「先生、私を買ってくれませんか?」
「……はい?」
望に相談があると言って、宿直室にやってきた麻菜実。
今からカップヌードルを食べようとしていた望の手が止まる。
またクラスメイト達の質の悪い冗談かと思い、周りを見回す。
しかし、他には誰もいない。
何より目の前の麻菜実は、真剣そのもので。
とても、冗談で言っているとは見えない。
「…どうゆうことですか?大草さん」
「ですから、先生に私を買ってほしいのです」
「い、いけません!いくら借金が多くても、御自分は大切にされないと…」
「だから、私は先生に頼んでいるのです」
「……へっ?」
「お店に行けば、知らない人に、…されるから、私は先生に頼んでいるんです」
「えっ」
「知らない人にされるくらいなら、先生がいいんです!」
「…そ、それは本気で言っているのですか?」
相変わらず、真剣な眼差し。
やはり、制服を着ていようと一人の主婦なだけはある。
とても強い信念を持っているようだった。
だが…、
「もし、本気でおっしゃっているのなら、尚更無理です」
「…!?どうしてですか?」
「今は、それで何とか凌げるかもしれませんが、必ず貴女は後悔しますよ?」
「…」
「それに、そんなことで稼いだお金を、旦那さんは受け取ってくれるでしょうか?」
黙ったまま顔を伏した麻菜実。
とても暗く、思い詰めた表情。
すっかりのびたラーメンを尻目に、望は麻菜実と向き合う。
その時、ぽつりと、麻菜実が喋りだした。
「…受け取りますよ、あの人は…」
「…今、なんと?」
「浮気ばかりして、ちっとも働かない、あの人なら受け取りますよ!」
「…!?」
「うっ、うっ…」
ボロボロと泣き出す麻菜実。
普段からは、とても考えられない少女の姿に戸惑う。
いつでも他人を、自分が母親であるかのように包み込む彼女。
そんな彼女が、泣いているのだ。
いつもなら望がしているはずの絶望の表情。
いや、あんなものなど問題にならないほど。
深い哀しみに駆られている。
麻菜実の言動、表情から、これはお金の相談ではないと考える望。
一応は教師なだけある。
「…旦那さんと、何かあったのでしょうか?」
「…」
また、ぽつりぽつりと話し出した。
「あの人、最近、浮気ばかりしてて…」
「…」
「私のことなんて、どうでもいいんですよ!」
「…それで、自暴自棄になったというのでしょうか?」
長いこと俯いていた望が、ようやく言葉を放った。
コクリ、と頷く麻菜実。
すっ、と立ち上がり、望が麻菜実の前に来た。
右手を振り上げて、狙いを定める。
しっかりと見つめる瞳の中に。
悲しい色を見つけた麻菜実。
軽く、ほんの軽く叩かれた頬。
振り抜かれることなく、頬に添えられたままの右手。
「…そんなことして、一体どうなるというのですか?」
「…!?」
「私などが言うべきことではありませんが、…そんな事をしても何も変わりませんよ?」
「…」
「もっと、前向きに生きるんです」
「……はい、ごめんなさい」
初めて、この少女の少女らしいところを目の当たりにした望。
どんなに強そうに見えても、隠し切れない弱点。
それを曝け出した麻菜実は、あまりにか弱くて。
引き寄せて、抱き締めた。
「お金の問題なら、先生も何とかしてあげます」
「…」
「でも、旦那さんとの問題は、大草さん。貴女が何とかしないといけないことです」
「…、はい」
「もう、大丈夫ですね?」
「……ごめんなさい」
「今日はもう遅いですから、早くお帰りなさい」
「はい」
添えられていた手が離れていき、麻菜実が立ち上がる。
頬に熱い感覚が残るまま。
宿直室の古い畳と、足が擦れる。
出口まで来て、麻菜実が振り返った。
そこには、先程の絶望の表情ではなく。
しかし、いつもとは若干違う微笑みを持つ少女。
「ありがとうございます、先生」
「いえいえ、また何かあれば相談してください」
「…失礼します」
すっかり伸びたラーメンが二人を見つめていた。
オマケ
「私、離婚することにしました」
「そうですか、よい判断をなされましたね」
「それがですね、先生」
「…なんでしょうか?」
「借金を折半することになりまして、お金がないんです」
「…?」
「先生、私を買ってくれませんか?」
絶望少女達の叫びが木霊する。