3月半ばのある土曜日の早朝の事。  
望は愛用のトランクを片手に駅に向かって歩いていた。  
随分と冬の寒さも和らいできてはいたが、この時間帯では流石にまだまだ空気も冷たい。  
夜の冷たさを残した風を避けるように、望は羽織った外套の前を合わせて白い息を吐く。  
「この場所で間違いありませんでしたよね?」  
駅の前まで辿り着いた望は、何度も時計で時間を確かめながらきょろきょろと辺りを見回す。  
それからしばらく後、望は、こちらに向かって早足で歩いてくる見慣れた人影を視界の中に見つける。  
「せんせ〜い!!」  
望に向かって大きく手を振りながら近づいてくる少女。  
彼女は望が担任を勤める二年へ組の女子生徒、風浦可符香である。  
「待たせちゃいました?」  
「いいえ。私もさっき来たばかりですから」  
二人はお互いの姿を確認すると、僅かに嬉しそうに声を弾ませて言葉を交わしながら、駅の構内へと入っていった。  
駅舎の中は早朝だという事を考慮に入れても、驚くほどに人が少なかった。  
ほとんど無人の構内を歩き、改札を通過して二人はホームへ出て行く。  
望は隣を歩く可符香の大きなカバンを見て、一言。  
「別に地球の裏側に行こうってわけじゃないんですから、そこまで大荷物じゃなくても良かったんじゃないですか?」  
「昨日いろいろ考えながら荷造りしてたら、ついつい詰め込みすぎちゃって……  
それに、そういう先生だって随分大きなトランク持ってるじゃないですか」  
「うぅ…確かにそうですね。私もちょっと張り切りすぎちゃったみたいです」  
その事を指摘された望は苦笑を浮かべて  
「……何だかんだ言いながら、私もかなり楽しみにしてましたからね……」  
そう言った。  
そんな望に可符香も心底楽しげな笑顔を浮かべてこう答えた。  
「そうですね。私もずーっと楽しみにしてましたから、今回の、先生との旅行のこと……」  
 
事の発端は2月の終わりごろまでさかのぼる。  
その頃の望は毎日そわそわと、ある一つの事に頭を悩ませていた。  
「風浦さんへのホワイトデーへのお返し……一体、何にしましょうか?」  
今年の2月14日、望は可符香にチョコレートをプレゼントしようと、密かに計画を立てていた。  
元々、大のショコラ好きで舌の肥えている望は、有名各店を巡り『これだ!』と思える最高のチョコを用意するべく苦心した。  
そして、迎えたバレンタインデー、勇気を振り絞りついに可符香にチョコを渡した直後、  
彼は泣き笑いの表情の可符香からあるものを手渡された。  
それは、可符香手作りのトリュフ・チョコレート。  
彼女もまた、望にチョコレートを渡そうとしていたのだった。  
思いも掛けず受け取る事になった可符香からのチョコレートは、望が知る他のどんなチョコよりも甘くとろけるように感じられた。  
これ以上ない、最高のバレンタインの贈り物。  
それだけに、ホワイトデーのお返しにも、なるだけ可符香を喜ばせられるよう、より良いプレゼントをと、望は考えていたのだが……。  
「先生、これどうぞ!」  
ある日の休み時間、次の授業に向かうべく学校の廊下を歩いていた望に、可符香が一枚の紙を手渡した。  
一瞬、戸惑う望だったが、紙に書かれた内容を見て驚愕した。  
「バレンタインチョコ…制作費用……!!?」  
そこには先日望が受け取ったバレンタインのトリュフ・チョコの材料費やラッピング等にかかった費用が事細かに記されていた。  
さらに、望を驚愕させたのが、その下に記載されていた言葉。  
「じ、人件費ってなんですか!?」  
「人件費は人件費ですよ。働いた人に支払われる費用です」  
記載された人件費とやらの金額はその他の原材料費などを大きく上回っていた。  
「一体、何なんです、これは?何がどうなってるんです?」  
「もうすぐ3月じゃないですか。先生も、バレンタインチョコを受け取った人間として、忘れちゃいけないイベントがあるのはわかってますよね?」  
「……ホワイトデーの事ですか?」  
その問いにかすれる声で答えた望に、可符香は出来の良い生徒を見る教師のように微笑んで見せる。  
「そうです。バレンタインにチョコを貰った人がそのお返しをする日!  
……先生がきっと何をお返ししようか悩んでるんじゃないかと思って、参考になるデータを持って来たんです!」  
「はあ……参考、ですか…」  
訳が分からない、といった表情で紙に視線を落とす望に、可符香はチッチッと人差し指を振り  
「いやだなぁ、先生、ご存知ないんですか?ホワイトデーにはバレンタインの三倍返しをするのが基本じゃないですか!」  
とんでもない事を言ってのけた。  
望もそれでようやく可符香の意図を理解する。  
「ちょ…待ってください。それじゃあ、この紙はその為の……」  
「3月14日、ホワイトデーのプレゼント、楽しみにしてますよ、先生!」  
呆然とする望を残して、可符香は廊下の向こうへと軽やかに駆けて行ってしまった。  
後に残された望は可符香に渡された紙切れを見つめて、呆然と立ち尽くすしかなかった。  
 
「うぅ…絶望した……絶望しました……」  
一日の仕事を終え、宿直室へと帰る途上、望はうわごとのようにそう呟いていた。  
可符香の心のこもったプレゼントだと思っていたバレンタインチョコに、まさか彼女自身によって値段をつけられるとは。  
しかも人件費なんて項目を作って、金額の大幅な水増しが行われているのである。  
ショックを受けるなという方が無理だった。  
可符香にチョコを貰って以来、どこか浮き足立っていた望の心は、ここへ来て一気に沈み込んだ。  
「先生、おかえり」  
「ただいま、小森さん」  
「どしたの?なんだか元気ないみたいだよ?」  
「いえ……別に大した事じゃないんです。ほんと、大した事じゃあ……」  
宿直室に戻ってきた望のただならぬ落ち込みぶりに、霧が心配そうに声をかけるが、  
他の多くの2のへの生徒達同様、望に想いを寄せている彼女に今の悩みを相談する事などできない。  
望は霧の問いをなんとか誤魔化して、宿直室の畳に腰を下ろした。  
それからしばらくの間、すっかり落ち込んだ望は、俯いた姿勢のままぐったりとして過ごしていたのだが……。  
「これは……?」  
ふと、視界の隅に映ったそれを、望は何の気なしにつまみ上げた。  
「温泉旅行ですか……いいですねぇ…」  
それは、とある高級温泉宿の『春の特別キャンペーン』なるものについて書かれた、新聞の折込チラシだった。  
なんでも、3月13、14日の二日間に限ってペア客向けに普段の半額以下の格安で部屋を提供するという話らしい。  
問題の金額も、この宿、この部屋ならばなるほど安い、と思わされるものだった。  
しかし、その文面に望は妙な違和感を感じ取る。  
(3月14日?ペア客向け……何ですか、これは?)  
もしかして……そう思いながら、先程可符香から受け取った紙切れを出してみる。  
(ホワイトデーの贈り物は三倍返し、でしたね………)  
チラシに書かれた金額と、可符香から受け取った紙切れに書かれた費用の合計を三倍にして照らし合わせると、  
ピッタリ、一円の誤差もなく同じ金額になった。  
と、その時、望の背後から霧が声を掛けてきた。  
「先生、ちょっとお話があるの」  
「どうしたんです、小森さん?」  
「実は……」  
霧の話によると、全座連東京支部の集会が行われるらしく、彼女も参加したいという話だった。  
ちなみに霧が学校を開けている間はちゃんと代理として全座連所属の座敷わらしが来てくれるらしい。  
「泊まりがけになるから、先生にも迷惑かけちゃうんだけど……」  
「それは全然構いませんよ。それで、その集会というのはいつなんです?」  
「3月の13日と14日だったと思うよ」  
「えっ!?」  
その日付を聞いて、望の全身が固まった。  
さらに……  
「た、大変だ〜!大変だよ、ノゾム、きりねーちゃん!!」  
「どうしたんですか、交?そんなに慌てて……」  
「会えるんだよ!ほんと、久しぶりに会えるんだ!!」  
「だから、誰が来るって言うんですか?」  
やたらテンションの上がっているらしい交は、望に軽く背中を撫でられるとようやく落ち着きを取り戻して……  
「父さんと母さんに会えるんだ。一緒に遊園地に行って、ホテルに泊まろうって!!」  
「縁兄さんが!?」  
何かと縁に恵まれない男、糸色家長男、糸色縁。  
あまりに縁が無さすぎて、ついには我が息子とも離れ離れに暮らす事になってしまった彼だったが、  
今回、仕事の予定をかなり強引に調整して、ようやく親子水入らずで過ごせる時間を確保できたらしい。  
いつも生意気で同年代の子供と比べると、ずいぶんませた雰囲気のある交だったけれど、  
やはり久しぶりに両親に会えるのは嬉しいらしく、満面の笑顔を浮かべている。  
望も嬉しそうな交の姿に、我知らず微笑を浮かべていたのだけど。  
ふと、ある事が頭に浮かんだ。  
「あの、交。縁兄さんと会う日はもう決まっているんですか?」  
「3月の13日と14日だけど、何かあるのか、ノゾム?」  
完全に予想通り。  
ここまで条件が揃えば誰にだって理解できる。  
これはあの娘からの、可符香からのメッセージだ。  
ひねくれ者で、自分の本心をなかなか口にしようとしない彼女は、こんな形で自分の気持ちを伝えてきたのだ。  
『いっしょに温泉に行きましょう、先生!』、と。  
 
というわけで、場面は再び3月13日早朝の駅に戻る。  
望と可符香の二人はホームに立って、間もなく到着するであろう列車を待っていた。  
可符香は隣に立つ望の顔をチラリと見て、少し照れくさそうに口を開く。  
「今回は流石にちょっと強引にやりすぎちゃったですかね?」  
「繊細なやり方も強引なやり方も、硬軟おりまぜて人を誘導するのがあなたのいつものやり方でしょう?」  
「いえ、そうじゃなくて……なんだかこの話自体、先生の意見も聞かずに無理やり決めちゃいましたし」  
「それこそいつもの事です。今更気にするような話じゃないですよ」  
何やら、いつもより少しばかりしおらしい様子の可符香。  
今回の旅行について、彼女も色々と悩むところがあったようだ。  
「それに、なんだかんだで宿代交通費諸々、全部先生持ちになっちゃいましたし」  
「いいんですよ。ホワイトデーは三倍返しが基本なんでしょう?  
だいたい、年下で学生のあなたにお金を使わせるような事になったら、私の芥子粒なみのプライドが残らず消し飛んでしまいます」  
それから望は可符香の背中をポンと優しく叩いて  
「あなたと一緒に温泉に行ける、それだけで私には十分嬉しいんですよ。だから、今日と明日の二日間はめいっぱい楽しみましょう」  
「………そうですね。私も、先生と一緒の旅行、本当に楽しみです」  
望の言葉にようやく可符香がにっこりと笑顔を浮かべたところで、ホームに列車が滑り込んできた。  
プシューっと音を立てて扉が開き、望は列車に乗り込む。  
それから、振り返って背後に立つ可符香に手を差し伸べて……  
「それじゃあ行きましょうか、風浦さん」  
「はい、先生」  
こうして、二人を乗せた列車は目的地である温泉に向けてゆっくりと発進していったのだった。  
 
駅を出発して3時間ほどが経過しただろうか。  
列車は山の合間を通る鉄路の上を、のんびりと走っていく。  
目的地への到着は正午ごろになるという事で、なかなかの長旅になるようだったが、  
窓の外を流れる景色を眺め、二人で他愛もない会話をしているだけで、時間はみるみると過ぎていった。  
「いい日和ですね…この間まであんなに寒かったのが嘘みたいです」  
「そういえば、もう春なんですよね、先生……」  
春は望と可符香にとっては色々と思い出深い季節だ。  
舞い散る桜の花びらの中での出会いと再会は二人の胸に深く刻まれている。  
ほころび始めた梅の蕾。  
冬の間は姿を隠していた虫や鳥達を見かける事も多くなった。  
吹き抜ける風にも、心地よい春のぬくもりが感じられる。  
うららかな日差しに照らされた景色を二人眺めながら、望と可符香は今年も巡ってきたあの季節の存在感を確かに感じ取っていた。  
 
それからさらに長時間の列車での移動を終えて、二人が目的地に辿り着いたのは正午少し前ごろ。  
流石に休日とあって、温泉街はなかなかの賑わいを見せている。  
温泉であたたまった体を浴衣で包み、土産物屋で名物の饅頭などを物色しながら行き交う人の群れ。  
望と可符香もその楽しげな空気に背中を押されたように、足取りも軽く街の中へ一歩を踏み出していった。  
「あんまり人が多い所より静かな場所の方が好きなつもりだったんですが、この賑やかさは悪くないですね」  
「だからって、迷子にならないでくださいよ、先生」  
「なりませんって、子供じゃないんですから!」  
可符香の言葉にそう言い返してから、望は頬を膨らませて反論する今の自分の姿がかなり子供っぽい事に気づいてしまう。  
顔を赤くして恥ずかしがる望を横目に見て、可符香がクスクスと笑った。  
その上、その直後に望の腹の虫がぐぅ〜っと鳴き声を上げたものだから、彼の大人としての面目は丸つぶれである。  
「うう……なんかもう恥ずかしすぎて心が折れそうなんですが……」  
「仕方ないですよ。朝早くに出発してから、ほとんど何も食べてなかったんですから」  
「駅弁、買っとけば良かったですね……」  
何分、現在はお昼時。  
飲食店の類は客でごった返している事だろう。  
そんな二人が目にとめたのは白い湯気を立ち上らせる出来立ての温泉饅頭。  
「とりあえず、アレ、食べますか?」  
「そうですね」  
店の前で脚を止めた二人は一つずつ温泉饅頭を買って、それを食べながらまた歩き始める。  
『温泉街一のジャンボ饅頭』というのが売りらしく、ボリュームはなかなかのもので、二人の空きっ腹もこれで随分と満たされた。  
「味もなかなかですね。餡子があっさりしてて食べやすいです」  
「あ、先生」  
「ん、なんですか?」  
可符香に突然顔を指さされて、望は怪訝な表情で立ち止まる。  
すると、可符香は自分の唇を望の頬に近づけ……  
「餡子、ほっぺについちゃってますよ……」  
そう言って、望の頬についていた餡を小さな舌先で舐めとってしまった。  
「あ…うあ…あああ……ふ、風浦…さん……!?」  
「やっぱり子供っぽいのは先生の方ですね」  
くすりと笑う可符香の前で、完全に赤面した望はもはや硬直している事しか出きなかった。  
 
その後、なんだかんだと寄り道をしながらも、二人は温泉街の一番奥まった場所にある温泉宿へと辿り着いた。  
「糸色望様と糸色杏様ですね。お待ちしておりました」  
出迎えた女将の第一声に望は完全に言葉を失った。  
一方の可符香は悪戯っぽい笑顔を望に向けてから、  
「はい。お世話になります」  
と元気に答えて見せた。  
女将に案内され、部屋へ向かう途中、望は小声で可符香に話しかける。  
「な、な、何ですかさっきのアレ?」  
「いやだなぁ、そんなに血相変えないでくださいよ。ちょっとした遊び心ですよ」  
「ですが……」  
「この年の差なら、苗字が同じなら兄妹とでも判断されるでしょうし、妙な詮索も避けられます」  
「そ、そうですか?」  
そして、戸惑う望に可符香はちらりと視線を向け  
「それに、先生もけっこう嬉しそうに見えましたけど」  
なんて言ってきたりする。  
「う、嬉しそうって……!?」  
「嬉しくなかったですか?」  
「いや、それは……嬉しくなかったかと言われると、その可能性を否定し切るのは非常に難しいというか……」  
追い詰められた望はやがてポツリと呟く。  
「……………白状します。嬉しかったです、物凄く、とっても…」  
「やった!私も嬉しいですよ、先生!!」  
望の答えを聞いて、可符香が小さく飛び跳ねる。  
その様子を横目で見ながら、望はどうやら自分が彼女の手の平の上から逃れるのは不可能である事と、  
そうやって可符香に振り回されている時間を、なんだかんだで楽しんでいる自分の気持ちを実感していた。  
 
そうして、辿り着いた部屋で望はまたも驚きの声を上げる事になった。  
「なんか、やたら広くありませんか?何部屋に分かれてるんです、ここは?  
っていうか、そもそもあのチラシで見たのと全然違う部屋に見えるんですが……」  
「えへへ……」  
「……まあ、全部あなたの差金なのは分かり切ってるんですけどね。  
そういえば、この部屋に来るまで他の客と一人もすれ違いませんでしたけど……それももしかして?」  
「だって、先生となるべく二人きりでいたかったんです」  
照れくさそうに笑う可符香の顔を見ながら、望は彼女の底知れない実力を再認識する。  
そんな望に、可符香は彼の分の浴衣を手渡して  
「まあ、とにかくまずは温泉です!せっかく来たんですから、湯あたりするまで目いっぱい楽しんじゃいましょう!」  
そう言ったのだった。  
 
それから望と可符香は浴衣に着替え、外湯巡りに温泉街へと繰り出した。  
元気いっぱいといった様子の可符香に引っ張りまわされるようにいくつかの湯を巡り、合間に土産物屋を冷やかす。  
そうやって何番目かにやって来た外湯に浸かりながら、望は何故だか少し憂鬱そうな顔でため息をついた。  
その理由はというと……。  
「うぅ……てっきり混浴に一緒に入ろうって言われるんじゃないかと思ってました」  
望もやはり男である。  
恐らくはかなりの根回しをして望と二人の温泉旅行にこだわった可符香の事であるから、  
そういったイベントもあったりするんじゃないかと、つい心の奥で期待してしまっていたのである。  
しかし、今のところ、その兆しは皆無。  
冷静になって考えてみると、そんなのは望の都合の良い妄想でしかないわけで、そんな事を考えていた自分がひどく恥ずかしかった。  
「うううう……風浦さんごめんなさい風浦さん……」  
温泉に顔半分まで浸かった望はぶくぶくとお湯に泡を浮かべながら、今は隣の女湯にいる筈の可符香に謝り続けるのだった。  
 
一方、その女湯では……  
「さて、この後からが大勝負なんだから、気合を入れないと」  
ゆったりと湯に浸かっていた可符香が何やら不穏な事を呟いていた。  
 
「先生、先に上がってたんですね。待たせちゃいました?」  
「それほどでもないですね。いい風が吹いてたので涼ませてもらってました」  
浴場から出てきた二人は肩を並べて温泉街を歩いていく。  
確かに望の言う通り、火照った体に吹き抜ける風が当たるのが心地良かった。  
「それにしても浴衣、似合ってますね。いつもの袴姿も良いですけど、こっちも素敵です。うなじがセクシー」  
「ちょ……どうしていつも、あなたはそういう……」  
「だって、本当の事ですから」  
悪びれもせずに答える可符香に、望の抗議は全て封じられてしまう。  
それから改めて彼は、隣を歩く少女の姿を、浴衣に身を包んだ可符香を見つめる。  
先程可符香にからかわれたばかりの望だが、彼女の浴衣姿だってかなりのものだ。  
浴衣の白に温泉で温められてほんのりと上気した肌の色が映えて、思わず望は瞳を釘付けにされる。  
「先生……なんだか恥ずかしいんですけど……」  
「……あ、あなたと同じですよ。あなたの浴衣姿がとても良く似合ってたから……」  
思わず漏れでたその言葉に、望と可符香は湯上りの肌をもっと熱くして、二人見つめ合ったまま固まってしまう。  
そのままどれくらいの時間そうしていただろうか?  
大人数の団体で浴場に押しかけてきた温泉客のざわめきに、二人はハッと我に返った。  
「そ、それじゃあそろそろ、旅館の方に戻りましょうか」  
「そうですね、先生……」  
ぽそり、小声で言葉を交わして、望と可符香は宿への帰り道を歩き始めた。  
ちょうど温泉客で賑わう時間帯なのだろうか、二人は大勢の人の中をかいくぐるように歩かなければならなかった。  
普通の女子より少しだけ小柄な可符香はその人波に呑まれて、前へ進めなくなりそうになってしまう。  
そこへ差し出された手の平。  
見慣れた細く柔らかな指先。  
「大丈夫ですか、風浦さん?」  
「はい。ありがとうございます、先生」  
にっこりと微笑み合った二人は、互いの手の平をきゅっと握り合って、再び宿へと続く道を歩き始めたのだった。  
 
途中で射的屋なんかに寄り道した事もあって、二人が宿に戻ったときにはすっかり陽の沈む時間になっていた。  
「思ったより遅くなっちゃいましたね」  
「でも、今ならすぐに夕飯も食べられる筈ですし、ちょうど良かったんじゃないですか?」  
「まあ、それもそうですね」  
というわけで、二人はほどなく自分たちの部屋で豪華な夕食を食べる事になった。  
「なんか、明らかに私の払った宿代では食べられそうにないメニューが並んでるんですが……」  
「蔵井沢の旧家のおぼっちゃまが何ビビってるんですか。せっかくの豪華な料理なんですから楽しまないと」  
「ホント、あなたのその度胸とか、謎のコネやネットワークには感服するしかないですね」  
なんて会話をしながらも、美味しい料理とお酒ですっかり望はいい気分。  
昼食は結局温泉饅頭だけしか食べられなかった事もあって  
かなりの品数が並んだ夕餉の膳を望と可符香はぺろりと平らげてしまった。  
その後二人は宿自慢の檜の風呂へ。  
可符香の手回しで他の客のいない風呂の中、檜の香りとその風情を望はたっぷりと楽しんだ。  
そうして温泉から上がると、出口すぐ横の壁にもたれかかりながら、可符香が待っていた。  
「外湯のときとは逆になりましたね。待たせちゃいましたか?」  
「いいえ。私もたっぷりお湯に浸かって、今出てきたところですから」  
それから、部屋に戻る途中、可符香が望にこんな事を聞いてきた。  
「先生、後でもう一風呂いけますか?」  
「ああ、せっかくの温泉ですからね。付き合いますよ。……そういえば、別館に露天風呂があるって聞きましたけど、もしかして、今度はそっちですか?」  
「え、ええと……まあ、露天風呂であるのは間違いないんですけどね……」  
妙にはぐらかしたような可符香の言葉に一瞬疑問を感じた望だったが、この時は特に大した事だとも考えずそのまま会話を続けた。  
 
そして、帰りついた自分たちの部屋で、望はとんでもない物を目撃する事になる。  
布団は一つ。  
枕は二つ。  
二人が部屋を離れている間に敷かれていた布団は明らかに恋人同士とか夫婦とか、そういった人たち向けの仕様でセッティングされていた。  
「誤魔化し切れてなかったじゃないですか?」  
「あ、あはは……そうみたいですね」  
半泣きの望に、可符香は苦笑いで答えた。  
まあ、若い男女がやって来て同じ部屋に泊まろうというのだから、怪しまない方が無理というものだろう。  
仲良く寄り添う二つの枕を見ていると、今夜自分は可符香と同じ部屋に泊まるのだという事実が改めて意識されてきた。  
ドキドキと無駄に大きな音で鳴り響く心臓。  
心なしか呼吸も苦しくなってきたように感じられる。  
だが、その直後、目の前の光景をさらに上回る衝撃が望を襲う事になる。  
それは……  
「あの、先生……さっき話してた露天風呂の事なんですけど……」  
「あ、ああ……そういえばそうでしたね。でも、それよりも先にこっちの布団をどうにかしないと……」  
「いえ、それよりも見て欲しいものがあるんです……」  
呼びかけてきた可符香の声に、望は何の気なしに振り返る。  
すると、可符香は背後にあった襖を開けて、その向こうの部屋へと望の手を引っぱる。  
「こっちにも部屋があったんですね。ぜんぜん気づきませんでしたよ」  
「その……見て欲しいものっていうのは、この向こうにあるんですけど……」  
またしても、歯切れの悪い可符香の言葉。  
可符香の意図が全く分からず、訳の分からぬまま望は彼女の後について行く。  
そして、彼はついにそれを目にした。  
「ふ、風浦さん……これは!!?」  
確かに先程、彼女はその言葉を話題に出していた。  
そういった設備を備えた部屋のある旅館の存在も知っていた。  
それでも、望は目の前に現れたソレに驚愕するしかなかった。  
「……はい。見ての通りの露天風呂です」  
可符香はハッキリとそう言った。  
部屋付きの露天風呂。  
しかも、軽く三、四人はいっしょに入れそうな、同タイプの露天風呂としてはかなり大きめのものである。  
思い出してみれば、可符香はこの宿に着いてから、部屋に長く留まる事をなるべく避けていたような節があった。  
それもこれも、ギリギリまでこの露天風呂の存在を望に秘密にしておきたかったからなのだろう。  
今回の旅行は、この時、この瞬間の為にセッティングされていたのだ。  
そして、改めて望の前に向き直った可符香は、若干伏し目がちに、頬を染めて、恥ずかしそうにこう言った。  
「いっしょにお風呂、入ってくれますか、先生?」  
恐らくは彼女が精一杯の勇気で放った一言。  
それを前にした望に、肯く以外の返答などあろう筈もなく………。  
 
『先に入っててください』  
可符香に促されるまま露天風呂に入った望は、来るべき時を前にして心臓の高鳴りを押さえ切れずにいた。  
混浴などとはレベルが違う。  
部屋付きのものとしては大きめなこの露天風呂だが、それでも今日入ったどの風呂よりも小さい。  
いっしょに入れば、足が、手が、肩が、否応なしに触れ合ってしまうだろう。  
今から二人は、そんな至近距離で同じ湯に浸かろうというのだ。  
「あうあう……き、緊張してきましたよ……」  
なんてオタオタしてる内に、どうやら可符香は準備を終えたらしい。  
カラカラと開く引き戸の音に思わず望が振り返ると、そこには大きなタオルを一枚きり、体に巻きつけただけの可符香の姿が。  
それを見た望は慌てて視線を明後日の方向、降るような星と丸い月の輝く夜空に向けた。  
背後から聞こえてくるかけ湯の音が止んで、近づいてくる可符香の気配に望の緊張の針が振り切れる。  
「先生…隣、いいですか?」  
「は、はい……どうぞ……」  
強張った声で望がそう答えたのを聞いてから、可符香は湯船の中に入ってきた。  
相変わらず空を見上げている望だったけれど、揺れる水面とそこに起こる小さな波が彼女の存在を否応なく意識させた。  
そんな望の左腕のあたりに、ふにっと柔らかな感触が触れた。  
驚いて振り返ると、眼鏡を外した望でもハッキリと見えるぐらい近くに可符香の顔があった。  
「あ…ご、ごめんなさい、先生……」  
思った以上に望を驚いたのを見たせいか、可符香はそう言って彼のすぐ傍から離れようとした。  
その手の平に、望は咄嗟に自分の手の平を重ねる。  
「だいじょうぶです……風浦さん。………」  
先程の可符香の反応を見て、ようやく望も理解した。  
緊張しているのは自分だけじゃあない。  
彼女だっておっかなびっくり、手探りで距離を測りながら、望のそばに居られる場所を探していたのだ。  
そんな可符香の気持ちが、彼にとっては何よりも嬉しいものだった。  
気がつけば、彼の胸の中は先ほどまでの気恥しさに代わって、彼女への愛しさに満たされ始めていた。  
望は可符香の小さく柔らかな手の平を、きゅっと握りしめて言う。  
「嬉しいですよ、風浦さん……そりゃあ、恥ずかしくないって言ったら嘘になりますけど、  
それよりも今はあなたの傍にこうしていられる事が、何よりも嬉しい………」  
望のその言葉を聞いて、可符香の顔に少しだけ見え隠れしていた不安の色が消し飛んだ。  
「私も嬉しいです!先生といっしょに露天風呂っ!!」  
それから彼女は、満面の笑顔で望の腕にぎゅーっと抱きついた。  
流石に望もこれには慌てた。  
「ちょ…いきなりそこまでの急接近はやっぱり恥ずかしいんですけど!!?」  
「いいんです!恥ずかしがってる先生を見るのも楽しいですから!!」  
「ふ、ふ、風浦さ〜ん!!!」  
可符香の抱きつきに、望はバシャバシャとお湯をまき散らして慌てふためいた。  
しかし、二人にはもう先ほどまでの緊張の色はほとんど残っていなかった。  
丸い月の下、じゃれ合う二人の姿は、仲睦まじく幸せそうなものに見えた。  
 
数分後、ついに抵抗を諦めた望は左腕に抱きついて寄り添ったままの可符香と共に夜空を眺めていた。  
「良い月夜ですね……今日は満月ですか」  
「先生、私が湯船に入るまでずーっと空見てたじゃないですか?気づいてなかったんですか?」  
「情けない話ですが、さっきまではそういう心の余裕が無かったもので……」  
可符香に問われた望は苦笑しながらそう答えて、それからさらにこう続けた。  
「それに、あなたとこうして二人で眺めてる、それだけでさっきよりも何だか夜空が輝いて見える気がします……」  
「えへへ、それは何よりです……」  
それからふいに望は可符香の方に向き直り、彼女の顔を見つめた。  
眼鏡が無いせいもあるのだろう。  
間近から見つめてくる望の視線に、可符香の顔が赤く染る。  
「ど、どうしたんですか、先生?」  
「いえ、やっぱりあなたとこうして一緒にいると、凄く幸せだなって、そう思えて……」  
さり気なく、何気なく、いつも望の傍らにいて、言葉を交わし合い、いっしょの時間を過ごす少女の存在。  
彼女と一緒に駆け抜けて行く日々は騒がしくて、滅茶苦茶で、だけど何者にも代えられないほどに愛おしい。  
これからもずっと、いつまでだって、彼女の存在を、声を、自分の隣に感じていたい。  
たぶん、これが『好き』という事なんだろうなと、望はしみじみと思った。  
「風浦さん、少しだけ手を離してくれませんか?」  
「はい、いいですけど」  
望に言われて、可符香は抱きついていた彼の左腕から手を離す。  
望はそうやって自由になった左腕で可符香の肩をぎゅっと抱き寄せて……。  
「愛しています、風浦さん……」  
おでことおでこがくっつく至近距離で、彼女の瞳をまっすぐ見つめながらそう言った。  
「先生……」  
可符香は火照った肌をさらに赤く染め、しばらく戸惑うような、恥ずかしがるような表情を見せてから  
「私も好きです。愛してます、先生……」  
嬉しそうに、そう言ったのだった。  
そして……  
「ホワイトデーまで、まだ時間はありますけど、一足先にもう一つプレゼント、貰っちゃいますね……」  
可符香はそっと望の唇に、自分の唇を重ねた。  
望はそれに応えるように、彼女の体をさらに強く抱きしめる。  
そしてそれからしばらく、満月と星達だけが見下ろす中、二人はそのままずっと唇を重ね、抱きしめ合っていた。  
 
そのままどれくらいの時間が経過しただろうか?  
幾度も繰り返すキスの中で、二人の胸の奥の熱情は否応もなく高まっていった。  
そんな時、何気なく望が可符香の肩に置いた手の平が滑り、偶然、彼女の胸に触れた。  
「きゃ…!?」  
「あ、すみません、風浦さん…」  
慌てて彼女から離れようとする望。  
しかしその動きを可符香の腕が止めた。  
「……気にしないでください、先生……」  
「ですが……」  
「……ほんとに気にしなくていいですから……それに、先生の手で触れられるなら、私も……」  
「ちょ…え?…あ?……風浦さん!?」  
恥じらいながらも、潤んだ瞳で上目遣いに見つめてくる可符香の視線に、望は戸惑う。  
このまま流されていいのかという思いの一方で、可符香にもっと触れ合いたいという衝動は望の中で確実に大きくなっていた。  
さらに、揺れ動く望の心にとどめを刺すかのように、可符香がぽつりと呟く。  
「それに…先生だって、本当は私にもっと触りたいんじゃないですか?」  
すっ、と下に向けられた彼女の視線の先には、腰に巻かれたタオルの下で存在を主張し始めた望のモノが……。  
追い詰められた望はもはやぐうの音も出ない。  
「…先生……」  
胸元にかかる可符香の甘い吐息。  
理性と熱情の間で揺れ動いていた望の心の針が振り切れる。  
「風浦さん……っ!!!」  
「あっ……先生…っ!!!」  
さきほどまでのように上半身だけではなく、全身が密着するぐらい強く強く二人は抱きしめ合った。  
舌を絡め合い、意識が遠のくほどに濃厚なキスを何度も交わす。  
温泉で火照り切った肌を触れ合わせていると、それだけで体が燃え上がってしまいそうで、  
望と可符香はもっと深く二人だけの世界へと没入していく。  
 
「…うあ…せんせ……先生の手…熱い……っ!!」  
「あなたの体もすごく熱くなってますよ……」  
敏感な部分を望の指先に触れられる度、可符香の手が、足が、全身がビクリと震えて、水面にしぶきが飛び散り、波紋が起こる。  
温泉の中でただでさえ熱くなった体は必死で酸素を求めるが、  
それ以上の熱と衝動に押されて望と可符香は幾度となく長い長いキスを繰り返す。  
二人の裸体を唯一覆っていたタオルも激しい愛撫の最中に、ほどけて湯船の底へと沈んでしまう。  
「風浦さん、ちょっと体を持ち上げさせてもらいますよ」  
「ふえっ?…せんせい…何して……っああああ!!」  
望は可符香の体を持ち上げ、彼女の背後に回り込むように移動し、湯船のフチに寄り掛かるように座って、再び体勢を落ち着けた。  
そして、彼女の腋の下から細い腕をすっと回して、両の手の平で形の良い彼女の乳房を包み込む。  
それから、繊細で丹念な指使いで可符香の胸を揉みしだき、可愛らしい乳首を指先で転がし、不意打ち気味に何度も首の後ろからキスをした。  
「あっ…ひぁ…ああっ……せんせ……せんせいっ!!!」  
甲高く途切れそうな声で、荒い呼吸の合間に望を呼ぶ可符香。  
その声は望の中の熱情をさらに燃え上がらせ、二人の行為はより深く激しく勢いを増していく。  
望はうなじから徐々に下へ下へといくつものキスマークを可符香の背中に刻む。  
何度も走り抜けるその痺れるような刺激に、可符香は声を押さえ切れず繰り返し甘い悲鳴を響きわたらせる。  
「…ひ…あ……だめ…せんせ…そんなせなかばっかり……」  
「それじゃあ、こっちはどうですか?」  
望はそう言うと、今度は僅かに開いた可符香の脚の隙間に自分の指先を滑り込ませた。  
「うあ…せんせい……そこ…はげしすぎるぅ……ひあああああっ!!」  
ピンと尖ったピンクの突起、神経の集中した敏感なその部分を望の指先はつつき、摘み、繰り返し刺激した。  
一際熱い熱を帯びた入り口の部分を何度も撫でると、可符香はその瞳に涙を浮かべ、我を忘れて声を上げる。  
望もまたその熱のうねりの中で我を忘れて、可符香との行為に溺れていった。  
そして………。  
 
「先生………」  
望の腕の中で喘いでいた可符香がゆっくりと体を起こし、望と向き合うように体勢を変えた。  
「私、先生といっしょになりたいです……」  
「風浦さん……」  
恥ずかしげに、ためらいがちに、だけどはっきりと聞こえたその言葉に、望もしっかり頷いた。  
「私もです。私も風浦さんといっしょに……」  
「先生、好き、先生……」  
自分の肩に顔を埋めその言葉を何度も繰り返す可符香、その背中を望はそっと撫でてやる。  
この少女と、愛し愛されて今ここにいられる幸せを、望は心の底から噛み締めていた。  
「それじゃあ、いきますよ、風浦さん……」  
「はい……」  
望のモノと、可符香の大事な部分、お互いの一番敏感で、一番熱い箇所が触れ合う。  
それだけで二人の全身を甘い痺れが駆け抜ける。  
それから望は可符香を体ごと抱きすくめるようにしながら、ゆっくりと彼女の中へと入っていった。  
「あっく…うぅ…せんせ…のが…わたしのなか……きてる…っ!!」  
望のモノを受け入れたその感覚にビリビリと全身を震わせる可符香。  
望はそんな彼女を気遣うように、ゆっくりと腰を動かし始める。  
「…あぁ…ひあっ…ふああっ!!…せんせいの…わたしのなかでうごいてるっ!!」  
「だいじょうぶですか、風浦さん…?」  
「はい、だいじょうぶです。だから、もっと強く、激しく、先生の事…感じさせてください……」  
やがて、可符香の言葉に応えるように、望の動きはペースアップしていく。  
熱く燃え上がるような望の分身に体の内側から撹拌されて、可符香は夢中で声を上げ、彼の背中に必死でしがみついた。  
「くぁ…ああんっ…あっ…ああっ!!…せんせ…こんな…すごい…すごすぎるよぉ……っ!!!」  
突き上げられる度、可符香の体の中でいくつもの熱の塊が弾ける。  
荒れ狂う熱と快楽の中で、望と可符香はまるで酸素を求めるように、繰り返し唇を重ね合った。  
求めて、求められて、激しく体を交わらせて、どこまでも続く快楽と熱情の連鎖の中で二人は溶け合っていく。  
「く…うぅ…風浦さんっ!!」  
「あっ…は…うあぁ…せんせいっ!…ああっ…きもちいい…きもちいいですっ…せんせいっ!!!」  
もはや二人の頭からは時間も場所も全てが消し飛び、目の前の愛しい人が世界の全てとなる。  
夢中で突き上げ、腰を振りたくり、ほとばしる快感の奔流の中に流されていきそうな互いの心と体を、二人はぎゅっと抱きしめる。  
次第に増大していく快感と熱量は可符香と望を満たし、  
それはついには二人の限界を超えて決壊するダムの如く一気に溢れ出す。  
「風浦さん…もう、私は……っ!!」  
「きてくださいっ!!せんせいっ!!せんせい……っ!!!」  
ビリビリと全身を貫き、心と体を押し流していく巨大な快感の津波。  
その中で可符香と望の心と体ははるか高みへと登りつめていく。  
「くぅ…ああああっ!!風浦さんっ!風浦さん……っ!!!」  
「ああああああああっ!!!せんせいっ!!せんせいっ!!!せんせい………っ!!!!」  
こうして強く強く抱きしめ合ったまま、二人は絶頂へと達したのだった。  
 
それから一時間ほど後の事。  
望は体を横たえて、部屋の布団にぐったりとその体を沈めていた。  
どうやら、可符香と二人きりの露天風呂の緊張感と、長湯が重なってすっかりのぼせてしまったらしい。  
「でも、ほとんど同じペースで温泉に入ってた筈なのに、どうしてあなたはピンピンしてるんですか?」  
「さあ、強いて言うなら『若さ』じゃないですか?」  
一方、こちらはのぼせるどころか、さらに元気になったようにも見える可符香は悪びれもせずそう答えた。  
「うぅ…もう年だって事ですかねぇ……」  
「そうですねぇ」  
「そこは嘘でも『いやだなぁ』って、否定してくださいよ……」  
苦笑しながら望がそう言うと、可符香は心底楽しそうにくすくすと笑った。  
それから、彼女は望の枕元にそっと腰を下ろして  
「ところで……ホワイトデーまではまだもう一時間くらいありますけど……」  
「はあ、何でしょうか、風浦さん?」  
「私からもホワイトデーのお返し、させてくれませんか?」  
そう言って、横たわった望の頭をそっと持ち上げて、自分の腿の上に置いた。  
いわゆる、膝枕の体勢である。  
「ちょっとは楽になりましたか、先生?」  
「はい。柔らかくって気持ちいいです……しかし、ホワイトデーのお返しですか、  
確かにチョコはあげましたけど、逆チョコにもそのルールって適用されるんですかね?」  
「贈り物にはきちんとお礼やお返しをするのが礼儀でしょう」  
「そう言われれば、そうかもしれませんね……」  
可符香は自分のひざの上で気持ちよさそうに目を細める望の頭を、何度も優しく撫でてやる。  
「まあ、それは口実で、前からやってあげたかったんですよね。先生に膝枕……」  
「なんだか、嬉しすぎる発言で血流が増大して、また頭がくらくらしてきたんですが……」  
「心配しなくても、先生が満足するまでいつまでだって、こうしててあげますよ…」  
笑顔で望にそう答えてから、可符香はどこか遠くを見るような表情でもう一言、ぽつりと小さく呟く。  
「本当に、いつまでだってこんな風にしてられたらいいのに……」  
その言葉を聞いて、望は思い出す。  
可符香の人生は何かを失い、誰かと別れる事の連続だった。  
幼い日の望との別れだけではない。  
借金に追われ住み慣れた土地と別れ、友人や親しい人達とも幾度となく別れを繰り返した。  
最も近しい存在である筈の家族も、手の平の、指の隙間からこぼれるように彼女の下からいなくなっていった。  
失う事、別れる事、何度も繰り返したその経験は可符香の心にいくつもの爪痕を残していった。  
今の望にしても同じことだ。  
どんなに彼女の近くにいようとしても、人は唐突に、理不尽にその生命を奪われる。  
でも、だからこそ、望は思うのだ。  
「風浦さん……」  
「先生…?」  
望の手の平が、彼の頭を撫でていた可符香の手の平をぎゅっと握りしめた。  
例え運命に引き裂かれるとしても、それでも立ち上がれるだけの想いを、記憶を、彼女の心に与えよう。  
たとえ明日命を落としても、それから先の人生、笑顔でいられるだけのものを今、彼女に与えよう。  
どんな理不尽な運命だって、互いに握り合ったこの手の平の温もりを消すことはきっとできない。  
そうして、望は優しく微笑んで、彼女にこう言った。  
「私は、ここにいます……あなたのそばに……」  
可符香は手の平に伝わる望の体温と、その言葉にこめられた想いに、ギュッと目を細めて  
「はい……っ!」  
これ以上ない笑顔でそう答えたのだった。  
 

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