人を惹きつける要素というのはまあ色々あるだろうが、『話上手』なんてのは誰もが頷くところだと思われる。
人間は言葉の動物、円滑なコミニュケーション、楽しい会話はそれだけで人に潤いを与える。
彼、久藤准もそういった言葉のやり取りを得意としている人間だ。
「でさ、それからずっと親と話せてなくてさ」
「仲直りしたいんだ?」
「えっ?いや…そんな事……ないと思うけど……やっぱり、そうなのかな?」
「少なくとも、ちょっと寂しそうに見えたから。たぶん、親だって同じ気持ちなんじゃないかな」
「そう…かな」
「今はケンカしたばっかりで互いに声を掛けづらい雰囲気になってるだけで、話してみたら案外って事もあると思うよ」
「うん。そうだね。今日、学校から帰ったら、ちゃんと話してみる」
「それがいいよ。きっと向こうももう一度話すタイミングを待ってる」
「ありがとう。なんだか少し楽になったな。やっぱり、久藤君って凄いね」
ペコリと頭を下げた女子に、准は優しく微笑んで見せる。
彼はとかく言葉に関しては凄まじいまでのセンスを持った少年だった。
先程の女子も話している最中、親と仲直りしたいという本音がそこかしこに見え隠れしていた。
だから、准はなるべく彼女にそれと意識させないように、自分の素直な気持ちに気付くよう言葉を掛けていったのだ。
ただ、これは久藤准という言葉の天才の、真の才能の余録に過ぎない。
「あ、そういえばさあ、昨日やってたテレビで世界のピザなんてコーナーがやっててさ……」
「………ピザ…」
話が一段落した所で別の女子が振ってきた話題、そこに含まれていた言葉が准の脳裏にひらめきを与える。
キラリ、瞳を輝かせ、すっくと背筋を伸ばし、朗々とした声で彼は語り始める。
「…『カルロおじいさんのピザ』」
「ああっ!久藤君がまたっ!!」
「どうしていつもこう突然スイッチが入っちゃうのよ!!」
彼の真の才能、それは物語を生み出す事である。
ふとしたきっかけからインスピレーションを得て、即興で語り始める物語の数々はどれも聞く人の涙を誘わずにはおかない感動ストーリーばかり。
そしてそのあまりの破壊力ゆえに一度語り始めたこの天才ストーリーテラーを止められる人間は皆無である。
「ちょ!久藤、ストップだ!ストップ!!」
慌てて駆け寄る木野国也の声も今の准には聞こえない。
やがて、彼が紡ぎ出すストーリーに誰もが魅入られ、クラスの全員がただじっと准のお話を聞くだけの状態となる。
………その筈だった。
「チョット、ソコ通るヨーッ!!!」
元気いっぱいに教室に響き渡った声が、准の声をかき消した。
それでも気づかずに話し続けていた准の頭を跳び箱の要領で押さえ付け、褐色の影がその上を飛び越えていった。
「こらーっ!マリアちゃん、止まりなさいってばーっ!!」
制止の声も聞かず、その少女、関内・マリア・太郎は机の上を飛び石の要領で渡って、窓から外へ飛び出して行く。
「ちょ…ここ二階なのよ!?」
マリアの無謀な行動に思わず悲鳴を上げる者もいたが、彼女は校舎の壁を蹴り向かい側に植えられた木の枝に見事につかまった。
彼女がするすると樹の幹を滑り降りていくのを見届けてから、教室の一同はゆっくりと後ろを振り返った。
そこには、マリアの足場の一つにされて、床に思い切り倒れ込んだ准の無残な姿があった。
「…く、久藤くん、大丈夫!?」
心配げに語りかけるクラスメイトの声を遠くに聞きながら、霞む意識の片隅で准は呟く。
(……ああ、まただ……どうしたんだろう、最近のマリア……)
彼の脳裏には、最後に視界に映ったもの、マリアの天真爛漫な笑顔が何故か少し陰りのあるように見えていた……。
実のところ、ここ最近、准の周囲では同じような事が立て続けに起こっていた。
彼がクラスメイトと会話をしているとき。
図書室で本を読んでいるとき。
准がごく普通に過ごしているそんな瞬間に、いつも唐突にマリアは現れる。
大抵は勢い任せにその場に突っ込んで来て、准のいる方に全身でダイブ。
そしてそのまま、来たときと同じ勢いでそこから走り去ってしまう。
そんな訳で、ここのところのマリアの襲撃の為、准はいくらか疲れ気味だった。
「………ん?……ああ、またやられちゃったのか……」
消毒液のにおいと、窓から差し込む西日のまぶしさの中、うっすらと目を開けた准はその体を気怠げにベッドの上に起こした。
「えっと…確かあれは昼休憩の事だったから…そっか、午後の授業、まるまる寝ちゃってたのか……」
野生児マリアのパワフルさは体格では彼女を上回る准を軽く圧倒してしまう。
それに上述の通り、このところのマリアの襲来のお陰で、准は疲れていた。
だが、当の准にそれを気にする様子はない。
彼が考えていたのは、マリアの事。
気絶する前に見た彼女の笑顔の事だった。
彼には一見いつも通りのマリアの笑顔が何か不自然なもののように見えた。
本当に言いたいこと、伝えたいこと、そんなあれこれを裏側に隠したつくりものの笑顔のように……。
「でも、わからない……マリアは何を伝えたいんだろう?どうしてあんな事を繰り返すんだろう?」
だけど、悩めば悩んだだけ、准の疑問は深まるばかり。
今のマリアがおかしい事に疑いはない。
以前から元気すぎるぐらい元気な少女ではあったけれど、最近の彼女の行動は少し度を越していた。
マリアは賢い。
ちょっと人には言えないルートでこの学校にやって来た彼女だったけれど、その適応力は目を見張るものがあった。
時折口にするシニカルな言葉、物の見方など、その辺の高校生などよりずっと達観している節もある。
そんな彼女が自分のやっている事を理解できていない筈はないのだけれど………。
「駄目だ……やっぱり、分からない…」
深くため息をついて、准はもう一度ベッドに横たわる。
マリアの襲撃を受けた昼間も、クラスメイトからの相談を受けていた准。
相手の話の中から、その人の訴えたい事、大事だと考えている事、そういったものを汲み取れる准はクラスの仲間達にも頼りにされていた。
そういう役回りを彼自身、自覚してもいた。
「だけど、駄目なんだ……それじゃあ、足りない………あの娘の、マリアの気持ちには触れられない……」
しかし、今は言葉をかわさなければ、相手の心に近づく事の出来ない自分が、ひどくもどかしかった。
と、そんな時である。
「おーっす!」
ガラガラと勢い良く扉が開けられて、聞き慣れた声が保健室に響き渡った。
「あ……木野…」
「お、やっと起きたな、久藤」
ベッドの上の准の姿を認めて、ニッと明るい笑顔を浮かべる馴染みの友達、木野国也。
その明るい表情が准に少しだけ元気をくれた。
(このままじゃいけない……)
自分一人で悩んだところでドツボにはまり続けるだけ。
だけど、誰かが悩み続ける自分にほんの少しでも力を貸してくれたなら……。
准は決めた。
マリアの事を国也に相談しようと。
「ふーん、マリアが変ねえ……」
「うん。多分、何か伝えたい事があってやってるんだと思うんだけど……」
学校からの帰り道、准は国也に最近のマリアについて考えていた事を話した。
准の話を聞き終えた国也は腕を組んでしばし考え込む。
「確かに、最近はちょっと元気が過ぎると思ったけど、良く気づいたな、久藤?」
「そりゃあ、何度も吹っ飛ばされたり、気絶させられたりしたからね……」
国也の言葉に、准は苦笑いで答える。
「でも、本当に分からないんだ。マリアに変化があったのなら、当然その原因だってある筈。だけど、僕にはどうしてもそれが分からない……」
「久藤……」
力ない言葉に、俯きがちな視線。
普段の准が見せる穏やかな微笑みを知る国也には、その心中の痛みを感じ取る事が出来た。
(そっか、辛いのか、久藤………だけど、久藤にも分からない事なのに、俺に言ってやれる事なんて……)
思わず言葉を詰まらせた国也だったが、ふとある事を思いつく。
それはあまりに単純で、多分、いつもの国也なら口にする事を躊躇っていたかもしれない。
ただ、元気をなくした友人の姿が、その躊躇いを振り切らせた。
「なあ、久藤。いっそ、いっぺん捕まえちゃったらどうだ?」
「えっ?木野、何を…?」
「いや、だから、マリアを取っ捕まえて、真っ向から向きあって話を聞いてみたらどうなんだよ?」
確かに、それでマリアの気持ちを聞き出せるなら、これ以上手っ取り早い方法もないだろう。
だが、しかしである。
強引に捕まえて、無理やり話を聞き出そうとする。
そんなやり方でマリアがその胸の内を明かしてくれるだろうか?
むしろ、彼女の心を閉ざしてしまう結果になるのではないだろうか?
「木野……それ、ちょっと乱暴じゃないかな?」
准が問い返す。
だが、国也も何の確証もなしにこんな事を言った訳ではなかった。
「あのな。久藤、お前、肝心なこと忘れてないか?」
「えっ?」
「アイツが現れるのは誰の所だよ?他でもないお前のとこだろ?」
「あ………」
マリアの気持ちを、胸の内を、真意を………。
そればかりに気を取られていた准がすっかり失念していた事。
彼女はそれを誰に伝えたいのか?
「アイツはお前と話したい。だけど、どう話していいか分からないから、あんな事になっちゃうんだよ。
それなら、お前のやる事はひとつっきりだろう?」
「うん……」
国也の言葉に深々と肯いてから、准はマリアの笑顔をもう一度思い出す。
そうだ。
いつだって彼女の眼差しはまっすぐ自分の方に向けられていたじゃないか。
「わかった。やってみるよ、木野……」
マリアが何かを伝えたがっているのと同じように、自分だって彼女と言葉を交わして、その心に触れたい。
俯いていた顔を上げた准の胸には、確かな決意が宿っていた。
翌日、学校。
授業から解放された生徒達でごった返す廊下を、褐色の影が駆け抜けていく。
「…………」
細身でしなやかな体を活かして、ある時は人と人の間の僅かな隙間をすり抜けて、ある時は股下を潜り抜けるなんて大技も使いながら、
誰よりも早く、まるでジャングルを駆ける獣のように、マリアは走り続ける。
(今日は准、ナカナカ見つからないナ?)
右に左にせわしなく動く瞳が探しているのはただ一人、久藤准の姿だけだ。
かれこれ何日ぐらいこんな事を続けているだろう?
正直、その行動の意味するところを、マリア自身も理解していなかった。
ただ、気がつけば准の姿を求めて、校内を全力で走っている。
彼女自身にも抑えられない衝動が、マリアの瞳を、脚を、全身を、准を探し求めるその行為に没頭させていた。
それだというのに、いざ准の姿を見つけると、その衝動はモヤモヤした曰く言い表わし難い感情に変化して、
戸惑うばかりのマリアはそんな自分をどうする事も出来ず、ただ脱兎の如くそこから逃げ出す事しか出来なかった。
それでもマリアは准を探す。
あの微笑が見たくて、あの優しい声が聞きたくて………。
だけど、それ以上にやりたい事、してもらいたい事がある筈なのに……。
「そういえば、久藤は?」
「ああ、何か知らないけど、さっき急いで図書室に行ったな」
そしてついに、偶然すれ違ったクラスの男子の会話の中に、マリアは准の名前を見つける。
(図書室……ッ!!!)
マリアは廊下の先の階段の前で急停止、そのまま図書室入り口がある二階へと全速力で階段を駆け上がって行った。
件の男子生徒……木野国也はそこで足を止め、携帯を取り出す。
「なあ、さっきので良かったのか、木野?」
「ん、ああ、バッチリだったぜ、芳賀」
ニヤリと笑った国也は携帯のメール画面を開き、あらかじめ用意していた連絡用のメールを送信する。
「後はお前次第だ。上手くやれよ、久藤……」
四段飛ばしで階段を駆け上がり、まっしぐらに図書室へ。
勢い良く開いた扉の向こうで、マリアは目を凝らして准の姿を探す。
「見ツケタ!!」
そして、図書室の奥まった所、本棚に図書を戻している最中なのだろうか?
こちらに背を向けた准の姿が見えた。
「准……っ!!!」
一歩、二歩、三歩……っ!!!
悲鳴をあげる他の生徒達の声など気にせず、机の上から机の上へと八艘飛びにジャンプを繰り返し、マリアは准との距離を詰める。
もう少しで准は目の前。
マリアの胸の中にあのモヤモヤとした感情が湧き上がる。
それを振り切るように一際大きなジャンプで、マリアは准に飛びかかる。
その時だった………。
「マリア……」
「エッ!?」
くるり、まるでこのタイミングで来るのが分かっていたかのように、准がマリアの方に振り返った。
「准……!?」
振り返った准は、マリアを迎え入れるように大きく両手を広げる。
マリアはその突然の行動に、頭が真っ白になってしまい………。
「あっ………」
「待ってたよ、ずっと………」
そのまま、准の腕に小さな体をまるごと抱きとめられてしまった。
弾丸のように飛び込んできたマリアの体を受け止めるのが精一杯だったのか、准はマリアを抱きしめたままその場に座り込んだ。
「准……准………マリア、ずっと……」
「僕もマリアと話したかったよ」
准の腕に抱き締められて、マリアの胸のモヤモヤは押え切れないほどに膨らんでいく。
胸がドキドキして、准にまともに見られている事さえ照れくさくて、いつもはポンポンと出てくる筈の言葉が形になる前に溶けて消える。
ただ、それでも分かる事があった。
ずっと、この温もりを求めていた。
ずっと、この腕に抱き締められたかった………。
マリアの腕がおっかなびっくり、おずおずとした動きで准の背中に回される。
やがて、少女の細腕にぎゅっと力が込められて……
「准、ゴメンネ……マリア、いっぱい迷惑カケタ……」
「いいよ。構わない。今はそれよりも、マリアがこうして傍にいてくれる方が嬉しいよ」
「…………ッ!!!!」
准が頭を撫でてやると、マリアは准のシャツに思い切り顔を埋めて、より強く彼と密着した。
(准と一緒……スゴク嬉シイヨ……)
それが、マリアを一連の行動に駆り立てた、その動機だった。
マリアは利発な少女だ。
遠い異国にあってもその元気を失う事なく、新たな環境に難なく適応してしまう。
物事を見つめる眼差しは他の生徒達よりずっと鋭く、理解力もかなりのものだ。
だけど、ただ一つ、彼女には足りないものがあった。
それは………。
(そっか、甘えたかったんだね。マリア………)
ぎゅっとしがみついて離れないマリアの背を撫でながら、准は思う。
彼女の故郷、銃弾が飛び交い、常に飢えと死が背後から追いかけてくるジャングル。
その過酷な環境の中では、決して経験できなかった事。
それが『誰かに甘える』という事だった。
(そういえば、マリアの方から遊んで欲しいとかお話を聞かせてほしいとか、言われた事なかったっけ……)
准はマリアや交達の相手をして遊ぶ事も多かったが、マリアから何事かをせがまれた事は全く無かった。
それも道理である。
彼女は『甘える』事、人を頼る事を知らなかったのだから。
だけど、マリアがそれを知らなくても、彼女自身の心が誰かの手の平を、ぬくもりを求めていた。
それが、マリアを動かしていたモヤモヤの正体。
(だけど、僕だって同じようなものだ。こうして触れてみるまで、マリアの気持ちに全然気づけなかったんだから……)
手で触れて、温もりを伝え合って、そうやって初めて伝わる感情がある。
言葉では表わしきれない気持ちがある。
この図書室の片隅で准が抱きとめたのは、心も体もひっくるめたマリアの全部なのだろう。
「マリア……」
「准、大好キダヨ……」
それからしばらくの間、縋りつくマリアの背中を、准はずっと撫で続けていた。
それから一週間後……。
「改めて言うのもなんだけど、あの時はありがとう、木野。たぶん、僕一人じゃ、マリアにどうしてあげる事もできなかったと思う」
「ああ、まあ、そりゃいいんだけんどな……その、久藤?」
「何?」
「何ダ、クニヤ?」
学校からの帰り道、国也は隣を歩く准の笑顔と、その背中にひっついたマリアの笑顔を交互に見てため息を一つついた。
そう。マリアはあの一件で学習したのだ。
「世の中ハ持チツ持タレツ、人ニ甘エル事モ大切ダヨ!」
あれ以来、マリアは准にぺったりとくっついて離れない。
隙があれば彼の背中におぶさり、こうして心ゆくまで准と過ごす時間を満喫している。
しかも、准の方も満更では無さそうだというのだから、国也は頭を抱えるしかない。
「別に良いと思うけどな。僕もマリアといると楽しいし」
「頭が固いゾ、クニヤ!!」
「へいへい、お前らがそれでいいんなら、そうなんでしょうよ」
学校からの帰り道、アスファルトに伸びる影は二つ、楽しげに響く声は三つ。
色々と言いたい事はあったけれど、マリアと准、二人の幸せそうな笑顔を見ていると、
これはこれで良いじゃないかと、国也もそんな気分になってしまうのだった。