ラストダンスはあなたと  
 
年末、命が実家のある蔵井沢に帰省したのは大晦日の午後の事だった。  
なにしろ、仕事が立て込んだのだ。  
ただし、残念ながら糸色医院の仕事ではない。  
命がまだ医者として若く、糸色医院の経営も始めていなかった頃に随分と世話になった人物。  
先進的経営を行う大病院の院長である彼から、命は外科手術の執刀医として呼ばれたのだ。  
難しい手術の為に、信頼できる医師を少しでも多く揃えたい。  
そういう話だった。  
旧恩あるその人物の頼みを、命は二つ返事で引き受けた。  
そして、命の尽力もあって無事に手術は成功し、ようやく彼は自由の身となった。  
しかし、今日はもう既に大晦日、蔵井沢に戻るにはもうギリギリの時間しか残されていない。  
命は仕事を終えたそのままの足で実家に戻る事を決め、タクシーに乗り込んだ。  
「全く参ったな……。しかし、安田院長の頼みを断るわけにもいかなかったし……」  
彼には一つ気懸かりがあった。  
妹の、倫の事である。  
「倫、どうしているかな……?」  
倫と、命の弟である望は命より一足先に実家に帰っているはずだ。  
ただそれだけの事、普段なら気にするような話ではないのだけれど……。  
「やはり、一緒に帰省したかったなぁ……」  
命と、彼の妹である倫。  
だが、今の二人の関係はただの兄妹ではない。  
歳の離れた妹を、ずっと見守り続けた兄に芽生えた抑えがたい想い。  
生まれた時からずっと見上げ続けた兄の背中に、妹が抱いた密やかな願い。  
二人はその想いを、願いを、互いに受け入れ合い、求め合った。  
その道の先に何があろうと、二人で誓い合った。  
命にとって、倫はもはや妹であるだけでなく、何にも勝る最愛の人なのだ。  
だが、しかし………。  
(今のところ、倫に恋人らしい事をほとんどしてやれていないんだよなぁ……)  
二人が恋人同士になってまだ日が浅いとはいえ、これは結構問題があるのではないかと命は考えていた。  
むろん、世間に大っぴらにできる関係ではない以上、出来る事は限られるのだが……。  
(クリスマスは望のクラスのパーティーに参加してしまったし……)  
カップル定番のイベント、クリスマス・イブには命も倫も揃って、2のへの面々と過ごした。  
兄の景まで参加して、まあ、何だかんだと楽しいひと時を過ごしたのではあるけれど。  
(二人揃って酔っ払ってしまうとは、不覚だな……)  
景が倫に酒を勧めたのをきっかけに、命まで強かに酒を飲む羽目になった。  
その後、酔っ払った命と倫はその場で寝てしまい、保健室に運ばれ、そこのベッドで次の日の昼までずっと眠りこけていた。  
ロマンチックとはかけ離れた聖夜の過ごし方である。  
だからこそ、せめて年末には、少しでも長く倫と一緒にいてやろう。  
命はそう考えていた。  
だが、実際はこの体たらく……。  
(年が明けると、親戚が来たりして、実家も騒がしくなるからなぁ……)  
そうなると、倫と一緒の時間を二人でゆっくりと楽しむのは難しくなる。  
命は少しでも早く蔵井沢に戻れる便はないかと、列車の時刻表を何度も確かめる。  
しかし、現在命が乗る事を予定している列車よりも早く、蔵井沢に辿り着ける便は存在しないようだ。  
これで、何か事故や故障で列車が遅れでもすれば、ヘタをすると年内に倫と会う事はもうないかもしれない。  
(頼む。早く駅に着いてくれよ……)  
それで蔵井沢への到着時刻が変わるわけでもあるまいに、  
タクシーの後部座席に座った命は、祈るような気持ちで道路の先を見つめていた。  
 
「ただいま、帰ったよ」  
というわけで、ようやく蔵井沢にたどり着いた命は、ガラガラと扉を開けて実家の玄関をくぐった。  
「おお、命坊ちゃま、お待ちいたしておりましたぞ」  
命を最初に出迎えたのは、執事の時田だった。  
「遅くなってしまって、すまなかったね」  
「お仕事が忙しいと伺っておりましたが、これで皆さまお揃いで年を越せるのですなぁ…」  
時田があまりにも嬉しそうにそんな事を言うものだから、命もついつられて笑顔になってしまう。  
「ところで、倫は今どこにいるんだい?」  
「倫様ですか。ええ、確かさきほど望坊ちゃまと向こうへ……」  
もう間もなく倫に会える。  
東京でも毎日会っていたのだから、物凄く久しぶりというわけでもないのに、何故だか無性に嬉しかった。  
「ありがとう、時田」  
靴を脱いだ命はいそいそと時田の指し示した方へ歩いていく。  
早く倫に会いたい。  
望も一緒にいるらしいので、二人きりとはいかないが、それもまた良いだろう。  
なにしろ実家なのだ。  
そうそう命と倫だけで会う機会などない。  
昔は自分と望と倫、この三人でよく遊んだものだ。  
かつてのように、三人で他愛も無い事を話して、笑い合い、今年最後の数時間を過ごそう。  
足取り軽く廊下の向こうに消える命の後姿を見ながら、時田が呟く。  
「本当に、仲の良いご兄弟ですな…」  
 
時田の話を聞いた時点で、命には倫と望の居場所の見当はついていた。  
このまま歩いていくと、蔵井沢にいた頃の倫の部屋に行き着く。  
家具もきちんと残してあるので、おそらく二人してそこで寛いでいるのだろう。  
目的地の目星がついた事で、さらに命の足取りは早くなる。  
と、その時……  
「ん、なんだ……?」  
何かが聞こえたような気がして、命は足を止めた。  
廊下の向こうから聞こえてくる、耳を澄ませばやっと聞こえるほどの微かな音。  
足音を殺して静かに進んでいくと、だんだんとメロディが聞き取れるようになってきた。  
「……音楽?」  
廊下の角を二度、三度と曲がって、命はついにその音楽が流れてくる源へと辿り着いた。  
「間違いない。ここだ。倫の部屋からこの音楽は……」  
僅かに開いた障子から聞こえてくる優雅な調べ。  
倫と望はこの部屋の中にいるのだろうか?  
それにしては、全く話し声が聞こえてこない。  
不思議に思った命は、障子の隙間からこっそりと中の様子を覗き見る。  
「……あ…」  
まず、最初に見えたのは着物を着た倫の背中。  
それが障子の隙間の狭い視界を右から左に移動して、くるりと回って今度は望の背中が横切る。  
二人は互いに手と手を取って、一定のリズムで部屋の中を行き来する。  
その動きは、ちょうど部屋から流れてくる音楽と同じリズム。  
望が前に出れば倫は後ろに、二人は足並みを揃えて、軽やかにステップを踏む。  
右に、左に、前に、後ろに、部屋中をくるくると回りながら、二人は踊っていた。  
そして、そんなダンスの合間に垣間見える二人の表情は、とてもとても楽しそうで、  
「……………」  
何故だか、自分がここに居てはいけないような気分になって、  
命は中の二人に気付かれないようこっそりと、倫の部屋の前から姿を消した。  
 
ない物ねだりをしても、仕方がないのはわかっている。  
嫉妬するのがおかしい事も十分に理解している。  
「しかし……なぁ…」  
久しぶりの実家の、自分の部屋に寝転んで、命はため息をついた。  
さっきの二人は、倫と望はとても楽しそうに踊っていた。  
昔から、あの二人はそうだった。  
糸色家の子供達の中でも、一番年齢の小さな二人は、いつも一緒に遊んでいた。  
命も、確かに二人の面倒を良く見たし、たくさん遊んであげたのだけれど、  
望と倫が一緒にいた時間はそれよりもずっとずっと長い。  
そのせいか、倫と望、あの二人の間には、独特の親密な空気があった。  
今の命は、自分の持たない、あの二人の間の絆を見せつけられたような気がして、何かとても孤独な気分だった。  
「まあ、それを言っても仕方がないのはわかっているんだけど……」  
望と倫の間にある親密さ。  
それは最も近しい家族だったが故のものだ。  
だけど、命だって、倫の大事な気持ちを、想いを受け取っている。  
かけがえのない恋人として、愛し合っている。  
そして、望はそんな命と倫の関係を、既に承知している。  
倫の、命に対する想いを知って、彼女を勇気付け、後押しをしたほどだ。  
(たぶん、望だって今の私と同じような気分を味わっただろうに……)  
倫を命との、茨の道であるとわかりきっている恋へと踏み出させた望。  
一番近しい家族が、その一歩を踏み出す様子を、望はどんな気持ちで見つめていたのだろう?  
自分の想いを貫くため、一人歩き出した倫の姿に、きっと言いようの無い寂しさを感じただろう。  
要するに、命と倫には命と倫の絆があり、望と倫には望と倫の絆があるという事だ。  
それは、命と倫が積み上げてきたものと、望と倫が積み上げてきたものの違い。  
どっちが良いという話ではない。  
命は、自分と倫の絆を大切にすればいい。  
ただ、それだけの話なのだ。  
「こんな事がこれだけ気になるのも、倫に恋してるっていう、一つの証拠なんだろうな……」  
だが、理屈ではそう解っていても、命の気持ちは落ち着かない。  
実はもう一つ、命を憂鬱にさせているものがあった。  
こっちはもっと子供っぽい話である。  
「しかし、やっぱり羨ましい。私は……踊れないからなぁ……」  
命はダンスの類は全く踊れない。  
命達の両親、糸色大と妙の教育方針は自由放任が基本だった。  
嗜み程度に僅かな習い事をやらせたりはするものの、後は子供達の自由にさせていた。  
命の場合、昔から勉強好きで、しかもかなり早い段階から医者になる夢を抱いていたので、  
子供の頃から、専らそちらの方面にばかり努力をしていた。  
一方、望や倫は芸術的な気質が強く、そういった習い事をする事が多かった。  
だから、望はいくらか楽器の演奏の心得があるし、倫の場合はそれが高じていまや糸色流華道の師範である。  
そして、そんな二人が共に習っていたのが、ダンスのレッスンだった。  
望のダンスの技量はそこそこ、倫もすぐに華道の稽古が忙しくなったので、あまり長い期間やっていたわけではない。  
しかし、先ほど見た光景から考えると、今でもあの二人はそれなりには踊れるようである。  
そういえば、さっきのように二人で踊っている姿を、命は昔、何度か見た事があった。  
その時も、踊る事のできない命は、二人の様子を何となく寂しい気持ちで見つめていた。  
いつもは三人で仲良くしていたのに、まるで仲間はずれにされたように感じたのかもしれない。  
「うぅ、弟に嫉妬したり……かと思えば、今度は二人に構ってもらえないのが寂しいなんて……ああ、情けないぞ、私」  
そんな自己分析にさらに憂鬱になった命は、もう一度、深くため息をついたのだった。  
 
それからしばらくして、命は家族揃っての夕飯の席に着いていた。  
「あら、命お兄様、どこにいらしたのですか?もう帰って来ていると時田から聞いたのに、全然姿が見えないものだから……」  
命の姿を見つけるなり、嬉しそうに近付いて来た倫。  
その可憐な笑顔を見ていると、命も先ほどまでのつまらない悩みを忘れてしまう。  
「ああ、すまなかったね。探していたんだけど、見つからなくて……」  
「そうでしたの?私、望お兄様と一緒に、ずっと自分の部屋にいたのですけど……」  
まさかそれを見て、自分の部屋にすごすごと逃げ帰ったとは言えない。  
答えあぐねる命に、倫はにっこりと笑って  
「でも、一時はどうなる事かと思いましたけれど、これで一緒に年を越せますわね……」  
「そうだな……私も嬉しいよ」  
「それから……実は私、後で命お兄様に頼みたい事が…」  
と、倫が言いかけたとき、ちょうど部屋に入ってきた父、大の声がそれを遮ってしまった。  
「おお、よく帰ってきたな、命。仕事の方はどうだった?」  
「ええ、特に問題なく終わりましたよ」  
「そうか……。しかし、こんな年の瀬に、安田のヤツも大変だな……」  
それからしばらく、大と命の、父と息子の会話が続いた。  
そして、そうしている内に、部屋には母の妙、景、望、交がやって来た。  
ようやく揃った家族を前にして、大が嬉しそうに笑う。  
「皆、こうして元気に年を越せるというのは、何よりの事だな……しかし」  
そこで、大は声のトーンを落として  
「来年も、縁からの年賀状は届かんのだろうか……」  
「父さんの出した年賀状だからなぁ……」  
絶縁状態にある糸色家の長男、縁。  
しかし、彼が糸色家を去ってから歳月も過ぎ去り、大はそろそろ親子の縁を戻したいと考えていた。  
さらに、彼の息子である交が望のもとに預けられてから、縁も同じ気持ちであるらしい事もわかった。  
だが、糸色縁は縁の無い男だった。  
ここ数年、縁が訪ねてきても家族の中で彼と会えた者はおらず、挙句、息子の交とまで離れ離れになってしまった。  
どうやら年賀状も律儀に出しているらしいのだが、糸色家に届いたためしがない。  
「ほら、あなた、そんな暗い顔をなさらずに…。縁もきっと、元気にやっていますわよ」  
戻ってこない長男の話題に暗くなっていた部屋に、妙がフォローを入れる。  
「そうだな……ともかく、こうして皆集まってくれたのだから、今夜は楽しく過ごそうじゃないか」  
こうして、糸色家の大晦日の夕食の席は、なごやかな雰囲気で始まったのだった。  
 
家族皆が笑い合い、夕食の時間は楽しく過ぎていった。  
ただ、この場で倫とばかり話し込むというのは、流石に無理な話のようだった。  
(倫はさっき、私に何を言おうとしていたんだ……?)  
先ほど倫が自分に言いかけた言葉が気になる命だったが、倫に尋ねるチャンスがなかなか訪れない。  
その上、食事が終わった後、倫は母の紅白歌合戦観賞に捕まってしまった。  
演歌、洋楽、Jポップにロック、クラシックから民族音楽まで、妙はありとあらゆる音楽を無節操に愛する人間だった。  
普段の名家の妻らしい、柔らかでありながら威厳ある物腰が、この時ばかりは小さな子供のようになってしまう。  
「しゅーちしんっ!しゅーちしんっっ!!おれたちぃわぁ〜♪」  
テレビの画面の中の歌手達に合わせて、妙が歌い、それに倫が手拍子や合いの手を入れる。  
倫も楽しげな母に付き合うのは嫌いではないらしく、にこにこと笑いながら時たま母と声を合わせて歌ったりしている。  
(邪魔をするのは悪いか……)  
倫の先ほどの言葉も気になったし、何より一緒にいたいという気持ちが強いのだが、今更命の入る隙はなさそうだった。  
仕方なく、二人の下を離れ、今度は景や望の姿を探す。  
「いたっ!いたたたたたたっ!!!!景兄さん、タンマっ!!タンマですっ!!!」  
「いやいや、この技はここからが見せ場なんだぞっ!!うりゃああああああっ!!!」  
「がんばれーっ!!ノゾム、殺されんなよぉ!!」  
ほどなくして見つかった景と望は何故かテレビの前でプロレスごっこをしていた。  
傍では交が興奮した様子で望を応援している。  
 
おそらく、テレビの格闘番組の影響だろう。  
命は見つからないように、そっと物陰に隠れた。  
これは命と父の大以外知らない話なのだが、糸色家最強の男は、実は次男の景なのである。  
ある時、景が大に勝負をしてくれと頼んだ。  
「俺のオリジナル拳法の強さを実証したいんだよ」  
景は自分の編み出した珍妙な拳法を世界最強であると信じ、庭先で稽古をしたりしていた。  
大は景のこの奇癖を直したかったのであろう。  
景の頼みを聞き入れて、彼と勝負をする事にした。  
剣道、柔道など、さまざまな武道に秀でた父、大が負けるはずが無い。  
この時、ただ一人事の成り行きを見守っていた命も、そして大自身もそう信じていたのだが……。  
「うえりゃさぁあああああああっ!!!!!!!」  
大は負けた。  
時間にして一分も掛からなかっただろう。  
秒殺である。  
奇怪な動きで大の懐に潜り込んだ景の、ありえない角度からの打撃の一打で勝負は決したのだ。  
糸色家に父に及ぶ武道の使い手はいない。  
以来、景は自分の技に対する自身をさらに強くし、朝の稽古を欠かす事は無い。  
「見つかったら、確実に巻き込まれるな……」  
こっそりとその場から去ろうとした命だったが……  
「………あっ!?」  
「………えっ!?」  
その姿を、景の技にかけられている望が捉えた。  
「ちょ…逃げる気ですかっ!!この角メガネぇ―――っ!!!」  
捕まってたまるものかと、命は廊下を一気に駆け抜けて、その場から逃げ出す。  
「この卑怯も……げっ…ぐえええええっ!!!」  
「まだ終わってないぞ、望っ!!そりゃあああああっ!!!!」  
(許せ、望……)  
後ろから聞こえる望の断末魔に耳を塞ぎ、命は自室へと逃げ込んだ。  
 
それから二時間、三時間と時間は過ぎてゆき、とうとう時刻は23時20分を越えようとしていた。  
はるばる蔵井沢に帰ってきたものの、倫と一緒にもいてやれず、他の家族ともあまり話せなかった。  
「こんな筈じゃなかったんだが……」  
命の後悔は募るばかりである。  
ゴロリと自室の畳に寝転んで、天井をぼんやりと見つめる。  
こんな事をしているぐらいなら、倫や母と一緒に紅白を見ているべきだったか。  
こういうつまらない所で思い切りのない自分が、命は少し嫌いだった。  
「もう今年も残り僅かだっていうのに、結局、倫に何もしてやれなかったな……」  
そこで、命はもう一度思い出す。  
音楽に合わせ、くるりくるりと踊る、倫と望の姿を……。  
ぎゅっと胸が締め付けられるような感覚。  
そうだ私は……  
「…私は倫の傍に居てやりたかったんじゃなくて、倫に傍に居てほしかったのか……」  
気が付いて、どっと肩の力が抜ける。  
情けない話だ。  
色々と頭の中で理屈を捏ね回していたが、細かい話など命にとって本当はどうでも良かったのだ。  
ただ、倫と話して、抱きしめて、一緒の時間を過ごしたい。  
倫の事が恋しくて恋しくてたまらなかった。  
自分の中に渦巻いていたのは、結局のところ、そんなにも子供じみた願望だったのだ。  
「全く、恋は盲目とは言うけれど……」  
そう言って、頭を抱えた命の背後から、声が掛かる。  
「言うけれど……何ですの?命お兄様…」  
「へっ!?」  
思わず命が振り返った先に、倫は少し悪戯っぽい笑顔を浮かべて立っていた。  
 
「うぅ…参りました。…もう全身ボロボロです……」  
「はっはっはっ!どうだ望、俺の拳法、ますます磨きがかかっただろう?  
なんなら、一から手取り足取り技を教えてやってもいいぞ」  
「遠慮します。あの動きは兄さんにしか出来ません」  
その頃、望はようやく景から解放されて、畳の上にのびていた。  
「まったく大晦日だというのに、今日は本当に疲れましたよ。景兄さんも倫も私の体力を全く考えないんですから……」  
「ん?倫がどうかしたのか?」  
「あ、はい、ダンスの練習に付き合ってくれって…もう随分やっていないから、  
勘を取り戻した言って大分長い間付き合わされてしまいました……」  
倫が望にその話を持ちかけてきたのは、今日の昼を過ぎた頃の事。  
何故かと聞いても答えてくれなかったが、望には大体の見当はついていた。  
「なるほど、命絡みだな……」  
「ええ、たぶん……でも、不思議なんですよね。嬉しいんですよ……」  
「嬉しい…?」  
「ずっと私と一緒にいた妹が、倫が、遠くに離れていくみたいに感じているのに……  
何故でしょうか、あの本当に楽しそうな、嬉しそうな笑顔を見ていると………」  
 
「母さんの方はいいのかい?」  
「大丈夫…。今頃、きよしのズンドコ節に夢中になっていますわ」  
ボリュームを絞ったスピーカーから流れるメロディ。  
それに合わせて倫がステップを踏み、命がたどたどしい足取りで着いていく。  
お世辞にも上手なダンスとは言えない。  
けれど、ところどころでつまずきながらも、命と倫の踊る姿はとても楽しそうに見えた。  
「前から、こうして命お兄様と踊ってみたかったんですの……。簡単なステップなら未経験の命お兄様でも  
すぐに覚えられると思って……後は私がリードしようと思っていたのですけれど」  
「それで、望と練習を?」  
「ええ、肝心の私の方が、すっかりダンスのやり方を忘れていて……」  
手と手を取り合い、音楽に、そして相手の呼吸に身を委ねる。  
最初はリズムについていくので精一杯だった足取りが、だんだんと滑らかになっていく。  
「それにしても、『恋は盲目』なんて、嬉しい事を言ってくださいますわね、命お兄様?」  
「う、うぅ……それはだな、倫…」  
「ふふふ、焦らした甲斐がありましたわ」  
「り、倫、それはどういう…」  
「私と望お兄様のダンスを見て、こっそりお逃げになったでしょう?」  
倫はあの時、こちらの様子を伺う命に気付いていた。  
自分と望のダンスを見て、何を勘違いしたか、寂しげな表情を浮かべて去っていった兄。  
追おうとすれば追えたのだけれど、倫はあえてそうはしなかった。  
あの時の命のションボリとした顔が愛しくて、つい意地悪してしまったのだ。  
「倫……」  
「ごめんなさい、命お兄様……でもやっぱり、こうしてお兄様と二人でいるのが、一番嬉しいですわね…」  
いつの間にか、二人は特に意識する事もなく、ダンスを続けていられるようになっていた。  
たどたどしかった足取りも何とか様になって、流れるメロディの中で、二人は溶け合っていくようだった。  
「全く、とんだ悪戯娘だよ……会いたかったんだぞ。本当に、会いたかったんだ、倫……」  
「ええ、私も……」  
命と倫、二人はどちらともなくステップを止めた。  
互いの背に腕を回して、強く、優しく、愛しい人を抱きしめた。  
そして、引き寄せあうように二人の唇は近付いてゆき……  
「愛しているよ、倫……」  
「愛していますわ、お兄様……」  
そっと優しくキスを交わしたのだった。  
 
 

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