忘れ谷に来て、タカクラの次に初めて話しかけたのが彼女だった。
確か、酒場だったと思う。まだこの谷に慣れなくて、誰か知り合いが欲しくて。
そんな事をタカクラに相談してみたら、酒場に行ってみたらどうだと持ちかけられ、
都会に居た頃も接待以外滅多に行かなかった場所に、行ってみる事にした。
そこで出会ったのが、赤い髪の彼女。ナミだ。
青い瞳はどこか冷めているようで、話しかけても話しかけても、中々話をしてくれなかった。
次第に話をしてくれるようになっても、やっぱりすぐに話は終わってしまう。
タカクラから、女は花が好きだと言われ渡してみても、かえって彼女には逆効果。
それまでせっかく話してくれるようになった彼女も、また口を閉ざすようになった。
そんなある時、彼女は音楽が好きだと酒場のムームーに言われ、思い切ってお気に入りのレコードを渡した。
タイトルは…なんだっけ。思い出せないが、とにかく僕は唯一持ってきていたレコードを彼女に渡した。
そのレコードは僕が小さい頃親に買ってもらった物で、結局形見みたいなモノだったのだが、
その他に僕に渡せるようなものはなかった為、思い切ってそれを渡した。
効果は…どうだったんだろう。すぐ聞き終わったと返してもらい、抜群とは行かなくとも、それなりに話題にはなった。
その結果音楽の話で盛り上がり、毎日レコードを一枚ずつ貸してもらい、毎日渡しに行き、
毎日その渡してもらったレコードの事で話は持ちきりだった。そういう意味では抜群だったのかもしれない。
けどある日、別れ話を切り出された。お金が無くなったから、もうここには居られないという。
彼女は自分の故郷へ帰るしか無いそうだ。その上、見合いをするらしい。
僕は…好きだったけど、今ひとつ勇気が出なくて、結局青い羽の代わりに形見のレコードを渡した。
いつかまたここに帰ってくる機会があったら、そのレコードを持ってきてくれと告げて。
「…まあここまではよくある話だわな。」
「何で、戻ってきたんだっけ?」
「見合い相手が最悪だったんだよ。だけどウチに骨を埋めるなら結婚しろって五月蝿かったから」
「でもさ、金無いって…いってなかった?」
「徒歩った。だからここに来た時、汚れてたでしょ?」
「よくやるよ…」
牧場の作業を手伝って貰って今更言うのもなんだが、ナミはタフな人だ。
遠い故郷から、足二つでここまで帰ってきた。一年掛かりで。途中は全部野宿だったらしい。夜は大丈夫だったのだろうか。
まあ…寝込み襲われても条件反射で足蹴りを食らわす程だったから、大丈夫だったんだろうな。
それに…
「あの時、痛がってたもんね…血ィ出てたし。」
「あのね…その話は止めろ。こっちまで恥ずかしくなる」
「本番行くのまで一週間掛かったっけね…」
「…殴るよ?」
「でも可愛かったなあ…顔の色が髪の色と見分けつかなくなる程になってさ。声も可愛かったしってうわ」
「ちょっとこいや」
「うわナミさんやめてごめんなさい思い出してただけですやめ」
「お望み通り暫く足立てねえようにしてやるよ…覚悟しな」
僕は叫び声を上げながら小屋へと引きづられていった。
この後の事については何も語るまい。
ちなみに家からはあのレコードが掛かりっぱなしだった。
そのレコードの名は…