可符香は、放課後、人のいない教室でため息をついた。  
 
先日、可符香は担任教師の望と想いを通じ合わせ、結ばれた。  
しかし、教師と生徒という立場もあって、2人の恋愛には問題が山積だった。  
 
そもそも、2人きりで会うこと自体、難しい。  
望は、相変わらず宿直室に住み暮らしていたが、人気者の望の元には  
ひっきりなしに生徒が訪ねてくる。  
また、生徒がいなくても、そこには一緒に暮らす甥の交がいた。  
 
さらに、やっかいなのは、常に望につきまとっている少女だ。  
男子トイレにまで付いてくる彼女を撒くのは、並大抵のことではなかった。  
 
しかし、可符香が今心を悩ませているのは、そのことではなかった。  
 
望の様子が、最近おかしいのである。  
何とはなしに、2人きりで会うことを避けているように感じられる。  
教室でも、あえてこちらを見ないようにしているようだ。  
 
可符香は、もう一度ため息をついた。  
 
と、  
「杏ちゃんがため息なんて、らしくないね。」  
後ろから声をかけられ、可符香は振り向いた。  
「准君…。」  
そこには、クラスメートの久藤准が立っていた。  
 
准は、やはりクラスメートの日塔奈美とともに、可符香の幼馴染であった。  
特に准は、可符香が、両親が自殺した後に引き取られた叔父の一家とも  
家族ぐるみの付き合いをしていたせいで、非常に親しい間柄であった。  
 
そして、彼は、可符香の辛い幼年時代を知る唯一の友人でもあった。  
 
2人は、クラスメートの前では「風浦さん」「久藤君」と呼び合っていたが、  
2人きりになると、昔の呼び名が口をついて出てくる。  
 
可符香は口を尖らせた。  
「その名前で呼ばないでって言ったでしょ。嫌いなの。」  
「ああごめん、つい。」  
准は笑いながら、可符香の隣の椅子に腰を下ろした。  
 
「で、何をそんなにアンニュイになってるの?」  
「…准君には関係ないことです。」  
「あ、ひどいな。それが幼馴染に言う言葉?」  
言葉とは裏腹に、准は笑顔で可符香を覗き込んだ。  
 
「もしかして…恋の悩み?」  
「え…。」  
突然の直球に、可符香は思わず素の反応をしてしまった。  
「ああ、やっぱりね、そうじゃないかと思ってたんだ。」  
准は嬉しそうにうなずいた。  
 
「そ…。」  
可符香は焦りながら言葉を探した。  
どうも、准相手だといつもの仮面をかぶることができない。  
 
准は片目をつぶった。  
「だって、杏ちゃん、最近きれいになったもの。」  
「…最近って、今までは不細工だったってこと?」  
可符香は、なんとか、体勢を立て直そうと反撃に出た。  
「あはは、昔から十分可愛かったよ。性格には問題ありだけど。」  
「何それ!それに、杏って呼ばないでって言ったでしょ!」  
可符香が准に向かって両手を振り上げると、准はその手を捕らえて持ち上げた。  
そのままの格好で、2人で笑いあう。  
いつもの、おふざけだった。  
 
カタン。  
入口で物音がして、2人は振り返った。  
 
「あ…。」  
 
そこには、やや青ざめた顔で立ち尽くす、担任教師の姿があった。  
 
「先生!」  
可符香は、意識しないままに准の手を振り払い、望に駆け寄った。  
しかし、望は、可符香の顔を見ようとしなかった。  
 
「わ、忘れ物をしたので…。」  
望は口の中で呟くと、教壇の中からガサガサと書類を引っ張り出した。  
そして、  
「久藤君、風浦さん、2人とも、遅くならないうちに帰るんですよ。」  
2人を見ずに言うと、足早に教室から立ち去っていった。  
 
「…変な先生。」  
准は首をかしげて呟いたが、可符香は、教室の入口を向いたまま、立ち尽くしていた。  
 
 
望は、わき目も振らず、学校の廊下を歩いていた。  
脳裏には、今しがた目撃した可符香と准の姿が浮かんで消えない。  
 
楽しそうに手を握り(望にはそう見えた)、笑い合う若者達。  
なんの屈託もない、明るい笑顔だった。  
 
望は、ため息をつくと歩調を緩めた。  
―――私といるときは、彼女はいつも、どこか切なそうな顔をしている。  
―――あんなに底抜けに明るい笑顔は見せてくれなかった。  
 
廊下の窓から、夕陽に照らされた校庭を眺める。  
可符香が、とぼとぼと歩いているのが見えて、心がきり、と痛んだ。  
と、そこに後ろから准の背の高い姿が追いつき、可符香に並んだ。  
「…!」  
 
夕陽の中、肩を並べて帰る2人の姿は、余りにも似合いだった。  
望は、ここのところ、ずっと心に渦巻いている疑問が頭をもたげてくるのを感じた。  
 
―――私は、彼女にはふさわしくないのではないだろうか。  
―――私の、この想いは、彼女にとって重荷なのではだろうか。  
―――私の存在は、彼女を苦しめているだけなのかもしれない…。  
 
望は、のろのろと窓から顔を背けた。  
ゆっくりと階段を下り、渡り廊下を抜けて中庭に出る。  
そして、木の下のベンチに腰を下ろすと、ぼんやりと自分の両手を見つめた。  
 
太陽は、すでに地平線に沈み、あたりは次第に闇が支配してきた。  
それでも、望はその場を動こうとしなかった。  
 
 
すっかり暗くなった夜の中庭で、  
「先生…。」  
背中を丸めた望の後ろから、ひそやかな声が上がった。  
 
「常月さん…いたんですか。」  
望は振り返りもせずに呟いた。  
「…はい、ずっと。」  
まといが、背後の木の陰から姿を現した。  
 
まといは、うつむく望の前に立つと、口を開いた。  
「先生…先生と、可符香さんは、相容れませんよ。」  
「…!」  
望は、弾かれたように顔を上げた。  
「可符香さんは、太陽の…光の人なんです。私達とは、根本的に違う人種なんです。」  
 
「私は…。」  
望はかすれた声を出したが、まといは厳しい口調で首を振った。  
「私達のような人間は、光にあこがれても、所詮は交わることはできないんです。  
 闇は、影となって光を引き立たせるだけの存在…。」  
 
望は、小さくうめくと、両手に顔を埋めた。  
 
まといは、そんな望をしばらく哀しげに見つめていたが、  
そっと、その頭を抱え、胸に抱きしめた。  
 
 
翌日の放課後、望に、スクールカウンセラーである智恵から呼び出しがかかった。  
「糸色先生…。ちょっと。」  
 
可符香は、その日、何とか望と会話しようとしていたが、ことごとく避けられていた。  
そこで、智恵に連れて行かれる望を見て、一瞬ためらったがその後を付いていった。  
SC室のドアの隙間から、こっそり中をのぞく。  
 
「先生と常月さんの特殊な関係は、私も充分に理解しております。」  
智恵は椅子に足を組んで望に向き合っていた。  
「はあ…特殊、ですか…。」  
いぶかしげな顔で返事をする望に、智恵はボールペンの先を突きつけた。  
「しかし。夜の校庭で生徒と抱き合う、ということまでは、  
容認することはできません。」  
 
「―――!」  
可符香は息を止めた。  
今聞いたことが信じられなかった。  
―――先生と、まといちゃんが、夜の校庭で、抱き合っていた…?  
 
望は焦った様子で手を振った。  
「いや、抱き合うといっても、あれは…!」  
「…主観的にはどうあれ、客観的事実が存在したことは、お認めになるのですね。」  
智恵の冷静かつ事務的な声が響く。  
望は、ぐっと詰まった。  
 
 
ドアの外の可符香の頭の中は、さまざまな感情が渦巻いていた。  
 
まといが望に付きまとっていることは、もちろん知っていたが、  
それはまといの一方的な行為に過ぎなくて、  
望は、まといに対しては何ら特別な感情は持っていない、と思っていた。  
 
しかし…最近の望の、自分を避けようとする行動…。  
あれは、もしや…。  
 
―――どうして、否定しないの、先生…!  
可符香は、ドアノブを強く握り締めた。  
と、そのとき、背後に人の気配を感じ、振り返った。  
 
そこには、袴姿の少女が、冷ややかな目で可符香を見つめていた。  
 
 
 
どこをどうやって歩いてきたのかよく分からない。  
まといの視線から逃げ出した可符香は、校内をふらふらとさ迷い歩いていた。  
 
―――なんで、私、逃げたりしたの。  
―――ポジティブに生きるって、決めたんじゃなかったの。  
―――先生…。どうして…。  
 
いろいろなことが頭の中で錯綜して、何も考えられなかった。  
―――静かで、落ちついたところに行きたい…。  
 
気が付くと、可符香は図書室の扉を開けていた。  
 
「杏ちゃん、どうしたの!?」  
扉の先にいたのは、驚いた顔の幼馴染。  
―――あ、そっか…図書室だもんね…。  
 
可符香は、そのまま力なく、手近のベンチに崩れるように座り込んだ。  
 
「どうしたのさ、元気ないね?」  
准がカウンターを回って可符香に近づいた。  
「なん、でも、な…。」  
答えるそばから、涙が溢れてきた。  
「え、ちょっと!?」  
准は、慌てて可符香の隣に腰を下ろすと、下から可符香を覗き込んだ。  
 
「もしかして、彼と何かあったの?」  
「…。」  
「黙って泣いてるなんて、杏ちゃんらしくないよ。」  
「…。」  
 
可符香は、首を振った。  
―――もう、杏って呼ばないでよ!  
いつものように明るく返したかったが、声が出なかった。  
 
准は、優しく可符香を抱き寄せると、少し怒ったような声で言った。  
「杏ちゃんをこんなに苦しめるなんて、いったいどこのどいつなんだ。」  
 
と、そこに、  
「まったく、濡れ衣もいいとこです…。」  
ぶつぶつ呟きながら、図書委員の顧問である望が、図書室の扉を開けた。  
 
 
准は、望が入ってきたとき、図書室の入口に背を向けていた。  
 
ただ、腕の中にいる可符香が、入口の方を見て体をこわばらせたため、  
―――こいつか。  
ある種の直感を持って、険しい顔で振り向いた。  
 
しかし、そこにいたのは、思いもよらない人だった。  
 
―――まさか…。  
准は、信じられない気持ちで、腕の中の可符香と望を交互に見やったが、  
昨日の望の態度、そして、ここ最近、2人が余所余所しかったことを思い出した。  
 
―――相手は、先生、だったのか…。  
そう考えると、全てが腑に落ちるようだった。  
 
准は、ショックを振り払うように頭を振ると、望に向き直った。  
「先生…お話があります。扉を、閉めていただけますか。」  
 
―――先生だろうと、杏ちゃんにこれ以上の傷を負わせることは、許さない!  
 
准は、可符香が幼い頃、辛い体験をしているのを薄々と知っていた。  
可符香が、超ポジティブ思考になったのが、その反動であることも。  
だから、余計に、そんな可符香に辛い思いをさせる男は許せなかった。  
 
望は望で、呆然と、准に抱きすくめられている可符香を見つめていたが、  
准の挑戦的な声音に、す、と目を細めた。  
 
そして、後ろ手に扉を閉めると准に向き直り、冷たい目で准を見た。  
「…扉は閉めました。聞きましょう、あなたの『話』とやらを。」  
 
准は、担任の冷たい視線にややひるんだが、息を吸い込んで望を睨み返した。  
「先生は、杏ちゃんを悲しませてます。  
 杏ちゃんを幸せにできないようなら、杏ちゃんから、離れてください。  
 …杏ちゃんは、僕が、もらいます。」  
 
これを聞いた可符香が、抗議するかのように口を開いたが、  
准は手を上げてそれを制した。  
―――先生の答え次第では、僕は、先生を許さない。  
 
しかし、望は、准の言葉には答えず、まぶしそうな目で准と可符香の2人を見比べた。  
「杏ちゃん…ですか。あなたは、彼女を、そう呼んでるのですね…。」  
 
准は、関係ない話をする望に苛立った。  
「先生、僕は…。」  
「分かりました。」  
望が、静かな口調で准の言葉を遮った。  
「え…。」  
 
望の口調は、平静なまま、変わらなかった。  
「分かりました、と言ったのです。私は、風浦さんにはふさわしくない。  
 いさぎよく身を引きましょう。」  
 
准は、ぽかんと口を開けた。  
そこに、  
「―――先生!」  
可符香が大声を上げた。  
 
「なんで、そんなこと言うんですか!?まといちゃんがいるから!?  
 …私は、先生にとって、一体なんだったんですか!?」  
 
「まとい…?」  
望は、怪訝な表情で可符香を見たが、次の瞬間、はっとなった。  
「先ほどの話を、聞いていたのですか…。」  
可符香は目に涙を溜めて、無言で望を睨み据えている。  
 
望は、可符香から目をそらすと、カウンターを指でなぞりながら、ぽつりと言った。  
「…常月さんのことは、完全な誤解ですよ…。」  
「じゃあ、どうして、身を引くなんてこと、言うんですか…っ!」  
可符香の涙声に、望の指の動きが止まった。  
 
「…私は、あなたにふさわしくない…。」  
「うそつき!」  
 
望の言葉は、可符香の激しい叫びにかき消された。  
望は、驚いたように顔を上げた。  
准も、思わず横にいる可符香の顔を見た。  
 
可符香は、瞳から涙をこぼしながら叫んだ。  
「そんなきれいごとなんか、聞きたくない!先生も他の大人と一緒、  
 結局、私を、おもちゃにして遊びたかっただけじゃないですか!」  
 
「な…!」  
望が、端からはっきりと分かるほど青ざめた。  
 
「あなたは…。」  
望の声は震えていた。  
「私が、あなたを、おもちゃにしていたと…?」  
 
望は、可符香の方を向いたまま、押し殺した声で准に告げた。  
「久藤君…申し訳ありませんが、席を外してもらえませんか。」  
「え…何…。」  
「ここから先は、私と風浦さんの問題です。部外者には立ち入ってもらいたくない。」  
准は、抗議しようと口を開けたが、望を見て、そのまま立ち竦んだ。  
 
―――これは、本当に糸色先生なのか…?  
 
いつもぼんやりとあらぬ方向を見ている瞳は、激しい感情を宿して緑色に煌いていた。  
青ざめた肌に冷ややかな怒りをまとったその姿は、近寄り難いオーラを放ち、  
普段、生徒達にからかわれ、めそめそしている担任の姿とは程遠かった。  
 
―――杏ちゃんの言葉は、先生を、ここまで怒らせることができるんだ…。  
 
准は、思わず自分の立場を忘れて望の姿に見入ってしまっていた。  
 
呆けていると、低い、抑えた声が再び准の名前を呼んだ。  
「…久藤君。私の言ったことが聞こえましたか?」  
 
准は、はっと我に返ると、可符香を振り返った。  
可符香が小さく頷くのを見て、准は、ためらいながらも部屋を出て行った。  
 
図書室を、沈黙が支配した。  
 
望はゆっくりと可符香に近づいた。  
可符香は、思わず後ろに下がった。  
―――こんなに怒ってる先生、初めて見た。  
 
「…おもちゃだなんて…本気で、そんなことを思っているんですか。」  
望の声は、凍るほどに冷たかった。  
 
しかし、可符香は果敢に望に向き直ると、言い放った。  
「だって、そのとおりでしょ!  
 先生にとって、私なんか、使い捨ての遊び道具に過ぎない…!」  
 
可符香の言葉に、望の瞳がぎらりと光った。  
望は、可符香の両手をつかむと、ぐい、と体ごと引き寄せた。  
「あなたが、使い捨ての道具ですって…?私が、そう思っていると…!?」  
望の、食いしばった歯の間から軋んだような声が漏れた。  
 
可符香が無言のまま反抗的な目で睨み返すと、望は  
「…っ!」  
小さく叫び、可符香を、ベンチの上に押し倒した。  
 
そして、眼鏡をかなぐり捨てると  
「本当にそうかどうか、ご自分の体に聞いてみなさい―――!」  
可符香の制服に手をかけた。  
 
「―――――――!!」  
可符香の悲鳴は、図書室の厚い壁に吸い込まれ、消えていった。  
 
 
望が、可符香の衣服を乱暴に剥いでいく。  
―――これは、現実なんかじゃない。  
 
いつも、望は、泣きたくなるほどに優しく可符香に触れていた。  
しかし、今、望の手は凶暴な凶器と化している。  
―――これは、夢、悪夢に違いない。  
 
強く抑えられた手首が痛い。  
―――夢じゃない!  
 
可符香の脳裏に、昔の忌まわしい記憶が蘇り、恐怖に身がすくんだ。  
 
―――どうして、どうして、先生…!  
 
望の唇が可符香の肌をまさぐり、紅い花びらを散らしていく。  
そのたびに、可符香の口からは小さな悲鳴が漏れた。  
―――いやだ、こんなことで感じたくない!  
 
しかし、パニックになりながらも、体は、慣れ親しんだその唇や手の動きに、  
いつのまにか反応していた。  
「っぁああ!」  
いきなり胸の先端を強く吸われ、可符香は声を上げた。  
 
足の間に溢れ出てくるものを感じ、可符香は絶望的な気持ちになった。  
―――どうして…こんな、無理矢理なのに…!  
 
望の長い指が、可符香の中を乱暴にかきまわした。  
「やっ…!あぁああ!」  
そのまま、指が可符香の中を抜き差しする。  
その動きは性急で、いつものような余裕は全く感じられなかった。  
 
いつもだったら、優しい口付けとともに与えられる愛撫。  
しかし、今、望は可符香の顔を見ようとさえしなかった。  
―――違う、こんなのは、先生じゃない…。  
 
それにもかかわらず、望の指が動くたび、可符香は、体の奥でとめどなく  
溢れてくるものを押え切れなかった。  
可符香は、必死に歯を食いしばって声を押し殺していたが、  
しばらくして、望の指の動きがとまった。  
 
ほっと息をついたのもつかの間、次の瞬間、  
望が小さくうめいて、可符香の中に入ってきた。  
「!!」  
可符香は、耐え切れずに、思わず背をそらして嬌声を上げてしまった。  
「ぁぁああああ!」  
 
―――いやだ、だめ、こんなのは、いや…!  
体が快楽を感じるほどに、心が悲しくて、涙が溢れてきた。  
 
と、可符香は、自分の涙以外に、顔に温かい水滴が降ってくるのに気がついた。  
 
目を開けて見上げると、望が泣いていた。  
可符香を思う存分蹂躙しながら、その表情には、快楽のかけらも見られなかった。  
可符香に体を打ち付けるたびに、どこかが痛むかのように顔をゆがめ、  
ただ、涙を流していた。  
 
―――先生…。  
 
可符香は、ふっと体の力が抜けていくのを感じた。  
 
―――ああ、この人は、何て不器用な人なんだろう…。  
 
本当は、心の底では分かっていた。  
望は、決して自分のことを、おもちゃとして扱ったりなんかしていない。  
それどころか、こんなボロボロになるまで…自分と真剣に向き合ってくれている。  
全部、分かっていた、はずなのに…。  
 
―――先生は、本当に、馬鹿だ…。そして、私も、馬鹿だ…。  
 
可符香は、そっと望の顔に手を伸ばした。  
望は、驚いたように目を見開き、動きを止めた。  
 
可符香は望の涙を指さきでぬぐうと、その頬に手を添えたまま、小さくささやいた。  
「先生…愛してる…。」  
「―――!」  
次の瞬間、可符香は、自分の中が望で満たされるのを感じ、気を失った。  
 
 
どれくらい時間が経ったかわからない。  
可符香が目を覚ますと、窓の外はすでにオレンジ色に染まっていた。  
 
望は、ベンチの端に可符香に背を向けて座り、両手に顔を埋めていた。  
 
可符香はゆっくりと起き上がると、そっと望に声をかけた。  
「先生…。」  
望は、両手から顔を上げた。  
 
「…申し訳、ありませんでした…。」  
望は、可符香を振り返らずに、小さく呟いた。  
「…。」  
「謝って、すむことではありませんが…。」  
「…。」  
「…私は、明日、辞表を出します。そして、二度とあなたの前には現れません…。」  
 
「…学校を辞めるんですか?」  
可符香は、尋ねた。  
「学校を辞めて、どうするんですか?」  
「…。」  
「富士の樹海にでも、行くんですか?」  
「…。」  
 
いつも死んでやる、と大騒ぎしている望が、今、この問いに答えないことが  
却って可符香を不安にさせた。  
 
可符香は、大声で叫んだ。  
「―――先生の馬鹿!」  
望は、驚いたように可符香を振り返った。  
 
「先生は、何も分かってない!  
 どうして、いつもそうやって、自分ひとりで結論出しちゃうんですか!」  
可符香の目からは涙がボロボロとこぼれていた。  
 
望は、そんな可符香を呆然と見ていた。  
可符香は、手の甲で涙を拭くと、ぐい、と望に迫った。  
「だいたい、なんで、先生が、私にふさわしくないんですか…?」  
 
望は体をのけぞらせると、弱々しい声で呟いた。  
「わ、私は…年も10歳近く離れていて…いつも絶望ばかりしているし…。」  
「年なんて、関係ない!絶望だって、本気ではしてないじゃないですか!」  
「…。」  
ある意味痛いところを突かれ、望は沈黙した。  
 
「私が、先生のことを好きだって言ってるのに、なんでそんなに大事なこと、  
 勝手に決めちゃうんですか!」  
可符香は、今や望の胸ぐらをつかんで締め上げていた。  
 
望は、苦しい息の下から抗弁した。  
「だ、だって、あなたはいつも、私と一緒のときはあんな風に笑ってくれたことは  
 ないじゃないですか…!」  
「へ?」  
可符香が望の胸ぐらをつかんでいた手を離した。  
 
望は、しばらく咳き込むと、可符香を恨めしそうな目で見上げた。  
「昨日、久藤君といるときのあなたは、とても楽しそうだった。  
 私と一緒のときは、あんな笑顔は見たことがない…!」  
 
今度は、可符香が呆然とする番だった。  
「先生…もしかして、それが理由で、別れようなんて思ったんですか…?」  
「…それだけが、理由じゃないですけども。」  
 
可符香は、はあぁぁぁと盛大にため息をついた。  
「先生の…馬鹿。」  
「何でですか!?」  
 
可符香は、望の顔を両手で挟むと、自分の顔を近づけた。  
「先生…私、今だって先生の側にいるとこんなにどきどきするのに…。  
 先生の側で、あんな風に、能天気に笑えるわけないじゃないですか…!」  
「え…。」  
「先生は、もう少し、乙女心を勉強してください!」  
 
望は、赤く染まった可符香の顔を見ていたが、やがて、ふらりと立ち上がった。  
混乱する頭を必死に整理しようと試みているようだった。  
 
と、後ろから、可符香が望に抱きついた。  
「先生、もう、いろいろ考えなくていいです。  
 …私が、先生のこと、愛してるってことだけ、それだけを知っていてください…。」  
 
望の肩が震えた。  
 
しばらく、望はそのまま立ちすくんでいたが、やがて、おずおずと、  
腰に回された可符香の手の上に自分の手を重ねた。  
可符香は、幸せそうな吐息をもらすと、望の背中に顔を押し付けた。  
 
しばらく2人は、そうやってお互いの体温を確かめ合っていた。  
 
 
図書室からの帰り道、望が、言いにくそうに口ごもった。  
「久藤君のことは、どうするんですか…。」  
 
可符香は笑った。  
「准君は、単なる幼馴染ですよ。彼は、正義感が強いから、今回のことは、  
 妹を守るお兄ちゃんのような気持ちだったんじゃないですか?」  
「でも、久藤君だけが、あなたのことを『杏ちゃん』と呼ぶんですよね…。」  
まだ何か納得がいっていないような望に、可符香は正面に回りこむと後ろ手に見上げた。  
 
「もう、先生、本当に分かってないんですね。  
 私は、自分でつけた、風浦可符香という名前が大好きなんです。  
 …そして、先生が、この名前を呼んでくれることが、何よりも嬉しいんです…。」  
 
望は、黙って可符香を見下ろしていたが、次の瞬間、心から嬉しそうに微笑んだ。  
可符香は、一瞬、望の笑顔に見惚れると、ふと眉をしかめた。  
 
「だいたい、准君てば…。」  
 
可符香は、出て行けと命じられながら、心なしか頬を染めて呆然と望を見つめていた  
准の姿を思い出していた。  
 
「むしろ、これからは…私のライバルになりそうかも。」  
 
望はきょとんと可符香を見た。  
「は?久藤君があなたのライバルに?」  
「いいえ、こっちの話。」  
可符香はにっこり笑うと、伸び上がって望の頬にキスを落とした。  
 
 
 

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