何も言わず、包み込んだ。
「・・・ここは、父上が殺された場所だ。」
声を、何かに耐えるように搾り出した。
陸坑の耳はそれをはっきりと捉えた。
陸坑の体が、引付けを起こしたかのように硬直し、瞬刻遅れて悪寒が指先まで走る。
意識は、脳が揺さぶられたかのように明確な足場を持てず、「ここ」で行なわれていた「事実」を構築することがすぐには出来なかった。
「そんな・・・孫和様は、御自分で・・・。」
「俺も、そう思ってた。 遺体も、証拠の品もこの目で見た。」
孫皓の目が、怒りにより充血し涙は紅くなる。
「俺達が見た「死体」が偽者だとしたらどうする?」
「!!まさか・・そのような事を誰が・・。」
実は心当たりはあった。 孫和を目触りとして恨みを持つ女がいたことはいた。
皇帝に近しい権力と、謀略を巡らす知性、男を道具とする魔性の色香、それらを兼ね備えた女。
「父上は、伯母上を暗殺しようとして、叶わなかった。」
伯母、、孫大虎はそれを理由として孫和を捕らえ、表向きは自刎したとしてこの部屋で孫和を甚振り続けたという。
そこまでして、人は人を傷つけることはできるものなのか。
しかし、何故に孫皓はそれを知ることが出来たのか。
「皇帝になって、初めて知ることが出来ることが多かったのさ。」
これまでの、宮廷内の確執
民に知られない逸話
裏切りの外交
国の為に使われない税
どの地方の女がよいか
失敗に対する悔い
それを、反転させる讒言
皇帝になり、孫皓は勤勉であろうとした。
まず、己の国を知るべきだと。
皇帝にならなければ、知らずに済んだのだ。
この、宮殿の奥、玉座の間を抜けた皇帝とその左右しかたどり着けぬこの場所を。
「なにがあったと思う?」
「それは・・。」
陸坑を遮って、孫皓は勝手に続けた。
己の心を知ってもらいたいかのように。
「父上が居たんだよ。 ここに。 あの場所で吊るされて。 腐った体で。 一人で。 死んで。 誰にも見取られず。 死んだことさえ気付かれず。」
「耐えられるか? 今まで赤の他人供養してて、実の父上は爪はがされ目をえぐられ、舌を切られ、腱を断たれ、そんな事も知らない息子!」
ははは
はははは!
ははははは!!
はははははは!!!
狂ったように笑った。
いや、狂っていた。
「誰に言える? 実の父親が腐ってましたなんて? 自分ひとりで抱えられるか?」
「だったら! なぜ・・私に言ってくれなかった・・・。」
「居なかったからだよ。呼んでも、呼んでも来なかった。」
「あの時は、戦が起きていたから・・・。でも、その事を知らせてくれたら!」
「書けなかった。 認めたくないものを、自分で表すことができなかった。」
孫皓は、耐えられないように体を震わせる。
「お前が来ないのは、国のためだ。分かってた。でも、壊れちまった、俺は。」
継いだときには手遅れであった母国。 頼れるものは、近くにない。
「お前が居ない間、頑張ったよ。でも、いつの間にかお前は他の男に夢中になっていた。 ・・・もう、駄目だった。」
陸坑は何も言わなかった。 今更、何が言えるのか。
考えてみれば、周りに忠臣はいれど友は居なかったのだ。
「だから、お前も壊すよ。 俺と一緒のように。 ねぇ、良いでしょう幼節姉さん・・。」
孫皓の口調は、まるで昔、子守唄をねだったときのようだった。