ダークサイト 1〜21
1
秋から冬に変わる季節の変わり目。冬の仕度の準備を整えた彼女は、夕方にゆっくりと
温泉に浸かって宿屋で飲むのを楽しみにしていた。目当ては酒とクリフ。一人で飲むのも
嫌いではないが、彼と飲むのが好きだったのだ。
「こんばんわクリフ。今日は温泉なんだ」
そんな中、クレアに気付かず温泉に入ってきたクリフに何時ものような気さくさで声を
掛けた。思っても見なかった人と会ったのが非常に嬉しいのだろう。
「え…クレアさん!?」
彼はクレアの姿に驚いて反転して出ようとするが、
「一緒に入ろうよ、まさかここで会うとは思わなかったからさ」
クレアは温泉から出ても体を隠そうとはせず、平気な顔で彼に手を伸ばして手をつなぐ。
クリフの目にこの彼女のモデル並みの豊満で尚且つメリハリのあるスタイルはどう写って
いたのだろうか。
「ク…クレアさん……」
「背中を流してあげるよ、他の人に洗ってもらうの気持ちいいと思うよ」
半ば恥じらいに似た照れを見せているクリフをお構いなしに、クレアは手を引っ張って
体を洗う為に使う椅子に座らせる。一方の彼は、股間にタオルを押さえて必死になって
隠していた。どうにも落ち着かないクリフを他所に、温度を調節した湯を彼の背中に流す。
「女の子に背中を流してもらうの、初めてかしら」
「…お…女の子と入浴するのも…初めてなんだけど……」
あまりの初々しい反応に思わず微笑んでしまうクレアに、クリフは恥ずかしそうに顔を傾けてしまう。
2
「ふふふ…そんなに可愛い反応してると、襲っちゃうぞ……」
耳元で囁くようにこう言うと、彼はびくんと反応する。すると耳まで真っ赤になって照れてしまうのだ。
本当に異性経験が無いんだなと悟ってしまう。
「ク…クレアさんは…どうして……オレに……」
「ん?……君とお酒を飲み始めてから、気が合うなと思ったからだよ」
さらっと言いのけるクレアに彼は言い返す言葉も無い。顔を斜めに傾けたまま、彼女に体を委ねる
ように洗われている。
「……男は一杯いるけどねぇ〜……」
クリフの問い掛けの意味を心の中で理解したのか、クレアは彼の背中を洗いながら答え始めるのだ。
「……まずはリックだけど、彼は堅実で真面目を絵に描いた親孝行……だけど考え方が、ちょっと
古めかしいのが珠に傷かな。彼だったら私よりもカレンの方がよっぽど上手くいくよ……幼馴染には勝てないわ」
彼は首をクレアに向けるが、もろに彼女の乳房が目に映ったのだろう直ぐに戻してしまう。
「…ついでに私はインテリは苦手だし嫌い。だからドクターは眼中に最初は無かったけど、人の為に
一生懸命な姿を見たら、その考え方を改めさせる必要が出て来たと思うの」
クリフは少し違和感の覚える感情を少し覚える。どうしてこうも、彼女が他の男を褒めるのが聞き苦しいのか、と。
だが、クレア自身は変わらない口調で話を続けるのだ。
3
「でも、エリィから無理矢理取ろうとは思わないな……あの娘は彼の事好きだからね。一緒に居ただけで、
悲しそうな表情をするんだよ。目は口ほどにものを言う…かな」
話を続けながら丹念に彼の身体を洗う。時々背中に当たる乳房の感触やサラサラの金髪の感触、顔に当たる
クレアの吐息にドキドキしながらクリフは彼女の話を聞き入っている。
「グレイは……不器用な感じは嫌いじゃないけど、彼は自分が見えていない。嫌なら都会に帰るなり、修行
に本腰入れるなり覚悟を決めればよいのに、はっきりしないよね……まぁマリーが居るから帰らないとは
思うけど、もし結婚したら絶対尻に敷かれる……うん、間違いない」
クレアの話は結構人間観察のチェックが厳しいものだった。どうしてそこまで見れるのだろうとクリフは半ば
感心している。普通に生活していると、そこまでは気が付かないだろう。
「カイは結構悪くないんだけど、都会の男は見飽きたしなぁ……ああ言うの一杯居るけど、悪い奴じゃないよね。
ポプリのような初心(うぶ)な娘だと、やっぱりああいうのが良いのかなぁ……」
一通り洗った後彼女は一度湯をクリフの背中に流し、さっきと同じ様に手を繋いで湯船に入る。もうかなり時間が
経っているのに、彼はまだ目のやり場に困っている。写真で見ても生で同年代の女の子の裸を見るのは初めてなの
だから仕方は無いが。
「最後にもう一人……あの牧場主。彼は私が見た中で最大の変わり者だよ。高評価の農業大卒で都会に居た頃は、
かなり遊んでいたらしく、女の子の扱い方に相当慣れている。それでいて他人に対する気遣いは行き届いている
から不思議なのよ。カイとの最大の差はそこなんだろうな」
締めに言った『最後の男』の評価に、クリフは少々閉口してしまっている。確かに『最後の男』を悪く言う者は
居ないのだが、何処となくそれがどうにも不安を掻き立てたのだ。
4
「………………」
「ん?どうしたのクリフ、黙っちゃって」
クレアは彼の顔を覗き込み、落ち込みにも似た表情をしているのを見つける。
「ああ、そうか……クリフはランが好きなんだっけか……彼もランをあからさまに狙っているからなぁ」
あまりに図星だったのか、クリフは湯船に沈むほど派手にズッコケた。そんな光景を見てクレアはクスッと笑うと、
腕を持って持ち上げて彼を救う。
「はははは……大丈夫?」
「げほっげほっ……」
タオルで彼女はクリフの顔を拭きながら、彼女は話を続けるのだ。
「ねえクリフ、かなり失礼なことを聞くけどさ……もしかして、童貞?」
決定的な指摘をされたクリフは流石に男のプライドを傷つけられたのか、顔をクレアに向ける。
「ど…童貞で悪いか!?クレアさんに迷惑かけてないだろ!!」
「お、キレやがったっ!て言うか掛けてんだろ、今!」
するとクレアは彼の正面に立って、何とも妖しい笑顔と共に迫るように顔と身体を寄せる。
「私も一肌脱ごうか……じゃあさ、今だけ私にしたい事…君が女の子にしたい事、好きなことしてもいいよ」
頭に血が上っていて分からなかった彼も、クレアの言った言葉の凄さに正直たじろいでいた。こんな事を女の子から
言われたのは、初めてなのだろうから……。
5
「く…クレアさん…!?」
「何動揺してるんだよ……もういい加減見慣れただろ」
驚きの表情を隠せないクリフに対し、彼女は何かを企んだ様な妖しい笑顔を見せてこう言い置く。
「……それに、私がお風呂入っているの何度も覗いていたくせに」
「!?」
思いもしない指摘にクリフは驚きと同時に少々青ざめる。そうなのだ、クレアは牧場仕事を終えた午後8時頃に
決まって温泉に入りに来るのだが、どうにも人の気配を感じるためにわざと気が付かない振りをしていたのだ。
すると何時も見慣れた服とリックとはまた違うポニーテイルを見たので確信し、チョッカクに報酬を払って監視を
したのだ……。
「え…あ…その……」
「まぁ男の子だもんね。私は気にしてないけど、他の女の子だったら殺されちゃうかも♪」
何とも楽しそうにこう言うと、サラサラな金髪を妙に色っぽく掻き揚げる。
「だからさ、触りたければ私が良いよって言ってる時に好きにしなさい」
彼女はクリフの頬に手を添えて、軽く言動とミスマッチな可愛らしいく唇を重ねるのだ。まともに女の子とキスすら
した事も無いクリフにしてみると、興奮よりも戸惑いのほうを感じてしまう。しかしそこはクレア、心得ていた。
「コラ……そんなに固くならないの……不器用でも良いから好きなように、触ればよいの」
甘く危険な声とでも言うのだろうか恋愛経験少ないクリフからすると、一撃でノックアウトされそうな誘惑である。
同年代とは思えぬ色香に酔ったのか、クリフはそのまま彼女を抱き寄せたのだ。
6
顔を見詰め合ったままクリフはそれでも動けない。勢いで抱き寄せたものの、頭が真っ白で思うように動けない。
「ふふふ…貴方は今、女の子にしたい事……頭で思いついた事を私にすれば良いんだよ……私が少しリードして
あげるから……心配は……しなくても良いんだよ……クリフ」
そんなクリフの心境を見抜いたか、彼に目線を合わせて優しく助け舟を出す。恋愛経験や異性経験の乏しいクリフ
にとって、一枚も二枚も上手なクレアはどの様に見えるのだろうか。クレアの言葉に従ってクリフは本当に震えた
手で緊張で引きつった顔で彼女の顔を見詰めながら、片手でぎこちなく大きくてモデル並に形の整った彼女の乳房に
手を置き、恐る恐る軽く感触を味わうように掌に力を込めた。
「んんっ」
「ああっ…ごめん、痛かった?」
何とも艶かしい声を上げるクレアに、思わず彼は謝る。
「ううん…そうじゃないから心配しないで」
優しげな微笑みを浮かべて空いているクリフの手を自分の手と繋ぎ、胸を触れている手を被せるように掌を添えて
彼の反応を確かめるように見詰めた。
「もうちょっと力入れて触って良いんだよ……ふふふ、本当に奥手なのね」
挑発とも取れるセリフを言い置くと、クレアは添えている手で彼の手をマリオネットの如く操り、円を書くように
なぞらせる。それだけでも、彼はまるで茹で蛸の様に紅潮し、されるがままだった。
7
「む…胸の感触はどう……かな?」
「すっ…すごく……柔らかいです」
緊張と羞恥心でカチカチに固まったクリフは、クレアの問い掛けに子供のように答える。彼は完全にクレアの色香に
溺れかかっていた。傍から見れば思わず指を咥えてしまう位の何とも羨ましい限りのシチュエーションだが、どうにも
経験不足なクリフはただただ緊張しているだけで、マリオネットよろしく身を任している。
「さあっ……もっと全身を感じてみなよ……」
彼が気が付かないように乳房を触れている手をそっと離し、もう片方の手を自分の方に寄せて乳房から鳩尾、腹部に
下腹部と指を触れさせて下ろして行って無意識に動かせるように促した。
「ク…クレアさん……」
「恋愛慣れしろとは言わない……でも、ちょっと位慣れようね♪」
下に行けば行くほど段々と緊張が増す彼にに、耳元で囁くようにクレアはわざとらしく言い置く。
「そんなんじゃ、好きな女の子とデートだって出来ないぞ」
この一言はクリフは些かむっとしたのか、
「うっ…うるさいっ!」
何とも子供みたいな可愛らしい反抗と共に、彼はいきりたったのかクレアの身体を彼方此方ぺたぺたと触り始める。
テクニックも何もないただ触っているだけのものだが、マッサージの様に触れるクリフの掌がなかなか気持ち良い。
「ふふ……固さがやっと無くなった……♪」
「───〜〜……!!」
ふふんと鼻で笑うようにクレアの言葉に反応したクリフだが、何かを言わんとした時に彼の口を塞ぐように彼女は
クリフにキスをするのだ。
8
「───……はぁ…はぁ…クレアさん……」
女性経験不慣れなクリフには、正直意地悪が過ぎたかムム……息の荒いクリフを見て、クレアは脳裏で反省した。
だが攻めを緩めることは彼女はしなかった。ぎこちない動きのクリフを見て、改めて悪戯に転じるのだ。彼女の
手は本当に優しい手付きでクリフの陰茎に手が伸びるのだ。丁寧に身体をなぞりながら、感触が分かるように。
「ク…クレアさんっ!」
「……頑張っているクリフに、私からのプレゼント……こんな事、クリフじゃないと出来ないわ」
クレアは優しい微笑みを浮かべてクリフを見詰めつつ、程よく固くなって勃起している彼の陰茎を掌で被せるように
触ると上下に擦る。クリフは羞恥心からか目を瞑り下を向くが、上下に手コキされるように擦られるとその気持ち
良さは隠せないのか、厳重に閉じているクリフの口から吐息が漏れ、それを見てクレアは勢いを上げる。
「駄目だよ……そんなに緊張しちゃ……そうだ、私を一番好きな娘……例えばランと置き換えれば緊張しない……」
耳元でクリフに囁くように彼女は言い置く。
「……ク…クレアさん……」
緊張を打ち消すための言葉としては少々自虐的だったかもしれない。ただ、クレアが本当に楽しんでいるだけと
言うのも何とも寂しいものではないか……。ようやく自我を取り戻しかけているクリフは、自分を喜ばせようと
しているクレアになんと声を掛ければ分からなかった。恋愛経験が少ない自分を呪った。
「……クリフ気持ち良い?」
答える事は出来なかった。片思いではあるが、ランに自分の気持ちを伝える前にこんな事をして良いものか…と。
9
「私と遊んで自信を着けてから、ランに気持ちを伝えても……遅くは無いよ……クリフ」
クレアは自分の気持ちを読めるのか……クレアはクリフに顔を近寄せて、一言こう言った。確かにクリフは気持ちが
良く、このまま快楽に委ねて果ててしまってもも良いと思う。不器用すぎて格好悪く、何とも自分が無様に見える
クリフは、目の前のクレアですらリード出来ない自分に些か苛立ちを覚えるのだ。それが自分が捨ててきた母と妹…
取り分けランが妹とダブると、どうしようもなく情けない。
「クレアさん……嬉しいですが……今日は止めましょう……今のままだと、本当につまらない男になるから……」
「………………」
ポカンとした表情を浮かべるクレアだが、直ぐにいつもの愛嬌のある笑顔に戻す。
「そう……気が向いたら、私と遊ぼうね……待ってるよ」
体勢を戻して軽く唇を押し当てる程度のキスをクリフの頬にすると、湯船に自分の身体を沈めた。精神的にどうしても
格好の悪さを感じるクリフは、無言で出口の方に向かう。クレアの居る湯船を振り返らずに。
「君は全然格好悪くない、つまらなくないと思うけどな」
フォローだったのか、彼女は脱衣所に出て行くクリフに一言言い置く。はっとするクリフだったが、振り返らずに
そのまま脱衣所に出て行った。
心中複雑のまま、クリフは宿屋までの夜道を星空を眺めながら歩く。何も考えまいと思いつつも、脳裏にクレアとランが
無意識なのに映る。頭を左右に激しく振って幻惑を振り払おうとするが、振り払えばまた思い出す連続だった。
「そうだ……今日はお酒を飲もう」
普段クリフは晩酌などしないのだが、『アージュワイナリー』で仕事を始めてからは仕事を教えて貰える上に小遣いとは
思えないお金を貰えるため、放浪していた時に比べてかなり環境の良い生活が出来るのだ。宿屋に戻ればランにも会える
かも知れない。不確かな期待と共に今日の所は帰る事にした。
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彼が宿に戻ると、一階の酒場フロアは客が多く賑わっていた。流石に料理がとても美味しいと評判の店主ダッドと看板娘が
十二分に功を奏しているのか、繁盛を見せている。相変わらずカウンターで楽しく談笑しながら飲んでいるリックとカレン、
普段は部屋で寝ているであろうグレイがたまたまなのかマリーと飲んでいる。その左右を挟むようにサイバラとバジルが
席を取っているのがなかなかシュールだった。
「あ……」
クリフは周りを見渡して自分の目当てのランを探してみる。普段なら、忙しそうにウェイトレスの仕事に一生懸命になって
動いている時分だが、今日はどうにも見かけない。人間間が悪いときはとことんどつぼにはまるものだ。丁度一息ついた所
なのか、カウンターで飲んでいる例の『牧場主』と楽しそうに話している。横目でダッドがちらちらと眺めてはいるが、別段
何も言わなかった。嫁に行きそうに無い娘が男と楽しそうにしているのを見ていて少しだけ安心しているのだろう。
だが、クリフには何とも居心地の悪い物だった。自分の気持ちを伝えては居ないのだが、他の男と楽しそうに話している姿は
見ているのがつらいからだ。牧場主の一挙手一投足はとても自分では勝ち目が無いと思えてしまう。
「……あ、ワインを」
さり気無く牧場主との席を一つ開けた横の席に座ると、クリフは自信無さ気にワインを注文する。凛として堂々としている
『牧場主』は、どんな理想や理念を持って牧場を建て直していたのかは彼には知る由も無いが、その一点一点を見ても、同性
から見て勝てる要素が無かった。いや、自分が持っている母親と妹を捨てた過去を何時までも引き摺って大きく差を広げて
しまっている事を、彼自身身に染みて分かっているのだ。そんなクリフが出来る事は、横目で彼らの様子を見ているだけだった。
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「クリフ、元気ないね……何かあったの?」
無知は罪なり……そんな言葉が聞こえてきそうだが、ランは明るくクリフに話し掛ける。彼女はクリフを一目置いているのか、
対応も明るく、結構物腰も優しかった。横目で牧場主を見ると彼は一人で手酌で飲んではいたが、リックとカレンに加えて、
グレイとマリーの合わせて4人にテーブル席に半ば無理矢理連れて行かれ、ほぼ酒宴状態と化した場に巻き込まれていた。
余談だが彼は酒が非常に強く、喋るのも場の空気を読むのも上手い。持ち前のムードメイカーの能力は、宴会を楽しいものに
させるのに十分だった。
「何か困ったことが有るのなら、私は相談に乗るよ」
例えそれが社交辞令であったとしても、クリフを癒すのには十分力があった。誰にでも見せる年齢よりも幼く見える可愛らしい
笑顔は、彼にはどう映るのだろうか?
「あ…ありがとう、助かるよ」
意中の女の子の前で、緊張する自分が心底情けないとクリフは思う。彼女と近距離で話すのは数が少ない訳でもなく、ましてや
ランの誕生日のパーティーも彼は呼ばれているのだ。クレアの『少しくらいは慣れろよ』と言う言葉は、今のこの時を指して
いるに違いないのは明白だった。
「今日はゆっくり休んで、明日も頑張ろう」
彼はランの喋っている言葉の半分以上頭の中に収まっては無かった。今の彼にとって、ランとこうして喋れるだけでも幸せ
だったのだから。これがただの哀愁でしかないのは、彼もわかってはいたのだが……。
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「ラ…ランちゃん」
「ん?どうしたのクリフ」
何を思ったのかは知る由もないが、クリフは意を決したのか思い切った表情でランに声を掛ける。本人は自分の表情を確認する
術は無いが、必死な表情と共にどこか悲壮感とも取れる影が漂っている。
「明日…さ、空いている時間があったら、ちょっと何処かに行こうか」
しどろもどろしてはいるが、クリフはなるべく自分の気持ちを落ち着けて思い切ってランを誘ってみた。硬派に生きてきた男の、
あまりに不器用な誘い方ではあったが、恋愛に不慣れな彼にとって大きな一歩だった。しかし、言われた方のランは少し難しい
顔をして返答に戸惑っていた。実は彼女、別段普通に話したりするのは別に造作も無いのだが、事恋愛になると急に消極的になる
悪い癖があり、加えて恋愛慣れしていない。それどころか恐らくクリフ以上に経験が無いのだ。育った環境が悪いと言われれば
それまでだが、この手の誘いに対して了解か拒否かを問わず、その最良の対応を知らないと言う悲劇的なものである。
「あ…その……明日にならないと……わからないや」
手を頭の後ろに回す仕草をして、取り合えずどっちとも取れない返答をしてはぐらかした。誰が好きか嫌いかはラン本人しか
分からない事だが、彼女が出した返答はこれが精一杯だった。
「そ…そうか……じゃあ……行けたら……行こうか」
これ以上クリフは言葉が続かなかった。拒絶されてはいないと言う期待を持ちつつも、その答えの不透明さは彼を大いに動揺
させるものだった。
「……ダッドさん、ワインを戴けるかしら?」
二人の間で何となく重い空気が漂ってきた時、クリフの横で聞きなれた声が聞こえる。先程まで一緒に温泉に浸かっていた
クレアが彼の一つ席を離した所に席を取って座る。サラサラな金髪が微風でも揺らいでいるのが妙に印象深かった。
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「お風呂上りにダッドさんのお店に来ると、今日も仕事が終わったんだなってほっとしちゃうんだよね」
別段ランとクリフに気にする素振りも見せず、目の前に居るダッドに何とも明るく話し掛けた。何処と無く照れた表情を見せる
ダッドが何とも面白い。彼女は牧場で出来た物であろう幾つかの作物とチーズをダッドに手渡すと、自分は手酌でワインを注ぎ、
何とも静か且つ上品にワインを飲んでいた。それでもそのペースは非常に速く、ものの五分でビンの半分は空いてしまった。
「おいおい……ペース速くないか?」
「そうでもないよ。大体何時もこんなものだよ」
少々心配になったのかダッドがクレアに注意を促すが、彼女は意に介さない。実際の所は彼女の顔は全然変わらず、きちんとした
受け答えを的確に出来るのだから問題は無いのだが、ダッドから見てその飲み方は余りにも破滅的に見えたのだろう。
「こんばんわラン……おお!クリフだ。奇遇だね」
一通り落ち着いた後、唖然としているランとクリフに何ともわざとらしく言い放った。
(……結構思い切った事するのね……見直したよ)
ランやダッドが聞こえない音量でクリフ囁くように言うが、彼は何とも冴えない表情を浮かべるのだ。
「………………」
彼はクレアに何も言わなかった。いや、正確には言うべき言葉が見つからなかった。クレアも下を向いて困っているランや冴え
ない表情のクリフにこれ以上何も言おうとはしなかった。そこまで彼女はデリカシーの無い人ではなかったのである。クリフを
見て、まともな返事を受けていないか、それとも拒絶されたかの二通りしかないので、これ以上話し掛けなかった。
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「ふふ……この町のワインって美味しいよね。カレンの言葉じゃないけれど、嫌な事忘れられれば尚良いけれどね」
何事も無かったかのようにクレアはダッドに向き合ってこう言う。誤魔化しにも似た立ち回りは流石と思える。
「………………」
そんな彼女の横向きの姿を見て、クリフはどう思ったのだろうか。ただ確実に不可思議な思いは自分の事をからかっているのか
心配しているのか、そして彼女の気持ちは何処にあるのか……悪戯された時からそれら全てが分からなかった。
「……そうだラン、お店終わったらちょっと付き合ってくれるかしら?」
「……え?」
突然のクレアの振りに、クリフは目で追うしか出来なかった。何を考えてこんな振りをするのかが全く分からなかった。
「いいよ、9時半に入り口で待っていてよ」
少々不思議な表情を浮かべたランはちょっと考えて返答する。やはり不思議なのだろう、笑顔の奥に疑問の空気が滲み出て
いる事が全てを物語っていた。
「……ふふ、今日は私が奢るよ……私の分のボトルも有るから、まったり飲もうね」
ダッドに頼みもう一つワイングラスを出してもらうと、クレアが酌をしてクリフとランにワインを振舞う。
「この町は楽しい……都会を忘れそうですぞ」
はははと笑いながら、妙な台詞回しで二人を見詰めながらこう言い置いた。酔っ払っているのかと思いつつ、クリフとランは
酌をされたワインを口に含むのだ。
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宿屋も店仕舞いをし、店を出たクレアは約束の時間まで広場のベンチで待っていた。冬も目の前の夜だと言うのに、流れてくる
風は丁度良い心地よさがあり、酒の力で熱くなった身体を冷ますのには優しい風だった。サラサラな金髪が風に揺られて自然に
なびいて、街灯のみの広場にたたずむクレアはばっちりと絵になっていた。
「……待ったかな?」
予定よりも早い時間に少々緊張した面持ちのランがクレアの目の前に立つ。それもそうだろう、同じ女の子にこの時分に呼び
出されるのだ。多少なりと大事な話しかと身も強張る。
「いや、大丈夫。約束の時間よりも早いよ」
変わらない気さくな態度でクレアは言い置く。男女誰に対しても変わらない態度で接する彼女をこの町の住人は悪く言わない。
彼女は持っていたブドウジュースをランに手渡すと、二人並んでベンチに座る。
「悪いね、疲れてるだろうに呼び出してしまって。早速だけど本題に入るよ」
クレアは一言謝り、回りくどい会話を省いて本題に入る。何を言い出すのか分からないランは、貰ったブドウジュースを口に含み
ながら彼女の目を凝視していた。
「ランってさ、今本当に好きな子っているかな?」
思っても見ないクレアの質問に、思わず口に含んだブドウジュースを一気に吐き出した。顔は横に背けたのでクレアに直接掛から
なかったが、思い切り喉に詰まったのか激しく咽ていた。
「げほっげほっ……な…何を……言い出すの?」
「ん?……ああ、ちょっと気になったから聞いてみただけよ……そんなに動揺するとは思わなかったけど」
くすりと微笑みを浮かべてランを見詰める。こんなに初々しい反応を見せる女の子も珍しいのだろう。
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「でも、ランは本当に好きな人……居るでしょ?」
「え……?」
シリアスで少し重い口調のクレアの言葉に、ランは言葉が続かない。ふざけた話なら適当に会話を切って逃げているかもしれないが、
何時もと様子の違うクレアの口調は真剣なものに聞こえ、ランは緊張して少々恐怖まで感じる。
「貴女が好きな子は、牧場のあいつでしょ?」
「………!?」
はっとした瞬間、全身が熱くなるのを感じる。クレアの言葉がまるっきり図星なのだ。自分の頼みを快く受けてすぐに叶え、自分の
大好物をいつも用意し、自分が体調を崩した時も駆けつけてくれる牧場主が心の底は好きなのだ。だが、それが羞恥心から中々言葉
では言えない。それを易々と見抜かれて図星を言われるのは率直に恐く、そして恥ずかしい。
「でも……私……そんな事……言われても」
「そう……じゃあさ、クリフはどうかな?貴女の事間違いなく好きだと思うよ」
切り返すようにクリフの事を振って話を続ける。この辺りはクレアもかなり抜け目が無い。『百戦錬磨の恋する女性』はこの様な
駆け引きも上手だ。だが流石のランも防戦一方ではなく、流石に聞き返した。
「ど……どうしてそんな事を聞くの?クレア……」
「フフフフ…聞きたい?……実はね、私その二人好きなの」
「!?」
ランにとってあまりに衝撃的な返答だった。彼女が酒席で話す恋愛話は酔狂的と思う反面、リアルで恋愛下手なランからするとそれは
まるで面白い教科書みたいに思えていた。それが堂々と『恋敵』と『宣戦布告された』のだ。驚くのも無理はない。
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「そ…そ…それは…」
「私結構手が早い方だから、早くしないとどっちか落としちゃうよ」
動揺を隠し切れないランに言葉通りに追い討ちをかけるように言葉を続ける。悪意があれば本当に心が無いセリフである。
「ど…どうして……そ…そんな意地悪を……」
「私は意地悪を言っているつもりは無いわ……現に二人とも私の好みだから……」
動揺と焦りからかどうしてもどもって話すランに対し、本当にクールに返すクレアの姿はランから見てどう映るのだろうか。彼女は
クレアに何と言って言い返せば良いのか分からなかった。
「意地悪……傍から見ればそうかもしれないかもね。でも考え無しに言ってはいないよ、最低でも私は」
クレアは立ち上がり、俯き加減でベンチに座っているランにこう付け加える。
「どうして自分の気持ちをハッキリしないの。思ってるだけじゃ独り善がりだよ……曖昧な返答されたクリフだって、可哀想だよ」
ぽんぽんと思ったことを直ぐに口に出しているのだろうか、クレアはランをせめるように言う。
「私は……貴女と違う……そんなに上手くいったら苦労しないもん……」
「!」
余りに気弱なセリフに反応したのか俯いているランの両頬をクレアは両手で挟むように叩くと、ランの顔を左右から挟んだまま、
そのまま彼女の頭を自分の目線に合わせる。
「人を好きになるって事はね、奇麗事じゃ済まないんだ。今の貴女の態度だと必ず誰かが不幸になるんだよ。大した事に聞こえない
かも知れないけれど、それによって自殺する奴だって居るんだ」
言い終えると赤くなったランの頬を摩りながら、彼女の瞳に溜まった涙をハンカチを取り出して拭き取る。
「泣く事は無いじゃない……明日まで時間があるから、よく考えなさい……ライバルにこんな事教えるなんて、有り得ないんだから」
クレアはランを残してこう言い置いて広場を後にした。
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翌日は冬に入る最後の秋晴れと言うところだろうか。秋の月最後の日は前日までに作業を全て終わらしているクレアは家畜の世話を
早朝に終わらせると、その日は夕刻にもう一度家畜の様子を見るだけで仕事は終わりで、事実上日中は休暇になる。晴れている日の
早朝は女神の湖に朝の散歩なのか何時もランとポプリがここに居おり、クレアはランの様子を見ることにした。決して面白半分では
ないが、まるで探偵……いや、探偵よりも探偵らしい立ち回りで後を付けているのだ。ただ、彼女のタイムスケジュールを把握して
いるクレアは別に尾行する必要は無かったのだが、昨日の事を考えて様子を見ていたかったのだろう。一方のランは、昨日の一件が
こたえたか何時もの元気さは無かった。ぼーっと小川の流れを見つめているだけだった。
「ランどうしたの?」
「……ううん、何でもないよ」
心配になったのかポプリは恐る恐る聞いても、ランは静かに受け答えをする。俗に言う『心此処に在らず』と言った状態だろう。
クレアが見守っているとは言っても直ぐにクリフが現れることは無い。午前中はアージュワイナリーで働いているからだ。クリフは
週に一度か二度、午後からは自由にしていても良いと言われている。それがたまたま今日だった。それよりも彼が来る前に、もう一人が
女神の湖に歩いてくる。例の牧場主だ。冬に向けての後始末と家畜の世話を終らせたのだろう、汗が朝日に反射している。彼はランが
大好きな温泉卵でも作るのだろう、籠に幾つかの卵を持って階段を上っていく。ランと目をあわすと手を上げて挨拶し、彼女の傍に
よって行く。
「おはようラン……お、珍しいな元気が無い」
「おはよう……気のせいだと思うよ」
一目でわかるぎこちない微笑みを浮かべるランに、牧場主は変わらない口調でランに話し掛ける。複雑に見える微笑みでも自分に
それを向けさせる何処と無く優しくて静かな物腰の牧場主の態度に強張ったランの緊張も解されるのだろう。流石は『元』プレイボーイと
クレアは感心する。
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「ラン温泉卵食べるでしょ?」
「ね…ねえ……君って恋愛の事詳しいよね……?」
落着いた物腰で温泉に卵を入れている牧場主に、焦ったような口調で問い掛ける。隠れて見ているクレアは目を細めてやり取りを
静かに見詰めていた。
「ん──?朝っぱらからする話題にしちゃ、随分とディープな話題を振るのね」
「あ…あはは……そうだよね……」
はにかんで笑って見せるが、落着かない様子までは隠せなかった。緊張の所為なのか身震いまで起こしている。遠目からでもランの
動揺ぶりは十二分に伝わってくる。ぎこちなく、それでいて何処となくハッキリしないランの態度に少々苛立ちをも覚えるクレアだが、
そこは流石彼女、我慢して生暖かく見詰めていた。静々と作業している牧場主の後ろでそわそわして、何と言って良いのか困っている
様子だった。
「おいおい、自分から相談事を振っても何も言わなきゃ、相談の仕様がないぞ」
優しそうな微笑み交じりにさり気無く助け舟を出す。苛立ちを微塵も見せず優しく相手する牧場主をランはどう思って見詰めるのだろうか?
遠目から事の成り行きを見ているクレアも、彼のテクニックに表情を変えずに釘付けにさせた。
「お…男の子からの誘いを……断る方法って……ないかな……?」
「!?」
切り出された牧場主も、遠目で生暖かく見詰めていたクレアも衝撃が走る。前振り無しに単刀直入、いきなり飛び越えてこんな質問が
飛んでくるなど誰が思っただろうか?いや、『無知は罪なり』と言う言葉の方が似合っているだろう。
「………………」
至極複雑な表情を見せる牧場主だが、目を一寸静かに瞑りこう言った。
「曖昧な返答をしては駄目。もし、本当に妥協無しに断るのなら『好きな人がいるから約束は出来ない』……相手に期待を持たせるのは罪だから」
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「勿論、ケースバイケースと言うのもあるけど、デートの誘いでその気が無ければはっきりと断った方が良い」
「……………」
牧場主はきっぱりと言い切った。経験豊富なのと男からの立場で物が言えるため、随分とストレートに言える。そんな彼の言葉を
ランは黙って聞いていた。
「ふふ……ランからそんな相談を持ち込まれるの、初めてかも知れんな」
そしてふざけたような笑みを浮かべてランをからかうように言うと、彼女は頬を紅潮させて恥ずかしそうに牧場主を見詰めるのである。
「………………」
「さて、温泉卵出来たみたいだな……食べるでしょラン」
そして何事も無かったかのように何時もの静かな物腰で向き合う牧場主にリードされて、彼女は勧められるまま温泉卵を口に頬張る。
ランの時折見せる可愛らしい笑顔は決して作り笑顔ではなく、自然に牧場主に向いているのだ。そんな様子を生暖かく見詰めていた
クレアは、無言でその場を立ち去った。彼女が何を思っていたのかは彼女しか分からない事だが、只一つ分かっていることはクレア
自身の表情に笑みは無かった事だけだった。
「………………」
数分後、クレアの足取りはアージュワイナリーに向いていた。昨日の事が有る為クリフは自分の事を警戒していると思うが、彼女は
それでもひと目クリフの様子を見に行く事にしたのだ。アージュワイナリーでは恐らく今年最後のぶどうの収穫にクリフが一人奮戦し、
右往左往している。彼がこの町に来た時と違って活き活きと働いている姿は、彼が抱えているトラウマをも払拭したかに思える。
だがそれは、クレアから見ると非常に痛々しいものだった。
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「……ご苦労様、クリフ」
仕事が一段落したのを見計らってクレアは彼の近くまで近寄り、軽く声を掛ける。
「あっ…クレアさん……」
案の定彼は少々クレアに警戒していた。本来なら男として喜んでも良い事をして貰いかかり、尚且つ酒まで奢ってもらった彼女を
警戒する理由なんて無いのだろうが、何処と無く身が縮むのだろう。
「喉か沸いたでしょう、ジュースでも如何?」
「あ……すみません、戴きます」
クレアは用意してあっただろうパインジュースを何食わぬ顔で手渡すと、彼の横に立つ。
「あのさ、今日午後から私と遊ばないかな?」
口を含みかけたパインジュースを吐き掛けたが、何とかおもいとどまった。
「な…何を」
「……午後から自由時間だってデュークさんから聞いたからね……どうかな?」
にっこり笑ってクレアは優しい物腰で彼を誘うのだ。だが、彼は首を横に振る。
「いや、それは……止めておきます」
「そう……気が向いたら、私と遊んでよ」
静かに拒絶するクリフに、彼女は優しい微笑みと一緒にこう言い置き、柵をまたいで外にでる。
「今日は私は夕方から宿屋で飲んでいるから、気が向いたら一緒に飲もう」
軽く可愛らしく手を振って、彼女は場を立ち去った。クリフはそんな彼女をどう言う思いで見据えるのだろうか。