『Delicacy Zone』
私が院長を務める糸色医院には、患者が来ることはほとんどない。
その理由は、言うまでもなく私の名前にある。
私の名前を横にして書くと『糸色命』、つまり『絶命』となってしまい、死を連想する文字となるのだ。
そんな不吉な文字を連想するような院長のいる病院で診察してもらいたいと、大多数の患者が思うわけがない。
よって、糸色医院は患者や急患が来ることもなく、今日も平和であった。
「しかし、患者が来ない日が二週間続くと、医師としての腕が鈍るな・・・。
『患者よ、今すぐに来い!』なんてことは言わないにせよ、一人くらいは来てほしいもんだな・・・」
そう独り言を言いながら診察室でコーヒーを飲んでいると、「先生、患者さんが来ました」と言いながら看護師がやってきた。
「おおっ!やっと患者が来たか!」なんてことを言えば、間違いなく不謹慎だと思われるので、私は心の中でそう思いながら、「そうか」と返事をした。
「で、患者の名前は?」
「名前は小節あびるさん。先生の弟さんが勤めている高校の生徒さんですね」
「小節さんか・・・」
小節あびる。
私の医院にも時々急患でやってくる少女だ。
彼女は動物園でバイトをしており、動物とじゃれている間に骨を折ったり、深い切り傷を負ったりなどをして、身体を包帯で巻いている。
事情を知らない人が彼女の外見を見れば、「親から虐待されているのか?」と思うだろう。
事実、彼女の父親はかつて商店街の住人に「店の品物を虐待するための道具として買っているのではないか?」と疑われ、店の品物を買うことができない状態が続いていた。
(フライパンはともかくとして、空気入れや消しゴム、いぢご100%の単行本を虐待の道具として使える人間はまずいないと私は思うのだが・・・)
聴くところによれば、父親が彼女を虐待しているのではなく、むしろ彼女が父親の方を虐待しているらしいのだが、真実がどうかは私には分からない。
とにかく、彼女は糸色医院に時々お世話になっている人物なのだ。
「彼女の状態は?骨でも折っているのか?」
「いいえ。その、デリケートゾーンを押さえながら、太ももをもじもじさせているんですよ」
「デリケートゾーンだって?ようするに股間の部分か・・・。とにかく彼女を診察室へ入れなさい」
「はい、分かりました」
看護師はそう言って診察室を出ていった。
デリケートゾーン。
いわゆる女性の股間の部分がそう呼ばれるようになったのは、今から数年前のようだった気がする。
女性の股間は生理中のおりものの蒸れや、下着の繊維などで非常にかぶれやすい。
その時の股間の部分はムズムズと痒く、とても不快感を感じるのだという。
それに目を付けた製薬会社は女性の股間の痒みを止める軟膏薬を開発し、TVのCMで大々的に宣伝した。
そのCMで女性の股間の部分が「デリケートゾーン」という名前で流れたのが、そもそもの名前の由来だった気がする。
私も女性の股間の痒みを止める軟膏薬のCMはいくつか見たことがあるが、初めて見た時は衝撃を受けたものだ。
なにせ、若い女性が痒いと呟いて太ももを擦り合わせたり、股間の部分を服越しにぼりぼりと掻くのである。
あるCMでは巨大なクマのぬいぐるみを股間にはさんで太ももを擦り合わせながら部屋中を歩くというシチュエーションがあった。
アレを見た時は「こんなCMをお茶の間で流していいのか」と思った。
(最近は女性視聴者からの苦情が来たのか、女性が股間を掻いたり、太ももを擦り合わせるシチュエーションのCMはかなり少なくなったが・・・)
とにかく、女性の股間の部分ことデリケートゾーンは、女性にとって非常に大事な部分なのである。
その大事な部分であるデリケートゾーンを押さえながら、太ももをもじもじと擦り合わせ、下を向きながら、彼女、小節あびるは診察室へやってきた。
彼女の服装はタートルネックのセーターにジーンズのホットパンツという組み合わせだ。
頭や腕には彼女のチャームポイントである包帯が巻かれている。
「久しぶりだね、小節さん。で、今日はどんな病気でここへ来たんだい?」
彼女は下を向いたまま内股になりながら私に言った。
「・・・見て分かりませんか。デリケートな部分が痒いんです」
「まぁ、そりゃ見て分かるけれど、その、女性の君に言うのは失礼な気もするが、いつからそこが痒くなったんだい?」
「・・・一週間前から突然ムズムズ痒くなったんです。
最初はすぐにおさまるだろうと思って放っておいたのですが、だんだんと痒みが激しくなってきたんです。
ちょっと掻いただけじゃ全然引いてくれなくて、太ももを擦り合わせたり、お風呂でここを丁寧に洗っても、全然痒みが止まらないんです」
彼女は顔を赤くしながら私に言った。
「学校の授業中もムズムズと痒くて痒くて、何度も掻きたくなって・・・、でも、人前で掻くのは恥ずかしくて、何度もトイレに行ってここを掻きむしりました。
でも、痒みは引くどころかますます痒くなってくるんです。
市販の薬も試してみたんですけど、全然効果が無くて・・・。」
「で、痒み止めをもらうためにここへ来たと」
彼女は首をコクリと縦に振った。
いつもは冷静的な彼女でも、やはり股間の痒みについては羞恥心を抱くのだなと私は感じた。
それはそうだ。
多くの女性は股間を人前で掻くことをはしたないと感じる。
特に彼女のような年頃の女子高校生ならなおさらだ。
顔を赤らめて私に症状を離すところを見ると、この一週間、股間の痒みと戦ってきたのだろうと感じる。
彼女は顔を私の方に向けて、涙目になりながら言った。
「このままじゃ、痒くて頭が変になりそうです・・・!
お、お願いします。この変な痒みをなんとかしてくださいっ、ああっ!!」
彼女はそう声を上げて突然上を向くと、太ももの間に両手を挟み込んで、きゅっと内股になった。
どうやら、股間の痒みが激しくなったようだ。
「痒い、痒い、痒い、痒い」と彼女は何度もつぶやく。
これはどうやら重症のようだ。
もしかしたらカンジダ膣炎となった可能性も考えられる。
医師である私としては放ってはおけないな。
「わかった。その股間の痒み、何とかして見せよう」
「本当ですかっ!?あ、ありがとうございます!!」
感謝の言葉を言う彼女に対し私は「ただし」と付け加えた。
「その痒みを治すためには、股間の部分が今どんな状態なのか診断する必要がある」
「・・・と、言いますと?」
私は顔を赤くしながら、彼女にこう言った。
「その、つまり・・・、ズボンと下着を脱いで、股間の部分を調べさせてくれないか?」
彼女は数秒下を向いて考えると、
「・・・分かりました。ここを調べて痒みの原因が分かるんであれば」
と答えた。
「ふむ。では、その・・・、脱いでくれないか?」
どうも女性の身体を本格的に診断する時は、なんとも気恥ずかしいものがある。
いや、こっちは医師で相手が患者であるというのは充分に分かっているのだが・・・。
彼女は私の言葉に「はい」と返事をし、「では、後ろをむいてください」と言った。
「あ、ああ、分かったよ」
私は彼女の言葉通り、後ろを向いた。
後ろを向いてすぐに、チャックをはずす音と、ズボンを下へとずらす衣擦れの音が耳に入った。
同時に、私の心臓の鼓動が早くなる。
な、なにドキドキしているのだ、私は!?相手は患者だぞ!?
股間の痒みに耐え切れなくなって、この医院にやって来た患者だぞ!!
そして今は、股間の状態を調べるために、彼女にズボンと下着を脱いでもらっているんじゃないか!!
現に私は彼女の脱衣を見ないために後ろを向いている!!何も私はやましいことはしていないぞ!!
「そう、これは診察だ。診察なのだ!」と、私は心の中で何度も自分に言い聞かせる。
しばらくして、彼女と看護師の声が耳に入った。
「すいません。ちょっと包帯の結び目がほどけなくなっちゃって・・・、看護師さん、ハサミを取ってくれませんか?」
「え?ええ、いいけれど」
包帯だって?
私が彼女を見た時は、たしか頭と腕にしか付けていなかったぞ?
頭や腕に付けている包帯を着る必要はないはずだが・・・。
だが、確かに彼女は「包帯」と言う言葉を口にした。
そこから考えると・・・もしや!!
私はすぐに彼女と看護師のいる方に顔を向けた。
そこには、ズボンと下着を脱いだ彼女と、ハサミを持った看護師がいた。
彼女の下半身には、ぐるぐると包帯が巻かれている。
ご丁寧に股間の部分までもが包帯で覆われていた。
「せ、先生、ダメですよ前を向いちゃ!!」
彼女は股間の部分を押さえながら言った。
看護師も「そうですよ!今包帯を取っている途中なんですから!」と続けて言った。
「いや、包帯を取る必要はない。
私は分かったんだよ。彼女の股間の痒みの原因が・・・」
「えっ?分かったんですか?」
彼女と看護師は同時に私に言った。
「ああ。二人の会話を聴いて分かったんだ。彼女の股間の痒みの原因。それは・・・」
私は股間を隠す彼女の両手をどかし、包帯に巻かれた股間の部分をやさしく撫でた。
彼女は「あっ・・・!」と艶やかな声を上げた。
「せ、先生!!一体何をやってるんですか!?」
「勘違いするな。これはれっきとした診断だ」
私は冷静な言葉で看護師にそう返した。
とは言っても、内心はかなりドキドキしている。
なぜなら、女性の股間に触ったのは、診断とはいえこれが初めてだからだ。
私は高なる心臓の鼓動を落ち着かせながら二人に語る。
「股間が痒いだって?そりゃそうだろう。
股間に直接包帯をあてて、しかも包帯をきつく巻いていれば、股間がかぶれるのは当然だ」
私は彼女の股間の部分の包帯にぐっと手をかけ、一気に下へとずらした。
私の予想通り、股間は包帯の繊維でかぶれて赤くなっていた。
私はため息をつきながら彼女に言った。
「いくら市販の軟膏薬を塗っても、軟膏薬を塗った後に、また包帯を直に巻いていれば、再び股間は包帯の繊維に刺激を受けて痒くなる。
どうりで痒みが引かないわけだよ」
「そ、そうだったんですか・・・」
彼女は上目づかいで私を見た。
どうやら私が怒っていると思っているらしい。
「大丈夫だ、私は怒っていないよ。でも、どうしてそんなところに包帯なんかを?」
「その、一週間前にお腹の下の部分に切り傷が出来てしまいまして、それで下半身に包帯を巻いていたんです・・・」
「成程。でも、私が見たところだと、軽い擦り傷なら大きめのサイズの絆創膏を貼ればいい。
なにも包帯を巻かなくてもいいんだぞ?」
彼女は私の言葉に「あっ、それは思いもつかなかった」と驚きの表情で言った。
「思いもつかなかったって・・・。
まぁ、いいや。とりあえず、股間専用の痒み止めの軟膏薬は出しておくから、以後、下半身に包帯を巻かないように。いいね」
「はい、わかりました」
彼女は笑顔でそう答えた。
「全く、人騒がせな話だよ。
股間の痒みが引かないって聞いて、こっちはてっきりカンジダ膣炎になったのかと思ったんだぞ。
なのに、包帯を直に巻いてて、その繊維でかぶれていただけだなんて・・・」
「いいじゃないですか。
これで彼女はデリケートゾーンの痒みから解放されるんですから」
「まぁ、そうだな。ところで」
私は看護師に訊いた。
「あなたは彼女が直に包帯を下半身に巻いているのを見て、彼女の股間が包帯の繊維でかぶれているということに気がつかなかったのか?」
「いえ。私はてっきり下半身の部分が切り傷か何かで怪我したんじゃないかと思って。そこまで考えが至りませんでした」
「そっか。まぁ、彼女の場合はそうだよな。
なんせ動物とじゃれていて怪我をしたケースで運ばれる場合が多いからな、彼女は・・・」
私はコーヒーを飲みながら言うと、看護師は私にこう言った。
「それにしても、先生がいきなり小節さんのデリケートゾーンを撫でた時は驚きましたよ。
先生が医師の権力を濫用して、女性の患者にセクハラ行為をしたと思っちゃいました」
私は口に含んでいたコーヒーを、ぶっと吐いた。
「な、ななな、何を言ってるんだ君は!?
あれはれっきとした診断だぞ!!断じてセクハラではない!!」
私は赤面しながら看護師に言ったが、
「本当ですか?そう言いながらも内心ドキドキしていたんじゃないですか〜?」
と看護師はからかうかのように私に言った。
心の中を見透かされたと私は思いながらも、
「ち、違うぞ!私はあの時は冷静だったんだ!!やましい気持ちなんて一切働いてないぞ!!」
と反論した。
「そうですかね〜?そう言えば言うほど、ということもありますからね〜」
「違う!!私は冷静な判断で彼女を診断したんだ〜!!」
私の声が医院内に木霊した。
とにかく、今日も糸色医院は平和だった。
終