「……というわけで、本来の日塔さんのダイエットはほぼ完了しました。  
……まあ、まだ少しぽよっとしてる気もしますが、とにかくこれで日本に帰れます」  
孤島に鬱蒼と茂るジャングルの真ん中にぽつんと立つ大きなテント。  
その傍らで、照明の周囲に舞い飛ぶ見知らぬ南国の虫達の姿を眺めながら、望は携帯電話をかけていた。  
人工衛星を介してどんな場所でも通話が可能なその携帯電話は、発電機付きの大型テントと共に望が倫に持って来てくれたものだ。  
蔵井沢の実家からは独立して暮らしている望だったが、今回ばかりは長丁場に備えてジャングル用の装備一式を借り受ける事にしたのだ。  
夏休みの終了を認めず、ジャングルを彷徨う2のへの生徒達を探し回っていた望の最後の仕事は、  
休み中のラーメンの食べ過ぎですっかり太ってしまった奈美をダイエットさせて、無事に日本に連れ戻す事だった。  
『ようやくですね。一時は九月中には間に合わないんじゃないかって話になってましたけど、安心しました』  
「全くですよ、風浦さん。ここに至るまでどれだけ苦労をした事か……」  
望の疲れ切った声に、電話の向こうの声の主・風浦可符香はくすくすと笑った。  
「徹底したカロリー計算と運動の繰り返し……言葉にすると簡単ですが、ホントにもう気が遠くなるようでした」  
『女の子の苦労、わかってもらえました?』  
「今回の日塔さんの場合は自業自得でしょうに……」  
他愛もない会話、その合間にどちらともなく漏れ出る笑い、それらは望の心と体にじんわりと染み渡り、疲れを癒していくようだった。  
それから、どれくらい会話が続いただろうか?  
『そういえば、結局、毎日電話くれましたよね?』  
「ぶっ……!!!」  
何気ないような調子で可符香が口にしたこんな言葉に、望の全身が固まった。  
『何かあった時の緊急連絡用にって番号を教えてもらった、その日の晩にかかって来たのでちょっと驚きました』  
「いや、そのですね。新学期って事でみなさん日本に帰っちゃったじゃにですか……あなたも含めて……」  
『そしたら、次の日も、その次の日も……今ぐらいの時間になると決まって………』  
「だって寂しいんですよぉ!!こんな絶海の孤島で、どこを見てもジャングルしかなくて……日塔さんはダイエット疲れですぐ寝ちゃいますし、  
常月さんはきっと居るんでしょうけどステルス性が半端なくてほとんど一人と変わらないし………」  
そうなのだ。  
最初はちょっとだけのつもりだった。  
一応、可符香達が無事帰国できたかどうかを確かめるという名目ではあった。  
しかし、その初日から異国に取り残された望の不安感が爆発してしまった。  
後はもう、芋蔓式にずるずると………。  
日中、灼熱のジャングルで奈美のダイエット指導を行った望の、唯一心癒される時間がこれだった。  
そういえば、そもそもこの携帯電話、望が倫に借りようとしたジャングル装備一式には含まれていなかったものである。  
実はテントの中には高性能な無線装置があるので、非常時の連絡手段には困らない。  
だが、倫は意味ありげに微笑み  
「お兄様にはきっと必要ですわ……」  
そんな事を言って、この携帯電話を押し付けて帰ってしまった。  
今になって、初めて解る。  
あの時、妹は望がこういう事態に陥るだろうと既に予見していたのだ。  
 
『先生は寂しがりやですから、仕方ないですよ』  
ほんの少しの孤独にも耐えられなかった自分への情けなさで、望はすっかり落ち込んでしまう。  
それとは対照的に、可符香の口調はいつにもまして楽しげだ。  
「……まあ、その辺は本当に今回の一件で身に沁みましたよ」  
『そのお陰で先生がきちんと仕事を出来たから良いじゃないですか。先生が頑張ってくれなかったら、奈美ちゃんも帰って来られなかった訳ですし』  
「うぅ……しかしですねぇ……」  
可符香の言葉にもため息をつくばかりの望だったが、、ふと時計を確認して  
「おっと、もうこんな時間ですか。思った以上に話し込んでしまいましたね。明日はこのジャングルの奥から空港まで出て行かなきゃいけませんから……」  
『そうですね。名残惜しいですけど……』  
帰国のため、明日は一日がかりの大仕事になる予定だった。  
うっかり寝坊などする訳にはいかない。  
だが、そのまま通話を切ろうとして、望はふとこんな事を聞いてみた。  
「それにしても……今日はどうしてあなたの方から電話をかけてきたんですか?」  
望自身は何気ない質問のつもりだった。  
だが、その問いを聞いた瞬間、電話の向こうの可符香は完全に沈黙した。  
「……?…どうしましたか?風浦さん?」  
『いえ、それは…ですね……』  
ようやく聞こえてきた声も、心なしか強張っている。  
『…………先生こそ、今日はどうしていつもの時間に電話、くれなかったんですか?』  
「ああ、実は明日帰れると思ったらこれまでの疲れがどっと出てきて、うっかり居眠りしちゃったんですよね」  
『私がかけた電話に起こされるまで、ずっとですか?』  
「ええ、そりゃもうぐっすりと……」  
何だかちょっと怒っているようにも聞こえる可符香の言葉に、望はこう問い返した。  
「寂しがらせちゃいましたか?」  
しばしの沈黙、  
それから、おずおずと可符香は口を開く。  
『それもありますけど……ほら、あんまり安全な場所ってわけでもないじゃないですか。何かあったんじゃないかって、少し……』  
「そうですか……それは、すみませんでした」  
『いいですよ。今はこうして、声を聞けた訳ですし…』  
そう答えた可符香の先ほどより幾分か柔らかな声音に、望はホッと息をついた。  
それから、望は帰国までの簡単な日程を可符香に伝え、最後にこう言った。  
「それじゃあ、風浦さん、また学校で……」  
『はい、先生。また学校で……』  
最後に交わしたその言葉に、自分がどれだけ嬉しそうな表情を浮かべているのか、最後まで築かないまま、二人は通話を切ったのだった。  
 

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