いつまでも止まない雨の音を聞きながら、木野国也は図書室で新たに購入された本の整理を行っていた。  
やたらと広い上に、無数の書棚が影になる図書室はやたらと薄暗い。  
窓の外の景色も、空を覆う黒雲と降りしきる雨に閉ざされて、その暗さに拍車をかけていた。  
その上、天井から吊るされた電灯や蛍光灯の明かりはどこか人工的な嘘くささを感じさせて、  
ただでさえうら寂しい国也の気持ちを余計にどんよりと曇らせた。  
「ふう……これで半分は終わり……って、やっと半分かよ…!!!」  
新年度の開始に伴って大量に購入された図書の数々、事典や辞書の類も混ざっているので重さもかなりのものになる。  
新しい図書を書棚に並べ、整理するのは図書委員の仕事……なのだけれど、今の国也は一人で作業を行っていた。  
同じクラスの図書委員である久藤准や大草麻菜実も作業を手伝う筈だったのだが、  
妙に寒い今年の春の気候にやられて、二人とも風邪で倒れてしまったのだ。  
准からはその事について、今日の昼謝罪の電話があった。  
『ごめん…よりによってこのタイミングで風邪をひくなんて……』  
「いいって。図書室の作業は俺が終わらせとくから、しっかり休んでろよ」  
『でも、明日には何とか学校に行けると思うし、その時にやった方が……』  
「病み上がりのヤツに仕事やらせるわけにはいかないだろ。  
いつまでも新しい本が図書室に並ばないのもマズイし、今日の内に出来るだけやっとくさ」  
『……わかった。頼むよ、木野』  
真奈美も日ごろ溜まった疲れのせいもあって、あまり病状はよろしくないらしい。  
というわけで、国也は腹を括ってこの大仕事に一人挑む事になった。  
「……正直、ちょっと見積もりが甘かったな。……でも、何とか今日中には終わらせられるだろ」  
まだまだうず高く積まれた本の山を見ながら、国也は気合を入れなおして作業の続きに挑む。  
その時、両脇に本を抱えて立ち上がった国也の背後から、何やらトタタタタ、と慌てた足音が近づいてきて……  
「す、す、すみません……遅れてしまいましたっ!!!!」  
図書室の扉を勢い良く開き、飛び込んできた少女がそう叫んだ。  
「えっ?…加賀…さん……!?」  
予期せぬ人物の登場に国也はただ目を丸くするばかり。  
そんな彼の前で、どうやら全力疾走でここまでやって来たらしい加賀愛は息を切らせながら、  
「本当に、すごく遅れてしまいましたけど…手伝いにきました、木野君っ!!」  
そう言ったのだった。  
「て、手伝いって?」  
「図書室の新しい本を並べるお手伝いですっ!!」  
「で、でも……俺、そんな事、加賀さんに頼んでなんか……」  
「はい。私の方からお願いしました……」  
愛のその言葉で、木野は今日の昼休憩の出来事を思い出す。  
 
昼食を食べていた国也の前に突然、愛が飛び出してきたのだ。  
「ききききききき、木野君……っ!!!!!」  
「うわっ!?加賀さんっっ!!!?」  
固く拳を握り締め、緊張に顔を真赤にした彼女は国也にこう叫んだ。  
「手伝いますっっっ!!!」  
「えっ?えっ!?」  
「私なんかがいても木野君の邪魔になるだけかもしれませんけど、その時は遠慮なく追っ払ってもらって構いませんから  
体育の授業の関係で遅れちゃうかも知れませんけど、必ず行きますから、手伝わせてください………っっ!!!!」  
驚く国也にそれだけまくしたてて、愛は走り去っていった。  
その時の国也にはまるで意味が分からなかったのだけれど………  
 
「つまり、手伝うってのはこの図書館での作業の事で……」  
「はい。なんだか木野君一人だと大変そうだと思って……でも、体育の後片付けが長引いて、こんなに遅れてしまって……本当にすみません……」  
「いや、そんな加賀さんが謝らなくてもいいよ。手伝いに来てくれてすごく嬉しいし……」  
どうやら愛は国也が一人で図書委員の作業をする事をどこかで聞いて、それを手伝いたいと思ってくれたらしい。  
しかし、国也はちょっと悩んでしまう。  
愛が自分の為にそんな申し出をしてくれた事自体は嬉しいのだけれど、  
(でも、加賀さんに本を運んでもらうとか気が引けるなぁ……)  
自分が好意を抱く女の子に、無理に肉体労働をしてもらうのは国也の男の意地とか、そういうヤツが許してくれそうにない。  
だけど、目の前でこちらを見つめる愛の瞳はどこまでもまっすぐだ。  
(……駄目だ。『手伝わなくていい』なんて言ったら泣かせちゃいそうだ……)  
引くも進むもままならず、思考の板挟み状態で悩みぬく国也。  
そんな彼の前で愛の瞳の色が少し不安げに揺れる。  
結局のところ、今の国也に好きな彼女の申し出を跳ね除けるような真似は出来ないわけで……。  
「……わかったよ。まだまだ運ばなきゃいけない本はあるし、加賀さんの好意に甘える事にするよ」  
「はい。お邪魔にならないよう、頑張ります!」  
その返答を聞いた愛が浮かべた笑顔は、引っ込み思案でいつもオドオドしてる彼女を忘れさせるほど明るくて、  
国也はドキリ、胸の中で心臓が跳ね上がるのを感じたような気がした。  
 
というわけで今度は二人がかりで再開された新規図書の並べ替え作業。  
実は、国也がこの作業に手こずっていたのには、本の多さ以外にもう一つ理由があった。  
それはこの学校の図書室の独特の造りにある。  
中央に吹き抜けを設け一階と二階に分かれた二層構造、おかげでこの図書室は下手な図書館をしのぐ蔵書量を誇っているのだが、  
こんな風に図書の整理を行うときには、図書委員は上へ下へ行ったり来たりを繰り返す羽目になってしまうのだ。  
小説、伝記、図鑑など、それぞれの区分毎に本を仕分けして、その棚の所まで運ぶのが国也のやり方だったのだが、  
国也がさんざん苦労を重ねたにも関わらず、二階に運ばなければいけない本はまだかなり残されていた。  
とりあえず、国也は愛に一階の本を任せ、その間に残りの本を全て二階に運んでしまおうとしたのだけど……  
「くっそ……これくらいでバテるとは…情けない……」  
愛が来る前からずっと作業を続けていた国也にはそれは少し無理な注文だったようだ。  
「……木野君、一階の本、全部並べ終わりました」  
タイムアウト。  
残りの本は全て自分がやると言っても、きっと愛は納得しない。  
(加賀さんにあんまり無理はさせたくないんだけどな……)  
なんて考えている間に、国也の傍までやって来た愛は両手にたっぷりの本を抱えて微笑む。  
「…それじゃあ、二階の方も頑張りますね。木野君…」  
心なしかいつもの彼女より元気そうに見える。  
(……こっちのつまんない意地で加賀さんの好意をないがしろにはできないよな……)  
そんな愛の様子を見ながら、国也も同じく本を抱えて作業の続きを再開した。  
 
やはり、基本的に人手というものは少ないより多い方が良いものだ。  
愛が手伝ってくれたお陰で作業は国也が考えていたより早く片付きそうだった。  
ただ、あまり力仕事には慣れていないらしい愛が、あまり無理をしないかが少しばかり心配ではあったけれど。  
「これを上に運んで並べたら、次の次でお終いですね、木野君……」  
「ありがとう、でもあんまり無理しないでよ。加賀さんのお陰でもうだいぶ作業進んだから、そんなに急ぐ必要ないし」  
「…大丈夫です……本当にあと少しなんですから……」  
よいしょ、と本を抱え上げ歩いていく愛の足元を見て、国也は気付いた。  
少しふらついている。  
彼女の性格からして予想できる事ではあったけれど、やはり少し無理をしているようだ。  
しかし、二階への階段を登り始めた愛を今更止める訳にもいかない。  
慌てて彼女の背中を追いすがった国也だったが、少しばかり遅すぎた。  
「あ………」  
それはほんの一瞬の出来事。  
階段を踏み外した愛の体がバランスを崩して後ろに倒れる。  
両手で本を抱えていた彼女は、手すりで体を支える事が出来なかった。  
一方、それを見た国也は咄嗟の判断で本を投げ捨て、両腕で愛の体を受け止めにいった。  
「きゃあああああっっっ!!!」  
愛の両手からこぼれた本達がゴツン、ガツンと国也の肩や脚、額を打ち据える。  
それでも、国也は愛に向かって必死で腕を伸ばし……  
「加賀さんっっっ!!!」  
間一髪、床に落ちる直前に、自分の体をクッション代わりにして彼女の体を受け止めた。  
「…っはぁ…はぁ……大丈夫、加賀さん?」  
「はい、木野君………でも…」  
とりあえず大事ない様子の愛の姿に国也はホッと息をつく。  
しかし、当の国也自身のダメージはなかなかキツイものだった。  
愛が思わず手放した本達が全身にぶつかった上、彼女の体を受け止めるとき少しばかり関節に無理をさせてしまった。  
「……すみません…私が変に焦ったりしたせいで、木野君に怪我までさせて……」  
「大した事ないよ。ほら、全然平気だって……って、痛てて……」  
「…木野君っ!!」  
「うぅ…ごめん。ちょっとキツイみたいだ……」  
 
思いがけず体を駆け抜けた痛みに国也が顔をしかめるのを見て、愛の顔に暗い後悔の色が浮かぶ。  
「…本当に……本当にすみません。無理を言って勝手に押しかけて、結局、木野君の足手まといになって……」  
階段下の床に尻餅をついたままの国也の背中に手を回し、体を起こすのを手伝いながらぽつりぽつりと愛が呟く。  
どうやら国也はそこまで酷い怪我をしている訳ではないようだが、それは結果論に過ぎない。  
もっと酷い事になっていてもおかしくはなかったのだ。  
逆に、国也ではなく、愛の方が怪我をしていたとしても迷惑な事には変わらない。  
愛はこの少年の優しさをよく知っている。  
自分の仕事を手伝ってもらって、それで愛が怪我などした日には、国也はとてつもない罪悪感に苛まれる事になっていただろう。  
風邪で休んだ准や麻菜実の代わりに大変な仕事に一人で挑もうとしていた国也。  
愛はその事情を知って、彼を手伝いたいと考えた。  
差し出がましい事ではないか、邪魔になりはしないか、何度も自分に問いかけた。  
それでも最後には、彼の助けになりたいという気持ちの方が勝った。  
だけど、結局はこの体たらくだ。  
「……そもそも、私ごときが木野君の手助けができるなんて考えたのが、きっと間違いだったんです……」  
そう言って、愛は力なくその場に俯いてしまう。  
だけど、そんな彼女の手をぎゅっと握り締める優しい温もりを愛は感じた。  
「そんな事ないよ、加賀さん……」  
国也がこちらを見ていた。  
愛の顔をまっすぐ見つめて笑っていた。  
「加賀さんが来てくれて、俺、助かったよ……大見得切って一人で作業するって言ったけどやっぱり俺だけじゃ手に余る仕事だったし…」  
「でも…私は木野君に怪我をさせて……」  
「運が悪かったんだよ。そういう時って誰にでもある。加賀さんは俺を手伝いに来てくれただけ、自分を責める必要なんてない」  
それから国也は照れくさそうにはにかんで、こう続けた。  
「それに……加賀さんが来てくれて、俺、嬉しかったから……」  
「……えっ?」  
「薄暗い図書室で一人ぼっちで本を運んで、多分、少しだけ気が滅入っていたんだと思う。  
だけど、加賀さんが必死で駆けつけてくれて、『私も手伝います』ってそう言ってくれた。それだけで、俺……」  
「木野君……」  
何時の間にやら、愛を責め立てていた自責の念は薄れて消えて、胸の中にはさっきの国也の言葉だけが繰り返されていた。  
『加賀さんが来てくれて、俺、嬉しかったから』  
作業が早く終わるとか、迷惑がかかるとかかからないとか、そういう話じゃない。  
ただ、愛がそこにいる事、それが嬉しいと彼は言ってくれた。  
その言葉を胸の中で呟く度に、何だか頬が熱くなって、心と体がふわり、浮き上がっていくような錯覚を覚える。  
国也を手伝いに来た筈なのに、いつの間にか自分の気持ちを助けられている。  
それが申し訳なくて、だけどそれ以上に嬉しくて、いつの間にか愛の顔にもいつもの控えめな微笑が戻っていた。  
「……さて、流石にこの状態から作業を続けられそうにはないし、今日はもう帰るしかないか……」  
そう言って痛む体を近くの机に寄り掛からせながら、国也が立ち上がる。  
愛は咄嗟にふらつく彼の体にそっと寄り添い、背中に腕を回した。  
「…加賀さん?」  
顔を赤くして驚く国也に、同じく赤い顔の愛が答える。  
「……保健室まで、肩を貸しますから……」  
「そ、そこまでしなくても、一人で歩けるから……」  
「……私がこうしたいんです……」  
それ以上は何も言えず、それでもピッタリと寄り添った二人は、散らばった本の片付けだけを済ませて図書室を後にした。  
痛む体も、心を苛む罪悪感も、もうさしては気にならなかった。  
間近に感じるぬくもりは、いたわり合う互いの心まで伝え合って、国也と愛、二人の心を暖かく包み込んでいた。  
 

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