桜吹雪を舞わせる風が頬を撫でる、ある春の日のこと。
加賀愛は学校を休んだ。
しかし学校では校庭にミサイルが落ちた云々の騒ぎでそれどころではなく、加賀愛が学校を休んでいたことが話題に上がることは一度もなかったが……
「あっ、愛ちゃん」
可符香は下校中に、欠席した加賀の姿を目にした。
愛はぼんやりと、橋の上から小川を眺めている。思いつめたような表情、彼女の発するオーラは、誰かさんが常時意図的に発しているオーラにそっくりだった。
このオーラはどこかで感じ取ったことがある、誰のオーラだったかな……
そうだ、絶望先生だ。絶望先生が身長を伸ばそうとするときによく発しているオーラだ。
しかし、なぜ愛ちゃんがそんなオーラを発しているのだろう。
と、急に愛はため息をついたかと思えば、橋の欄干へと脚をかけた。
こ、これはまさか……
自殺――!?
「やめてー!」
可符香はすぐに飛び出し、いまにも飛び降りようとする愛の脚を掴んだ。
「きゃっ! 可符香さん!?」
「やめてください!」
「キャーッ!!」
バランスを崩して橋から滑り落ち、可符香に脚を掴まれてパンツ丸出しで宙づりにされてしまう愛。
「す、すみません! すみません! 離してください!」
「だめです! 命を粗末にしてはいけません!」
「すみません! 違うんです! 自殺しようとしたわけじゃないんです!」
「えっ? そうなの?」
その後、偶然通りかかった久藤に力を借りてどうにか引っ張り上げてもらった愛は、可符香に悩みを相談しようと、彼女を連れて喫茶店へと足を運んだ。
「それで愛ちゃん、自殺じゃなかったらどうして」
「誤解させてすみません、実は、一度は川に捨てたこれを、拾いにいこうとしていたんです」
愛が差し出したのは、泥をかぶった日記帳だった。
「なにこれ?」
「夢日記です」
「夢日記? あぁ、そういえば千里ちゃんがつけることを義務付けてたよね、あれまだやってたんだ、愛ちゃん」
夢日記、夢にみたことを記しておくノート。先日クラスで嫌な流行をした曰のアイテムである。
愛はわけあってこれを川に捨てたのだが、環境を汚しては川に申し訳ないと拾いにいこうとしていたのだという。
……いくらなんでも底20センチのドブ側に飛び込んで自殺しようなどと考えるわけがない。
「でも、昨日までコツコツ書いてたんでしょう、なんで急に捨てることにしたの?」
「…………」
愛が急に、頬を赤らめた。
「先生に申し訳が立たない夢ばかりを見るのです」
「えっ、どんな?」
「……つまり、その、……なんていうんでしょう、先生に……」
「先生に?」
愛が申し訳なさと恥ずかしさが混じったような顔をした。
「あの、淫夢、というものでしょうか。……私の心が邪なばかりに、そんないやらしい夢ばかりを見てしまうんです」
「えっちな夢を見るの? 先生の夢?」
可符香が首をかしげた。
「愛ちゃん、先生とセックスする夢でも見るの?」
「ひっ、す、すみませんすみません大声で言わないでください!」
可符香の口を慌てて塞ぐ愛。ただでさえ良く通る可符香の声が大音量で店内に響き渡ってはいけないと、愛は店内に知り合いがいないことを慌てて確認してから、小声でひそひそと返した。
「そ、そんなところです、はい……」
「へぇっ、具体的には、どんな?」
「えっ?」
可符香は身を乗り出した。
「ほら、悪い夢は人に話したほうがいいっていうじゃない。気になるんなら、人に話したほうがいいよ」
可符香が誘う。愛のことを親身に思っている素振りで、ますます身を乗り出した。そんな可符香の態度につい心の隙間を許し、愛は俯いたまま、懺悔するかのように口を開いた。
「先生に、夢の中でいやらしいことをしてしまいました」
「例えば?」
「……着物を脱がせ、肌に触れ、抱き着いて……」
「専ら愛ちゃんが責めるのね」
「は、はい、すみませんワタシのようなものが……」
根掘り葉掘り尋ねる可符香。そのうち質問は次第に具体的になり、仕舞には
「フェラチオは? 愛ちゃん、フェラチオ! した?」
「し、しました、してしまいましたすみません……」
「へぇっ、本番はやったの?」
「ほ、ほんば……うぅ……」
「体位は? 正常位? バック?」
「本番まで夢に見るときは、あんまりないですけど、バ、バックの時が多いです」
「フィニッシュは中? 外?」
「な、中です……」
愛は耳まで真っ赤っ赤になり、ついに可符香が具体的な喘ぎ声まで聞き出した時には
「ご、ごめんなさい 私のような者がこんな淫猥な夢を見てしまってすみません!」
と、恥ずかしさが限度に達して店を飛び出してしまった。
後に残ったのは可符香と愛の日記帳。
可符香は日記帳を手に取って、開いてみた。
そこに記されていた、愛の夢の淫行の数々、なるほど、愛の潜在意識がそれを見せているのであろうが、彼女自身が望に罪悪感を抱くのも無理はなかった。
可符香はにっと笑い、その日記帳を自分の鞄へと、そっとしまいこんでしまった。