両手に花・種蒔編
「ラグナってさ、結局ここに住みつくことにしたの?」
「はい?」
「いや、はい? じゃなくってさ、いつの間にか増築までしちゃって、もうここに根を張ることにしたのかなって」
夏も終わりに近づき、秋を予感させるようなある雨の日、ラグナ邸のテーブルでは三人の男女がお茶を飲んでいた。
この家の主っぽいが実は単なる居候のラグナ、雨の日はラグナ邸で過ごす習慣でもついてしまったのか、家主であるミスト、
そしてこれまた収穫箱の回収ついでにラグナ邸でお茶を飲む習慣がついてしまったロゼッタである。
いつもはあまり長居することのないロゼッタであるが、窓を濡らす雨に気分が滅入っているのだろうか、すっかり腰を
落ち着けてしまっている。そんな状況の中、ロゼッタがふと漏らした疑問から話は膨らんでいった。
「あー、普通はそうなりますよね」
「なんでそんな他人事っぽいのよ、アンタのことでしょ。で、どうなのよ、ここにずっと住み続ける気?」
「どうなんでしょう、もとはといえばミストさんの家なんで、ずっと住み続けるもどうかと思ってまして」
「勝手に増築しといてよく言うわよ。なら、ミストはどう思ってるのよ?」
「私は別に構いませんよ。もともと誰も住んでいなかった家ですし、むしろラグナさんのような真面目な方に使っていただいた
方がこの家にとってもいいでしょうから」
この町についてからはや半年、すっかり町の一員となったかのようなラグナであったが、その去就は未だに決めかねていた。
当初は記憶が戻るまで、と思っていたが、その記憶も一向に戻る気配もなく、逆にここでの新しい生活によってどんどん記憶が
上書きされている状態である。
「もう誰もアンタを余所者だなんて思ってないわよ。ミストもいいって言ってるんだし、早いとこ態度決めちゃいなさい」
「そうですよ、ラグナさんならきっと立派なアースマイトになれますよ。ロゼッタもそう思うよね?」
コレでもかと言わんばかりに詰め寄る二人の少女に対し、ラグナは曖昧な笑みを浮べたまま、
「いや、まあ、まだ時間はありますから、ゆっくり決めていこうと思ってますよ」
「そうね、記憶が戻るって可能性もあるんだし、何が何でもってわけにはいかないわよね」
「ほら、そんなときは自分が楽しいなって思う方を選べばいいじゃないですか。ラグナさん、ここでの生活は楽しいですよね」
正直、この町での生活はラグナにとって非常に楽しいものだった。農作物をあげれば誰もが喜んでくれるし、ダンジョンに向かう
時はまるで我がことのように心配してくれる。なにかしらのイベントがあるたびに町の人との親睦は深まっていく。
ここに来る前の自分がどんな生活をしていたのか、今となっては思い出す術がないが、ここまで充実した毎日を送れていたのだろうか。
そう、なにも記憶が戻ったからといってこの町を去る必要があるわけじゃないんだ。結論はいずれ出るかもしれないが、今は
そんなことを考えず、この忙しくも楽しい毎日を過ごすことだけを考えていよう。そんなことを思いながら、その楽しいひと時に
身を委ねることにした。
「ほんと、それにしても広くなったわよねー。村長さんのところより広いんじゃないの?」
「いえ、広くなったといっても半分は仕事場ですから。実際は前とそんなに変わってないですよ」
「ふーん、それよりさ、ここまで広くするのにどのくらいかかったの? 別にうちが買い叩いてるわけじゃないけどさ、収穫物の
売り上げだけで家の増築ってできるもんなの?」
「ラグナさんはダンジョンでの冒険もなさってるんですよね。きっとそこで珍しいものなんかを見つけてるんですよ」
「えー、まあ、そんなところです」
「ダンジョンねー。そんなにいろいろ取れるもんなの、そこって?」
「そうですね、わりと何でもありますよ。いろいろな草も生えてますし、岩を砕けば鉱石も取れますし、ああ、ちゃんと耕せば
作物だって取れますよ」
「ふふ、ちょっと無理をきいてもらってカブを育ててもらってるんですよ、そのダンジョンで。まさか一年中カブが採れるように
なるなんて、ラグナさんには感謝感謝です」
家主であるミストは、ラグナから家賃等を一切取ることがなかった。さすがにそれでは心苦しく思い、何か出来ることはないかと
ミストに尋ねたら、返ってきた答えは「カブっておいしいですよね」とのことだった。幸いにも最初に許可証を貰ったダンジョンが
カブの栽培に適した気候だったため、定期的にカブを育ててはミストの元へと届けているのだった。
「はぁー、アンタって昔っからカブ、カブよね。別にカブが悪いとは言わないけどさ、あんまり偏った食事してるとそのうち
身体おかしくなるわよ」
「大丈夫、カブ以外もちゃんと食べてますから」
かみ合ってるようでいて微妙にどこかずれた会話だったが、二人は気にする事なく喋り続けている。
「よくみたらこのお茶ってリラックス茶よね。うわ、これってジャコリヌスさんとこでも滅多に出ないわよ」
「え、そうなんですか? やだ、私ったらこのお茶ちょっと苦いですよねー、なんて言ったことありましたよね」
「あはは、いいですよ別に、今うちにあるお茶がそれしかなかったから出しただけですから」
「余計性質が悪いわ、普通のお茶がないからリラックス茶って、どーいう神経してんのよ」
騒がしくも和やかなひと時は、いつも通りの騒がしくも和やかな日々の一部として埋もれていくはずだった。
繰り返す日々に劇的な変化も、強烈な刺激も要らない。ただちょっと昨日とは違う、目に見えないような変化なら日常の
スパイスとして歓迎すべきだろう。でもまさか、このすぐ後に日常とは大きくかけ離れた、それでいて男なら誰しも心の奥底に
押し込めてある、夢でしか見られないと思っていた光景が繰り広げられるとは到底思っていなかった。
「ラグナさん、ラグナさん。ちょっと聞きたいことがあるんですけど、いいですか?」
「はい、なんでしょう」
「えっとですね、あそこにあるベッドなんですが、いつの間にかダブルベッドになってますよね。どうしてでしょうか?」
……答えに詰まる。そんなに深く考えて買ったわけではなかったが、よくよく考えたら若い男の家にでーんと置かれた
ダブルベッドはいかにも不自然である。ラグナとてダブルベッドの意味を知らぬわけではない。いやー、気持ちよさそうだから
つい買っちゃいました、なんていっても納得してくれそうにない。
「……あたしも実は気になってたのよね、ラグナ、アンタってもしかして恋人とかできたの?」
「いえ、いませんいません。まだ独り身ですよ」
そこははっきり否定しておく。余計な誤解を与えるわけにはいかないだろうと思ったからだ。
「でもダブルベッドがあるってことはそーいうことなんですよねー。ラグナさんのえっち」
「そーよ、さっきはまだ決めてません、なーんてこと言ってたけど、もしかして結婚してこの町に住み続ける気まんまん
なんじゃないの?」
どこで二人のスイッチを押してしまったのか、異常なまでの食いつきを見せる二人にどう対処したものか思案に暮れていると、
「あ、そーだ」
ミストさんが嬉しそうに手を叩く、何故か悪寒が走る。ロゼッタの方を見ると、彼女の表情も心なしか翳りが見える。幼馴染だという
彼女も直感で何かを感じ取ったようだ。
「ミスト、アンタ頼むから変な事言い出さないでよね。なんだかイヤな予感がするわ」
「大丈夫ですよー、ロゼッタもラグナさんにこの町に残って欲しいって思ってるよね」
「そりゃまあ、ラグナが来てからうちの店もにぎやかになったし、一緒にいると楽しいし……」
「ならバッチリ、みんなハッピーになれますよー」
あー、なんだろう。ミストさんがなんかとんでもないこと言いそう、何を言うんだか、ちょっと考えたら分かりそうなんだけど、
分かっちゃうのがイヤなので思考を止める。
「先程、ラグナさんの記憶が戻っても、楽しい方を選んでもらえればいいって言いましたよね。そこで、記憶が戻っても
この町を選んでもらえるように今からラグナさんに楽しい思いをしてもらいます。ふふ。もちろん私たちも気持ちいい思いが
できるので一石二鳥です。ラグナさん、よかったですねー、いまから可愛い女の子が二人であーんなことやこーんなことを
してあげますよ」
「あ、あたしもっ!?」
……言っちゃった。しかもロゼッタまで巻き込んで。
「どーですかラグナさん、いい考えだと思いません?」
いい考えどころか夢のような提案です。ミスト様。いいんですが、強いて言えば横で顔を真っ赤にしているロゼッタさんが
賛成してくれるとはとても思えないんです。
「うふふーん、安心してくださいラグナさん。その場合は私一人になっちゃいますけど、やっぱりあんなことやこんなことを
してさしあげます。どうですか?」
横で固まっていたロゼッタがピクっと身を震わせる。ほんのわずかな沈黙の後、顔を上げたロゼッタの表情は清清しいまでに
やけっぱちになっていて、
「いいわよっ! 上等じゃない。あ、あたしが本気になったらラグナなんてとっくにあたしの虜になっちゃうんだからっ!
ええ、間違いないわ、ミストになんか負けるモンですかっ!」
……もう逃げられないんだろうなー、と目の前の二人を見て思う。こうなってしまっては、こっちにできることは全力を持って
彼女たちを迎え撃つことだけだろう、多分。うん、きっとそれが正しい。
いい感じにテンパってるロゼッタと、ふふふふふーん、なんて鼻歌を歌いながらくるくるまわりながらベッドへ向かうミストさんを
前にして、さて、ムテキのヒヤクはどこにあったかな、と棚へと向かっていった。
(続きます)