげてください、先生」
「そういうあなただって結構な回数押してたじゃないですか…」
「あはは、だって先生の声可愛いから…」
そうだった。
クラス挙げての大陵辱劇。
今の自分がこんな有様なのは、何もかも彼の生徒達の悪ふざけのせいなのだ。
とはいえ、彼らにされるがままだった自分が恥ずかしくもあり、望は怒る気にもなれない。
ただ、災難が去ってくれた事に感謝し、深くため息をつくばかりである。
それに……
「……風浦さんの太もも、柔らかくて温かくて気持ちいいし……まあ、いいですか…」
「先生、何か言いました?」
頭上から問いかけられて、望は顔を真っ赤にする。
彼女に聞こえないよう、ほんの小さな声で呟いたのに。
というか、彼女の事だ。こちらが何を考えていたかなんて、お見通しに決まっている。
「………別になんでもありませんよ」
それでも、素知らぬ振りで望は答えてみたが、
「えへへ、先生に膝枕喜んでもらえて、私も嬉しいですよ」
ほらやっぱり。
見抜かれている、見透かされている。
なんだか無性に悔しくて、望は頬をぷーっと膨らませた。
その表情が可愛いと、可符香はさらにくすくすと笑う。
もうすっかり彼女のペースだ。
無論、それはいつもの事なのだけれど、散々生徒達に好き勝手にされた後で、さらに彼女にまで手玉に取られるのは望も面白くない。
(何とか、仕返しできないでしょうかね……)
子供じみた対抗心を燃やして、頭脳を回転させる望はある事を思いつく。
「風浦さん…」
「はい?」
望に名前を呼ばれて、可符香は彼の顔を覗き込むように前かがみになった。
そこで、すっ、と望の手の平が彼女の耳元に、気づかれぬようそっと忍び寄る。
やられっぱなしではたまらない。
彼女に、可符香に仕返しをするのだ。
望と可符香は、教師と生徒という間柄を越えて、互いの想いを通じ合わせた仲だった。
恋人として付き合い始めてから日は浅いが、幾度かの夜を共に過ごして、望は可符香の敏感な部分を把握していた。
自分の手のひらで、指先で、彼女の繊細で過敏な性感に訴えかけ、彼女と共に高まる熱情に身を委ねるのは望にとって至上の喜びだった。
今、望の指先が向かう先、耳たぶのふちの辺りを甘噛みして舌先でなぞってやると、彼女はいつも切なげな声を漏らして身をくねらせた。
いつも自分を振り回してばかりいる彼女を、今日はこちらから驚かせてやろう。
彼女の死角からゆっくりと近づく望の指先は、ついに目的の場所にたどり着く。
可符香の耳たぶを絶妙な力加減でなぞり、そのまま首筋までつーっと指先を這わせる。
しかし……。
「先生、どうしたんですか?」
無反応。
(えっ!嘘でしょう!?)
思いがけない結果に驚愕する望は、もう一度、可符香の耳たぶに、首筋に刺激を与える。
だが……。
「ちょっと、先生、手遊びはいいですから、何が言いたいんですか?」
今度は明らかに自分の耳を触ってくる望の指先を視界に捉えて、可符香は言った。
(か、感じてない……でも、いつもなら…)
その場の雰囲気とか、お互いの気分やコンディションとか、そういった行為に関わる要素のいくつかが欠けている事を考えても、
望のいたずらに対して彼女が全くの無反応というのは、考えてもいなかった事態だった。
驚愕し、慌てふためく望の思考は当然の如くある可能性について考え始める。
(もしかして、私としている時の彼女の反応は全部…………演技だった!?)
一度思考がマイナス方向にベクトルを向けると、生来の気性も手伝って望の想像は悪い方にばかり加速していく。
幾つもの夜を共に過ごした喜びが、望だけの一方的な思い込みだったとすれば……。
(もしかして、そもそもの初めから彼女は私の事なんて……)
もはや望は顔面蒼白、冷や汗で全身がびっしょりと濡れて、まともな思考ができなくなっていく。
「先生?顔が真っ青ですよ、大丈夫ですか、先生?」
彼女の、可符香の呼び声が遠くに霞んで聞こえる。
(本当に、本当に好きだったんですけどね……そうですか…そうだったんですか……)
胸にぽっかりと穴が開いたような、そんな空虚な気持ちに支配されて、望の体から力が抜けていく。
「先生!!しっかりしてください、先生っ!!」
一方、さも望を心配するかのような呼びかけをしながら、可符香の内心は冷静だった。
(ほんと、先生は甘いなぁ…)
可符香は望の性格を熟知していた。
良く言えば純粋で素直、悪く言えば単純。
そんな彼の行動を、絶望教室の黒幕たる可符香が察知できない筈がない。
彼の性格ならば、九分九厘、自分がされたのと同じ事を彼女にも仕掛けてくる。
それに素直に応じてあげても良かったのだけれど、可符香は生来のいたずら好きだ。
望の行動の一枚上手を行って、彼を翻弄してやろうという思惑の方が強く働いた。
ポーカーフェイスは彼女の大の得意技。
それにいくら敏感な部分でも、ちょっと触られたぐらいならどうという事もない。
(先生ったら馬鹿だなぁ……私、好きでもない人とエッチな事したり、その上感じてる演技をするなんてしませんよ…)
なんて考えながら、可符香は内心でくすりと笑う。
今の望のうろたえ振りはそのまま可符香への愛情の裏返しだ。
(私、愛されてるんだなぁ……)
今にも泣き出しそうな望をよそに、可符香はすっかり幸せ気分に浸っていた。
ところが……。
(ふえ……っ!?)
不意に、思いがけない刺激が彼女を襲った。
さっきと同じ耳たぶに、さっき以上の繊細な手つきで望の指が触れ、絶妙な力加減でその部分を刺激したのだ。
その驚きと衝撃のあまりに、彼女は声を出す事さえ出来なかった。
しかし、それを望はまたしても無反応だったと解釈して、再度の愛撫を行う。
(あ……あぁ………っ!!!!)
ついさっきまで演技を続けていた手前、次の刺激に対しても、可符香は声を上げる事が出来なかった。
表情もとりあえずは平静を装って、内心の動揺を押し隠す。
そんな彼女の前で、望はゆっくりと体を起こした。
「風浦さん…私は…私は……っ!!」
目がマジだ。
ここに至って可符香は事態を理解する。
(やばい…先生、追い詰めすぎちゃったかも……)
するり、静かに伸ばされた腕が可符香の体を抱き寄せる。
悲しげな瞳に見つめられ、両の腕で抱き寄せられて、可符香の心臓はバクバクとうるさいくらいに音を立てる。
それでも、彼女は今更、演技をやめる事が出来ない。
自分のいたずらで、そこまでの意図はなかったとはいえ、望を追い詰めてしまった後ろめたさ。
それに少しばかりの妙な意地が邪魔をして、彼女に素直な反応を許してくれない。
「……………」
彼女はただ沈黙し、いつも通りの笑顔を維持する。
望がもう少し冷静だったならば、彼女の頬に差したほのかな赤みに気付いたかもしれないが。
「風浦さんっ!!!」
「先生、顔怖いですよ?ほんとに、どうしちゃったんですか?」
強く強く呼びかける望の声と、素知らぬ振りの可符香の声。
一言弁解すればすぐに収まる、そんな程度のすれ違いが事態をあらぬ方向に転がしていく。
ただただ必死なばかりの望は、可符香の体に指を這わせ、彼の知る限りの彼女の弱点へと攻撃を試みる。
(ふ、風浦さんは多分私を嫌ってる……それなら、こんな行為許される筈がないのに……)
不安に揺らぐ思考の中でそんな事を考えながらも、望の指は止まらない。
かつて彼女とともに過ごした数々の夜の記憶を追い求めて、望は可符香の体を弄る。
一方の可符香の感情も複雑なものだった。
(今更、演技だったなんて言えない………)
いつもの柔軟な適応力は消え失せて、脱ぎ捨ててしまえばそれで全てが終わる筈の仮面をかぶり続ける。
しかも……。
(それに、先生だって私の気持ち、もう少し信用してくれてもいいのに……っ!!)
そんな小さな怒りが彼女をかつてないほど意固地にさせてしまっていた。
(私が先生を好きなんだって事、ちゃんと信じてくれないから……っ!!!)
その気持ちが、次々と押し寄せる刺激の波への防波堤となる。
腕の下側を、腋の下へと向けて一直線に望の指がなぞる。
力加減は触れるか触れないかほどの、じれったいぐらいの感触。
普段の可符香なら、思わず悩ましげな声を上げていただろうが……。
(……ぁ…ひぁ……あ……)
ゾクゾクとする刺激に声を上げそうになりながらも、外見ではあくまでもノーリアクション。
しかし、それは望のさらなる責めを誘発する。
腕をなぞった指先をざわめかせながら、次に向かうのは脇腹。
焦らすような微妙な力加減を維持しながら、望の手が何度も可符香の脇腹を上下する。
(……っく……でもっ…これぐらいぃ……っ!!)
反射的に身をくねらせそうになったのをぎりぎりで抑えて、可符香はひたすらに耐える。
「ちょっと、先生、くすぐったいですよぉ♪」
なんて、おどけた口調で答えて、あくまで動揺を見せようとしない。
だが、その減らず口を言う事に集中した意識の裏をかいて、望の右手は移動していた。
今度は背中だ。
また、つーっとじれったくなるぐらいの力加減で指先が背中をなぞる。
(………ひゃ…っ!!?)
この時、一瞬可符香の目が驚きに見開かれていたのだが、追い詰められた望は気付きもしない。
そのまま、指先をさまざまに使って、彼女の背中を愛撫する。
(…ひゃっ…ああっ……こ、こんな事…嫌いな人にさせるわけないのに…いい加減、先生気付いて…っ!!)
望の手のひら、指先に心も体も乱されながら、自分が仕掛けたいたずらは棚に上げて可符香は望の鈍感を恨む。
「…きゃっ…もう、先生、ほんとくすぐったいんですよぉ♪」
出てくる言葉は、暗に望を焦らせ、挑発するものばかりになってしまう。
それが事態をさらに泥沼化させる事など、すでに彼女の思考にはなかった。
(…きゃうぅ…あああっ……こんな…焦らされてばかりいたら…私……っ!!)
今度は望の左の手の平が、大胆にも彼女の太ももの内側に伸びた。
決して秘めやかな場所へ立ち入る事はせず、敏感なももの内側の皮膚だけを徹底的に刺激する。
望の愛撫はいつも以上に繊細で、精密で、可符香の身も心も追い詰められるばかりなのだが
「だから先生、くすぐったいんですってばぁ…もうこれ、完全にセクハラですよ」
彼女はあくまでも意地を通して、平静な振りを保ち続ける。
実際のところ、既に彼女の頬は紅潮し、呼吸はだんだんと荒くなっていた。
可符香自身もそれを自覚していて、だからこそ、そんな自分の変化に気付かない望が憎らしくなってしまう。
(…あっ…やああっ…も…せんせ…だめ……っ!!)
今の可符香の体はぎりぎりまで張り詰めた糸も同然だった。
それを繋ぎ止めているのは、ひとえに彼女の望に対する健気な意地ばかり。
いまにも中の水が溢れ出そうな、なみなみと注がれたコップ。
決壊寸前のダム。
そんな彼女の状態を知る由もなく、望はさらなる行動に移る。
(あ…や…今、そこ、触られたら……)
望の両の手の平が、そっと彼女の胸に覆いかぶさる。
そして、分厚い冬服とブラの上からだというのに、彼の人差し指はその下でピンと張り詰めた彼女の胸の先のピンクの突起を捉える。
ぐん、と押し込まれた指にその突起は形を歪めさせられて、可符香の神経に電気が流れたような激感が襲い掛かる。
「………ぁ…」
ついに微かに漏れ出た声にも気付かず、望はさらに指の腹でそこをぐりぐりとこね回す。
ブラの裏地に擦られて、甘やかな刺激が可符香の胸いっぱいに広がり、そのまま全身を駆け巡る。
(…あ…も…だめぇ……っ!!)
限界だった。
最後に指先で先端を弾かれた刺激が、ついに可符香の強固な守りを突き崩す。
「………っああああああああああ!!!!!!」
我慢できずに声を上げた。
それに驚愕したのは、忍耐を続けてきた可符香よりも、むしろ望の方だった。
「…えっ?…あれ?…風浦さん……?」
そのままぐったりと自分に身を任せてへたり込んできた彼女の姿を見て、望はようやく気付き始める。
(わ、私は何かとんでもない間違いを……)
彼の思考は即座に事の真相には至らないまでも、自分の不安、彼女の好意が演技だったのではないかという考えが間違いだった事にたどり着く。
そして、その直後……。
「ひゃっ!!…ふ、風浦さん何をっ!?」
可符香の腕が望の体をぎゅーっと抱きしめた。
そして、ぽつりと一言。
「……せんせいの…ばかぁ…」
それは根競べに負けた可符香の、精一杯の望への抗議だった。
おぼろげに事態を理解し始めていた望は、申し訳なさと安堵が入り混じった声で
「すみませんでした……」
素直に謝った。
そんな望の体に、可符香はぎゅーっと顔を押し付けたまま、彼の耳の後ろにそっと手を伸ばし
「……あ…」
優しく触れた。
望はそんな彼女の手の平にそっと自分の手を重ねる。
ぬくもりを求め合うように、二人の手の平はそのまま指を絡ませ合う。
そして、残されたもう一本ずつの腕で、二人は互いの体を強く抱きしめた。
「本当にすみません…」
もう一度望が謝ると、可符香は答の代わりに握り合った手にきゅっと力を込めた。
全く、お互い何を必死になっていたのやら。
抱きしめ合うぬくもりに、二人はようやく心からの安堵を得たのであった。