私は今、学校に居る。
薄暗い校内を独りで歩いている。
「はぁ…、進路絶望調査の整理に随分手間取ってしまった…」
長い間放って置いた為、木津さんにこっぴどく叱られてしまいました。
生徒が教師を叱るだなんて、間違っていますね。
おかしな時代に成ってしまったものです。
今日は早く床に着きましょう。
私は、何時の間にか小森さんの部屋と姿を変えた宿直室に手を掛ける。
スムーズに開くものだと考えていたのですが…。
扉は途中で止まってしまいました。
この懐かしい感触は…?
やはり、鎖が幾十にも連なっており私の入室を妨害しています。
これは、私が帰る時には外してくれているはずでは?
「小森さん?」
私は部屋の外から声を掛けますが、返事はありません。
どうしたんでしょうか?
「小森さん…? 居ないのですか?」
しかし、それは有り得ないはず。
彼女は他に類を見ない引き籠り少女なのですから。
此処から出る事が考えられない。
「…せんせぇ?」
予想通り、彼女は居た。
しかし、妙に違和感を感じます。
顔が良く見えない…?
頭まで毛布を被っているのですかね?
「小森さん、どうかしたのですか?」
「…」
どうやら様子が変ですね。
「何にせよ、先ずは鎖を外して下さい」
少しづつ私は焦り出しました。
私の嫌な予感は大抵当たりますからね。
小森さんは私の願いを聞いてくれたようで、一本一本鎖が外されていきます。
開けられた扉をくぐり、私は部屋の中へ。
小森さんは何故か、一生懸命に鎖を巻き直しています。
何のつもりでしょうか…?
「何かあったのですか? 小森さん」
私は少女の後ろ姿に声を掛けましたが、鎖がうるさくて聞こえてないようです。
暫く待ちますか…。
しかし、普段以上にガチガチになったあの扉は開ける気が失せますね。
と、いうよりは開くんでしょうか? あの扉。
ようやく此方に向き直った小森さんに再び質問をします。
「…何かあったのですか?」
少々聞くのが躊躇われましたが、やはり教育者で有る限り避けて通れぬ道の様な気がしますね。
日常の中であまり動く事のない小森さんが此方へとやってきます。
ペタペタという足音が、部屋に篭る。
「…せんせぇ」
何時もの儚げな声で彼女は私の名を呼ぶ。
何だか嫌な予感がします。
先程とは比べ物にならない程に。
これは…、不味いです!
「ど、どうしたのです? 小森さん」
「糸色せんせぇ…」
彼女は私の質問には答えず、胸の中へと頭を埋めてきました。
こ、これは、どうした事でしょうか?
私はもう一度口を開こうとしましたが、胸元からすすり泣く声を聞き断念します。
どう対処すべきか検討がつきません。
…しょうがないので、気が済むまでこのままでいましょうか。
私は彼女の頭に手を添えて優しく抱き締める様にしました。
小森さんに触れた瞬間。
驚いたのでしょうか?
彼女はビクっと体を震えさせましたが、今は落ち着いています。
「落ち着きましたか?」
「…はい」
「何があったか聞かせてもらえますか?」
「………」
彼女は声を出す変わりに、眠たい人の様に一度だけ頷く。
彼女の話は何とも、聞くに堪えがたいものでした。
今朝、彼女が起床する前に部屋に手紙が入れられていたそうだ。
中身は私への恋慕の想いと、彼女への罵詈雑言。
何とも腹立たしい内容でした。
どうやら彼女はその事に頭を悩ませていたようですね。
…情けないと感じます。
色々と、ですが。
はっきりとしない私の態度にも。
手紙で負の想いを伝える誰かに。
「…すみません、小森さん」
「ううん、せんせぇのせいじゃないよ…」
「…」
沈黙の闇。
何時もの私なら喜んで受け入れる環境なのですが、今だけは勘弁して欲しいです。
「………あ、あのね、せんせぇ」
「何でしょうか?」
「…お願い聞いてくれる?」
「はい、何ですか?」
重たい沈黙を破る彼女の声。
普段からお世話になっていますからね。
まぁ、私の許容範囲を越えなければ叶えて差し上げますよ。
しかし、彼女がお願いなんて珍しいですね。
「今日は、一緒に寝てほしい…」
「………はい?」
「やっぱり、駄目、かな…?」
上向きの目線。
伏せ目の私。
当然、視線が絡まります。
「そ、その…」
「…」
うぅ…、無言は辛いです。
何と答えれば良いのでしょうか。
どう考えても、これは了承し難いです。
しかし、断れば小森さんは深く傷付くでしょう。
どうすれば…?
「やっぱり、駄目だよね…」
あぁ…、不味いです。
彼女まで伏し目になってしまいました。
…仕方がありません。
覚悟を決めましょう。
「いえ、構いませんよ。 小森さん」
「…本当に!?」
「えぇ、一緒に寝ましょう…」
大丈夫です。
寝るだけですから。
私は自らにいい聞かせました。
そうと決めれば後はいつも通りでしたね。
夕食に入浴。
授業の準備。
後は寝るだけという状況です。
まぁ、それが大変何ですけどね…。
どうしましょうか。
等と悩む暇もないようで、アッと言う間に布団の準備が終わっています。
仕方ありません。
本当に覚悟を決めますか。
既に毛布にくるまっている小森さんの隣へ身を滑らせます。
温かい。
随分と懐かしい。
人の体温を感じるのは。
「………せんせぇ」
「…何ですか?」
彼女の顔が見えない。
再び私の胸に顔を埋めている。
「私は、邪魔かな…?」
小さく呟く。
「此処に居ちゃいけないのかな…?」
何と儚い。
今にも消えてしまいそうだ。
私は彼女を抱き締めた。
壊れぬように。
そして、何処にも行かないように。
「貴方は、此処に居て良いのですよ」
私の声は彼女のものと変わらない程小さかった。
だが、その振動は鼓膜に届いたようで。
彼女の両腕が私の胴に回される。
あぁ…、こんなにもか細い体で、貴方は耐えていたのでしょうか?
彼女の全てを愛しく感じる。
私の理性が歯止めを掛けたが、あまり意味はないようですね。
教え子に愛され、私もまた愛すのだから。
愛おしく、儚い少女を。