時は黄昏時、夕日に照らされた校舎。窓の外からは運動部の元気な掛け声が聞こえてくる。  
私こと日塔奈美は誰もいない放課後の教室で悩んでいた。  
 
「はぁぁ・・・・・・・・・・」  
深いため息をつく。  
私、日塔奈美はどこにでもいる、ごくあたり前の「普通」の少女。特に問題のない平均的な普通の家庭に生まれ、  
普通に育てられ、普通の生活をしながら、普通の学校に通っている。  
 
――――――――――普通――――――――――――――――――  
 
この単語が私を苦しめる。普通、普通と言われ続ける毎日。  
普通の境遇、恵まれた境遇に生まれたことにはもちろん、感謝している。裕福な家庭に生まれ、ちゃんと両親がいて、友達もいて、何の心配もなく学校に通えている。  
それはとても幸せなことだと思う。それ以上のことを望むのは贅沢だとわかっている。  
 
だが、普通なんだからそれでいいんじゃない―――――――――――と言われるのにはハラが立つ。  
 
―――――――普通じゃなくなりたいと思うことこそが普通なんじゃないかな――――――――――  
 
以前可符香ちゃんから言われた言葉。違う、そんなんじゃない。普通じゃなくなりたいんじゃなくて、私はただ純粋にほめてもらいたいだけなのに―――――――  
 
普通だから・・・・・それ以上を望んではいけないのか?  
境遇的にはもちろん恵まれているし、「普通」を「異常」との2項対立で見ればたしかに、「普通」は良いことだ。でも、それとこれとでは次元が違う。  
能力や人格の面で言えば普通は基準値に過ぎない  
普通未満のことしかできない人よりは、はるかに評価されていると思う。だが、普通で止まってしまってはそれまでだ。決していい意味では使われない普通、  
私だって普通以上のことをして、人から評価されたい。普通からいい意味で脱却したい。たしかにそう思うこと自体が普通なのかもしれない。  
 
だが、この思いはこの世に生を受けた者なら誰もがもつであろう憧れ。  
それを単に境遇が恵まれているから、そのままでいいんじゃないと言われるのは悔しい。  
普通の代名詞にされ、他人と比べられるだけのものさしとして扱われる。あくまで他人を引き立てるだけの道具に成り下がるのは悔しい。  
 
私は普通だからというだけで私自身の物語の主人公になることすらできないのか。  
普通以上に憧れることは許されないのか。特別なものに憧れてはいけないのか  
 
もちろん、私も努力はしている。部活動こそしてはいないが、成績向上のための勉強も以前より熱心にしているし、  
就職に有利なように資格の取得にもチャレンジしている。  
アルバイトだって頑張っているし、私なりに自分の進路を真険に考えているし、  
社会に適応できるように日々スキルアップを図っている。  
だが、それだって、この社会では人並みの努力に過ぎない。  
私は今まで、どれだけ努力しても、以前よりよい結果を残しても、「普通」の一言で片づけられてきた。  
 
思えば、このクラスに来てから、ほめられたことがあっただろうか、何かにつけて、自分に向けられる単語は「普通」の一言だけ。  
自分の努力や言動1つ1つに対して、正当な評価をしてくれた人が今までいただろうか。  
私が何をしようと、その結果は「日塔奈美がやることは全て普通」というフィルターに通され、「普通」という評価が真っ先に下されるのだ。  
 
「あはは・・・・・・・、私って一体何なんだろうな、」  
気がついたら、目からは涙があふれていた。  
 
―――――――――――普通  
―――――――――――あんまり、普通のこと言わないで下さい  
―――――――――――そう思うのが普通だよね  
―――――――――――奈美ちゃんは普通ですから  
―――――――――――普通にやるよね、それ  
―――――――――――普通は普通でいいんじゃないですか、普通ですし、  
数々の言葉が脳をよぎる。  
 
 
「ぐッッ――――――――――、なんだよ、畜生ッ―――――、畜生ッッ――――――」  
思わず、悪態を吐く  
 
――――誰も私のこと真剣に見てくれない。――――――  
私は普通という概念そのものであって、誰も私を人間として、日塔奈美として見てくれないんだ。  
私だって、必死に、がむしゃらに生きてきたのに、こんなに頑張っているのに、  
ちゃんと私にしかない人格をもって、私らしくありたいと思っているのに  
――――――それすら許されないのか  
 
そんなのは悲しすぎる。  
思考はどんどん暗い方向へ堕ちていく。  
 
「えっく・・・・・ぐすっ・・・・・・ぐすん・・・・・・」  
しばらく突っ伏して、机を涙で濡らしていた。  
 
「日塔さん―――――どうしたの、」  
その呼び声で私は堕ちていく思考を再び取り戻した。男子の声だった。  
「大丈夫、具合悪いの?」  
顔を上げると、そこには心配そうに私を見つめるメガネの男子の顔があった。ウチのクラスの出席番号1番、青山くんだった。  
普段でも穏やかな彼の顔だったが、夕焼けに照らされたその顔は余計に情緒的で優しく見えた。  
 
「ぐすっ・・・ううん、何でもない、大丈夫だよ、」  
そう言ってとりあえずごまかしてみる。ああ、こんなに泣いているところを見られて恥ずかしい。  
 
「何でもないわけ・・・・・・・・、ないと思うけど」青山くんは私を逃がしてくれなかった。  
「忘れ物を取りに来ただけなんだけど・・・・・・・・このまま日塔さんを放って帰るのは・・・・・・・できそうにない。」  
青山くんは私の前の椅子に座るとこんなことを言ってくれた。  
 
「男の俺がこんなこと言うの変なのはわかっている。・・・・・・・でも日塔さんが心配なんだ。もし迷惑じゃなかったら、話せる内容だったら、  
俺に話してくれないかな。」  
 
その言葉に驚いた。そして嬉しかった。私のことを見てくれている人がいる。私を心配だと言ってくれる人、青山くんの表情は本当に真剣だった。  
私は青山くんに心のうちを打ち明けることにした。  
 
「青山くん、私って1人の人間として、見られているのかな?、「普通」っていう概念が服を着て生きているだけと思われているんじゃないかな?」  
思わず、そんな自暴的な問いかけをしてしまう。それを聞いた青山くんは血相を変えて、大声を出す。  
 
「―――――――――――ッッッッッ、何言ってるんだ!!そんなことあるわけないだろ、日塔さんは人間だ!!自分の意思をもってちゃんとここで生きている。  
自分をそんな風に言っちゃダメだ――――――!!」  
青山くんは必死に否定してくれたが、今自分でした問いが引き金となり私の心は再び堕ちるところまで堕ちていく。  
私の口からは涙声で次々と嘆きが再生される。  
 
「私はどんなに頑張っても、みんなからは普通って言われるだけ、みんな私のこと真剣に見てくれない。日塔奈美として見てくれない!!  
『普通』の代名詞みたいに言われて、何をしても、ああ、こいつができるんだから、みんなできるんだなっ・・っていうふうに見られて。」  
「違う、そんなことない、・・・・・日塔さんのこと、みんなはちゃんと見てくれている!!」  
 
「私だってほめられたい。頑張ったら、頑張った分だけ、人から評価されたい。それだけなのに、  
みんなは私が普通だからって・・・・・・・普通はいいことだって、・・・・・・それ以上を望むのは贅沢だって、それだけで片づけられて、  
・・・・・・・・・ぐすっ・・・・・・・・・私だって恵まれた環境に生まれたのには感謝してる・・・・・・・・でもそれだけで満足だなんて思いたくない、  
私だっていい意味で普通じゃなくなりたい、・・・・・・・・・人からちゃんと評価されたいの、・・・・・・ただそれだけなのに・・・・・・・」  
両目を手で覆いながら、私は弱々しく言葉を紡ぐ。私の目から溢れ出す涙は止まらない。  
 
「日塔さん―――――――、日塔さんは普通なんかじゃない、・・・・・・・・頑張り屋で、仲間思いの強い、すごく優しい女の子だよ。  
俺、いつも見てるもん、・・・・・・・日塔さんがマリアや交くんの面倒見たり、大草さんの内職手伝ったりしてるところ・・・・・・」  
青山くんはそんな私をなだめようと落ち着いた、優しい言葉をかけてくれている。  
 
「図書館で勉強頑張っているところも、バイトで大きな声で呼びこみ頑張っているところも、・・・・俺はちゃんと見てる。」  
本当に、本当に、真剣な言葉、思えば、他人からこんなに真剣な言葉をかけられるのはいつ以来だったか、  
 
「そして、日塔さんはこんなに美人じゃないか―――――――――――――」  
 
――――――――――――――――えっ―――――――――――――――――  
 
私はその一言に固まった。思わず目を覆っていた手をどけて、青山くんを直視した。  
 
「こんなに可愛くて、美少女で、スタイルだっていいし、」  
顔が真っ赤になっていくのがわかる。  
――――――――可愛い――――――――――――――――今、目の前の人は自分のことを確かにそう言ってくれた。  
しかし、それだけでは済まなかった。青山くんの次の言葉は私をさらなる驚愕に陥れた。  
 
 
「俺・・・・・・・・日塔さんのことが好きだ、」  
青山くんは頬を染めながら、私から目を反らさずにそう言った。  
「えっ――――――――――――――、・・・・えええええ―――――――――!!!」  
信じられなかった。  
(男子から・・・・・・・・・・・告白された。・・・・・・・・・)  
 
「俺、日塔さんが普通って言われるの悔しくてしょうがなかった。・・・・・・・・・こんなにいい娘なのに、  
日塔さんがみんなから普通って言われるたびにイライラしてた。『日塔さんに謝れッッ!!』て言いたかった。  
1月に2代目先生やらされたときは木津さんからせかされて、つい『普通のものさし』って言っちゃったけど、  
本当は日塔さんがものさしにされたことが悔しくて震えてたんだ、  
あの後、かばってやれずにあんなこと言ってしまっていたのをずっと後悔してた。」  
 
そう言えば、あの時、青山くんは全身タイツに着替えさせられた私を見て、何かに耐えるようにずっと押し黙って震えていた。  
それで千里ちゃんに怒られて・・・・・・  
 
青山くんの表情が悲痛で歪んでいく。  
 
「日塔さんは普通って言われるの嫌がっているのに、みんな日塔さんのこと普通って決めつけて、  
それを前提にして、よってたかっていじめて・・・・  
許せなかった・・・・・・・・でも勇気がなくて守ってあげられなかった。見ていることだけしかできなかった。  
情けない・・・・・・・・・・こんなに追い詰められていたのに、」  
 
他人からこんなに強く同情されるのは、いつ以来だろう、知らなかった・・・・・・・・こんなにも私のことを思ってくれる人が同じクラスにいたなんて。  
そう、青山くんの言う通りだった。  
私は普通と言われるのが嫌なのに誰も彼も、その声を無視して、私を普通と決めつけて、それを前提に話を進めてくる。  
私はまずそこから否定しなければいけなかったんだ。  
 
青山くんの両手が私の右手を握りしめる。私の目をメガネの奥から真正面に捉えて、力強く言葉を投げかけてくる。  
「日塔さん、この世に普通の人なんていない!!日塔さんはこの世に1人しかいない、かけがえのない女の子なんだ。  
日塔さんにはちゃんとご両親がいる。ご両親は日塔さんのこと大事に思っていないわけない。  
何より君は今までご親戚や近所の人、先生、友達、周りのいろんな人に支えられて、自分でも頑張って必死で生きてきたんだ。  
その日々の積み重ねといろんな人の思いを「普通」なんていう一言で片づけるのは絶対に間違っている。  
人間だけじゃない――――――、この世に生まれてきたものに普通なものなんてない。普通という一言で片づけていいことなんかない。  
みんな『特別』なんだ。みんな、生んでくれた両親がいて、自分だけの意思があって、それぞれの思いを背負って、がむしゃらに生きている。  
そうやって死に物狂いで生きた結果が歴史に残らない平凡な人生だったとしても、その中で数え切れないほどの人の役に立って、感謝されているんだ。」  
1つ1つの言葉が心に強く突き刺さる。  
 
「青山くん――――――――――――、」  
「それに何より、日塔さん――――――――、今、この現代社会で生きることはものすごく大変なことなんだ。  
当たり前のことが当たり前に出来るってすごいことなんだ。  
どんな人だって、ものすごい努力して、がむしゃらで必死になって生きている。俺はこれから社会の荒波に出ていく日塔さんを本気で応援したい。  
俺は当たり前のことを当たり前に出来る日塔さんを尊敬していた。俺は日塔さんの健気さがまぶしくて仕方なかった。  
――――――――日塔さんはいつだって輝いていた。  
日塔さんは俺のアイドルだった!!―――――――――――――、」  
 
(ア・・・・・・・・・・・・・アイドル・・・・・・・・・・・)  
その単語を聞き、私の顔はさらに真っ赤になっていく。  
 
「日塔さん―――――――――――、もう誰にも君のことを普通なんて言わせない、  
―――――――――――俺が君を守る。」  
青山くんはそう言って一息つくと、私の右手をしっかりと握りしめたまま、次の言葉を発した。  
 
「日塔さん―――――――――――――――――俺と付き合ってくれ。」  
 
それは偽りのない心からの求愛の言葉、  
「な・・・・・・・・あッ・・・・・・・・・・・」  
私はそのストレートな言葉に呼吸を奪われる  
 
「この思いは紛れもない本物だ。―――――――――――  
俺は日塔さんに出会う前まで、出来て当たり前のことすら満足に出来ない人間だった。目標も夢も持たず目の前のことしか考えずに怠惰に生きてきた。  
でも日塔さんに出会ってから自分を変えようと思った。当たり前のことが当たり前に出来て、なおかつそれ以上のことも出来る日塔さんが本当にすごいと思ったし、ずっと憧れていた。  
日塔さんの頑張りに負けないだけ自分も頑張ろうと思えた。日塔さんが俺を変えてくれた。今はまだ自分のことすら満足に出来ない人間だけど、  
もっと強くなって成長して、日塔さんを守れるだけの人間になりたい。  
――――――――――――――――――――こんなにも強い思いが俺にはある。」  
私の目から再び、大粒の涙が溢れ出す。  
 
「うぁ・・・・・・・あ・・・・・・・・・・うわあああああああああああああああああ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」  
私は青山くんにすがりついて泣き出した。  
「日塔さん・・・・・・・・・・・・」  
 
今までどんなに頑張っても普通と言われ続けた日々、その日々を青山くんはしっかり見てくれていた。  
私のことを普通なんかじゃないと、普通以上の特別な存在だと初めて認めてくれた。  
この世に普通のものなんてないと、当たり前のことを当たり前に出来ることがどれだけ大変で、すごいことなのか気付かせてくれた。  
私を応援したい、守ってあげたいと言ってくれた人。私のことを好きだと言ってくれた人。  
―――――――――――――――――こんなにも私のことを思ってくれている人。  
 
「あ・・・・・・・・・・・うぁ・・・・・・・・・青山くん、ありがとう・・・・・・・・」  
私は青山くんの背中に腕を回し、思い切り抱きついた。  
「日塔さん・・・・・・・・・・・・・君は俺が守る。」  
青山くんも私を力一杯抱きしめてくれた。その腕は暖かった。  
彼になら自分の全てをさらけ出せると思った。青山くんは私を普通という檻から救ってくれた。  
私は青山くんのためにも、他の人の役に立てるような人間になれるように、これからも自分を磨き続けていこうと思う。  
そしてもっと多くの人に普通よりすごいねっ・・ってほめられるようになりたい。  
 
 
私たちは日が暮れるまで誰もいない、教室で抱き合っていた。  
 
 
ED  
 

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