「絶望した!先生はもう死にます!」  
「先生、今朝はえらく早いですねー」  
 ある週末の朝のこと。2のへ組の教室では教師、糸色望が絶望していた。いつものごとく。  
「止めないでください!死なせてください」  
 さっそく縄を取り出し、首に巻き付けている。そんな望に向かっててくてく歩いていく少女がいた。  
「えーっと、今日の授業は、教科書の85ページ6行目12字目からです。」  
 生徒・木津千里は教壇の前に陣取ると、勝手に授業を始めた。他の生徒も普通におとなしく(理由があるの  
は明白だが)授業を受けている。望は面食らった。  
「……あのぉ」  
「ここの意味は……。ああ、あれだからこうね。つまり、どうこうそう、という意味です。」  
「あの、木津さん……」  
「千里せんせー、5行目6文字目の漢字は何て読みますかー」  
「もう、可符香さん!それは昨日、やったでしょう!それに、教師を呼ぶときはきっちり名字で呼んでください。」  
 望は完全に放置されていた。すかさず影が現れ、縄をすっと奪い取る。まといだ。  
「あー、誰か聞いてくださる方は」  
 望が口を開くたびにかなりの頻度で邪魔が入った。結局、授業が終わるまで(「来週の授業は125ページ  
3行目2字目からです。」)望は放っておかれた。  
「せんせー!今日はどうさたんですかー?」  
望、話しかけてきた少女を睨みつける。  
「よるなぁ!いつもいつも先生の邪魔をして、楽しいですか!愉快ですか!爽快ですか!」  
「はい」  
 望、可符香の前に崩れ堕ちる。  
「そんな簡単に言うなぁー!」  
「ああ、そういえば。先生、何に絶望したんですか。」  
 千里が入ってきた。望、立ち直る。  
「実は、今朝の新聞に『廃墟、謎の炎上』という記事があったんです…………という訳です。絶望した!連続  
不審火に絶望した!」  
「…………別に、廃病院とか廃ホテルとか先生には関係ないところでしょう。」  
 要するに、連続不審火がこの学校を襲うかもしれないから絶望した、ということらしい。  
「先生、やっと本題に入りましたね」  
「誰のせいですか!可符香さん!」  
「まあまあ」  
「もう、どうでもいいです。」  
 千里は興味を失ったらしく、席に戻って『白をアカと言いくるめる百の方法』という恐ろしくアカい本を読  
み出した。  
「だって、不審火ですよ!連続!恐ろしいじゃありませんか、家が燃えてしまうんですよ!」  
 びくり。  
 騒がしい教室の中で「連続不審火」という言葉に反応した少女がいたが、誰も気づかなかった。  
 
 
 その日の授業が終わった。望はいつも通り宿直室に帰った。  
「ただいま」  
「あ、お帰りなさい」  
 霧が望を出迎えた。なにやら心配そうな顔をしている。  
「あれ、どうかなさいましたか?」  
「先生、これ」  
 霧は封筒を差し出した。  
「ちょっとトイレに行ったら、これがあったの」  
「……私宛てですか。どれどれ……」  
 開封した途端、みるみるうちに青ざめていく望の顔。  
「枕は」  
「え?」  
 意味がよく分からない、といった感じで霧が聞き返した。  
「私の枕はありますか!」  
 ドスドスドス。  
 望は手紙を投げ捨て、押し入れめがけばく進する。しばらくの間ガサガサやっている。  
「絶望した!」  
 なかったらしい。  
「枕、無いの?」  
「はい、無いんですよ……困りましたね」  
 霧は手紙を拾い上げた。新聞を切り抜いて文章をつくっている、いわゆるアレな手紙だ。  
『まくラハいたダ伊た。返して欲しくは今夜中にナントカコントカホテルに来イ』  
 うーん、と唸る望。  
「先生、諦めたら」  
「小森さんはその毛布を諦めることができますか?」  
 霧はすぐ答えた。  
「……そうだね。で、行くの」  
 うーん。ホテルの場所は少し郊外だが、明日は土曜日だ。時間がかかってもなんとかなる。が……。  
「……さて、困りました。どう見ても、廃ホテルに来いと言っていますね」  
 
 
「……結局、来てしまいました」  
 坂を登り終えた望はぜいぜいはあはあ虫の息だった。ケチって自転車で来なければ良かった。  
「ここが、ホテルですか……」  
 廃墟が持つ、あの不思議な魅力はいったい何だろうか。徐々に朽ち果てる、自然に取り込まれていくその姿が、見る者を圧倒する。  
 望もまたその例に漏れず、しばらくの間かつては壮大だったホテルの跡を見つめていた。敷地の大半が草木に埋もれ、ロータリーには誰かが捨てた冷蔵庫がある。  
 吸い殻やビールの空き缶があることから、肝試しスポットだと想像できる。  
 廃墟といえば幽霊がつきものである。もちろん、望はチキンなので明るい内に探そうという腹である。  
 しかし、見たこともないくらい古いビールだった。もう何年も人が来ていないのではないだろうか。  
「しかし、誰の仕業でしょう。まあ大体想像はつきますが」  
 望は呟きながらホテルに入った。  
 驚くほど静かだった。夜逃げしたらしく、あちこちに電話や食器、タオルの残骸やら朽ちたパンフレットが散らばっている。  
 廃墟特有の落書きもあった。誰々が好きとか死ねとか、そういう類のものである。ただし、「チョベリバ」というペンキからして、10年以上前に描かれたものだろう。  
「……これは大仕事ですね」  
 望は必死に探し回った。ベッドの下から厨房の冷凍庫まで。死体がないかと冷や冷やしながら探し回った。しかし見つからない。枕は腐るほどあったが本当に腐っているんではどうしようもない。  
 望はだんだん過敏神経になっていく。  
「なるほど、帰ってみると枕があって『ああ、一杯食わされた!』と言わせるつもりなんですね。はは、その手には乗りませんよ……」  
 望は独言した。2階の客室でとうとう諦めたのだ。  
「しかし……廃墟というのは寒いものですね。暗いのは仕方ないと考えていましたが」  
 探し回っているうちに太陽は傾き、驚くほど赤い夕焼けが窓を通して望を照らしていた。それでも肌寒さは確実に望の神経をむしばんでいく。  
 がたん。  
「……ッ!な、……なんですか」  
 1階から音が聞こえる。がたん、がたん……。  
「……もしかして、警察」  
 望はピーンときた。そうか、私を連続放火魔に仕立て上げて警察に突き出すつもりなんですねー!  
 しかし、その想像は砕かれた。突然、バキーン!という甲高い金属音が聞こえたのである。  
「ヒィ!」  
 バキーン!バキーン!バキーン!ガシャン!!  
「……こっ、これは……警察じゃない……?」  
 望はまたもやピーンときた。  
「放火魔……?鉢合わせするじゃないですか!」  
 望に焼身自殺をするつもりは毛頭なかった。あんな辛い死に方は他に無いだろう。  
「逃げましょう……」  
 
 このホテルには階段が4つある。非常階段はすでに朽ちていた。2つは窓のない、恐ろしい階段だ。となる  
と残るは割れたガラスが散乱する、エントランスホールに通じる大階段のみ。  
「こうなることがわかって私をおびき寄せたのてしょうか……」  
 望は独語する。早足で廊下を駆けていくと、何の前触れもなく床が抜け落ちた。  
「ええぇー!」  
 ガランガランドスンと望は1階に着地する。一瞬、息が止まる。辺り一面が埃で見えなくなった。  
「もしかして、これはアスベスト……絶望した!アスベストに絶望した!」  
 叫んでからはっと気づいたが、もう遅い。埃の向こうに人影が見える。望は言いようのない恐怖に襲われた。死ぬにはまだ早いいい!  
 だが、そこにいたのは意外な人物だった。  
「え……」  
 埃の中から進み出てきたのは三珠真夜だった。  
「三珠さん……って、ちょっと!」  
 真夜はどう見ても着火マンと火炎ビン数個、それにバットを……いや。  
「……いや……これは……これは証拠過多ですね!証拠が揃いすぎています!」  
 真夜は心底驚いているようだった。目を見開いている。  
「……先生」  
「違います、あなたが放火魔なわけがありません!…………今、呼びましたか」  
 真夜は基本的に無口である。たまに可符香と話しているところを見かけるくらいだ。望が話しかけても、た  
いてい頷くとかピストン運動とかで表現する。  
「はい。呼びました」  
 その真夜が、素っ気なく返事をした。  
「……先生はどうしてここに」  
「あ、実はかくかくしかじかうんぬんかんぬん……という訳なんです」  
 急に真夜が動いたので望はびっくりした。真夜は廊下をすたすたと歩いていく。  
「ど、どこに行くんですかー!先生、心細いです!」  
 エントランスホールに出ると夕焼けは消え失せていた。しかし、あまり暗くはなかった。星空がホテルを照  
らしていたからだ。  
「ほう……綺麗ですね……しかし、もうこんな時間ですか……」  
 真夜は入り口の近くに立っていた。ポッと暖かい灯りが2人を照らす。  
「あ、ありがとうございます」  
 真夜は気を使って灯りをつけたらしい。小机の上のたいまつは見たところ危なくなさそうだ。もともとの主  
である公衆電話は床に転がっている。  
「あ、こんなところにあったんですか!」  
 そこには枕があった。出入り口のドアの陰だから見落としたのだ。  
「灯台下暗し、ですね。三珠さんはなぜここに?」  
 少女が背負っているタンクとパイプとバルブは断じて手製火炎放射器ではない、とできる限り思い込みなが  
ら望は聞いた。  
「……」  
 望に背を向けて、真夜は黙り込んでいた。  
「まさか、あなたが枕を……」  
「いいえ、違います」  
「では、何故?何故ここに来たんです?ここへ来るにはそれなりに時間がかかるでしょう」  
 タンクとパイプとバルブを降ろすと、真夜は望を見据えた。目つきが悪い。  
「明日は土曜日です」  
「……まあ、今日は金曜日ですから」  
「明後日は日曜日です」  
「……時間稼ぎはやめてください」  
 真夜の目つきに怯みそうになりながらも望は見つめ返した。優しい口調で語りかける。  
「生徒がどうして、夜遅くにこんな遠い廃ホテルにわざわざ出向くというのです?」  
 真夜は目線をそらした。望は真夜の肩を両手で優しく掴んだ。  
「別に、怒ったりなんかしませんよ。話してください。先生、知りたいんですよ」  
 りーんりーん。虫が鳴いている。どこか遠くを、飛行機が飛んでいく。少し、時間が流れた。  
 
「……私」  
 真夜は視線を望に戻した。そして、語り始めた。  
「私、……寂しいんです」  
「……そうですね。確かに貴女は他の生徒さんに比べて、あまり出番が」  
「私、それはどうでもいいんです」  
「どうでもいい?」  
「はい」  
 望は腕を組んだ。  
「出番が……意外ですね」  
「………………」  
 真夜はバットを引きずりながら倒れた自動販売機の前に行った。それがへこんでいるのは気のせいだろう。  
「……私は……無口です」  
 自動販売機の埃を手で払いのけながら真夜は言った。  
「別に、主役でなくても台詞がなくてもコマに入ってなくても……私は構わないんです」  
 真夜は自動販売機の上に座ろうとした。  
「ああ、待ってください……これを」  
 望はどこからともなくタオルを取り出すと、真夜に渡した。  
「……ありがとう」  
 真夜は少し赤くなっていた。タオルの上に座ると、また語りだした。  
「……でも……私……」  
 真夜は星空を見上げた。  
「いつもの教室でもみんなから忘れられている気がして……」  
「三珠さん……?」  
「いつも、私じゃないって」  
 手元のバットをいじりながら、真夜は寂しそうに言った。  
「……気づいてほしいのに。それなのにみんな……みんな私がやったんじゃないって」  
 望は今までの彼女を思い出していた。そういえば、望はいつも「証拠過多」の一言ですましていた。クラス  
メートも多かれ少なかれそういうところがあった。そして、ついさっきも……。  
「悲しくなるから……」  
 真夜の声の調子が少し変わった。  
「休みの日はあちこちの廃墟で過ごすんです。私を忘れる人もいないから……」  
 バットをいじる手が止まる。  
「廃墟は……好きなんです」  
「ああ……いつかのダークマターの回ですね」  
「……廃墟は、私とおんなじ……みんなから忘れられているから……先生は気づきましたか」  
 望は何のことか、よくわからなかった。  
「何に、です?」  
「ホテルの前にある、機関車に」  
「機関車?」  
 真夜は立ち上がると、たいまつを入り口で掲げた。  
 言われて初めて気づいた。2台の自転車があるその先に、昔は黒く重厚だった蒸気機関車が、今は赤錆だら  
けになり、草木に紛れて朽ちるに任されている。  
「何故、こんなところに」  
「ホテルの支配人が、モニュメントに置いたんです。でも……今は見に来る人もいない……」  
 わずかに見えていた機関車は、たいまつが小机に戻ると同時に消え去った。  
「私は、誰にも気づかれないんです」  
 真夜は望を見据えて訴えた。  
「では……さっきの音は……」  
 反射的に真夜はバットを握りしめていた。望は、その顔に涙の跡があることに気づいた。  
「それだけじゃないんです…………私は…………しました」  
 真夜は望に詰め寄った。普段の真夜からは想像できない積極性だ。  
 
「私は……放火をしました……ここにも……しようと思いました」  
 真夜の目には涙が浮かんでいた。  
「先生、私です……私がやったんです……私が……私が……」  
 ベルトに挟んである火炎ビンを取り出すと、ガソリンとタールが混じった「モロトフのカクテル」を望の鼻に近づけた。つんとするにおい。  
「気づいてください……私なんです……気づいてください……」  
「三珠さん……」  
 とうとう真夜は泣いてしまった。望は途方にくれた。自分のせいで自分の生徒を苦しめてしまったようだし、かと言って認めたら認めたで警察沙汰になり、彼女の未来は閉ざされてしまう。  
「……三珠さん」  
 真夜は涙をぬぐった。普通の少女のようにしゃくりあげることはせず、ただ涙を流すだけだった。どうしようもなく……望は真夜を優しく包み込んだ。真夜が息を呑む。  
「泣きなさい……泣きたいときは泣きなさい。先生、いてあげますから。あなたのそばに」  
 微かに震えていた。ためらいがちに望にすがりながら、真夜は静かに泣き続けた。ひんやりとした夜のとばりの中で、それだけが暖かかった。  
 
 
「えー、今日は125ページ……ってずいぶん進みましたね。というか、範囲外ですよここ」  
 月曜日、絶望先生はいつも通り授業を行っていた。生徒はうわべでは授業を受けているようだったが、ゲームをしたり目を開けたまま寝たり漫画を描いたりしていた。  
 真夜は……千里を除けば唯一まともに授業を受けている。普通にノートを取り、絶望先生が言っていることを書き留めていた。  
 あれで、よかったんでしょうか。  
 望は自問した。彼女を受け止めることで……そもそも受け止めることができたのだろうか……彼女は変わることができるのだろうか。  
 鐘が鳴る。授業は終わった。  
「先生」  
 手をあげているのは可符香だ。望は眉をひそめる。  
 他の生徒は気にも留めず、わいわいがやがや好き勝手に休み時間を楽しみ始めた。  
「はい、なんでしょう」  
「金曜日は楽しかったみたいですね」  
「はい?」  
 可符香はさも嬉しそうに真夜を振り返った。  
「ね、真夜ちゃん!」  
 真夜はコクリと頷いた。……まずい。望、何かに気づく。可符香はことさら大きな声で真夜に質問した。  
「先生はどんな味だった?」  
「……暖かかった」  
 真夜のその一言で、ぱしゅんという音がした。しんとなる教室。飛び交う紙飛行機が地に墜ちた。  
「三珠さん、それは本当?」  
 千里だ。すこーし髪が乱れている。いや、また数本ばらけた。○ピュタ崩壊の如く、ばらけていく。  
「うん」  
 教壇の下から貞子よろしくまといが這い出てくる。望の着物をつかんで、ぐわんば!  
「どういうことですか、私といふ者がありながら!」  
「い、いや、あの」  
「真夜ちゃん、変なことされなかった?……誰、いま普通って言ったの」  
「この変態教師!……真夜ちゃん、いい弁護士を紹介するわ」  
 奈美とカエレだ。だんだん人が集まってくる。加賀さんはしきりに謝っているし、久藤はもう木野を泣かせている。  
「先生、三珠さんに手を出したんですね。」  
 スコップがからーんからーん。もはや千里の髪は乱れに乱れきっている。  
「そうなんですね。……やっぱり、理解させないとね。」  
 慌てる望の前に可符香がやってきた。  
「あららー、やってしまいましたねー、せ・ん・せい!……いい仕事をなされましたね」  
 可符香は望を煽りながら、確かに声を落としてそう言った。  
「あなたの差し金ですか。やっぱり」  
 望もひそひそと言った。  
「うふふ……真夜ちゃんを見て、先生」  
 つられて真夜を見ると、クラスメートに囲まれていた。真夜は心なしか微笑んでいるように見えた。あびるが何かを囁いて、真夜はさらに少し笑った。  
「ありがとうね、先生。真夜ちゃん、楽しそうですよ」  
 望はため息をついた。首をしきりに振っている。  
「……まぁ、よしとしますか……殴られ損ではないでしょう」  
 

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