ある暑い夏の午後の事である。  
糸色望は走っていた。  
窓から差し込む強い日差しと、その日差しが作り出した影が強烈なコントラストを織り成す学校の廊下を、  
前だけを見つめてひたすらに走っていた。  
何のために?  
逃れるために。  
背後からひたひたと迫ってくる絶望と恐怖から逃れるために、望はなりふり構わず走り続ける。  
「せんせ〜い……」  
後ろから聞こえた声に、望は全身をギクリと強張らせる。  
「どうして逃げるんですか?待ってくださいよ〜」  
望に語りかけてくるのは、彼の良く知る少女二人の声。  
彼の担任するクラス、2のへの女子生徒達の声である。  
「待ちませんっ!!絶対に待ったりしませんっ!!!あなた達の思惑通りにはさせませんよっ!!!」  
震える声で叫び返した望に、少女の一人が応える。  
「いやだなぁ、どうして怖がるんですか?私達が先生に酷い事するわけないじゃないですか」  
望の走る廊下の遥か後方、廊下の曲がり角から現れたのは、二つの声の内の片方の主、風浦可符香であった。  
「そうですよ。ただ先生にちょっとこの服を着てもらいたいだけなんですから」  
続いて現れたもう一つの声の主。  
眼鏡の奥の瞳をらんらんと輝かせて、藤吉晴美が歩いてくる。  
「ひぃいいいいいいっ!!!!!」  
その姿をチラリと見ただけで、望は悲鳴を上げてしまった。  
ゆっくりと歩み寄る彼女達がその手に持っているものは………  
「先生なら、きっとこのウェディングドレス、似合いますよ」  
「せっかくサイズまでピッタリに作ったんですから、袖を通してみてくださいよ」  
眩い日差しを浴びて、キラキラと輝く純白のドレス。  
それが今の望が怯え逃れようとしている恐怖の正体であった。  
小さな頃の望はその容貌から女の子だと間違われる事が多かった。  
以前、望の兄、景がその事を話していたのを聞きつけた可符香と晴美によって望は女装をさせられる羽目になった。  
そして、今またその悪夢が蘇ろうとしている。  
学校中を必死で逃げ回っても、まるで彼の行き先がわかるかのように現れる二人によって、望は追い詰められようとしていた。  
「せんせ〜い」  
「待ってくださ〜い」  
「イヤですっ!!もう女装はこりごりなんですよっ!!!」  
スピードを上げ、可符香と晴美を引き離そうとする望。  
だが、その進行方向を遮るように、望の眼前に突然一本のスコップが突き立った。  
「な……っ!?」  
「先生、覚悟を決めてください……」  
床に刺さったスコップを引き抜いて、ゆらり、望の前に現れたのは可符香や晴美と同じ望のクラスの女子生徒  
「木津さん、あなたがどうしてっ!!?」  
前回、望が女装をさせられた時には参加していなかった彼女がどうしてここにいるのだろうか?  
「今回は、私がきっちり監督させてもらいましたから、きっと前の服よりも先生に似合う筈です!!!」  
「なななな………っ!!!?」  
可符香と晴美だけでも望の手に余る強敵だというのに、この上彼女までが参加していようとは……。  
目の前の千里に睨まれ、背後から迫る可符香と晴美の足音に追い詰められ、まさに望は絶体絶命である。  
だが、しかし………。  
「捕まってたまるものですか―――っ!!!」  
望はそのまま前へ進むのでもなく、後ろに退くのでもなく、廊下の右手にあった教室へと飛び込んだ。  
「あっ!!?」  
思いがけない望の行動に、千里が望の入った扉からその教室に突入する。  
しかし、それこそが望の作戦だった。  
学校の教室は大抵前と後ろの両方に扉がある。  
だから、望はぎりぎりの距離まで晴美と可符香、千里を引きつけてから  
「しまった!!」  
もう一つの扉から再び廊下に脱出したのだ。  
望はそのまま全速力で走って、廊下の向こうへと駆け抜けて行った。  
 
「う〜ん、先生も結構やるね……」  
望を取り逃してしまったというのに、どこか楽しげな、余裕のある声で可符香が言った。  
「それだけ先生も必死なんだよ」  
その台詞に答えた晴美ものんびりとしたものである。  
「できれば、私の手で先生を捕まえたかったんだけどね……」  
千里も少しばかり悔しそうだが、その態度は落ち着いたものだ。  
「それじゃあ、先生捕獲作戦は他のみんなに任せようか」  
最後に、可符香がそう言ってにっこりと笑うと、千里と晴美も同じようにいかにも楽しそうな笑顔で肯いたのだった。  
 
「……ぜぇぜぇ…どうやら…まだ追いついては来ないみたいですね……」  
可符香達から逃げ出した望は、未だ追っ手が自分の背後に現れない事にホッとしながら呼吸を整えていた。  
とはいえ、これから先も彼女達の追跡は続くだろう。  
それをどう凌ぐかが大きな問題だった。  
本気になった2のへの絶望少女達を相手にするのは恐ろしく困難な事である。  
先ほどは上手く逃げおおせたが、あんな幸運はそうあるものではない。  
「どこか、安心できる隠れ家があるといいのですが……」  
望は可符香達の魔の手から確実に逃れられる場所はないものかとしばらく思案するが、なかなかいいアイデアは浮かばない。  
命の病院や倫の家など望の家族に匿ってもらったのでは、すぐにバレてしまうに違いない。  
かといって、学校の近辺で頼れる人間などそうはいない。  
考えあぐねた望の足は自然とある場所へ向かっていた。  
 
「あ、先生、おかえりなさい」  
「ただいま、小森さん」  
結局、望が選んだ行き先は、現在、望が暮らしている宿直室だった。  
ヘタに学校を離れるよりも、住み慣れたこの部屋に閉じこもっていた方がまだ安心できる気がした。  
(小森さんや交なら信用しても大丈夫でしょう……)  
ここは素直に事情を話して、可符香達がやって来ても帰ってもらうようにと、霧にお願いするのがいいだろう。  
可符香達も霧を相手にあまり強引な手段に出る事はあるまい。  
というわけで、望は早速、自分が現在置かれている状況について霧に伝える事にした。  
「あの、小森さん、少しお話があるんですが……」  
何やらちゃぶ台の上に広げられたこまごまとした道具を整理している霧に、望は話しかけた。  
「どうしたの、先生?」  
「いえ、ちょっと困った事になっているので、小森さんに少しだけ助けていただきたいんですよ」  
「困った事?」  
霧は道具を整理する手を止めて、望の顔をきょとんと見上げた。  
「はい。実はですね……」  
望は霧に、ウェディングドレスを持って今も自分を探し回っているであろう可符香や晴美、千里のことを話した。  
「……というわけなんです。だから、あの三人がやって来ても…」  
「大丈夫だよ、先生。ぜんぜん、心配しなくていいから」  
望の話を聞いた霧がそう言って、にっこりと笑うのを見て、望もほっと胸を撫で下ろす。  
だが、霧の次の言葉で、望の全身は凍り付いてしまう。  
「大丈夫……私達がちゃんと先生を綺麗にしてあげるから!!」  
「……へっ!?…こ、小森さん!!?」  
そして、望は気付く。  
さきほどから、霧が整理しているのは、各種の化粧道具である事に………。  
「小森さん、これは一体どういう……!?」  
腰を浮かせて立ち上がった望が、じりじりと霧から離れていく。  
だが、突然背後から回された手に体を抱きしめられて、望はそれ以上後退できなくなってしまう。  
「私達もきれいになった先生を見てみたいんです」  
「つ、つ、常月さん!?あなたまで、何を考えて……!!!」  
いつの間にやら後ろに立っていたまといにホールドされて、望のパニックは最高潮に達した。  
「ごめんね、先生。私達も可符香ちゃん達の仲間だったんだよ」  
「う、ウソでしょう?」  
「だって、前に先生が女装した時の写真を可符香ちゃんが見せてくれて、それが、その、あんまり可愛かったから……」  
「も、も、も、も、もういいですっ!!!もうこれ以上何も言わないでくださいっ!!!!」  
望はそう叫んで、霧のそれ以上の発言を断ち切る。  
そして、改めて宿直室の中を見渡して、そこに起こったある異変に気がつく。  
大きな姿見の鏡がいつのまにやら部屋の隅に設置されている。  
もしかしたら、望がここへ逃げ込む事など彼女達には最初からお見通しだったのではないか?  
そんな事を考えていると、宿直室の扉がガラガラと勢いよく開いた。  
 
「あ、先生!!やっぱりここに戻って来てたんですね!!!」  
開いた扉の向こうには、嬉しそうに微笑む可符香を先頭に、晴美と千里、そして先ほどはいなかった2のへの女子生徒達までが立っていた。  
「心配しないでくださいね、先生。私、お化粧してあげるの、結構上手なんですよ」  
にっこりと柔らかな笑みを湛えた大草さんが、宿直室の中に入ってくる。  
【まあ観念する事だな、タコ】  
パシャリと、芽留が携帯のカメラで望の姿を撮る。  
「えへへ、先生ごめんね。私も先生のウェディングドレス姿、ちょっと見たいかも」  
ぺこり、と一応頭を下げてみせるものの、明らかに楽しそうな奈美。  
「ウェディングドレスには、きっとこの尻尾が似合うと思うんだけど……」  
「あんまり色々ゴテゴテとつけるのも、あんまり良くないんじゃない?」  
「そうかな?」  
「そうよ」  
さまざまな尻尾の入った紙袋を持ったあびると、その言葉に答えるカエレ。  
「み、み、みなさん……」  
次々と姿を現す絶望少女達に、望は絶句する。  
彼女達は最初から全員グルだったのだ。  
「それじゃあ先生、みんなで綺麗にしてあげますからね!!」  
コレ以上ないくらい嬉しそうな表情で笑う可符香を前にして、もはや望には返す言葉など何一つなかった。  
 
以下、望にとってはあまりにも惨たらしい場面が続くため、しばらくの間台詞オンリーで話を進めていく。  
 
「うわあ、前々から思ってた事だけど、こうして間近で見るとやっぱり先生の肌って白くてキレイ……」  
「いやああああっ!!!脱がせないでっ!!脱がせないでぇええええっ!!!!」  
「いやだなぁ、先生。脱がなくちゃ、せっかくのドレスを着られないじゃないですか」  
「素材がいいから、お化粧すると余計に引き立ちますね」  
「うわっ!ほんとだ!!下手したら本物の女の子の私達よりきれいになるんじゃ……」  
「ちょっ!?下着には……下着だけは勘弁してくださいっ!!!」  
「いやだなぁ、そんなデリカシーのない事、私達がするはずないじゃないですか」  
「そ、そ、そうですよね?そんな無茶なこと、いくらなんでも……」  
「だから、先生は一旦向こうでコレに穿き替えて来てください」  
「いやぁああアああああああああああああああああああああっ!!!!!」  
 
それから都合3時間は経過しただろうか?  
絶望少女達による丹念な仕事によって、望は完璧に生まれ変わっていた。  
「先生っ!!きれいですっ!!!先生っ!!!」  
感嘆の声を上げながら、何度もまといがカメラのシャッターを切る。  
ストロボフラッシュを浴びて浮かび上がるのは、純白の花嫁の姿だ。  
「う、うううう……もうお婿に行けません……」  
力なくその場にへたり込んだ花嫁、糸色望は力なく呟いた。  
もはや抵抗する気力もなくした望だったが、その憂いを帯びた表情が余計にその美しさを増幅させている事には気付かない。  
男性的な体のラインをある程度誤魔化せるようにデザインされたドレスの効果と、元来の望の線の細さの相乗効果によって、  
完成した花嫁望のたたずまいは、触れただけで花びらを散らしてしまう繊細な花のような儚げな美しさを醸し出していた。  
大草さんが中心となり晴美や霧がアシストしたメイクも、望の顔立ちの元からの美しさを最大限に引き出している。  
まさに完璧以上。  
望のウェディングドレス姿は100点満点中120点の最高の仕上がりだった。  
 
「先生っ!!最高ですっ!!!もうたまりませんっ!!!!」  
「うんうん。一分の隙もなくきっちりと仕上がったわね!!!」  
満足げな晴美と千里の表情が辛くてふと顔を背ける。  
しかし、今度は視線を向けたその先に、望は例の大きな姿見の鏡とその中に映る自分の姿を目にしてしまう。  
一見すると、誰もが目を見張るような美しい花嫁の姿。  
だが、それは確実に望自身なのである。  
(もう嫌です……どうして私がこんな仕打ちを……)  
現在の自分の姿を再認識させられ、望はもはや泣き出しそうな様子だ。  
「ああっ!!先生、その表情いいですっ!!!やっぱり、先生は素敵すぎますっ!!!!」  
そんな望の気も知らず、撮影係のまといはさらにエキサイトしていく。  
と、そんな時だった。  
「宿直室……でいいのかな?」  
「中から人の気配もするし、間違いないだろ。さっさと入ろうぜ」  
宿直室の扉の向こう、廊下の方から何やら数人の男子の声が聞こえてきた。  
しかも、その全てに望は聞き覚えがあった。  
彼らは全員、望のクラスである2のへの男子生徒達だ。  
「ちょ、待ってくださいっ!!!今入ってこられたら……っ!!!」  
「失礼しまーす」  
さらなる悪夢の襲来に悲鳴を上げた望の祈りは、天に届く事はなかった。  
ガラガラと開いた扉の向こうにいたのは、教室ではお馴染みのメンバーだ。  
「あ……えっ!?……先生!!?」  
宿直室内部の状況を目にした男子達は、一人残らず石化したように固まってしまった。  
「あ!みんな来てくれたんだね」  
嬉しそうな可符香の声も、彼らの耳にはほとんど届いていなかった。  
久藤准、木野国也、青山、芳賀、それから臼井の計五人は目の前の花嫁の姿を凝視したまま、みるみる顔を赤くしていく。  
どうやらこの五人、今日ここで何が行われているか、何も知らされないまま集められたようだった。  
恐らくはこれも可符香あたりの手配だろう。  
彼らが一様に顔を赤くしたのは、何よりもひとえに花嫁望の美しさのためであった。  
だが、彼らの脳は次第に正気を取り戻し、それが担任教師の女装姿である事に気付く。  
男性が女性の服を着るなんて変だ。  
最初の衝撃が過ぎ去ってから浮かび上がってくるのは、そんなありふれた常識的思考だ。  
だが、それは彼らをさらなる混乱に突き落とす事になる。  
男が女の格好するなんておかしいのに、今目の前にいる望は間違いなく男だというのに、  
『美しい』、そう感じる気持ちがいつまで経ってもなくならないのだ。  
やがて、困惑の渦に捕らわれたまま、彼らの一人、木野国也がぽつりと言った。  
「先生、きれいだ……」  
「き、木野君…何を言ってるんです!?」  
「あ、き……きれいです、先生……」  
「久藤君までっ!!!?」  
二人の言葉に呆然とする望に、さらなる追い討ちがかけられる。  
「な、なあ、芳賀……お前、あの先生見てどう思う…?」  
「う……う〜ん………そうだな………ア」  
「……ア?」  
「アリアリ……かな?」  
もはや男子達の間には、この先生はきれいという事でOKという共通認識が出来始めていた。  
望にはもう、この状況に抵抗する気力など一かけらも残されていなかった。  
そして………  
「ほら、先生、今度は外で撮影しましょう。私、近所の結婚式場の人と友達で、後で使わせてもらえる事になってるんですよ」  
きらきらと輝く瞳を望に向けて、これからの予定を語る可符香に手を引かれるまま、  
ほとんど生きた着せ替え人形となった望は宿直室を出て行ったのだった。  
 
宿直室に集まった2のへの生徒達は望を校内、校外のさまざまな場所に連れ出して撮影を行った。  
「そうです先生、こっちに視線を向けて、そうそう、そうやって微笑んで……」  
すっかりカメラマンとしてハッスルしているまといに指示されるまま、望は笑いポーズを取り、あらゆる角度から写真を撮られた。  
さらに撮影の一部始終はカエレの持参したハンディカムによって撮影された。  
「ウェディング先生の写真集には初回特典としてメイキングDVDが付属するんです」  
そんな可符香の言葉を聞かなかった事にしながら、望は被写体としての自分の役目に専念した。  
とにかく、少しでも早くこの時間を終わらせたい、その一心だった。  
さらに付け加えるならば、少しでも余計な事を考えてしまうと、現在の自分の姿を恥ずかしがるだけの理性が戻って来そうで恐ろしかったのである。  
予定通り可符香の知り合いに結婚式場を使わせてもらっての撮影も終わり、ようやく望が解放されたのは午後の七時を回った頃だった。  
「やっと……やっと終わりました………長かった…」  
現在、望は2のへの教室のカーテンを閉め切って、一人で元の服に着替えている所だった。  
女子達はウェディングドレスを脱がせるのも自分達の手でやろうとしたが、望はそれを断固辞退した。  
というわけで、2のへの面々は今日は解散し、望はようやく自由を取り戻したのだった。  
自分の着物に袖を通すと、いつもなら何でもないその布の肌触りがひどく懐かしく感じてしまう。  
化粧も落とし、袴を穿いて、ようやくいつも通りの自分の姿を取り戻すと、望の肩に今日一日の疲れがどっと押し寄せてきた。  
「うぅ…まさか…二度もこんな目に遭わされるなんて……」  
可符香と晴美に女装させられた前回の記憶と、それよりもさらにハードになった今回の記憶を思い出して、望は深く深くため息をつく。  
悪い夢だというのなら、そう思ってしまいたかった。  
しかし、ちらり、望が傍らを見ると、今日一日自分が着ていたウェディングドレスが椅子に引っ掛けられている。  
それこそがまさに、今日の出来事が紛れもない現実であった事の証拠だった。  
「写真集を作るという事は、今回の一件がいつまでも記録として残されるという事ですよね……」  
出来るならさっさと忘れてしまいたい。  
だが、そういう訳にもいかないだろう。  
恐らく写真集完成の暁には、もう一度くらい今日のような大騒ぎをやるハメになりそうな気がする。  
「そうですね。たとえば……販促キャンペーンとか言って、もう一度女装させられたり……ありそうな話です」  
「なるほど、それはいいアイデアですね。流石は先生です!!」  
独り言のつもりだった言葉に、突然返答を返されて驚いて振り返ると、そこには今回のウェディング望を企画した少女が立っていた。  
「ふ、風浦さん……どうしてここにいるんですか!?今、この教室は私の着替え専用スペースになっているんですよ!!?」  
「さっきからノックはしてましたよ。でも先生が気付いてくれないから……」  
「だからって、勝手に入って来ては駄目じゃないですか!もし私がまだ着替え中だったら……」  
「いやだなぁ、先生の着替えなら、今日はたっぷり見させてもらいましたから、そんなの今更ですよ」  
「そんな事思い出させないでくださいぃいいいいいいっ!!!!」  
再び今日一日の記憶がぶり返し、望は頭を抱えてうずくまる。  
「宿直室で、小森ちゃんが今日の写真を何枚かプリントアウトしてくれてますから、後で見てくださいね。すっごく良く撮れてるんですよ!」  
「そんなの見たくないです〜っ!!」  
「藤吉さんと千里ちゃんが編集を始めてくれてますから、写真集も今月中には完成すると思いますよ」  
「いやぁあああああああああああっ!!!!!!」  
2のへの担任となってから随分と月日が流れたが、これ程ハードな状況が他にあっただろうか。  
可符香の発言の一つ一つに、望はまるで魂を抉られるようなダメージを感じて叫ぶ。  
可符香はそんな望の様子を、クスクスと楽しそうに笑いながら眺めていたのだが………  
「……………」  
「……どうしたんですか、風浦さん?」  
望はふと、可符香の視線がある物に向けられている事に気がつく。  
可符香が先ほどからじっと見つめているのは、今日望が女装に使用したウェディングドレスだった。  
「きれいですよね。このドレス……」  
先ほどまでの、悪戯を楽しんでいるような雰囲気とは少しだけ違った声音。  
また今日の事について茶化されるのだろうと思っていた望は何となく返答に詰まってしまう。  
 
可符香自身もそれにすぐに気付いて、誤魔化すように殊更明るい声で口を開く。  
「せ、先生もほんとにドレス似合ってましたよ。流石は100万人に『女の子』って言われただけの事は……」  
「風浦さん」  
だけど、望には何となく、ドレスを見つめていた可符香の気持ちが理解できるような気がした。  
だから、望は可符香に向かってこんな言葉を投げかけてみた。  
「私も、見てみたいですね」  
「えっ!?」  
望はウェディングドレスを取り上げて、可符香に手渡して言葉を続ける。  
「私ばっかりじゃ不公平だと思うんですよ。だから、私も見てみたいんです」  
「………先生、何を言ってるんですか?」  
ドレスを手渡された時点で望が何を言わんとしているかは可符香にもわかっていた。  
それでも問い返した彼女の言葉に、望はにっこりと笑ってこう答えた。  
「私も、風浦さんがウェディングドレスを着たところを見てみたいんですよ」  
予想済みの答えだった筈なのに、可符香の顔は望の言葉を聞いてみるみる赤くなっていく。  
「でも、その、サイズが全然合いませんから……」  
「ええ、だから、無理にとは言いません。あくまで私の我がままですよ」  
「は、はい……」  
そして、望は可符香の顔を覗き込みながら、こう問いかけた。  
「風浦さん、そのウェディングドレス、着てみてくれませんか?」  
 
結局、可符香は望の頼みに首を縦に振った。  
「………先生に気を遣わせちゃったな」  
痩せ型であるとはいえ男性であり、身長もかなり高い望に合わせて作られたドレスに、可符香は袖を通す。  
今日の一件で使った小さな手鏡に映る自分の姿だけを頼りに、持ち合わせていたヘアピンを使って可符香の体に合うように布を固定していく。  
一応、スカート部分の丈も調整して、なんとか可符香にフィットするように調整したのだが  
「やっぱり、そんなにキレイには仕上がらないなぁ……」  
ヘアピン固定で無理矢理可符香サイズに合わされたドレスは、至る所に不自然な皺が出来てお世辞にも綺麗に着こなせているとは言えない。  
だけど、仕上がりの出来・不出来とは別に、手鏡に映る自分の姿を見つめる可符香の胸は奇妙な高揚感に満たされていた。  
(ウェディングドレスに憧れてるなんて、ちょっと恥ずかしくて言えないよね……)  
実はこのドレス、晴美と可符香の手によって製作されたものだった。  
望にサイズがピッタリだったのは、まといからの情報を基にして作ったからである。  
望にこの純白のドレスを着せる日を夢見ながら、毎日せっせと細かな作業を行っていた可符香だったが、  
ある時、思った。  
もし、こんなウェディングドレスに自分が袖を通したのなら……  
「先生は、なんて言ってくれるかな?」  
自分のウェディングドレス姿を、大好きな人に見せたい。  
そんな少しだけ子供っぽい願望は、日を追うごとに可符香の中で膨らんでいった。  
しかし、望が可符香のそんな気持ちを汲み取ってくれたのは全くの計算外だった。  
望にウェディングドレスを着させようとあの手この手で追い詰めたり、  
そういった事には頭が回る可符香だったが、今は自分のドレス姿を見た望がどんな感想を抱くのかで頭がいっぱいだった。  
「あはは、やっぱり私、こういう事はへたっぴなんだなぁ……」  
苦笑いして、可符香は呟く。  
遠まわしだったり、天邪鬼だったり、ひねくれてたり、自分がストレートに思った事を表現できない人間である事は自覚していた。  
だけど、そんな自分の気持ちを、望はさりげなく見ていてくれた。  
それが今の可符香には嬉しかった。  
「さて、じゃあ、そろそろ先生に入って来てもらおうかな」  
ゆっくりと、可符香は望がその外で待っているであろう扉の方に視線を向け、そちらに向かって歩き出した。  
 
壁に寄りかかって、可符香の着替えが終わるのを待っていた望。  
その目の前で、ゆっくりと教室の扉が開いた。  
「もう、入って来てもいいですよ」  
恥ずかしがっているのか、扉の影に隠れているらしい可符香の声が望を呼んだ。  
「それでは、風浦さん、失礼します」  
望はその声に従って扉をくぐり、そして、見た。  
「…風浦さん…」  
目を見開き、望はその姿をじっと見つめた。  
「やっぱり、先生用に作ったドレスですから、あんまり上手く着られませんでした……」  
弁解するようにそんな事を言いながら、スカートを摘んで可符香はその場でくるりと一回りする。  
だが、そんな可符香に対して、望はただ無言で、少しばかり驚いたような表情で立ち尽くしているだけだ。  
「せ、先生?」  
無言の望を見て、可符香の心が不安に揺れる。  
最初から理解はしていたけれど、やはりサイズの違いが大きすぎたか。  
せっかく望がこちらの気持ちを汲んでくれたのだけれど、やっぱり無理があったのだ。  
(ちょっと…残念かな……)  
可符香は落胆をなるべく顔に出さないように、未だ無言の望に語りかけて  
「先生のご期待には応えられなかったみたいです。すみませ……」  
「きれいです」  
その台詞を最後まで言い切る前に、望の口から漏れた呟きによって思考を寸断された。  
「えっ!?えっと…せんせい,何を…?」  
「何て言ったらいいのか……すごく…すごくきれいです。似合っています、風浦さん……」  
そこでようやく可符香は気付いた。  
望の顔に浮かんだ驚きの表情の意味に……。  
「あの、すみません。……まさかこんなに似合うなんて思っていなくて、一瞬、何を言っていいのか解らなくなってました」  
ゆっくりと赤く染まっていく望の顔。  
それを見つめる可符香も同じく、顔がカーッと熱くなるのを感じていた。  
顔を真っ赤にして見詰め合う二人の胸の内は、いつの間にやら戸惑いと照れくささでいっぱいになっていた。  
「あ、ありがとうございます……。そんなに褒めてもらえるなんて思ってなかったから……」  
「いえ……私が風浦さんに無理に頼んだ事ですし、こちらこそ……ありがとうございます」  
ぺこり、望と可符香は互いにぎこちなく頭を下げる。  
その時である。  
可符香はうっかり、丈の長いスカートの裾を踏んづけて、体のバランスを崩してしまう。  
望はとっさに彼女に向かって腕を伸ばし、可符香の体は、ぽすん、と望の懐へ倒れこんだ。  
もはやお互いに気恥ずかしさは最高潮。  
見下ろす望と、上目遣いに見つめ返す可符香、二人の視線は絡まり合い、お互いを求め合うようにそれぞれの両腕が背中に回されていく。  
「あの…先生……ありがとうございました…」  
ぽつり、可符香が呟いた。  
「お礼なんて必要ないですよ。そもそも、私のわがままを聞いてもらっただけの話しですから……」  
可符香が何の事を言っているのか何となく理解した望は、それだけを言ってそっと微笑んで見せた。  
抱きしめて抱きしめられて、至近距離で見詰め合う二人。  
「あの……もう一度、言ってくれませんか?」  
「もう一度?」  
「はい。もう一度、さっきの言葉を……」  
恥ずかしそうに、小さな声で囁いた可符香の言葉に、望は肯いた。  
「きれいですよ、風浦さん……」  
「先生………」  
やがて、二人っきりの教室の中、望と可符香は惹かれ合うようにして互いの唇を重ねたのだった。  
 
それから何度、二人は唇を重ね続けただろうか?  
いくつかの隣接する机同士をくっつけ合わせたその上に、背中を預けた可符香の姿を見ながら、望は改めて思う。  
(…本当にきれいですね……)  
純白の花嫁衣裳はそれを身につけた可符香の美しさを、可憐さをさらに引き立てていた。  
細かなレースや刺繍による飾りつけは、彼女本来の繊細さを思い起こさせる。  
本来ならば望に合わせたサイズであるため大きく布が余ってダボダボになってしまう筈のドレスだったが、  
可符香が応急処置的に行ったヘアピンを使った仮止めによって、ほとんど違和感は無くなっている。  
2のへの女子達の私服はみな洒落ていたが、彼女がここまでのセンスを見せるとは予想外だった。  
一見すると、このドレスはまるで可符香のためにあつらえたかのようにさえ見える。  
そしてこの姿、この衣装を見ていると、どうしても意識してしまう事が一つ………。  
「えへへ、なんだか本当に先生の花嫁になったみたいですね」  
恥ずかしそうに、可符香が笑う。  
望もまた同じ気持ちだった。  
この少女と将来を共にしたい、そう強く願っている望だったが、少なくとも現時点で二人が結ばれるには色々と障害が多すぎた。  
何年か先の将来、いつか必ず、とは思っていたが悲しいかな『さよなら絶望先生』は同じ学年を何度も繰り返すぐるぐる漫画である。  
その時がいつになるのやら、望にも全く見当がつかない。  
だが、今ここに望と可符香、二人の願いが具体的な形をとって存在していた。  
否応もなく、二人の感情は昂ぶっていく。  
「風浦さん……」  
「あ……せんせ…」  
そっと、望の手の平が可符香の頬に触れ、そのまま首筋を撫でて、純白に覆われた乳房に触れた。  
「ふあ……ああっ……」  
ドレスの薄布越しの触れ合いは互いの肌の熱を、指先の繊細さを逆に際立たせ、望と可符香の興奮を一気に加速させた。  
望に触れられる度に可符香の体がピクンと反応して、ドレスの裾が舞い上がり揺らめく。  
あくまで優しく繊細に、しかし絶える事無く続く愛撫によって、可符香の呼吸は徐々に乱されていく。  
「うあ……あぁ…先生……ひゃ…あぁんっ!」  
さらに、追い討ちをかけるように望は可符香の耳たぶにキスをして、さらに甘噛みする。  
首筋に鎖骨、白い肩、可符香の肌のドレスから露になっている部分全てにキスマークを残して、望の行為はさらにヒートアップしていく。  
ドレスの胸元の部分をずらして露になった乳房の、そのピンク色の先端を摘み、何度も指でこねまわす。  
痺れるようなその快感に踊る可符香の体を抱きすくめ、望はさらなる刺激を彼女に与えようと今度は乳房全体を手の平で揉みしだく。  
「あっ…ああっ……せんせ…せんせぇえええっ!!!!」  
「風浦さん……可愛いですよ………んっ…」  
「ふあ?…あ…んむぅ……んんっ……」  
押し寄せる快感の多重攻撃にもう息も絶え絶えの可符香の唇を、望の唇が塞いだ。  
小さく開いた口の隙間から舌を差し入れると、可符香も同じように舌を突き出し、絡ませて応えてくれた。  
何度も何度も、短い息継ぎの時間を挟んで、夢中になって互いの唇を、舌を味わう二人。  
快楽と熱情に理性を蕩かされていく中で、望と可符香は幾度も視線を交し合った。  
自分の事をまっすぐに見つめ、求めてくれる愛しい人の存在。  
それを確か合うかのように、二人はより激しく、深く、お互いの唇を重ね合わせる行為に没入していく。  
「…ん…くぅ……んっ!…あぁ…ふあ…あ…うむぅ…んんっ……んぅううううっ!!!!」  
その間にもより一層の激しさを増して、望の可符香に対する愛撫は加速していく。  
体中を幾度と無く駆け抜ける快感の電流に震える可符香の細い太ももの間を通って、  
望の指先はついにスカートの裾をくぐり、彼女の一番敏感な部分に触れる。  
「ひあっ…あ……せんせいのゆびが……っ!!…っあああっ!!!!!」  
ショーツ越しに触れられるだけで爆発する、焼け付くような強烈な快感。  
悩ましげに表情を歪め、可符香は体を弓なりに反らせて全身を震わせる。  
そうして無防備に曝された白い首に、望はさらに舌を這わせる。  
「ふあっ…あ…くふぅうんっ!!…だめぇ…せんせ…そんなされたら私、へんになっちゃうよぉ!!!」  
快感で快感を上塗りしていくような、まるで快楽の泥沼に沈んでいくようなその感覚に、可符香は思わず声を上げる。  
だが、それは望とて同じようなものだった。  
あふれ出す熱が、愛しさが、望をどこまでもこの行為に駆り立てるのだ。  
止まる事もできず、深みに嵌って溺れる人のように、望は可符香に触れることをやめられない。  
 
手の平から伝わる熱、震え、間近に感じる吐息、その全てを漏らす事無く受け止めたかった。  
彼女の、可符香の全てが欲しい。  
純白の花嫁衣裳に包まれた少女の姿は、望が、可符香が、互いに夢見る将来の鏡写しだ。  
まだ訪れる筈のない未来を可符香のウェディングドレス姿に垣間見てしまった事が、望の感情から歯止めを無くさせているのかもしれなかった。  
「風浦さん、愛していますよっ!!!」  
「っあああああああ!!!?…せんせい……ふぁああああああああっ!!!!」  
そして、ついに望の指先によって、可符香は軽い絶頂にまで押し上げられる。  
全身から力が抜けて、望の腕の中にくてんと倒れこむ可符香。  
望はそんな可符香の様子を見て、心配そうに声を掛けた。  
「だいじょうぶですか?すみません、なんだかやりすぎてしまったみたいで……」  
「いやだなぁ…先生、大丈夫ですよ。……それに、私だって同じなんですよ……」  
だが、望の言葉に応えた可符香は息を切らしながらもニッコリと笑って見せた。  
可符香もまた、とめどなく襲い掛かる快楽の嵐の中に、望の存在を、その想いを強く感じ取っていた。  
だからこそ、可符香の心と体もまた、熱く激しく望を求めて暴走した。  
(いつか、もっとちゃんとしたドレスを着られる時まで、その時まで先生と一緒に……そして、その先もずっと…)  
ドレスの存在が、自分の、そして望の強い想いを改めて実感させてくれた。  
だから、可符香は微笑んで、望に言うのだ。  
「先生、きてください……」  
「風浦さん……」  
望は可符香の体を優しく抱き寄せ、彼女の額に軽くキスをする。  
可符香はくすぐったそうに笑って、お返しとばかりに望の唇を自分の唇で塞ぐ。  
望の手が可符香のショーツを脱がせ、露になった大事な部分に望の大きくなったモノがあてがわれる。  
「あ……先生……」  
「風浦さん、いきますよ……」  
望がゆっくりと腰を前に突き出して、可符香への挿入を開始する。  
望のモノが少しずつ可符香の体の奥に進んでいく度に、熱く濡れた粘膜同士が擦れ合って強烈な刺激を二人にもたらす。  
「くぅ…風浦さん……っ!!」  
「ああっ…せんせ……せんせぇえええっ!!!」  
押さえきれずにもれ出てしまう声の合間に互いの名前を呼び合いながら、二人は溢れ出る快楽と熱情の渦に溺れていく。  
望が腰を動かす度に、可符香は目元に涙をためて、体をくねらせて切なげに啼く。  
望はそんな可符香が愛しくて、目を逸らす事も出来ず、乱れる彼女の姿を見つめ続ける。  
二人は互いの手と手を合わせ、指を絡ませ合い、快感の電流が走るその度にその手にぎゅっと力を込める。  
「ひうっ…くぅんっ!!…ひゃああっ!!あっ…ああああああっ!!!!」  
くちゅくちゅと響く水音と、止め処も啼く溢れ出て絡み合う汗。  
何度も口付けを交わした唇と唇の間には唾液が銀色の糸を引く。  
自分が、そして自分の愛する人が、この灼熱の中で乱れていく。  
それを実感させられる事が、二人の興奮をさらに高めていく。  
夢中になって少女の体を突き上げ、その衝撃を受ける度に少女もまた全身で反応してしまう。  
汗に塗れた肌と肌を合わせていると、それだけで体温が上昇していくような錯覚を覚える。  
「ふああっ…うあ…ああああっ!!!…せんせい…せんせ……私、すごく熱くて…もう……っ!!!」  
「…風浦さんっ!!!…風浦さん―――――っ!!!!!!」  
握り合わされた手と手に、強く強く力を込める。  
快感が爆発する度に二人の視界に火花が飛び散り、思考が寸断される。  
しかし、それでも望は、可符香は、愛しい人の事を見失ったりはしない。  
快楽の灼熱が全てを溶かしていく中で、互いの存在だけはより鮮明に感じ取る事ができるようになっていく。  
激しく互いの体を絡ませ合い、津波のような快楽に翻弄されながらも、二人は互いを求め合い加速していく。  
「…風浦さん…そろそろいきますよ……っ!!!」  
「…せんせ…きてくださいっ…いっしょにっ!!…いっしょにぃいいいいいっ!!!!!」  
やがて際限なく高まっていく熱の中で、二人はクライマックスを迎える。  
その勢いを増し続けてきた快感がついにダムを決壊させたかの如く溢れ出し、可符香と望を飲み込んだ。  
「…ああっ!!!風浦さんっ!!!!風浦さんっ!!!!!!!」  
「ひあっ…あああああああああっ!!!!!…せんせいっ!!!…せんせぇええええええええっ!!!!!!」  
絶頂の中で叫びを上げた二人は、やがて糸の切れた人形のようにその場に崩れ落ちる。  
それでも、望は何とか体勢を保ち、未だ絶頂の余韻の抜け切らない体で息を切らす可符香を愛しげに抱きしめた。  
 
「せんせい……好きです…」  
掠れる声で可符香が囁いた。  
「ええ、私も……」  
そして、望はその言葉に応えて  
「愛していますよ、風浦さん………」  
そっと可符香の頬に口付けたのだった。  
 
それから数日後、望女装計画の余韻も騒がしい日常生活に流されて、望は普段どおりの生活を取り戻したかのように見えた。  
だが、しかし、教室の中に致命的な変化が起こっている事に望はちゃんと気付いていた。  
(ううう……どうしてこんな事になったんでしょう?)  
視線を感じる。  
戸惑いながらも望に熱い眼差しを送る者の存在を感じる。  
それは……  
「それじゃあ芳賀くん、続きを読んでください……」  
「あ、……は、は、は、はい……!!」  
数日前にはなかった反応。  
望に向けられる男子達の視線が明らかに以前のものから変化していた。  
全ては女装事件の後遺症とも言うべきものだった。  
2のへの女子達は事が終わった後はすぐにいつも通りに戻ったのだが、男子達はそうはならなかった。  
女装させられた担任の男性教師に思わずときめいてしまったという経験は、女子達よりも男子達にとってより衝撃的な経験だった。  
忘れようとしても思い出してしまう。  
ウェディングドレスを着た望の可憐な姿が頭から離れないのだ。  
おかげで、2のへの男子のほとんどが望の授業中に顔を赤くして俯いているという有様である。  
「ホント、参ってしまいました……」  
「先生も大変ですねぇ……」  
というわけで昼休憩、がっくりと肩を落とした望の頭を、可符香がよしよしと撫でる。  
「……って、今回の事を企画したのは、あなたと藤吉さんじゃないですかっ!!!」  
「えへへへへ………ところで先生、次は何を着たいですか?」  
「どさくさに紛れて何を言ってるんですか!!次って……この間のでもう十分じゃないですか!!」  
「私もそのつもりだったんですけど、ほら、予想外の需要が開拓できたじゃないですか」  
可符香はそう言って、何人かで集まって雑談をしている男子達に視線を向けた。  
「新しい需要って……」  
「既に男子のみんなにはアンケートを取り始めてるんですよ。今のところ、一番人気はバニーですね」  
「うう……絶望したっ!!何かヤバイ方向に向かっているウチのクラスの男子達に絶望したっ!!!」  
まさに絶望的な事態の進展に頭を抱える望を見て、可符香はクスクスと笑う。  
すっかり意気消沈した望だったが、目の前の可符香の笑顔に、  
ふとあの時のウェディングドレスをまとった彼女の笑顔を思い出す。  
ほんのささやかな願いや、素直な気持ち、風浦可符香という少女はそういった自分の心の声を知らず知らずの内に押し殺してしまう。  
だけどあの時、真っ白な花嫁衣裳に袖を通したとき、彼女は心底嬉しそうに笑っていた。  
複雑怪奇な思考と発言で、自由自在に周囲を惑わす風浦可符香という少女。  
だけど、その奥底には誰よりも繊細で不器用な心を隠し持っている。  
もう一度、あの時の彼女の笑顔を見てみたい……。  
望はそう思っていた。  
「うぅ……わかりました。観念します……ただ、バニーだけは勘弁していただけると嬉しいです」  
「そうですか!きっとみんな喜びます!!」  
「ただ、その代わりお願いがあるんですが………」  
「はい?何ですか?」  
だから、望は彼女の耳元でこんな事を囁いてみるのだ。  
「もう一度、ウェディングドレスを着てみてくれませんか?」  
「えっ…そ、それは……!!?」  
「あの時の風浦さん、やっぱりすごく綺麗でしたから……」  
「先生………」  
今度は、自分の女装用にあつらえたものなんかじゃない、彼女用のドレスを着てもらおう。  
きっと、とても似合うから。  
 
やがて、真っ赤な顔で、照れくさそうに笑いながら肯いた可符香を見て、望もまた、嬉しそうに肯いたのだった。  
 

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