第三夜  
 
 こんな明晰夢を見た。  
   
 数え年で十八になる娘を背負っている。おそらく自分の情婦である。ただ不思議な事に、背負  
う前は普通の娘だったのに、いつの間にか左眼に白い綿紗が当てられ、よくよく見れば、手に  
も足にも包帯が巻かれている。  
 
 自分がその綿紗や包帯はどうしたことかと尋ねると、昔から、と答えた。声は娘の声に相違な  
いが、言葉つきはまるで女性である。しかも対等だ。  
 
 左は土手である。路は蛇の様に細く拗ねっている。蛙の鳴き声が時々闇から湧き出す。川へ  
差し掛かったのね、と背中から声がした。左眼が無いのにどうして解るのか、と顔を後ろへ振り  
向けるようにして尋ねると、だって河鹿蛙が鳴いたでしょう、と返された。 なるほど、あれは河鹿  
蛙の声であるのかと得心し、これは大層な博学の娘を囲い込んだものだと思った。  
 
 路を進むと、リーン、リーンと虫の鳴き声が聞こえた。もう秋が近いのだねと独り言ちると、あれ  
は秋の鳴き声なのね、と顔を寄せてきた。蛙の声は聴き分けられるのに、なぜに虫の声を知ら  
ぬのか、と尋ねると、虫は尾を引かないから感興をそそられない、とにべもない。  
 
 不意に足元を見事な尺の青大将が横切った。ならばあれはそそるのか、と声をかけると、背中  
から、ふふふ、と笑い声で返された。何を笑うのか、と問い質すが娘の返事は無かった。ただ、  
今にわかるから、とだけ囁いた。  
 
 自分は黙って路の先にある橋を目印に歩いて行った。しばらくすると路は丁字路になった。立  
て石があるはず、と娘が言った。なるほど八寸角の石が腰ほどの高さに立っている。表には、娘  
の名は小節あびる、川の名は日高川、左へ進み橋を渡ると道成寺、右へ進むと真砂の庄と記さ  
れてある。  
 
 左が好い、とあびるが命令した。  
「路はやがて道と成る」ならば左へ向かうのが道理である、と言った。  
 
 左を見ると、橋の向こうに大きな山寺と鐘楼が、不安を駆りたてる影を自分達の頭上へ投げか  
けていた。自分はしばし躊躇した。  
 
 今にわかるから、とあびるがまた言った。仕方なしに橋の方へ歩き出した。腹の中では、不安  
の正体について考えながら一筋道を寺へ近づいて行くと、どうも背負われるのは不自由でいけ  
ないね、と背中から声がした。ふと、あびるを背負った覚えが無いことを思い出した。  
 
 急に恐ろしくなった。早く寺へ行ってあびるを降ろしてしまおうと思って急いだ。もう少し行くとわ  
かる。――ちょうどこんな晩だったな、と背中で独り言ちている。  
 
 何が、と際どい声を出して聞いた。何がって、もう思い出したんじゃないかな、とあびるは小首  
をかしげる様に答えた。すると何だかもっと重大なことを思い出した気がした。けれども判然とは  
しない。ただ、こんな晩に何かがあったように思える。そうして、もう少し行けば思い出すように  
思える。完全に思い出しては大変だから、その前に早く降ろしてしまって、安心したいと思える。自分はますます足を早めた。  
 
 道はだんだん暗くなる。ほとんど夢中である。ただ背中に艶やかな娘を負って、‥否、背負っ  
ているのではなく、背中から抱き締め上げられていて、その娘が自分の過去、現在、未来をこ  
とごとく照らして、寸分の多情も洩らさない鏡の様に光っている。しかもそれが自分の情婦であ  
る。自分は鰻筒の中で生かされている鰻の様だと思った。  
 
 ここ、ここ、ちょうどその鐘楼のところ、とあびるが言った。ようやく山寺に辿り着き、立派な鐘  
楼の根元へ腰を下ろす。  
 糸色先生、ここが始まりの終わりの場所でしたよね、と背中から声がした。ええ、そうでしたね、  
と思わず答えてしまった。  
 
 思いを寄せた僧・安珍に裏切られた少女・清姫が激怒のあまり蛇身に変化し、道成寺で鐘ご  
と安珍を焼き殺す凄絶な説話はつとに有名であるが、蛇の交合が丸一日をかけておこなわれ  
ることはあまり知られていない。  
 
 千年ぶりですね、と背後からあびるが囁いた。背中から抱き締め上げられていた時から、す  
でに交合していたことに気が付いた。鰻筒ならぬ蛇筒の中で生かされていたのだと思った。  
 
 
第三夜 ―終―  
 

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