『ナミダ ノ カタチ』


――― 写真。
人の思い出を形状化したもの。
無くさない限り、それは不変的なもの。
映された過去の映像は嘘偽りのない事実。
過去と現在。
昔の自分と今の自分。
人の心は、時が変わるにつれ、そして成長していくにつれて刻々と変化していく。
あとから作られた人格が、元の自分を覆い隠していく。
失いかけた自分を取り戻す処方箋、それが思い出。
本来の自分に戻ることの出来る、形ある思い出。


     □     □     □     


夏の夕暮れは長い。
時刻は十八時をすでにまわっているにもかかわらず、太陽は今もまだその存在を示している。
夕陽に染まり、赤みをおびた風景。
買い物袋を片手に井戸端会議に花を咲かせる主婦。
水泳バッグをカゴに入れ、楽しそうに家へと戻る子供たち。
そんな光景を由紀はぼんやりと、部屋の窓から眺めていた。
「はぁ……」
ため息。
退屈だ。暇なのだ。
いつもの今ごろは、バイト先の喫茶店で働いているはずなのだ。
(休みにするのだったら前々から言ってくれればよかったのに……)
昨夜、携帯にかかってきた一本の電話。バイト先の店長からだ。
明日、臨時休みにしたから来なくていいよ、そんな用件だった。
唐突に休みにする。何てアバウトな店なのだろう。
ちゃんと経営されているのかが不安になってくる。
「はぁ……」
ため息二つ目。呆れを含んだ、店に対してのため息。
由紀は窓から離れベッドへと向かう。
ドサッと仰向けにベッドに倒れこんだ。
ベッドのスプリングがきしむ。
両サイドの髪の毛がぱらっと顔にかかった。
布団が身体を包み込む。
心地いい。
「はぁ……」
ため息三つ目。
今度は安らぎのため息だ。
見上げた天井は白く、そして無地だった。
先ほどまでの赤とは対称的な色。
由紀は、一人でゆっくりとするのが嫌いだった。
たとえ時間を浪費しようとも、何かの作業をしている方がいい。
バイトでもスポーツでも、何でもいいから極力ぼんやりと考え込む時間を無くしたいと思っている。
そんな由紀に訪れた突然のバイト休みは、由紀にとってはあまり嬉しいものではなかった。
「っ〜………ん?」
ぐっと背伸びをした由紀の手に、コツンと何かがぶつかった。
茶色の背表紙で四角い形。
手帳だ。
おそらく、ベッドに置いてあったカバンから倒れたひょうしにこぼれ落ちたのだろう。
ゆっくりと、由紀は手帳を手に取った。
開く。
手帳には一枚の写真が入っていた。
写っているのは二人の子供。
少年と少女。
少年の腕に抱きついて笑顔をみせる少女。
嫌がる素振りを全く見せず、抱きつかれた腕を払うでもなく、やや照れ笑いを浮かべる少年。
「懐かしい……」
自然と口から飛び出た台詞。口元に笑みを浮かべる。
しかし、すぐに表情が曇る。そして、寂しそうな表情。
パタンと手帳を閉じた。
由紀は確信している。
これ以上は見ないほうがいい。思い出さないほうがいい、と。
大きく深呼吸する。そのまま目を閉じた。
視界が白から黒へと反転する。訪れる静寂。
自分の心に違和感を感じている。
違和感の正体。
その正体を、由紀はうすうす勘付いている。
だが、その答えを彼女はきっと認めようとはしない。
私らしくない、そうはっきり言い切って。
彼女は必ず……
心が弱っている自分を、根本的に否定するだろう。


     □     □     □     


「てめぇ! 俺の言うことがきけねぇってのか!?」

酔っ払い、怒鳴り散らし、手をあげる男。

「あんた達なんて、産まなきゃよかったわ!」

やつれた顔で、声を張り上げる女。

最低な両親。最悪な家族。
両親との楽しい記憶なんてほとんどない。
ごめんなさい。許して。私が悪いの。
印象に残っている単語。いつも口にしていた言葉。
そんな幼少時代。
昔の私は、怒鳴られただけですぐに泣き出して。
泣けば泣くほど、余計に怒られ、さらに泣いて。
よく家を飛び出した。そんな私のそばにいつもいてくれた人。
モノクロに包まれた幼少時代に、唯一、光をさし込んでくれた人。
私が一番大切に思えた人。
兄は、そんな人だった。


     □     □     □     


降りしきる雨の中。家を飛び出した由紀に突然降りそそいだ雨。
雨具などあるはずがない。無計画な飛び出しなのだから。
雨宿り場所を探すも、あまりいいところがない。
いくつかよさそうなところもあったが、すでに先客がいた。
嫌だった。今は人と接したくない。
泣いている自分を見られたくなくて、彼女は避けるしかなかった。
雨の中を一人歩き、ふと見つけたのは近所にある神社。
雨雲が空を覆い、薄暗くなっている神社に幼い由紀は少し怯えた。
だが、贅沢はいってられない。風邪引くよりはマシだ。
どうせ熱に苦しむだけで、看病なんてしてもらえるはずないのだから。
「………」
屋根瓦の下にペタンと座り込む。
しばらく雨にうたれたせいか、少し寒かった。
冷える身体をさすりながら、由紀は心を落ち着かせる。
「……ひっく」
再び涙がこみあげる。落ち着いた彼女に襲うのは悲しみ。
雨で流されかけていた悲しみが、再び戻ってきた。
「うぇ……ぐすっ……」
何で我が家はあんなにも心が歪んでいるのだろう。
同級生の家。温かい家庭。優しい両親の愛。
この世のほとんどの子供が当たり前のように得られること。
そんな当たり前のことが由紀には与えられていない。
全ては運命。生まれ持った運命だ。
そう一言でまとめてしまえれば、どんなに楽だろうか。
幼い彼女には、いや、そんな風に開き直ることが出来る人間などこの世に存在しない。
だから、彼女は泣くことしかできないのだ。
「やっとみつけた……」
不意に声がかけられる。
突然のことに、由紀はビクッと肩を揺らす。
顔をあげると、そこには傘をさした一人の男の子。
「お兄ちゃん……」
走ってきたのだろうか。肩で大きく息をしている。
苦しそうに咳をし、それでも由紀には笑顔をみせる。
「曇り空の日に傘も持たずに飛び出す奴がいるか? 持ってきてやったんだ。感謝しろよ」
よくよく聞けば無理なことだ。
冷静に天気を判断して家を飛び出す人はいない。
むしろ冷静なら家は飛び出さない。
遠まわしに元気付けようとしてくれているのだろうか。
ぶっきらぼうな言い方に、兄らしい、優しさが含まれている。
「ひっく……ひっく……」
傘を閉じ、兄は泣き続ける由紀の横へと腰かける。
黙って由紀の頭をポンポンと叩く。
「ほら、もう泣きやめ。干からびるぞ」
くしゃくしゃっと頭を撫でてくれる。
泣いている時はいつもこれ。
昔から変わらない、兄の慰め方。
自然と、気持ちが落ち着いてきた。
涙も止まる。
「うん……もう大丈夫…」
「そうか」
そう言って兄は手を頭から離す。
沈黙が二人を包む。聞こえるのは屋根を叩く雨音だけ。
雨はまだ、やみそうにない。
「ねぇお兄ちゃん…」
「ん?」
「なんでうちの家はこんなにひどいの…? 何でお父さんとお母さんはあんなに仲が悪いの…?」
ずっと思っていた疑問。自分の頭じゃとけない疑問。
藁にもすがる思いで、兄にぶつけてみる。
「んー…なんでだろうな…」
兄は少し困った顔で考える。無理な注文だったのだろう。
二人はまだ、大人の事情がわかるほど年月を生きていないのだから。
「ま、真偽はともかく、俺が思うには……」
兄が口を開く。由紀の目を見ず、遠くを見つめて。
「父さんも母さんも、それぞれ自分の意志ってものをちゃんと持ってるからじゃないかな。互いに譲れないものがあって、それを貫き通そうと必死になって、それが言い争いの種……なのかもな」
何となく、わかったような気がした。
両親がケンカする原因は大抵、自分の意志にちゃちゃな横やりが入った時。
自分自身の意志の強さ…
確かに原因はそうなのかもしれない。
「二人とも心が強いっていうか気が強いっていうか……少しは互いを気遣えばあんな言い争いにはならないのにな」
そう言って苦笑する兄が、由紀にはとても大人に見えて。
ほんのわずかしか離れていない歳の差が嘘のようにも思えてきて。
「お、雨あがったみたいだな。ホラ、帰るぞ。あまり遅くなると、また父さん達がうるさい」
すっと伸びた兄の手を、由紀はしっかり握りしめて。
ゆっくり歩いて、二人は帰路についた。


     □     □     □     


時が流れ、季節は巡り、私も少しずつ成長していった。
背は伸び、ゆっくりとステップを踏んでいく。
だけど、両親の仲は相変わらずで。
言い争い、暴力、罵声。
昔とかわらず私は、時に家で泣きはらし、時には外に飛び出して泣いた。
あの神社の屋根瓦下。
あそこが私の泣き場所となり、私が出て行くたび、兄は私を迎えにきた。
何も言わず、何も聞かず、ただ、頭を撫でてくれた。
私の性格はあまり成長しなかったらしい。
泣き虫な自分は、いつも兄に慰められて。
それでもよかった。
父や母や、兄のように、強い意志、心をもてる人にはなれそうになかったから。
ぶっきらぼうだけど、時々意地悪をするけれど、兄はいつもそばにいてくれた。
桜の下で互いの進級を祝った春。
空いっぱいの星を眺めた夏。
紅葉並木の下を二人で歩いた秋。
積もった雪で一緒に遊んだ冬。
いくつかの季節をこえ、いくつかの出来事を共に過ごした。
ずっと変わらない。そう信じていた。
だけど、そんな私の考えとは裏腹に、運命はひどく残酷で。
別れは突然、唐突にやってきた。


     □     □     □     


夏の日の夕暮れ。
図書館から帰った由紀の耳に飛び込んできたのはリビングでのいつもの怒鳴り声。
「限界よ!! あなたの考えにはもうついていけないわ!!」
叫ぶ声は母のもの。理性を失っている声。
「うるせぇ! てめぇにわかってもらおうなって思っちゃいねぇ!」
対抗する父の声。こちらも感情の思うままに声を発している。
あぁ、今日もなんだ。由紀は小さくため息をつく。
そんな時だった。
いつもの言い争いとは少し違うことに由紀は気付いた。
「父さん! 母さん! 少しは落ち着けよ!!」
兄の声だ。
今までほとんど口出しをしなかった兄が、今日に限って仲裁役になっている。
自分のペースで生きている兄が、大声を張り上げている。
しかも、感情的に。
何かがおかしい。いつもと違う。
嫌な予感がした。
勇気を出し、覚悟を決め、由紀はリビングへ足を踏み入れようとした。
両親が言い争っている時はなるべく近くにはよらない、同じ場所にはいたくない、いつもの由紀はそうだった。
だが、この時は違った。
心の奥底からこみあげる、彼女を行動させる大きな何かがあったのだ。
ガチャ。
「出て行かせてもらいます! 別れましょう!!」
由紀がドアをあけるのと、母の怒声が重なった。
リビング内の6つの目が由紀を見る。
時が止まる。さきほどまでの騒音とはうってかわっての静寂。
「由紀……」
困惑顔の兄がつぶやく。まるで見られてはいけなかったものを見られてしまった子供のように。
父と母は黙ったまま、互いの目を合わせようとしない。
一瞬の沈黙。その後、はじけたように父の声がリビング全体を占めた。
「あぁ、上等じゃねぇか!! 出て行きやがれ!! 二度と俺の前にその面みせんじゃねえぞ!!」
そうきっぱりと言い放ち、父は一呼吸おく。
次に暴言をぶつける白羽の矢にあたったのは、由紀。
「おう、由紀。おめえも一緒に出て行きやがれ。いっつもピーピー泣いてうるせぇ。だから女っちゅう生き物は嫌いなんだ」
不意打ちの罵り。生まれるのは悲しみ。嘘だと思いたかった。
聞き間違い、いい間違いではないのだろうか。
様々な思いが由紀の思考内を巡り、そして駆け抜けていった。
父を見る。言い過ぎた、そういってくれるのを信じて。
だが……
返ってきたのは沈黙。
その上、悪びれる態度一つ見せない父。
本音。
これが、父の本音だったのだ。
「っ!!」
由紀は目から流れた雫を宙に舞わせ、外へと飛び出した。
心の奥で何かがはじけ、音をたてて壊れるいくのが聞こえた。
それはきっと、わずかに残っていた両親への思い。
自分を愛してくれていると、信じていた思い。
壊すには覚悟がいって。
一度壊れ始めればそれはひどくあっさりとしていて。
崩れてしまえば元通りには戻らない。
戻すことは出来ないし、二度と戻そうとは思わないから。


     □     □     □     


神社。
少し風が出てきたらしい。
緑の木々がそよそよとなびいている。
今夜は涼しくなりそうだ。
「ひっく…ひっく……」
座り込んで泣きじゃくる女と、その隣に座る男。
男の手は彼女の頭の上に。
ゆっくりと、まるで動物を撫でるかのように優しい手つきで。
「………」
しばらくそのままで。次第に由紀は落ち着きを取り戻す。
それを確認し、兄は手をよける。
「……とうとう、きちゃったな。この日が…」
兄はつぶやく。表情は寂しげだった。
由紀は答えない。沈黙が何よりの答えだから。
静寂が二人をつつむ。
夕焼けに向かって飛び立つ鳥がかぁーと一声鳴いた。
「ねぇお兄ちゃん……」
「ん?」
「さっきのお父さんの言葉…」
そこまで言いかけて、由紀は口を閉じた。



――― ずっとあんなふうに私の事を思っていたのかな…



出せなかった言葉は心の奥へ。
こんなことを尋ねられても、兄は困るだけだから。
「わからない……そればっかりは俺にはどうにも…」
だが、兄は由紀の言わんとすることを察知して、そして首を横に振った。
そう答えるしかないのだろう。
きっと、誰もがそう言うのは明らかだ。
しかし、兄は言葉を続ける。
「だけど……俺の勝手な思い込みかもしれないけど……」
そこまで言いかけて口ごもる。
珍しい。いつもははっきりと物事をいう人なのに。
兄はちらっと由紀をみる。
由紀は少し不思議そうな顔で見つめかえす。
由紀のまなざしにあてられて、兄はぼそっと続きを告げた。
「あれは、父さんなりの、気遣いだったのかもしれない…」
気遣い。
あの発言に、そんなものが含まれていただろうか。
由紀にはただの罵声でしかないのだから。
「…いや、今のは忘れろ。俺の勝手な推測であって真実じゃない。俺と父さんの心がリンクしているわけじゃないし」
怪訝そうな顔をする由紀に一言そう言って、兄は視線を外す。
また広がる沈黙。だんだんと、辺りは暗くなってきた。
備え付けられた街灯がポツポツと明かりを灯す。
「お兄ちゃん……お兄ちゃんはどうするの?」
不確定要素が多く含まれた発言。はっきりと聞くのが怖かった。
そして返ってくる返事を聞くのも、また怖かった。
「俺は、父さんと一緒にいくよ。多分、それが一番いい」
ある程度、予想していた返事。そして、由紀が恐れていた返事。
「……いやだ……お兄ちゃんと離れるのなんて絶対に嫌だ!!」
落ち着いたはずの感情が再び高ぶった。
涙腺に液体がたまり、視界をぼやかす。
「由紀……」
わがままなのはわかっている。
どれくらい無理なことを言っているのかも知っている。
それでも、今は拒否し続けていたかった。
「父さんも母さんも……精神的にずいぶんとやられてる。二人には、支えてあげられる誰かが必要なんだ。それがおまえと俺なんだよ」
「でもっ! お兄ちゃん、お父さんと……」
暴力癖のある父。今は母という微力なストッパーがいたからいいものの、二人で暮らせば、たががはずれてどうなるかわからない。
それでも兄は笑みを浮かべた。
「父さんは……きっともともとあんな性格じゃないよ。そうじゃなきゃ、母さんと結婚なんてしてない。母さんだって同じだよ。最初からあんなふうだった訳じゃないさ。そうじゃなきゃ……」
そう言いかけて兄は由紀を見る。
優しげな目で微笑んで。
「おまえのように、寂しがりやで泣き虫で、それでも心の優しい子供は産めないよ」
遺伝。
母方の面影を多く残している由紀。
優しい、優しい言葉がストレートに心に届いて。
小さな雫が、しだい大粒へと変わっていく。
あふれる涙を止められなくて、地面の石段に丸い斑点を描く。
さっきまでとは違う涙。
これは嬉し涙。
暖かい気持ちでいっぱいになる。
由紀は思った。涙を流すということ。
動作は同じでも、嬉しい時と悲しいときでこんなにも違うものなのか。
すぐに泣きやみたい悲しみの涙。
いつまでも、いつまでも流していたい嬉し涙。
「ありがとう…お兄ちゃん……」
兄は手を、由紀の頭に置かない。
置く必要が、慰める必要がないから。
家族からもらえなかった家族のやさしさは、兄が確かに届けてくれて。
ありがとう、ありがとうと由紀は心の奥底で、何度も何度もつぶやいた。

「ねぇお兄ちゃん…私、強くなれるかなぁ…泣き虫じゃなくて、お兄ちゃんみたいに強い信念をもてる人に…」

「なれるさ。おまえは、俺の妹だからな。同じ血がかよってるんだ。大丈夫」

「うん……私、頑張るよ。何があっても泣かないような人になる!」

「何があってもってのはちょっと訂正した方がいいな。心から嬉しかった時、心から悲しかったとき、そんな時には泣いてもいいと思うよ」

「うん…わかった。次におにいちゃんに会えたとき、私はきっと強くなっているから」

きっぱりと告げる由紀の笑顔は爽やかで。

それを見て微笑む兄は優しげで、そして嬉しそうに。

――― それじゃあ約束しよう……


     □     □     □     


次の日、私は母と一緒に家を出た。
結局父とは会わないまま。
時期に、父と兄は家を移り、どこか別の場所に引っ越した。
これで音信不通で所在不明。
兄との連絡手段はなくなった。

そこからは苦労の連続。めまぐるしく行ったバイト。
家計を助けるため、そして何より兄のいない寂しさをまぎらわすため。
時にはくじけることもあった。
だが、兄には会いたくても会えない。
撫でてほしくても届かない距離。

甘え、泣きじゃくる私は卒業した。もうお荷物な自分は嫌だった。
自分のせいで、誰かに迷惑かけるのは嫌だった。

兄が今まで自分をどれだけ支えてくれていたのか、きっと多すぎて数えきれない。
一体、どのくらい返せるのかはわからないけど、自分に出来る、精一杯の努力をする。
それが、私の立てた誓い……


     □     □     □     


「……ん」
目をあける。ぼんやりと白いものがみえる。
天井だ。視界が黒から白へ戻ってきた。
「ふぅ……寝ちゃったみたい…」
身体を起こし、前髪をかきあげる。少し寝汗をかいていた。
濡れた身体とシャツがくっついて気持ちが悪い。
着替えようかな、と立ち上がろうとした時、コツンと手に何かがぶつかった。
「あ…」
手帳。
由紀はゆっくりとそれを手にとった。
開いてみる。
目にうつったのは、やはりあの写真だった。
「頑張ってるよ……兄さん……」
遠くに向かってしっとりと、ささやくように。


――― ドクン!

「………」
辛い。
目元がじんわりと熱くなる。
「だから…だからイヤなのよ…」
人の性格は、変えようとしてもなかなか変わらなくて。
「退屈な時間は……よけいなこと考えちゃうから……」
いくら成長したとしても、いくら強がったとしても。
「兄さん……」
泣き虫な少女は確かに今、ここにいて。
ほろほろと…ほろほろと…由紀は涙をこぼした。
耐え切れなくなった寂しさが、彼女の心を刺激して。

「ねぇ兄さん……今だけ…今だけだから……ちょっとだけ泣いてもいいかな……?」


     □     □     □     


「ねぇ由紀、あんた明日誕生日でしょ。どっか食べに行かない?」
「あー…ゴメン! 明日は先約があるんだ」
「なによぉ、彼氏? 彼氏?」
「違うよ。でも、私にとって大切な人なのは間違いないかも」


あれから、いくつかの時を過ごし、いくつかの出来事を共にして、由紀は大人へと成長した。
20歳の誕生日を明日に控え、由紀は一人ある場所へと向かう。
時刻は二十三時半過ぎ。月の綺麗な夜だった。

到着したその場所に、由紀はちょこんと腰を下ろした。
胸がうるさいくらいに高鳴っているのを感じる。
数年前、ここに座っていた頃を思い出す。
泣き虫で、寂しがりやな少女。
横に腰かけ、慰めてくれた少年。
思い出す過去の記憶。
今も色あせない記憶。
今でもはっきりと覚えている。
ここで最後に兄と交わした約束を。


『私、強くなる!』


それに兄は笑顔でこたえてくれて。
兄は最後にこう言った。


――― それじゃあ約束しよう…おまえが二十歳になる日、
ここで会って、二人の再会とおまえの誕生日を祝おうか。


時刻は十二時少し前。
昔を懐かしんでいた私の耳に、足音が聞こえてきた。
思わず立ち上がる。
私の視界に入ったのは月の光に照らされた一人の男性の姿。
何年、時がたとうとも。いくら成長したとしても。
兄の面影は昔と変わらず残っていて。
ゆっくりと一歩一歩、私の方へと歩いてくる。
話したいことがたくさんある。

今までの生活。母さんのこと。今の自分。

尋ねたいことがたくさんある。

今までの生活。父さんのこと。今の兄。

だけど、ひとまずそれは置いておこう。

きっと、まともに話すことも尋ねることも出来ないから。

近づいてくる兄の姿がぼやけてくる。

あふれた涙が頬を伝った。

数秒後には、泣き虫な、昔の私の姿があるだろう。

それでも、きっと兄は優しく微笑んでくれる。

だって……

心から嬉しい時には、泣いてもいいのだから

「二十歳の誕生日、おめでとう」

一言私にそう言って、兄は私の頭を優しく撫でた。

「強く…なったな……」

「……うん!」


目の前で泣く妹の、どこに「強さ」が見えたのか。

その時の私にはわからなくて。

後に、こっそりと聞いてみた。

兄は柔らかく微笑んで答えをくれた。

「離れてからずっと会わなくて。あの時、あの場所でおまえと再び会えたこと。それが何よりの証拠だろ?」


そっか……そうだよね……

Fin.

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