歩いても歩いても途切れることの無い塀。
それでも出口を求めて進み続けた望の行き着く果てにあったのは、彼が逃れようと飛び出た筈の獄舎だった……。
奴隷の鎖自慢。
奴隷の立場に慣れ切った人間達はいつしか自分を戒める鎖の重さや太さを自慢し合い出すという。
それと同じように、世の中の多くの人達は自分の抱え込んだ労苦を見せびらかし、自慢する。
アイドルの為にどれだけの金と時間と労力を注ぎ込んだか。
どれだけ仕事が過酷であるのか。
もっと単純なところでは、寝てない自慢に貧乏自慢。
そしてその中には互いに鎖自慢で繋がれ、共依存関係に陥った者達もいた。
望と、彼が担任を勤める2のへの生徒達もそんなお互い離れるに離れられない関係にあった。
担任望のダメっぷりを鎖自慢する生徒達。
絶望的な生徒達の担任となった苦労を鎖自慢する望。
ふと足元を見れば、生徒達の足枷から伸びた鎖と望の鎖は繋がっていた。
「これはもはや絆です!」
相変わらずのポジティブシンキングでそう告げた可符香に背を向け、望は逃げ出した。
「そんな関係、いつかは断ち切らなければいけないのですっ!!」
しかし、結局のところ、逃げ場などどこにも無かったのだ。
なぜならば………。
「この国の人全てが何らかの囚人だから どこまで行っても鎖自慢です」
言い切った可符香の言葉の通り、この国全てが鎖自慢の人々で溢れかえった塀の中だったのだ。
疲れ果て、再び生徒達の下へ戻って来た望は、カチャリ、再び自らに足枷をはめて呟いた。
「ああ、安心する」
ぺたりと座り込んだ望の顔に浮かぶ気の抜けたような笑顔。
それを少し離れた場所から見つめて、ニヤマリと微笑みを浮かべる少女が一人。
「先生も、ようやく理解してくださったんですね」
「ああ、風浦さん……」
とたとたと歩み寄ってきた可符香の声に、望は顔を上げて応える。
望の傍らに腰を下ろした可符香は彼の足首からのびる鎖を持ち上げて、若干得意げにこう言った。
「戻って来てくれるって信じてましたよ。やっぱり先生とみんなの間には強い『絆』があるんですよ」
「まあ、そういう事になるんでしょうかね……」
可符香の言葉に、望は苦笑交じりで答える。
それから、可符香の手から自分の足枷の鎖を受け取って、望はこう続けた。
「『絆』……確かにそうなのかもしれませんね。
文句を言い合いながら離れようとしない共依存ってのも一つの見方なんでしょうが、それでもこれは『絆』の証なのかもしれません」
手の平の上、鎖を弄ぶ望の脳裏に浮かぶのは2のへでの騒がしい毎日の光景だ。
生徒達にはたくさん迷惑をかけたし、逆に迷惑をかけられもした。
それが不愉快なだけのものならば、それは望と生徒達を互いに縛り付ける共依存の鎖という事になるかもしれない。
だけど、実際は少し違う。
望にとって頭に浮かぶ厄介なはずの生徒達の笑顔は、同時に愛しいものでもある。
かけた苦労や迷惑と同じ分だけ、望は2のへの生徒達とすごす時間を心地よく感じていた。
「……つまり、それって受け入れ合ってる、って事じゃないかと思うんですよ。いいものも悪いものも一緒に与えて、与えられて……。
そう考えたら、あなたの言った『絆』って表現もあながち外れてないような気がしたんです。
………まあ、皆さんが私の事をそういう風に思ってくれてるかどうかはまた別の話ですけど………」
言い終えてから、望は少し照れくさそうに笑った。
「……なんか語りが長すぎましたね……私、変なこと言っちゃったでしょうか?」
「いえいえ、せっかくの良い話を自虐で締める一貫したキャラクター性、先生は漫画キャラの鑑ですよ!」
「う…ぐぅ……茶化さないでください」
「でも、私も先生の言う通りだと思います」
からかいをまじえながらも、可符香は望に答える。
「いい所も悪い所も何故だかどっちも愛しくて好きになって…そうやって繋がっていく『絆』ってあるんです」
「まあ、どっちにとっても良い事のない、どうしようもない共依存もあるんでしょうけど、それだけじゃないものもある。…今はそう思えます」
だけど、笑顔で語る望は気付いていなかった。
望の傍らで、同じく微笑みを浮かべた可符香の表情に、少しだけ影が差している事に……。
(絆か……)
口の中で、可符香が小さく呟いた。
彼女が視線を下げると、そこにはシマシマの囚人服のズボンから飛び出した自分の足首が見えた。
そこには他のみんなのような、足枷や鎖は存在しない。
心の中はともかくとして、ポジティブを信条とする彼女は他人や、周囲の状況を悪く捉える言葉を口にしない。
何でもかんでも、全てのものを強引にポジティブに捉えて、そうして笑っているのが可符香の生き方だ。
だけど、誰にも何にも文句を言わない彼女のやり方は、いつの間にか彼女を人と人との関わりの中から遊離させてしまう。
望が語った通り人間同士の関係とは、文句を言ったり言われたりしながら良いところも悪いところも受け入れていく、そういうものだ。
だけど、誰にも不平不満を語らない彼女は、その繋がりの中から外れてしまう。
しがらみだらけの現実から離れた場所で生きている彼女は、自分だけが他のみんなから切り離されて生きているように、心のどこかでいつも感じていた。
可符香は何となく、足枷に繋がれていない自分の足首にそっと触れてみる。
(さびしい…のかな?)
可符香が生きてきたこれまでの人生は過酷で苛烈なものだった。
前向きに、ポジティブに、そうでもしなければ耐える事なんて出来やしなかった。
だけど、今度はそれが可符香を周囲の人間達から引き離すように働いている……。
(でも、今更生き方を変えられるわけじゃないから……)
諦めたような表情を浮かべて、可符香は心中に小さくそう呟いた。
だけど、その時……
「風浦さん?」
「は、はい?」
いつの間にか俯いていた顔を、望が覗き込んでいた。
「……ど、どうしたんですか、先生?」
「いえ、あなたが急にぼーっとし始めたものだから……」
そこで、望は可符香の足に、鎖に繋がれていない足首に視線を落とした。
「……あなたには足枷も鎖もないんですね」
「………………」
ちょうど先ほど思い悩んでいたところを突かれて、可符香の体がギクリと固まる。
望はそんな可符香の様子に気付いた素振りも見せず、ただ彼女のすぐ傍へすっと寄り添ったかと思うと
「風浦さん、失礼します……」
可符香の手の平をぎゅっと握りしめた。
「ふえ…は、はい?…先生…?」
戸惑い、頬を染める可符香に、望も顔を赤くしながら
「いや、だって鎖が無いって事は私の足枷とも繋がってないって事でしょう?何だか寂しいじゃないですか?」
子どもが言い訳するみたいな口調で、そう答えた。
「……別にこんな鎖だけが『絆』の形じゃないでしょう。どんな形であってもいい。私はあなたと繋がっていたいんです……」
ぎゅっと、可符香の手を握る望の手の平に力が込められた。
そのぬくもりが、優しい指先の感触が、可符香の心にわだかまっていたモノをゆっくりと溶かしていく。
「……嫌…だったでしょうか…?」
おっかなびっくり、といった様子でそう尋ねた望。
その顔を見つめる可符香の胸に湧き上がるのは、言葉にならない、じんわり温かい気持ち……。
「いやだなぁ、そんなわけないじゃないですか。むしろ、私の方からこうしようって思ってたぐらいなんですから……」
可符香は望の手の平を強く強く握り返した。
そして、ホッとした様子の望の表情を見つめながら、可符香は思う。
考えてみれば、何も心配する事などなかった。
確かに、可符香の世の中や人間に対する関わり方はどこかいびつで、それは可符香の心を周囲の人々から遠ざけるものかもしれない。
それでも、可符香は今確かにここにいるのだ。
自ら選びとり、進んできた道の先で、2のへの一員として過ごす日々に、確かな充足感を感じている。
『絆』の形に正しいも正しくないもありはしない。
きっと世界中の誰もがそれなりに歪で、自分なりのやり方で恐る恐る手を伸ばし合い、繋がり合って、『絆』を形作ってきたのだ。
それは可符香も同じ事。
何も不安になる必要なんて無い。
何より、ここにはこうして、可符香の手の平を強く握ってくれる人がいるのだから。
「先生、もうちょっとこのまま、手を繋いでてくれますか?」
「……はい」
どちらともなく指を絡ませ合って、より強く繋がる二人の手と手。
互いのぬくもりを伝え合うその感触もまた、確かにひとつの『絆』の形だった。