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 親しき者の声を背に、陸坑は僅かな者を連れ皇帝が座する宮殿へ向かっていた。

 ただでさえ、敵将である羊コとの関係は朝廷の中で酒のつまみ程度には噂になっていた。
此度の陸坑の件は、思慮無き俗物の目には私心ありと捉えられ、戦端と遠くはなれた中央へ召喚されたのだ。

 この国の主は、左右は知らぬのか。
陸坑であったからこそ、戦わずにして守れていたことに。

 羊コもまた、陸坑に対し確かな感情を持っていたが、それは彼の将としての責務に影響を及ぼしてはいなかった。
羊コが今まで果敢に攻めなかったのは、陸坑が紛れもない名将であり勝つにしても失うものが多くなることが予測できたからである。

 現在、軍を預かっているものが陸坑でないことがしれたら晋は揚々と侵攻の計画を立てよう。

 何故にこのような無用の事をせねばならないのか、陸坑は腹だたしく思った。

 もし、陸坑が将として国を守る立場から降ろされ、独房の中から晋の旗を見るようなことがあれば無念この上なく、
倒れるならば羊コの剣によってと、陸坑自身は望んでいた。

 遠めには壮麗に見える宮殿は、近づくにつれてその本質が醜であることを陸坑は改めて感じていた。

 衛兵には将に対する敬意はなく、古典の怪物のように肥えた官人、そしてなにより死臭がする。
人の死が、宮殿内に瘴気を撒き散らしていた。

 屋根には、目を刳り貫かれた人の頭部が吊り下げられ、空間を美しく保つために作られた池は、腐った血液に満たされ地獄そのものを顕している。
そのような中に響く笑い声は、狂気以外なんであろうか。

「よぉ、陸坑。どうだ、綺麗とは思わねぇか!?」

 陸坑は目線を上げた。 声の主は、陸坑にその手で握った物を見せ付けるように向けている。
それは、眼球であった。  綺麗に洗われたそれを、その男は握りつぶした。

「美人だったぜ、こいつはよぉ。 でもよぉ、あんまり俺様を見つめるもんだからなぁ、思わず目ン玉刳り貫いちまった!」

 男は、階下の陸坑へ何かを蹴り転がした。
陸坑は確認もしない。 女の死骸に決まっていたからだ。

「変りませんね、貴方も。」

 陸坑の声は、まるで壁にでも話しかけているように無機質である。

「くけけけヶ、お前も相変わらず口の聞きかたなってねぇぜ!」

 男は、手に残った肉片を舐め取りながら人のものではない笑いを発した。

「俺様は誰だ?言ってみろよ?」

 陸坑は、やや体を強張らせ、吐き出すように言った。

「我が主君、孫元宗で御座います。」

「皇帝、が抜けてるだろ?」

 この男こそ皇帝であり陸坑が主。

 孫皓、字を元宗といった。

 その面は、酒かそれ以外かに侵され青白く、目は血走り、張り付いた傲慢そのものの表情が禍々しさを湛えている。
権力を玩具として捉え、命令さえすればあらゆる物事が叶うと思っているのだろう。

 これほど分かりやすい暴君も、そうはいまい。

 魔王とさえ呼ばれた董卓は、過程はどうであれ権力を自らの力で勝ち取った末の暴虐であった。
この者は違う。 権力を得るために汗を、血を流すこともなく、勝手に権力が転がり込んできたのだ。

 内実は、孫皓の父から、その母、多くのものを巻き込んだあまりにも愚かな悲劇とも呼べぬお家騒動に、
それに乗じた奸臣の騒動、それらを経て巡ってきた皇帝の座になんら責任を感じないのも無理はないのだが。

 父が、先の皇帝孫権に尽くし、そして狂った権力によって虐げられた陸坑には、皇帝の座に座らされた孫皓に対し同情の余地があった。
皇帝にさえならなければ、聡明であった昔の姿のままであったのではないか。

「この度、どのような理由で私は呼ばれたのでしょうか。」

「けけっ、まぁ話はゆっくりしようじゃねぇか。」

 孫皓は、一人宮殿の奥へ進んでいく。
陸坑には、そのような無駄な時間を過ごしてよい立場ではなかったが、ここに来て皇帝の命に逆らうことは死と同義である以上ついて行くしかない。

 壮麗であった宮殿の外と比べ、その中は暗く、昼間でさえ壁には薄っすら明かりが灯っている。
孫皓は、人に己の顔を見られるのを極端に嫌ったため、このような造りになっているらしい。

確かに幼少の頃から、そのような面は見えていた、が。 その理由は未だに分かってはいなかった。

 孫皓は、陸坑の事を確認もせずに奥へ進む。
陸坑が入ったことすらない最奥、この辺りは灯火もほとんど無くまるで地下道のようである。

 一歩踏み出すことに、かつんという音が上に下に反響する。
終始無言で陸坑は孫皓に追従した。

 
 どうもよからぬ事が我が身に降りかかってきそうだ。
 いざという時は・・覚悟を決めよう。

 いっそ、命じられたまま玉砕したほうが良かったのか?
 召喚に応じなければ良かったのか?

 いずれを選んでも、呉は滅ぶ。

 何故、母国はこれ程までに衰えたのか。

 それは孫皓一人の行ないによってではなく、彼が即位した時にはすでに国としてあるべき姿とは程遠かった。

 孫権は国を興し、国を継がせる事を怠ったと陸坑は考える。
 全ては孫権から始まっていたのだ。

 陸坑は父の無念を未だに忘れてはいない。

 孫皓も父、孫和を孫権によって奪われたも同然であり母は孫権の娘によって陥れられた。

 これまで、陸坑程の将が仕えてきたのは、父の誇りを守るだけではなく孫皓という男が哀れと思っていたからである。




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