たったったったっ。  
放課後の校舎に小気味の良い足音を響かせて、買い物袋を抱えたセーラー服の少女が走る。  
黄色のクロスの髪留めに傾きかけた陽の光を反射させ、何やら上機嫌な笑みを口元に浮かべ、少女は人気のない廊下を急いでいた。  
やがて、前方に見えてくる彼女の目的地、家庭科室のプレート。  
上履きを廊下にキュッと言わせて急停止した彼女は家庭科室の扉をガラリ、開く。  
途端に、扉の向こうからふわりと漂ってくるたまらなく甘い香り。  
そして、遅れて届いてきた何やら陰鬱な男性の声………。  
「誕生日は、死出の旅路の一里塚………やっぱりろくな物じゃないですよ…」  
調理台に向かって何やらボールの中身を一心不乱に泡立てている青年。  
少女は見慣れたその背中に声をかける。  
「ただいま、先生。ケーキのデコレーション用の材料、ちゃんと買ってきましたよ」  
「……おや、風浦さん、お疲れ様です。早かったですね」  
夢中になって作業に没頭していた青年、糸色望は声をかけられてようやく部屋に入ってきた人間の存在に気付いて振り返った。  
「先生も生クリーム、だいぶ泡立ってきたみたいですね」  
ボールの中で泡立てられていたもの、たっぷりの生クリームを覗き込んで嬉しそうに言った少女、  
望のクラスの生徒、風浦可符香は望の立つ調理台の上に、とさり、買い物袋を置いた。  
それから、今度はボールの中身から望の方に視線を向けて  
「ところでさっき家庭科室の扉を開けたら、先生が何か言ってるのが聞こえたんですけど……死出の旅路の一里塚、とか?」  
「そ、それは………」  
「あれって誕生日じゃなくてお正月の歌じゃなかったですか?」  
あくまでニコニコと微笑みながら、しかし、望を逃すまいと真正面から聞いてくる可符香。  
望はふうっとため息を一つ、彼女相手に誤魔化しは無駄だと観念して  
「……はい。言ってましたよ。誕生日は死出の旅路の一里塚。正月に限らず、こっちだって一年に一度必ず来るんですから間違ってないでしょう?」  
「めでたくもあり、めでたくもなし、でしたね。誕生日、素直に喜ぶ気分にはなりませんか?」  
「いえ、まあ、この年齢になるとだんだん年をとる事にも複雑な気分になっちゃうとか、例の誕生日の日付に関するトラウマもありますけど………それよりも」  
望は手元の生クリームと、見事に焼き上がり現在余熱を冷ましている最中のスポンジケーキを見て  
「何が悲しくて自分で自分のバースデーケーキを作らにゃならんのです!!」  
「でも、先生もバースデーパーティーのお手伝いするって霧ちゃんにも言ったじゃないですか」  
「言いましたよ、ええ、確かに言いました!でもコレは無いじゃないですか。他の事なら何でもします。料理を作ったり食器を並べたり出来る事はたくさんあります。  
でも、コレだけは駄目ですよ。自分の誕生日を祝うケーキを自分で作るって虚しすぎるじゃないですか!!!」  
バースデーパーティーの手伝いを申し出たのは確かに望だった。その記憶に間違いはない。  
問題はその後だ。  
2のへの面々は千里の指揮の下、次々と立候補して自分の担当する役割が決まっていった。  
望はその流れに乗りそこねた。  
「じゃあ、先生と可符香ちゃんはケーキの用意をお願いします」  
にっこりと笑った千里を前にしてはもう何も言い返せず、  
「先生、ケーキ楽しみにしてるね」  
奈美やまといと共に料理担当となった霧にまでそんな事を言われる始末。  
肩を落とした望は可符香と共にオーブンの使える家庭科室へ。  
「でも、それにしては先生頑張ってましたよね。さっきだって文句言いながらでしたけど、クリームを一生懸命泡立てて…」  
「……わ、私は別にそんな……普通ですよ!普通!!普通にやってただけです!!」  
「バースデーパーティーの準備の分担、ホントにすぐ決まっちゃいましたからね。次々に手を上げてすぐに役割が決まって…」  
「うぅ………」  
「みんなパーティーの準備にやる気満々。私もちょっと驚いちゃいました」  
「それが……それがどうしたと言うんですか?」  
苦しげにうめく望はか細い声で可符香に問うた。  
可符香は満面の笑みを浮かべて  
「嬉しかったんですよね。皆が一生懸命お祝いしようとしてくれるのが。嬉しかったから、先生もケーキ作り頑張っちゃった。そうですよね、先生?」  
「…んなこたぁ無いです。ええ、ありませんとも!!」  
そんな可符香の言葉を聞いて、望は思わず彼女に背を向けて、腕に抱えたボールの生クリームをガシャガシャと闇雲に泡立てた。  
しかし、ちらりと見えた耳たぶは真赤に染まって、それが何より望の心情を雄弁に語っていた。  
 
それでも往生際悪く、望はぐだぐだと反論する。  
「みなさんがパーティーに乗り気なのはアレですよ、騒げる機会が嬉しかったってだけで……こ、こんな駄目教師を本気で祝ってくれるわけないじゃないですか!」  
「……ああ、そうだったんですか……それは残念ですね」  
「……そ、そうですよ……みなさんにとっては…私の誕生日なんて……ほんのついでで……」  
勢いでそんな事を言ってしまったものの、望の脳裏には本当に楽しそうにパーティーの準備に向かう2のへの生徒達の顔が焼き付いている。  
それをあっさり否定してしまった罪悪感に、望の背中が分かりやすく小さくなる。  
すると、可符香はそんな望の心中を知ってか知らずか……  
「そうですか……。私には皆の本当の気持ちも分からなければ、先生がそう感じる事もどうにも出来ませんけど……」  
少しだけシュンとした声で言ってから  
「じゃあ、せめて私からのお祝いの気持ち、伝えちゃいますね!!」  
「えっ?」  
「えいやっ!!!」  
背後から思い切り、望の背中に抱きついた。  
驚きのあまりボールを取り落としそうになった望の胴に腕を回して、これでもかと抱きしめ密着する。  
「ふ、ふ、ふ、風浦さぁああんっ!!!?」  
「パーティーには早いですけど、先生、お誕生日おめでとうございますっっっ!!!!」  
「ちょ…落ち着いてくださ……ぐがああああ!?…ふ、風浦さん腕に力込めすぎ…がはっ!!」  
「ハッピーバースデー先生!!ポロロッカの星々も先生を祝福してますっ!!!」  
熱烈すぎて苦しいぐらいの可符香のハグに望は為す術もなくうめく。  
「風浦さん…落ち着いて……ギブ!…ギブです!ギブアップ!!」  
「いやだなあ、先生。これが私の気持ちなんです!!遠慮なんてしないでください!!」  
「いや……このままだと…私…気絶して……」  
自分の背骨がミシミシと軋む音を聞きながら、しばらくの間耐えていると、ようやく可符香の腕の力が緩む。  
それから、可符香は今度は望をいたわるような優しさで、ぴったりと彼の背中にくっついてきた。  
着物越しに感じるその温もりに、ついに望は観念する。  
「………わかりましたよ。風浦さん、認めます。嬉しかったですよ、みなさんの行動…楽しそうな表情。  
なにせ、構ってもらいたがりでは右に出る者はいないと自負してる私ですから、あんなのを見せられればイチコロです。」  
「ふっふっふっ…ようやく素直になったようですね、先生」  
「ええ、まあ……風浦さんにそんな風に思ってもらえてるのも嬉しいですよ」  
苦笑しながら話す望の背中に、得意げな表情で顔を埋める可符香。  
相変わらずの可符香のペースに翻弄された自分を少し情けないと思いながらも、望も背中から伝わる温もりに感じ入った。  
それから、少しだけ時間が経過して、それでも二人はくっついたまま。  
しかし、そんな望がふと悲しげな表情を浮かべた。  
可符香は望の雰囲気の変化を感じ取り、不思議そうに顔を上げた。  
「…先生……どうかしました?」  
「え…あ……いや、別に何でもな…」  
「また熱烈なハグで祝福しますよ?」  
「……あう…すみません。でも、別に大した事じゃないんですよ?」  
「いいですから、早く」  
可符香に急かされて、望はポツリ、胸の内に湧き上がるその気持ちについて口にし始めた。  
「ほら、風浦さんが来たときに私が言ってた事……」  
「誕生日は死出の旅路の一里塚、でしたね……」  
「………ええ、まあ、本当につまらない、誰でも思うような事なんですけど……」  
 
要は拗ねていたのだと、望は言った。  
拗ねて、誕生日なんてそんな良いものじゃない、そんなつもりであの言葉を口にした。  
「拗ねていた?」  
「そう、拗ねて、駄々をこねてました。……ほら、騒がしいお祭りの最中、ふっと寂しい気持ちになる事があるでしょう?あんなものですよ。  
お祭りの楽しさに夢中になっていた心がふっと冷めて、周りを通りすぎる人達の声が急に遠くに聞こえて、虚しさだけが積もっていくあの感じ。  
楽しい時間はいつまでも続かない、その現実に急に引き戻されて……認めたくないから、悪態をついてみた。そういう事です」  
可符香がデコレーション用の諸々の品を買出しに出るまで、望は彼女と一緒に騒がしくスポンジ作りに勤しんでいた。  
それが、急に一人になって、そんな気持ちが芽生えたのだろう。  
「まさに誕生日は一里塚ですよ。時が過ぎるのを嫌でも気付かされてしまう。  
今日みたいなお祝いの日だけじゃない。いつもの騒がしい2年へ組、痛い目や苦しい目にも散々遭わされる騒がしい毎日。  
でも、それだっていつかは終わる、そんな当たり前の事に気づいたら、何だか酷く苦しくなって………」  
それは誰にだって覚えのあるありふれた感覚。  
可符香もそれはよく知っている。きっと人一倍に。  
幼い頃から心に刻みつけられてきた、大切なものが指の間からすり抜けていくような喪失感。  
ただ、2のへで暮らす日々の中で、少しだけそれを忘れていたのかもしれないけれど。  
この時間もいつかは過ぎ去り、きっと終わる。  
それが寂しすぎて、だから、望はひねくれた駄々をこねてみた。  
『誕生日なんて碌でも無い』なんて悪態をついて自分の心を誤魔化そうとしてみた。  
「すみません。こんな時にこんな辛気臭い話……嫌な気持ちにさせていまいましたね」  
「いいですよ。私だって本当は分かってる事ですから……」  
「そうですか………」  
可符香の腕が縋りつくように、ぎゅっと望を抱きしめる。  
2のへでの日々、今ここにこうしていられる事、それらが明日どうなってしまうのかは、何も保証なんてされていない。  
望は自分の不用意な話で、可符香を不安な気持ちにさせてしまった事を後悔しながら、彼女の小さな手に自分の手を重ねた。  
と、その時……  
「ぐえっ!!?」  
望に抱きついた可符香の腕が最初の時の力の強さを取り戻した。  
目を白黒させて驚く望の小指に、可符香は自分の小指を絡めて……  
「約束しましょう、先生……」  
「や、約束!?」  
「これからも先生と私、ずっと一緒の時間を過ごそう、って……」  
「ふ、風浦さん!!!」  
「ほら…指きりげんまんウソついたら〜♪」  
望が驚いている間に、可符香は一方的に約束を告げて、指切りをして……  
「針千本の〜ます♪…指切った!」  
「ちょ…風浦さん、何が何だか私は……!?」  
そして、それを完了させてしまった。  
望の背中の側から、可符香の声が言う。  
「これでゆびきり完了です」  
「風浦さん、どうしたんです、いきなり?」  
「…私も拗ねてみました。駄々をこねてみました」  
少しだけ得意げに、少しだけ寂しそうに可符香は言った。  
「先生はさっきの約束、必ず守ってください。私もきっと守ります」  
「は、はい…」  
「それでも守れなかったときは、針千本。きっと私が飲ませにいきますから…」  
愛しげにそう呟いた可符香。  
それでようやく望も可符香の言いたい事を理解し  
「逆に、もし私がちゃんと約束を守らなかったら……」  
「わかりましたよ。約束を守らない悪い風浦さんにきっと針千本、飲ませにいきます」  
背中から聞こえる少女のクスクスという笑い声。  
見えない未来に精一杯示した抵抗。  
現状を何にも解決する事のできない屁理屈。  
それでも、二人は『ゆびきり』をしたのだから。  
「はい!ちゃんと忘れずにいてくださいね!!」  
「風浦さんこそ、約束ですからね」  
何の役にも立たないただの約束は、それでも二人の小指から小指へ、細く微かな、でも確かに存在する『糸』を繋いでくれたのだった。  
 
 

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