気が付けば、空の彼方から無数の白い結晶が降り続いていた。  
ターミナル駅の薄暗い明かりを反射して、ホームに立つ自分達を包み込むように雪が舞い落ちてくる。  
凍えた空気の中に白い息を吐きながら、可符香は望に問うた。  
「結論、出ちゃってるんじゃないですか?」  
柔らかく問いかけるその言葉に、僅かな震えが混じっている事に可符香自身さえ気付かない。  
「はい……」  
問われた望は少し俯きがちに、僅かに頬を染めて答える。  
(いつもと同じだ)  
可符香は望の答えに寂しく微笑みながら、胸の奥のどこかで奇妙な安堵感を感じながら、それを聞いていた。  
(先生はいつもと同じ選択をして、私達はいつもの日常に帰還する。何も変わらない………)  
行き先の決まったミステリートレインはほどなくこの駅を旅立つだろう。  
それはきっと、可符香の心にわだかまる諦め切れない感情の一かけらに踏ん切りを付けてくれるに違いない。  
だけど………。  
「それじゃあ、行きましょうか?」  
冷え切った彼女の小さな手を、大きな手の平が包み込んだ。  
「あ………」  
「確か……こっちのホームから出る列車だった筈ですが…」  
優しく手を引く望の体温に、可符香の胸は締め付けられる。  
(未練…かな……)  
手の平に感じる望の存在が、忘れようとしている筈の願いを、想いを蘇らせてしまう。  
きっと、望は可符香がどんな気持ちでいるのかなど知る由もないだろう。  
だけど、今の彼女にとってこれは残酷過ぎた。  
可符香は俯いて、ただ望に手を引かれるままに、大勢の乗客たちが行き交うホームを通り抜ける。  
だから、彼女は気付いていなかった。  
望の足が向かう先が彼女の考えている場所と違っている事に……。  
 
「あれ、先生、こっちは……?」  
「ん?どうかしましたか?」  
ふと顔を上げて、可符香は気付いた。  
いつの間にか、自分達がターミナル駅の中でもほとんど人通りのない場所に来ている事に気付いたのだ。  
望と可符香がこれから乗る筈の列車は、実は数ある行き先の決まったミステリートレインの中でも、最も利用者の多いものである筈なのに……。  
「やっぱり、この辺まで来ると駅の構内も寂しくなりますね。……まあ、今まで誰も乗った事のない路線ですから、無理もありませんが……」  
「誰も乗ったことが無い路線なんて、どうしてそんなものが残っているんですか?」  
当然の疑問を可符香が口にすると、望は困惑した表情を浮かべて  
「……それは、まあ……いつかは乗らなきゃならないものでしたから…」  
「……えっ?」  
望の台詞の意味を測りかねているうちに、二人はついにそのホームに到着した。  
「この列車で間違いないようですね……」  
望の視線の先、ホームの端から端まで伸びる長大な列車があった。  
連結された客車の数は数えも切れず、そしてそれを牽引する機関車部分はその他の列車に比して巨大なものだ。  
だが、ホームには望と可符香以外の人影は一切ない。  
今にも消えてしまいそうな、チカチカと瞬く蛍光灯に照らされた無人のホームは、降り続く雪の白さも相まって恐ろしいくらいに寒々しかった。  
「中は暖房がきいてる筈ですし、さっさと乗り込んでしまいましょうか」  
「ま……待ってくださいっ!!さっきから変ですよ、先生!!私たちが乗るのは……先生が選ぶのはこの列車じゃなくて……」  
可符香は遥か遠く、大勢の人で賑わうホームを横目で見ながら叫んだ。  
怖かった。  
自分の知らない選択肢へと手を伸ばそうとする望が恐ろしかった。  
この列車に乗ったが最後、自分がどこへ連れて行かれてしまうのか、不安でたまらなかった。  
だけど、望は震える可符香の手の平をきゅっと握り締めて、  
「これが、私の選択なんです」  
「先生………」  
「だから、ついて来てくれませんか?」  
真剣な眼差しで可符香の瞳を覗き込みながら、望はそう言った。  
可符香は何も言い返す事ができず、ただこくりと肯いた。  
それを見て取った望は可符香の手を引き、列車の入り口へと足を踏み入れる。  
やがて、二人が乗り込んだ列車は舞い散る雪の中、どことも知れない目的地へと延びる鉄路へとゆっくり滑り出していった。  
 
「ターミナル駅に着く直前まで、『先送り』行きの列車に乗ろうと考えていたんですよ」  
暖房の効いた車内、白く曇った窓ガラスを指先でなぞりながら、可符香は望の言葉を聞いていた。  
曇りを拭った窓の向こうに見えるのは、車内の明かりに照らされて浮かび上がる無数の雪ばかり。  
この列車が果たしてどこに向かうのか、可符香には未だ見当もつかない。  
「ただ、その『先送り』というのもあくまで第二の選択肢だったんです。本当は乗りたい路線があったんですが………」  
望の言葉を、可符香はただぼんやりと聞き流していた。  
彼の選択がどうあれ、少なくともこの列車が「あの駅」にたどり着く事はない、それだけは確かなのだから。  
ならば、望が何を選ぼうと、可符香には関係ない。  
「その路線、調べたところでは正常に運行されてないみたいなんです。もしかしたらと思って、ターミナル駅でもよく調べてみましたが、やっぱり駄目でした」  
「あの駅」で、いつも可符香は待っている。  
『彼』を乗せた列車がホームに滑り込んでくるのを待っている。  
ひらひらのフリルに縁取られた傘で、降り続く粉雪をしのぎながら、いつまでも、いつまでも。  
だけど、本当は彼女は知っているのだ。  
『彼』はきっと、自分の待つ駅になんて来てくれないのだと。  
だけど、待つ事だけはできるから。  
待っている間は、もしかしたら『彼』がやって来るかもしれないという希望を捨てずに済むのだから。  
だから、可符香は待ち続ける。  
「だからこその『先送り』だったのですが、ターミナル駅で一つアイデアを思いついたんです。それが、この路線……」  
だけど、その『彼』・糸色望は今、自らの意思で選択肢を選び取った。  
「この路線なら、上手くいけば乗りたかった路線を選んだのと同じ結果が期待できるかもしれない……」  
第一希望の路線に対する代案ではあったけれど、望は『先送り』を行わなかった。  
「あの駅」、即ち風浦可符香という選択肢をいつかは望が選ぶかもしれない。  
その幻想を支える大前提が、今、崩れ去ろうとしていた。  
望が何かを選んだのなら、それ以外の選択肢は振り落とされるのが道理だ。  
消えていく希望を前に、意外なほど冷静な自分に可符香は少し驚いていた。  
だが、それも当たり前の事なのかもしれない。  
「あの駅」は荒れ果てていた。  
さび付いたレールはほとんどが半壊状態で、その上を走れる列車など存在しない。  
ホーム脇には壊れた列車の車両が転がり、既に駅としての体を保ててなどいなかった。  
誰も、来ないからだ。  
誰も彼女を、風浦可符香を選び取る事がなかったからだ。  
待ち続ける可符香自身もそれは身に沁みて理解している。  
きっと「あの駅」に向かう路線など誰の選択肢からも消え去って、とっくに廃線しているのではないのだろうか、と。  
望があの路線を選ぶ可能性など欠片も存在しなかったのだ。  
だから、どこへ向かうとも知れないこの列車で、可符香は全てが他人事であるかのように微笑んでいられる。  
端から存在しなかった希望など、失ったところで痛くも痒くも無いのだから。  
「……でも、ちょっと楽しみです」  
可符香は望に向かって、にっこりと笑いかけた。  
「先生がまさか『先送り』以外の選択肢を選ぶ度胸があったなんて……とても驚いてるんですよ、私」  
「すっげー失礼ですね、あなた。………まあ、否定し切れない辺り、私も情けないばかりですが……」  
「先生がどんな決断をしたのか、すごく興味があります。どんな駅なのか、私、楽しみですよ」  
満面の笑顔で、それこそ内面の葛藤など露ほども感じられない明るい表情でそう言った可符香に、  
望は何故か目を細め、優しげな表情を浮かべて答えた。  
「ええ、私も……そこがあなたに気に入ってもらえる事を、心から願っています……」  
そんな望の顔が、なんだか心に突き刺さるようで、可符香は彼の顔から目を逸らし、窓の外に視線を向ける。  
振り続ける雪はいよいよその量を増し、景色を白く変えていく。  
無人の野を、暗い山並みの合間を、そこに敷かれたレールを辿って、列車は走り続けていった。  
 
それからどれだけ走った事だろう。  
鉄路に降り積もった雪も物ともせず、ついに列車は目的の駅のホームに滑り込んだ。  
「さあ、着きましたよ」  
望に促され、可符香は列車を降りた。  
扉を開けた瞬間、吹き込んできた冷たい風に、可符香はぎゅっと自分の体を抱きしめた。  
外は暗かった。  
どうやら、二人がこの列車に乗ったターミナル駅ほどではないにせよ、それなりに巨大な駅のようだったが、明かりと呼べるものが存在しないのだ。  
唯一の光源は、二人が降りたばかりの列車の窓からこぼれる灯りだけ。  
「先生、ここはどこなんですか……?」  
一体、自分の想い人は、望は何を選択してしまったのか?  
不安を抑えきれず、可符香が尋ねた。  
「じきにわかりますよ」  
一方、望の声には不安らしきものは感じられなかった。  
ただ、何故か、その声音が緊張したようにほんの僅か、震えていたような気がした。  
と、その時だった。  
「あ……列車が……!?」  
ガタン。  
振り返ると、二人を乗せてきた列車がホームから離れていこうとする所だった。  
ずらりと並んだ窓明かりは望と可符香の前をゆっくりと通り過ぎて、やがて線路の彼方へと消えていった。  
「先生……」  
「大丈夫、用意はしてありますよ」  
望はカバンの中から、小さな懐中電灯を取り出した。  
広いホームに一点、小さく点った明かりを片手に、望はホームに立つ柱を調べ始める。  
「……何してるんですか?」  
「いえ、この辺りにホームの電灯のスイッチがある筈なんです」  
足元もほとんど見えない薄闇の中でも、望は迷う事無くホームの上を歩き、柱を一本ずつチェックしていく。  
「先生、もしかして、この駅の事よく知ってるんですか?」  
「まあ、他の人より多くを知っている自信はありますね。……ああ、やっぱりありましたよ、電源ボックス」  
どうやらスイッチの在り処を見つけたらしく、望は声を弾ませた。  
どうやら錆付いてなかなか蓋が開かないらしい電源ボックスを相手に悪戦苦闘する望。  
両手のふさがった彼の代わりに、可符香は懐中電灯で望の手元を照らす。  
「ふんっ!ぬぅっ!!…ぐぬぬぬぬ……っ!!……はぁはぁ…駄目ですね。ビクともしない」  
「代わりましょうか、先生?」  
「いいえ。あなたに代わった途端にこの蓋が開いたりしたら、たぶん私、激しく傷ついちゃうので……」  
凍える空気の中、かじかんだ指で金属製の蓋に、望は挑み続ける。  
懐中電灯を持っているだけで、手持ち無沙汰な可符香はそんな望の背中を見ながら、この駅の事を考える。  
望が選んだ選択肢、その正体は今のところ全く見えて来ない。  
しかも、望の方はこの駅について、どうやら良く知っているようなのだ。  
暗闇に包まれた無人の巨大駅。  
こんな場所だとわかっていて、どうして望はこの駅までやって来たのだろうか?  
「…………寂しい、ところですね?」  
可符香は問いかけてみる。  
「先生は、一体何を決めたんですか?この場所に来る事にどんな意味があるんですか?」  
「……そうですね。…正直、もう他に手段を思いつかなかったからでしょうか……」  
「だから、それはどういう意味なんです?どうして先生は……っ!!!」  
「それは…………おっと、ようやく蓋が開きました。よし、これで……」  
カチャリ、電源ボックスの中、もう長い事使われていなかったらしく、蜘蛛の巣だらけのスイッチを望はONにした。  
作業を終えた望は振り返りながら、可符香に語りかける。  
「これはあくまで代案なんです。この場所に私が来る事自体に、意味なんてありません」  
「それじゃあ何故……」  
ホーム全体の電灯に電気が通って、それぞれの灯りが弱弱しく明滅しながら、周囲を照らし始める。  
「私一人で来る事に意味はない。ですが……」  
ゆっくりと照らし出されていくホームの上、望は可符香の元へ歩み寄る。  
「私とあなたが、二人でここにいる事に意味があるんですよ……」  
「えっ……あっ……!!?」  
一瞬の出来事だった。  
望がのばした腕が、可符香の体を強く強く抱きしめたのだ。  
「ずっとずっと迷い続けていました。ほら、私ってチキンですから……」  
まるで逃すまいとするかのように、必死で縋りついてくる望に、可符香は戸惑う。  
 
「迷って迷って、ようやく自分の心が定まったと思った時には、既に目的地への路線は閉ざされていました。  
正直、絶望しました。自分の意気地のなさのせいで全てが手遅れになってしまったんだって………」  
「せん…せい…?それって……?」  
可符香は思い出す。  
ただ一人、来ない列車を待ち続ける「あの駅」での事を……。  
そうだ。  
あそこで待ち続ける内に、自分の心はいつの間にか諦めと倦怠に侵され、  
気がつけば「待つ」という行為こそ続けていたものの、そこに誰かがやって来てくれる事など考えもしなくなっていた。  
誰も気付かない、気付いてくれない、そんな可符香の絶望がいつしかあの駅へと通じるレールを断ち切ってしまっていたのだとしたら……。  
「でも、まだ最後の手段が残されている事に気付いたんです。だからこそ、あなたをここへ連れて来た……」  
気がつけば、自分達の立つホームだけでなく、暗闇に包まれていたはずの駅全体が煌々とした灯りに照らし出されていた。  
その眩しさに目を細めながらも、可符香は確かに見た。  
ホームの天井から吊るされた看板にハッキリと書かれた、この駅の名前を……。  
「……『糸色…望』………」  
それこそが、この駅の名前、この駅を選ぶという事の意味。  
暗闇の中でも迷わず歩けるほどに、望がこの駅の事を知っていた理由もこれで明白となった。  
そうだ。  
ここは、彼の駅なのだ。  
「……あなたへとたどり着く道を見失った私の、これが最後の賭けだったんです。強引な方法で、申し訳ありませんでした……」  
望が何を言わんとしているのかは明らかだった。  
「選んでくれますか……?」  
可符香は、抱きしめられたままの姿勢で、望の顔を見上げた。  
不安に揺れて怯える瞳は、しかし、まっすぐに可符香だけを見つめている。  
(先生は……選んでくれたんだ……)  
苦しみ、のたうち、それでも可符香の元へと辿り着く術を彼は探し続けていた。  
それは己の運命に疲れ果て、望む未来へと手を伸ばす事を忘れかけていた彼女にラスト・チャンスを与えてくれた。  
「あはは……いやだなぁ……」  
可符香の瞳から、涙が一筋零れ落ちた。  
「自分の生徒を強引に攫って、こんな所にまで連れて来ちゃうなんて、先生、ちょっとした犯罪ものですよ?」  
泣き笑いの彼女は、望の胸に顔を押し付けて、彼の体を抱きしめる。  
「………選んでもいいんですか、先生?」  
そうしてようやく、問い返した彼女の声は震えていた。  
「あなたに、傍にいてほしいんです」  
望は固い抱擁を解いて、その代わりに可符香の肩にそっと両の手の平を置く。  
そして、望を抱きしめる可符香の両腕に、ぐっと力が込められた。  
それが、彼女の答だった。  
もう離れない。離さない。  
やがて、ゆっくりと顔を上げた可符香の唇に、望は自分の唇を近づけていく。  
「風浦さん……」  
「先生………」  
重なり合う二人の吐息、二人の体温。  
互いの気持ちを確かめ合うような、長い長いキス。  
そして、二人っきりのホームの上で、二人はようやく心の底からの笑顔を交し合えたのだった。  
 
 
 
 
 
………これでお話はおしまい。めでたしめでたしというわけで、舞台の幕は下ろされる筈だった。  
だが、しかし……  
 
「迷って迷って、ようやく自分の心が定まったと思った時には、既に目的地への路線は閉ざされていました。  
正直、絶望しました。自分の意気地のなさのせいで全てが手遅れになってしまったんだって………」  
「せん…せい…?それって……?」  
可符香は思い出す。  
ただ一人、来ない列車を待ち続ける「あの駅」での事を……。  
そうだ。  
あそこで待ち続ける内に、自分の心はいつの間にか諦めと倦怠に侵され、  
気がつけば「待つ」という行為こそ続けていたものの、そこに誰かがやって来てくれる事など考えもしなくなっていた。  
誰も気付かない、気付いてくれない、そんな可符香の絶望がいつしかあの駅へと通じるレールを断ち切ってしまっていたのだとしたら……。  
「でも、まだ最後の手段が残されている事に気付いたんです。だからこそ、あなたをここへ連れて来た……」  
気がつけば、自分達の立つホームだけでなく、暗闇に包まれていたはずの駅全体が煌々とした灯りに照らし出されていた。  
その眩しさに目を細めながらも、可符香は確かに見た。  
ホームの天井から吊るされた看板にハッキリと書かれた、この駅の名前を……。  
「……『糸色…望』………」  
それこそが、この駅の名前、この駅を選ぶという事の意味。  
暗闇の中でも迷わず歩けるほどに、望がこの駅の事を知っていた理由もこれで明白となった。  
そうだ。  
ここは、彼の駅なのだ。  
「……あなたへとたどり着く道を見失った私の、これが最後の賭けだったんです。強引な方法で、申し訳ありませんでした……」  
望が何を言わんとしているのかは明らかだった。  
「選んでくれますか……?」  
可符香は、抱きしめられたままの姿勢で、望の顔を見上げた。  
不安に揺れて怯える瞳は、しかし、まっすぐに可符香だけを見つめている。  
(先生は……選んでくれたんだ……)  
苦しみ、のたうち、それでも可符香の元へと辿り着く術を彼は探し続けていた。  
それは己の運命に疲れ果て、望む未来へと手を伸ばす事を忘れかけていた彼女にラスト・チャンスを与えてくれた。  
「あはは……いやだなぁ……」  
可符香の瞳から、涙が一筋零れ落ちた。  
「自分の生徒を強引に攫って、こんな所にまで連れて来ちゃうなんて、先生、ちょっとした犯罪ものですよ?」  
泣き笑いの彼女は、望の胸に顔を押し付けて、彼の体を抱きしめる。  
「………選んでもいいんですか、先生?」  
そうしてようやく、問い返した彼女の声は震えていた。  
「あなたに、傍にいてほしいんです」  
望は固い抱擁を解いて、その代わりに可符香の肩にそっと両の手の平を置く。  
そして、望を抱きしめる可符香の両腕に、ぐっと力が込められた。  
それが、彼女の答だった。  
もう離れない。離さない。  
やがて、ゆっくりと顔を上げた可符香の唇に、望は自分の唇を近づけていく。  
「風浦さん……」  
「先生………」  
重なり合う二人の吐息、二人の体温。  
互いの気持ちを確かめ合うような、長い長いキス。  
そして、二人っきりのホームの上で、二人はようやく心の底からの笑顔を交し合えたのだった。  
 
 
 
 
 
………これでお話はおしまい。めでたしめでたしというわけで、舞台の幕は下ろされる筈だった。  
だが、しかし……  
 
「ん……あれは?」  
「どうしたんですか、先生?」  
望が何かに気付いたように顔を上げて、可符香も同じ方向に視線を向けた。  
この『糸色望』駅へと続く線路上。  
そこには爆走してくる蒸気機関車の姿があった。  
「何か来てますね、先生………」  
「客車の窓から、見知った顔がいくつも見えるんですが………」  
二人はちらりと、ホームに掲げられた駅名を見る。  
『糸色望』  
そう、ここは彼を選ぶ者のための駅なのだ。  
「機関車の上に木津さんが仁王立ちしてますね。足の裏、熱くないんでしょうか?」  
「千里ちゃんなら、きっと平気ですよ」  
「ああ、窓からあんなに身を乗り出して……小節さんに、日塔さんに……あれ!?小森さんまでいますけど!!?」  
「学校、滅びちゃったかもしれませんね……」  
まあ、当然の結果と言えた。  
この駅を選んだのは、他に方法を思いつかなかったゆえの苦肉の策なのだ。  
これで望を責めるというのも酷な話である。  
「どうしましょう、みなさん、来ちゃいますよ……」  
呆然と呟くばかりの望。  
だが、可符香の対応は違った。  
「さあ、先生っ!!!」  
「えっ!あっ?ふ、風浦さん!?」  
望の手の平をぎゅっと握って、ホームから駅の建物へと向かう彼女は階段を駆け上がる。  
「……ぜぇぜぇ…なんだか、結局いつもの調子に戻っただけな気がするんですが……」  
「そうですか?私は楽しいですよ!」  
いくつものホームを横切って渡された陸橋を、望と可符香の二人が走る、走る、走るっ!!!  
「だってほら、いかにも学園恋愛ものって感じじゃないですか!実はそういうのに憧れてたんです、私!!」  
「風浦さん……」  
可符香が笑った。  
「……そうですね。あなたとなら、こういうのも悪くない」  
そして、気がつけば望も笑っていた。  
「それじゃあ、いっちょ逃げ切ってみせましょうか!!!」  
「はい、先生っ!!!」  
そうだ。  
ここは消え去った筈の可能性を望が必死の思いで繋ぎとめ、そして可符香が選び取った新しい世界なのだ。  
昨日までと同じようでも、まるで、全然違う。  
列車がホームに到着する音が聞こえて、二人はペースを上げる。  
駆け抜けていく先、広がる未来を夢見て、望と可符香の胸はこれ以上ないくらいに高鳴っていたのだった。  
 

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