第四話
こんな明晰夢を見た。
狭い居間の真中に化粧台の様なものを据えて、その周囲に無数の黄色い草花が散り乱れて
いる。台は黒光りに光っている。台の前には、左手に花弁、右手に茎を掴んだ内儀が一人で座
している。草花は造花らしい。
内儀は髪を結い上げ、顔中つやつやして皺というほどのものはどこにも見当らない。ただ年季
の入った紬を纏っているから内儀だという事だけはわかる。自分は大人ながら、この御内儀さん
の年はいくつなんだろうと思った。ところへ水屋から味噌壺をせしめてきた貧乏神が、落武者の
様な髪を靡かせながら、御内儀さんはいくつかね、と聞いた。
内儀は花弁と茎を抱き合わせ、大草麻菜実十七才です、と澄ましていた。
麻菜実は抱き合った草花を大きな紙箱に詰め込んで、そうして、ふうと長息を吹き出した。する
と貧乏神が、御内儀さんの家はどこかね、と聞いた。麻菜実は長息を途中で切って、糸色先生の
奥だよ、と言った。
貧乏神は壺を手で抱えたまま、どこへ行くかね、とまた聞いた。すると麻菜実が、また草花を大
きな紙箱に詰め込んで、前のような息をふうと吹いて、糸色先生の許へ行くよ、と言った。
今すぐにかい、と貧乏神が聞いた時、ふうと吹いた息が、窓硝子を通り越して林檎の木の下を
抜けて、森の方へ真直に行った。
麻菜実が表へ出た。自分も後から出た。麻菜実の腰に小さな根付けがぶら下がっている。肩
には紙箱を載せている。茶褐色の久米島紬を纏いて、足袋だけが黄色い。何だか花弁で作った
足袋の様に見えた。
麻菜実が真直に林檎の木の下まで来た。木の下には裸の男女がいた。麻菜実は笑いながら
紙箱から一本の造花を抜き出した。それを祓串の様に小さく振った。そうして地面の真中に置い
た。それから造花の周囲に、大きな丸い輪を描いた。しまいに腰に下げた根付けを外して、先端
の鈴を鳴らし出した。
今にその造花が知恵の蛇になるわ、なるわ、と繰り返して言った。男女は一生懸命に造花を見
ていた。自分も見ていた。
なるわ、なるわ、と言いながら、麻菜実が鈴を鳴らして、輪の上をぐるぐる廻り出した。自分は麻
菜実ばかり見ていた。
麻菜実は鈴をりんりん鳴らした。そうして輪の上を何遍も廻った。草履を爪立てる様に、抜き足
をする様に、造花に遠慮をする様に廻った。怖そうにも見えた。面白そうにもあった。
やがて麻菜実は鈴をぴたりとやめた。造花はいつの間にか金色の蛇に姿を変えていた。男女
の姿はいつの間にか消えていた。
ここは今から失楽園ですよ、と麻菜実が言った。そうして肩口から脱いだ紬を地面に敷いて、
その上に横になった。凍土に白い花が咲いた様に見えた。
自分は麻菜実の奥が見たくなり、同じ様に横になった。
金色の蛇が自分の足首に咬み付いてきた。そこから悟性という毒が流れ込んできた。ああ、
知恵の蛇とは毒蛇だったのだな、と思った。
毒が全身に廻り切ると、自分が何をすべきなのか、わかる様な気がした。なるわ、なるわ、と
言いながら、麻菜実がゆっくりと覆い被さってくる。中指を麻菜実の奥へ差し込むと、産着の様
に温かく柔らかいものに包まれた。妻で、母で、弁財天なのだと思った。
第四夜 ―終―