「部長、今日三角さん、風邪で休みです」
「あら、それはいけないわねえ。大丈夫かしら。」
千里は茶道部の終わった後、三角を心配しつつも余った和生菓子をどうしようか思案に暮れた。三角の家は学校からいささか離れた町にあり、しかも正方たちや千里の家とは反対方面の電車に乗る羽目になるので、生菓子を届けるにはためらわれる距離にあったのだ。
「絶望先生にさしあげたらどうでしょう。ほら、前に部長のお誕生ケーキを仮入部だった方と喜んで食べてらしたし」
「そうですよ。部長からお渡しになったら、きっと先生鼻の下長くして喜びま…」
「ちょっと。あなたたち。」
「し、失礼します!」
「失礼しまぁす!」
二人は逃げるように帰っていった。…まったく。
ただ、思い直してみると、確かに先生に届けるのも悪くはない。偶然、先生に借りていた本を今日返すつもりだった。
それに、先生は大の甘党で、プリンやケーキを初め甘いもの全般に目がない。修学旅行の下見の折に奈美のおたべを取り上げた後、実は
「これは先生が処分しますね」
と言うが早いか、ぱくっと口にしてしまったくらいだ。
(奈美ちゃんは泣いて抗議していたっけ。)
さらに、彼はもともと酒や煙草は嗜まない質なので、いきなり千里が訪問しても、よっぱらった先生がからんでくる恐れなど皆無であった。ある意味、学校で最も人畜無害な男といえば望だったのである。
意外なことだが、絶望先生は勉強についての質問には誰に対しても平等に、そして的確に答えてくれる。古文の授業でも、
「完了の助動詞と推量の助動詞の組み合わせっていくつかありますよね。『てむ、なむ、つべし…』ってやつ。あれ、『メリーさんの羊』の節で歌うと覚えられますよ」
などと、まともな教師らしいことを言う。
かと思えば、自分の読んだ本についてよく感想を教えてくれたりもする(わざと暗い内容のものを紹介している気もするが)。
そもそも千里が呪いに詳しくなったのも、元はといえば、望がきっかけを作ったと言えなくもない。
千里が彼に、源氏物語に出てくる六条の御息所について質問しに行ったときのことだ。話の流れで、日本の呪いについてなら小松和彦先生の本が面白かったと教えてくれた。それをきっかけにいろいろ読み進めていくうち、自然とその方面に詳しくなったのだ。
結婚のことについては相変わらず話を逸らし続けたが、勉強や本についての話から世間話まではきっちりと応じてくれたし、家に来ることもあえて拒絶したりはしなかった。
食生活には無頓着であるように見えて、紅茶にはブランデーを垂らして香りをつけて出してくれるなど、なかなか凝っていたことも好印象だった。
かと思えば、冷蔵庫にプッチンプリンの買い置きがあるのを発見したりもした。交も一緒に食べますから、とのことだった。
先生の家に着いてみると、そんなに遅い時間でもないのに玄関の灯りが消えている。
留守かとも思った。が、中からはなんとなく人がいる気配がする。声をかけようかとも思ったが、なぜか言葉を掛けるのがためらわれた。と、二階から微かな物音が聞こえてくるような気がした。
千里は先生の家の裏手の高台に回った。そこからは、先生宅の二階の様子が窺えるからだ。
はたして、二階も部屋の蛍光灯は消えているものの、枕元に灯りがあるらしく、割とはっきり中の様子を窺えた。覗いてみた千里は思わず立ちすくんだ。
部屋の中で、白いものが動いている。人の背中だ!髪の毛は長めだが、男の体つきではない。女か!?
姿勢を変えた。中の人物がこちらを向く格好になった。胸からはっきりとわかる。女だ。それも若い!千里はふとあの体つきをどこかで見た覚えがあるという思いにとらわれた。
だが、健康的に動いているやや小ぶりの胸や、はらはらと乱れつつある髪を見ているうちにー髪の方に目が留まった。
あの髪にははっきり見覚えがある。さっき見えた後ろ髪といい、先生の部屋に写真が飾ってあった、あの女だ!今先生は、隣の女子大生と不埒な行為に及んでいる!
今すぐ止めさせたかったが、なぜかその場を一歩も動けなかった。それに、なぜか頭がぼうっとして目が離せない。先生の姿ははっきりとは見えないが、ときどき細い足が動いているらしいのはわかった。
一方、女が動く姿はよく見えた。声は聞こえないものの、気持ちよさそうに小気味よく全身が揺れている。
鞄から思わず手が離れた。悔し涙が流れた。だが、依然部屋の中の女から目が離せない。
(汚らわしい!私だって、あんなこと、…あんなことくらい、先生となら…。)いつしか指で自分の秘所を慰めていた。
(私だって…私だって…)
「あっ…あっ…ふぁっ」小さな喘ぎ声が喉の奥から漏れた。
(あの時、先生の肩は広かった…)
「あっ…」
(腕枕や添い寝ははっきり覚えてないけれど、暖かかった…起きたとき、いい気分だった…。)
「はぅっ…先生…あ…先生…っ…好…う…なのに。…はぁっ…。」
中の女の動きが激しくなった。上下だけでなく、まるで前後左右にも動いているようだった。つられて千里も指の動きが速まった。中の女の動きが止まるのとほぼ同時に、千里も達していた。
千里は自己嫌悪と屈辱感にさいなまれ、泣きながら家へ駆けだしていった。和菓子は道端に泥まみれで転がっていた。
深夜、神社に白装束に身を包んだ千里の姿があった。鉢巻には二本の蝋燭が挟んであり、足元は一本足の下駄。尋常の目つきではなかった。
憎い、憎い!あの女とあんなことをした先生が憎くてたまらぬ!先生…。先生はいつか呪いの本を教えて下さいましたよね。面白かったので、あれからいろいろ本を読んで学んだのですよ。
今宵はその成果をきっちり発揮して、先生を呪います。そう、謡曲「鉄輪」のとおり、きっちり呪ってあげます…呪ってやる!呪わでか!コノ恨ミ晴ラサデオクベキカァ!!
カァァァン……カンッ! コオォォン……コンッ!
月もない闇夜に、五寸釘を藁人形に打ち込むどこか乾いた音が断続的に響いた。
(今日は彼女、激しかったなあ…)
望はぼんやりと隣の女子大生との情事を思い出していた。当初のネガティヴな予想に反して、隣の女子大生との付き合いは順調に進んでいった。
あびるや藤吉さんが交当番で、交が彼女たちの家にお泊まりしている夜などは、いつしか彼女と愛し合うようになっていった。
いつもは彼女は受け身で自分から動くこともめったにない。可愛い喘ぎ声を立ててシーツをつかんだり、ちょっと悶えたり、たまに望にしがみついたりする程度だ。
事に及ぶ時は灯りを点けるのをいやがるし、カーテンだって閉めた後だ。そして、絶対に泊まってはくれない。
今日こそは泊まっていってくれるのかとも思ったが、身支度を整えたかと思うとぱっと抱きついてきて、情熱的な接吻をした後、するりと帰っていってしまった。
望が今日こそは、と思ったのには訳がある。今日は、彼女は何とも積極的だったのだ。
望の絶棒を口に含むときも大胆だったし、舌使いも望を慌てさせた。危うく暴発しそうな位だった。
何より、今日は初めて彼女が上になって動いてくれた。最初はぎこちなかったものの、望の言うとおりに健気に動き、望と一体感を深めた。最後には、可愛い喘ぎ声をあげながら、自分から腰を振りさえしたのである。
ぷるぷるっと揺れる、小ぶりだが形のよい胸。下から眺めたり、手を添えて頂を指で優しく摘んだり、若い女性特有の揉み心地を堪能したりした。
今日はカーテンを閉めなくていいかと尋ねる暇もなく、彼女との行為に没頭していた。彼女の動きに自分も合わせながら高ぶっていく望は、まさか外から覗かれていようとは、夢にも気づかなかった。
望はその時の様子を思い出していた。
(彼女も積極的になったなあ…俺が開発した結果かな…なーんてな)
思い出しているうちに、また絶棒が硬くなってきた。
(俺もまだまだ若いな…倫のやつ、人を男の瀬戸際みたいに言いやがって…見ろ、こんなになってるじゃないか。まだまだ俺はやれる)
と奇妙な高揚心とともに、望はゆっくりと絶棒を慰め始めた。
もう少し。もう少しでいく、あと三擦り、二、一、とその時。
ズキィィィッ!
「ぐわっ」
突然望の心臓に激痛が走った。
あまりの痛みに、一瞬息が出来なかった。何だ今のは、と思う間もなく二発目が来た。
ズキッ!!
「はぐうっ!!」
あまりの痛さに絶棒から手を放すことも出来ない。絶棒を握ってない方の手は、たまらず眼前の宙を掴もうとした。口はパクパクと動くものの、声が出ない。
(こ、これは惜しまれる死に方ではないからっ…)
おごわっ!…引き続く襲ってくる痛みの中で、そんなことをぼんやり考えた。
ぐはあっ!!…確かに、自分自身を握りしめた状態で突然死した高校教師を惜しんでくれる人などいないだろう。『絶望教師、絶望的な変死体で発見』などと書かれた夕刊紙の見出しが浮かんでくる。…はあんっ!…た、…助けて、おかあさ〜ん……はひぃっ!!
握られた絶棒も痛さに耐えかねたのか、涙を一滴浮かべていた。
結果的に、望は死なずに済んだ。千里の呪いが佳境に達する直前、背後で起こった小さな爆発音に千里が気付き、呪いを中断したからだ。
また、たまたま夜半からストーキングを始めたまといが、望の様子がおかしいことに気づき、救急箱から鎮痛薬を探し出して、水とともに口移しで飲ませてくれたせいもあるかもしれない。