兵営の前、正門のわきに街燈があったね  
今でもあるね  
そこでまた会おう、街燈の下で会おう  
 
昔みたいに、リリー・マルレーン  
昔みたいに、リリー・マルレーン  
 
 
−リリー・マルレーン−  
 
   
 
   
 
 学校の脇に、桜の木が並ぶ散歩道がありました。  
 
 昔々、この学校ができるよりもずっと昔から根を張る、立派な木々。春になれば、桃色ガブリエルや桃色若社長、桃色鉄道員といった老木たちに素晴らしい桜の花が咲きます。  
 それはとっても美しい花たちで、私の心を掴んで離さないのです。  
 ふわっとしたいいにおいの空気。ちょうどいい、ぽかぽかした暖かさの太陽。花びらが、まるで絨毯みたいに道路に散っています。  
 私は桜吹雪の中をくるくる回って、いつもの学校帰りみたいに両手を広げて深呼吸をしました。  
 「……本当に、春ですね」  
 素晴らしい。本当に、素晴らしいです。そもそも、春って響きからしてステキです。そう、13階段の12段目を登ったときに釈放されたときくらい!  
 
   
 
 でも、いくら私が、あぁ綺麗だなぁ、って思っても、最後には虚しい気持ちしか残りません。  
 だって、一緒に桜を見てくれるあの人はもういないんだもの。  
 私の、とても大切な人。あの人はどこに行ってしまったのかしら?  
 
   
 
 いない。  
 
 先生はもう、いない……。  
 
 
 「……」  
 
 
 私らしくない顔だって、わかっています。  
 きっと、いつかまた会えるハズです。だって、先生と私は、赤い光ファイバーで繋がれているから。  
 先生は、私に約束をしてくれましたから。  
 
 
 
 それでも、私の顔は下を向いてしまいます。  
 
   
 
 やっぱり、私には、無理かな。  
 
 もうずいぶんと時間が経ってしまいました。あの日から、私の時計は壊れたまま、箱の中にしまい込んだままです。治してくれる、先生が消えてしまったから。  
 
   
 
 取り繕うのも、もう限界。  
 
 すっ、と、鞄からカッターを取り出す。  
 
 今までも、何度も何度も試してきました。それを思いとどまったのは、先生との最期の約束があったからです。  
 約束を思い出しては、カッターが涙で滑り落ちて、私は我に返りました。  
 
   
 
 でもそれも、今日で最期です。  
 
   
 
 こんなステキな場所なのに、ね。  
 
   
 
 ずっと私は待ち続けました。……もう、私からそちらに行っても、良いですよね。  
 
   
 
 先生。  
 
 
   
 
   
 
 
   
 
 コン。  
 
 手の力が緩んで、カッターが地面に落ちました。  
 
   
 
   
 落ちたカッターを、私は拾おうとは思いませんでした。  
 
 長い長い道の先に、誰かがいたから。  
 
 辛うじて見える輪郭だけで、私にはわかっちゃいました。  
 
 「何をしているんですか」  
 
 驚く訳ではなく、問い詰めるようでもなく。舞い降りた天使のように、柔らかな口調でした。幻影などではなく、本当に、私の目の前にいました。  
 
 頭2個分は背の高い、おっきな人。でもとても華奢で、儚げで、憂いを帯びた人。  
 
 「先生……?」  
 
 「待たせて、しまいましたね」  
 
 先生の顔は、とっても安らかで、朗らかで、私の涙は止まってしまいました。  
 
   
 
 ああ、そっか、私、泣いていたんだ。  
 
   
 
 先生の手が、私の頬を拭き取りました。  
 
 「本当に、申し訳ありません」  
 
 わしゃわしゃと、先生は私の髪の毛を撫でてくれました。  
 
 「先生、私……どれだけ待ったと思っているんですか」  
 
 地面を思いっきり蹴飛ばして、先生の胸にしがみつく。  
 
 30年は待ちました。もしかしたら5世紀、いや5億年は待ったかもしれない。  
 
 あなたが旅立ってから、ずっと、ずっと。  
 
 もう離したくない。離したくない。  
 
 
 「はは……よく、待っていてくれましたね。苦しかったでしょう。辛かったでしょう。それに耐えた風浦さんは、本当に強い子です」  
 
 先生のにおいは、とても心地よかった。  
 
 抱きついたまま、私は先生の目を見る。  
 
 「……ええ。本当にお待たせしました。さ……みんな、待っていますよ。あなたで、最後ですから」  
 
 私は笑って、先生の手を握る。  
 
 ギュッて、握り返される。  
 
 本当に、長かった。  
 
 でも、もう、私は、大丈夫だなって。  
 
 そうおもいました。  
 
   
 
 2人は桜並木の中を歩いていって。  
 
 どこまでも、どこまでも。  
 
 肩を並べて、幸せな気分で。  
 
 ふっ、と、消え去りました。  
 
   
 
   
 
   
 
   
 
 その日、昭和156年4月15日の夕刊に小さな記事が出た。  
 
 
 「4月10日より昏睡状態に陥っていた作家・風浦可符香(本名、糸色杏)が老衰により蔵井沢市の自宅で永眠。享年106歳。  
代表作『最後の、そして始まりのエノデン』や昭和126年の小石川事件の体験を元にした『さよなら絶望先生』を始めとする文学作品を世に送り出した」  
 
   
 
   
 
兵営の前、正門のわきに街燈があったね  
今でもあるね  
そこでまた会おう、街燈の下で会おう  
 
昔みたいに、リリー・マルレーン  
昔みたいに、リリー・マルレーン……  
 
   
 
 

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