―私は神です―
「のっけからなんですか。何を意識してるんですか」
糸色望は夢を見ていた。夢と呼ぶにはあまりにお粗末な夢。
暗闇から声がするだけという、つまらなさを具現化したような夢。
―私は貴方に、残念な知らせを伝えに来ました―
―貴方はこれから72時間後に死にます―
―そのうえ貴方を知る人は、皆、貴方の記憶を失ってしまうのです―
―しかし、その運命を回避することは可能です―
―この夢が覚めてから72時間が経過する前に、十人以上の女性と性交を行うのです―
―ただし、貴方を心から愛している女性が相手でなくてはいけません―
―もし貴方が、この話を嘘だと思うのならば、ロープを―
「絶望した!あまりにも理不尽かつ口を挟むことを許さない、神の横暴さに絶望した!」
望は自分の絶叫で目覚めた。一般的に言う"最低な寝覚め"である。
しばし、沈黙。
……頭の中で先ほどの夢を反芻する。"神"とやらの言葉は、やけに印象に残っていた。
「……なんという夢を見てるんですか、私は……欲求不満でしょうか」
十人以上の女性と性交。さながら、性春まっさかりな中学生の夢である。
「はぁ……」
朝の六時。一日の始まりから、早くも憂鬱。
「おじさん、うるさいよ……」
どうやら望は、だいぶ大きな声で絶叫したらしい。隣で寝ていた交も、目を覚ましてしまっていた。
「なんだよ、朝っぱらから。」
「いえ別に。大したことじゃありません」
五歳児相手に、欲求不満かもしれない自分の身体について語っても意味がない。
望は、早々にさっきの夢を忘れることにした。
宿直室に住み着いている望の日課の一つに、"校内の見回り"がある。
今が夏休みとはいえ、いやむしろ今が夏休みであるからこそ、それを欠かすわけには行かない。
早速身支度を整えようと、望は鞄を開けた。
―この話を嘘だと思うのならば、ロープを―
鞄の中に常備している、自殺用首吊りロープが、ちらと目に入る。
(……これを、どうしろと言うんでしょう)
なにも夢の真偽を確かめようと思ったわけではない。
ただ、何の気なしに。なんとなく、ロープの端を掴んでみた。
その瞬間。
ロープが、まるで生き物のように、望の首にまきついた。
「ぅげふ!」
喉が詰まって妙な声が出るが、ロープはすぐにほどけてくれた。
(今、何が!?ロ、ロープが勝手に動くなんて……)
思わず手放したロープが、床に落ちている。
(……まさか、ねぇ……)
再びロープの端を掴む。ロープが跳ねる。
しかし今度は、望の首に巻きつくようなことはなかった。ただ、不気味にうねり続けている。
……しばらく思考停止した後、望は恐るべき真実に辿り着いた。
(私に、ロープを操るような超能力はなかったはず……
さっきの夢の"神"とやらの言葉が、きっかけに?だとしたら……)
―貴方はこれから72時間後に死にます―
―貴方を知る人は皆、貴方の記憶を失ってしまうのです―
―この夢が覚めてから72時間が経過する前に―
―十人以上の女性と性交を行えばよいのです―
フラッシュバックする"神"のことば。それらが指し示すこと。
タイムリミットまで、あと71時間。それまでに十人の女性とセックスを行わなければ……
(私は誰からも忘れ去られ、孤独にこの世を去るということですか!?)
望はこの後、実に一時間もの間、自らの不運と世の理不尽さを嘆き続けた。
しかし行数の無駄なので、ここでは省略することにする。
ひとしきり嘆いた後、望は本来の職務を思い出した。
「と、とりあえず見回りはしなくては……」
慌てて支度を終わらせ、望は宿直室を飛び出して行った。