第二夜
こんな明晰夢を見た。
かつては山寺であった庵に、師匠と呼ばれる文化人が棲んでいる。自分を含め、多くの者が
その下で創作の極意を学んでいた。
師匠の部屋を退いて、廊下伝いに自分の部屋へ帰ると行灯がぼんやり燈っている。片膝を座
布団の上に立てて、灯芯を掻き立てたとき、丁子油がぽとりと朱塗りの台に落ちた。同時に部
屋がぱっと明るくなった。
部屋には先客がおり、一心不乱に机に向かっている。飾り気のない眼鏡に黒い髪の乙女、名
前は藤吉晴美だと以前に知った。
自分は寓話、晴美は衆道戯画、と互いが究めようとする道は異なるが、師匠の深謀遠慮によ
り部屋は相部屋であった。
お前は文士である。文士なら一晩で寓話の一本くらい書き上げられぬはずはなかろうと師匠
が言った。そういつまでも書き上げられず、また、誰にも評価されぬところをもって見ると、お前
は文士ではあるまいと言った。文士ならぬ凡児だと言った。口惜しければ書き上げた一本を持
って来いと言って、ぷいと横を向いてしまった。絶望した。
一番鶏が鳴くまでには、きっと書き上げてみせる。書き上げたうえで、明日また入室する。そう
してその一本と師匠の評価を等価交換せねばならぬ。書き上げられなければ、師匠の評価は
得られない。どうしても評価されなければならない。自分は文士である。
もし書き上げなければ自害する。文士が辱められて、生きている訳には行かない。首を括っ
て綺麗に死んでしまおう。
そう考えた時、机に向かっていた晴美が顔を上げ、アイデアが連鎖しないのでこれ以上は筆
が進まないと言った。
なるほど。アイデアとは単体ではなく、連鎖させなければならぬものか、と思わず膝を打った。
ならば連鎖をさせるために必要な物は何か、と尋ねると、それは見聞と体験であると答え、こち
らに身を寄せてきた。
私は充分な見聞を有しているが、体験は無い。糸色先生は充分な体験を有しているが、見聞
は無い。ならば連鎖をさせるために見聞と体験を分かち合いたい、と晴美が囁いた。
なるほど。これぞ等価交換というものか、と再び膝を打った。晴美から分けられる見聞によって、
一番鶏が鳴くまでに一本を書き上げられる。がちゃり、と天井の辺りから連鎖の音が聞こえた。
晴美の見聞によると、衆道に限らず、初手は着衣のまま抱き合うのが交合の正しい作法との
ことであった。
なるほど。文の書き出しにも作法があるのだから、交合にも作法があるのが道理。三度膝を
打った。
立位で抱き合うのは初級、座位で抱き合うのは中級。臥位、男役が仰向け、女役がうつ伏せ
で抱き合うのが上級である、と晴美が語った。見栄を張り、仰向けになると、躊躇するそぶりを
見せることなく体を被せてきた。
体験に基づいた適度な強さで抱き締めると、とても好い具合だと返された。作法の二手目は
何をするものかと尋ねると、何も言わずに唇を重ねてくる。ならば、と舌で晴美の唇や舌を撫で
擦ると、そこから見聞が流れ込んできた。
作法の三手目は着衣に手を差し込み、四手目で相手の全身を隈無く撫でる。五、六、七、八、
九を経て、十手目にて互いが絶頂に達した。
放心が納まると晴美の姿は無く、代わりに一巻の冊子が手元に残されていた。筆跡は自分
のもので、挿絵の絵柄は晴美のものであるから、これは二人の子供なのだと思った。
師匠に評価を尋ねると、上段と返された。
第二夜 ―終―