故郷を思ふ・後編
冥にとってこの地を訪れたのは、この地に辿り着いたのは『復讐』のためと言っても過言ではなかった。
だが、この地に立ち、この地を見て、この地に触れることによって、それに疑問を感じるようになった。
この地は東方の火の国ととてもよく似ていた。建物の様式や文化などは異なるものの、空が、海が、大地が……とてもよく似ていたのだ。
そんな地で自分は一体何をしようとしているのか――それを考えると、とても悲しくなる思いで胸が一杯になってしまった。
特に、ラグナの……冥にとって今一番愛しい人のことを想うと余計に。
ラグナは、彼にとって見知らぬ土地であるここで一人で戦った。
素質や力があったから、とも言えるかもしれない。だが、そんなものがなくてもラグナは戦っただろう。
偶然……いや、必然なのかもしれないが、行き倒れていた己を救ってくれたカルディアの人々のために戦った。あそこまで無理する必要が果たして本当にあるのか……そんなことすら考えてしまうほど。
そんな姿を見ていたら、冥は『復讐』という行為が酷く空しいものに思えてきてしまったのだ。
そもそも、復讐するにしても何に復讐すればいいのか。それすら疑問に思えてきたのである。
隣国を影から焚きつけたゼークスを? それとも対立し、互いを斬り合った隣国を? それとも全てを焦土と化させた火幻竜を?
それがもう、分からなくなっていたのだ。
「我は一体……何のためにこれまで生きてきたのであろうな?」
半ば呆れたような、空虚な口調でそんな言葉を漏らす。
「めい……」
「いや、違う。違うな。『生きてきた』のではない。『生かされてきた』のだ、我は。
かかさまの願い……それは本当かもしれぬ。かかさまの『我に生きてほしい』という願いを『火の神』は確かに受け入れてくれたのかもしれぬ。
だが、火の神の力はある意味強大すぎたのじゃ。大いなる火の力――その『再生』の力によって、我は今もこうして生き続けている。
そう。生き続けているのじゃ。あのときの姿のまま、歳も取らずにずっと……」
冥は己の震える手を見つめていたが、堪らずに自分の顔を覆ってしまう。
絶えることのない命、成長しない身体。そんなのはもはや人間ではない。化け物である。彼女はひたすらその事実に苛まされてきた。
今回は自分にだけでなく、彼女にとって愛しい人にもそれを打ち明けた。自分が化け物だということを打ち明けた。
怖かった。愛しい人にそんなことを伝えるのは。
嫌われたくない。見捨てられたくない。
でも、もしかしたら……そんな願望もあったから。
「ラグナ殿は……嫌じゃろう? 自分の妻がこんな者だなんて。
本当は……本当はお主と結婚などするつもりはなかった。あ、いや、結婚したくないということではなくて、してはいけなかったのじゃ。
でも、お主なら……ラグナ殿なら、こんな我でも受け入れてくれるかもしれない。甘えさせてくれるかもしれない。
一度そう思ってしまったらもう駄目じゃった。ラグナ殿の告白を断ることなんてできなくなっていた」
いつもの冥からは想像もつかないほどの弱々しい声での悲しいまでの独白だった。
それに対し、ラグナは驚きもしなかった……なんてことは流石にない。むしろ、驚かされっぱなしだった。内容は勿論のこと、何より冥の今のその弱々しいまでの様子に。
しかし、それでもラグナはその驚きを表情に出すことはしなかった。
驚かずにラグナの真剣な表情で応えてくれるのは冥にとって嬉しいことのはずなのに、まるで自分の傷を抉るような言葉を続けてしまう。
「ラグナ殿と出会って、まだ一年少々。今ならまだいいかもしれぬ。
だが、このまま五年経ったら? 十年経ったら? 三十年経ったら?
そのときもラグナ殿は今と変わらぬ思いでいてくれるだろうか。多分それは無理なことじゃ。我だって、歳を取ってどんどん離れていってしまうラグナの姿は見たくない」
「それは……」
「じゃから、もしラグナ殿が嫌なのであれば、我は……」
その言葉を聞いた途端、ラグナは全身の毛が逆立つの感じた。そして無意識に、身体が自然と動き、冥のその左頬を張ってしまっていた。
パンと乾いた音が二人の間に響き渡る。
その痛みに冥は一瞬呆然とするものの、それでもすぐにキッと鋭い視線でラグナのことを睨み返した。
「我はラグナ殿のためにっ!」
さらにもう一つ。ラグナは冥の右頬も張った。
と言っても、今度は先程とはまるで異なり、痛くもなければ音も立たない。優しく触れる程度。そして頬に当てたその手でゆっくりと撫でた。
「僕のためだと言うならば、そんなことは言わないでください」
「し、しかし! 我はこれまでに何人もそういう人を見てきたのじゃ。だから我は、極力人を避け、一人きりでいるように……」
「なら、これからもずっとそのままでいるつもりですか? そのまま人との距離を置いて、『生かされ続ける』んですか!?」
「だって、だってぇ……。それが我の運め……い……」
自然と涙がこぼれていた。ぼろぼろと、まるで堰を切ったかのようにこぼれだしていた。
ラグナはその涙を止めようと、ただきつくその身体を抱きしめていた。
「甘えていいって言ったじゃないですか。頼ってください、僕を」
「でも……」
「僕ならきっとその『運命』にだって勝っちゃいますよ。なにせ、あの伝説のグリモアにすら勝った『英雄』ですからね、僕は」
冗談交じりに、力こぶなんかをわざとらしく作ってみせる。
それがラグナなりの慰めだということは冥も気づいていた。内容は少しおおげさすぎるところもあったが、真剣に想っていてくれているということも。
それなのに……いや、それだからこそ、冥は笑ってしまっていた。
「馬鹿者……ほんに、お主は馬鹿者よの。ホント…………プッ、ククッ。お主という奴は……アハハッ、ハハハハハ」
そして冥は、しきりに笑った。今まであまり笑ってこなかった分、まとめて全て吐き出すかのように笑った。大笑いした。涙すら出るくらい、本当に笑ったのだった。
甘えてみよう。頼ってみよう。
この人となら、これからもずっと一緒にいられる……心の底からそう思えるほどに。
「めい……」
そんな彼女の姿を見て、ラグナもふと微笑んだ。
外見が幼いからと言うと、冥は激怒するだろうが、それでもやはり、冥は寡黙であるよりも、大笑いするくらいの笑顔の方が似合っていた。
ひとしきり笑った後、まるで笑い終えるのを待っていたかのようなタイミングで冥のお腹が可愛らしい音を立てて鳴った。
「な――っ!?」
咄嗟にお腹を押さえて身を屈ませるのだが、そんなことをしたところでどうにかなるわけもなく、無常にもその音は再度漏れてしまう。
そんなことをあたふたする冥の姿がよほど可愛かったのか、ラグナは子供をあやすときみたいに「よしよし」と頭を撫でた。
「こ、こども扱いするでない! これはだな。その……、昼から何も食べてないし、長々と話もしてしまったし、笑い疲れてしまったのもあるしだな」
そう懸命に指を折りたたみながら、原因を探っていく。どうやら何が何でも自分のせいではなく、他の何かのせいにしたいようだ。
「分かってます。僕だって何も食べてませんから、実はお腹すいて仕方がなかったんですよ」
「う、うんうん。そうであろうそうであろう? それに腹が減っては戦はできぬ、とも言うしな」
「へぇ、そんな言葉があるんですか?」
「わ、我の国の言葉じゃ。嘘ではないぞ?」
「誰も疑ってなんかいませんよ。それよりも早く帰りましょうか。朝から何も食べてないと流石にちょっときついんで」
そこまで言うと、冥は手のひらをひっくり返したかのように態度を変える。腰なんかに手まで添えて、その堂々たる態度たるや……。
「ふむ。ラグナ殿がそこまで言うのであれば仕方あるまい。急ぎ帰路につくことにしようか」
「え? ちょ……」
ラグナの返事も聞かずにその場に背を向けた冥は、軽快な足取りでどんどん山を下りていってしまった。
「やれやれ……」
何とか彼女に対しての言い繕いはできた、といったところだろうか。
恐らく冥はラグナのそんな思惑には気づかなかっただろう。
だが、ラグナもまた、冥の思惑には気づいていなかっただろう。
空腹の音など所詮はきっかけ。冥が本当に隠したかったのは、誰にも語ることのなかった過去を、自分自身の弱さを初めて自分以外の誰かにひけらかしてしまったこと。
「ラグナ殿。早くせぬと置いてゆくぞ」
そんな恥ずかしさと嬉しさの……照れ隠しだったということに。
本日の夕食は随分と豪勢だった。と言っても、いつもより質が高いというわけではなく、量が多いという意味で、である。
いくら双方重度の空腹だったからとは言え、作ったラグナ自身も「作りすぎたかな?」と思ってしまうほどだったのだが、今こうしてテーブルの上を見てみれば、皿の全てはすっからかん。見事二人で完食を果たしたのだった。
「うむ。本日も馳走になった。ラグナ殿は相変わらず料理も得意じゃの」
冥はお腹も満ちて、顔も笑顔で満ち足りたとても幸せそうな顔を浮かべていた。そしてそのままベッドの上にダイブ。布団の柔らかい弾力をクッションに、冥は飛び跳ねるようにベッドの上を転がっていた。
こうして見ると、ホント外見相応の子供にしか見えないのだが……。
「むっ? 今なにか言ったか、ラグナ殿?」
「あぁ、いや。別に何も……」
ラグナはその鋭さに苦笑しつつ、冥の方へ歩み寄り、そしてラグナもまたベッドの上に腰を下ろした。
その重みで布団が傾き、冥の身体も傾く。とは言え、大した重みでもないはずなのに冥の身体はそこをコロリと転がり、ちょうどラグナの身体に支えられるようにして止まった。
「……ぁ」
冥の身体が仰向けのときに止まったせいか、ラグナの見下ろす視線と視線がちょうどぶつかりあってしまう。
チクタク、チクタク――。
食事中の会話や後片付けのときの食器の音などが騒がしかったせいで、今流れる時がとても静かに思える。普段気づくこともない時計の秒針の音すら聞こえてくるほどに。
しかし、それほどに音がないと、意識は当然他のモノにいく。むしろ目の前にこれほどのモノがあっては他のモノに意識が向こうはずもない。
「ラグ……ナ……」
「あ、はい……」
そこで会話は途切れる。それはもう、食事中の会話の盛り上がりが嘘だったかのように。
「あ……っと」
「うん」
互いが互いに何とももどかしい声しか出すことができない。
「なんでこんなに緊張してるんだ?」そう思うのはラグナであり、また冥だった。
結婚してから一年はまだ経っていないが、それでもそれなりの月日は経った。なのに、今の彼らは新婚初夜のそれと同じ表情をしていた。
どういう心境の変化かと問われれば、やはり先程のギガント山での出来事が原因なのだろう。
冥にとって、冥という存在は冥以外だれも知らないものだった。それを生まれて初めて打ち明けたのが今日であり、その相手がラグナなのである。
それはまるで、裸の自分を見せてしまったかのようで冥は戸惑いを隠せなかった。そして、そんな戸惑い、あるいは恥じらいを見るのを初めてのラグナもまた、戸惑いを隠せなかったのである。
「そんなに見られると、恥ずかしい」
「えっ、あ……。す、すみません」
そんな言葉にラグナは咄嗟に目を背ける。だがそう言った冥は冥で、自分自身の失言に少しだけ苛立った。
恥ずかしい……のだけれど、目は背けてほしくなかった。むしろ、見ていて欲しかった。ラグナには自分の全てを見て欲しい。
そんな葛藤が今の冥の心の中には渦巻いていた。
(ラグナ殿……ラグナ殿……ラグナ……)
だが、それは次第に内から外へ渦巻く竜巻のように激しさを増していき、ついには抑えきれなくなってしまう。
「ラグナ……殿」
「はい?」
その呼びかけに反応するよりも早く、ラグナの顔は持ち上げられた冥の両手によって固定されてしまう。
とは言え、別に力が強いわけでも何でもなく、振り払おうとすれば簡単にできるのだが、ラグナはそれをしなかった。そして、冥の手の導くままに顔を動かしていき……。
「……ん、んぅ」
ごく自然に二人の唇は重ね合わされていた。
息を吸うのも忘れてしまうほどに長い長い口づけ。角度を変えたり、唇をなぞったり、舌を入れたり……その他なにか特別な技巧もないただお互いの唇をくっつけあうだけのもの。
それ故に感じられるのは互いの唇の弾力と唇の隙間から微かに漏れ出す吐息ぐらい。
でも、今はそれだけで良かった。互いの温もりを、存在を感じることができれば……。
「ラグナ殿。すまぬな」
互いの唇を離して少しした後、急に飛び出たその言葉にラグナは目を丸くした。
「なんで謝るんですか? 特に謝られるようなことは何も……」
「そうではない。我はこういうときいつも思うのじゃ。このような貧相な身体……ラグナ殿を酷く落胆させているのだろうな、と」
「そんなことないです」
少し怒るような口ぶりで、そして少しの間も置くことなく、ラグナはそう反論する。
予想してない応対。それに対し、今度は冥の方が目を丸くした。
「そんなことは絶対にない。冥の身体は……その……、すごく魅力的ですよ。僕が保証します。
……と言っても、僕の保証なんかじゃ当てにならないかもしれませんけど」
「いや、我にとってはそれが何よりの保証じゃ。ラグナ殿がそう言ってくれるだけで、それで十分じゃ」
少しだけ潤んだ瞳。ラグナはその瞼にそっと唇を寄せた。
「……んっ」
「ここも、ここも、ここも……どれも綺麗で、可愛らしくて、そして魅力的です」
そう囁きながら、ラグナの唇は頬や顎、鼻の頭などを滑っていく。また、手は彼女の黒くしなやかな髪を梳き、その間に覗く小さな耳をくすぐった。
「ぁ……ん。や、やめ…………あぅ」
冥はその軽いスキンシップをくすぐったそうに受け、もぞもぞと身をよじらせる。その合間に漏らす声が可愛くもあり、妙に色っぽくもあって、ラグナの行為を増長させてしまう。
「は……ぁ。んぁ、……ひぁ、う」
「ほら、すごく可愛らしいですよ」
「ば、ばかものぉ。こんなこと……させておいて、可愛い……などと、申す……な」
「でも、可愛いのは本当です」
そう言って、ラグナの手が服の胸元あたりに伸ばされる。
「ま、まて。まだ我の心の準備が……」
「今更遅いです」
「む、むぅ。今日のラグナ殿は少し意地が悪いぞ」
「それは、今日の冥が少し……どころじゃなく、可愛すぎるからです」
「――――」
その硬直の隙を見逃さず、ラグナは冥の服をはだけさせた。勿論、途中でその行為に気づかれてしまうのだが、冥はもはや観念したかのように両手を上げ、結局はラグナが服を脱がせるのサポートしてしまっていた。
「……うぅ」
現れたのは、眩しいくらいの白い肌。触ってしまうと汚してしまうのではないかという懸念すら浮かぶ。
また、唸り声を上げながら冥が恥ずかしそうに腕で隠そうとするのは胸元。腕どころか手のひらだけで覆い隠せてしまうのが冥にとって悲しすぎるところだったが、ラグナの興奮の度合いは高まるばかり。
ちなみに、ラグナの趣味がそっち系……とかそういうのでないことを先に断っておく。
「ど、どうせ我のなど見ても触っても何の面白みのないものじゃから」
「そのことにはいつも言ってますよね? 小さいからとか大きいからとかじゃなくて、僕は冥のだからいい、と」
「でも、じゃな? よくよく考えてみるとやはり……」
「……どうしたんですか、今日は? なんかやけに初々しいと言うか」
などと言うラグナではあったが、実のところ、何故か彼も今日は心臓がいつも以上に激しく鼓動を繰り返しているのを感じていた。恐らくその初々しさに火をつけられたせい、と言えるのかもしれない。
「それは……その……じゃな。だから、えぇと……」
「うん?」
冥は戸惑っていた。言えようはずがないのだ。本当のことなんて。
自分の過去も身体のことも全て曝け出してしまったことが、『自分自身』を曝け出してしまったことが恥ずかしいのだ、などと。
しかも、今はそれと同時に己の裸身する曝け出している。その二つが単純な和算ではなく、乗算となって冥のことを羞恥に駆り立てているのだ、などと。
「めい。いい……ですよね?」
「えっ、あ? だから、まだ心の準備がと言うておるに……」
そんな言葉は冥の国の言葉で言えば、馬耳東風。耳から耳へと通り抜け、手はみるみる内に冥の胸との距離を縮めていく。
一方、冥はその手を止めようと胸に当てていた手を伸ばす。だが、それが逆に仇となり、無防備になった胸に手の侵入を許してしまっていた。
「ひあ……ぅん!」
ラグナがその微かな膨らみに手をやると、身体がビクリと驚いた。
初めて触るわけではないというのに、その信じられないほど柔らかな、滑らかな肌の質感。その奥から伝わってくるドクンドクンと激しい鼓動。
その感触がとても心地よくて、ラグナの指がその胸の上で折れ曲がった。
「あ……んぅ。あ……ぅ……」
それはラグナの手のひらの中に丸々すっぽりと収まってしまう程度の大きさ。
「やはり……こんな胸とも呼べぬ胸、触っても面白くなかろう?」
冥は目を背けながらそんなことを言うが、とんでもない。
もしかしたらラグナがこの胸以外を知らないというせいなのかもしれないが、自分の手にフィットするそれは、その全てを手のひら一つで味わえるということ。また、手のひら一つで自由にできるということでもあるのだ。
そしてラグナはその手一つで、胸全体を回すようにしながら揉みしだいていく。
「んっ、ん……ぅ」
次第に胸の先端部が強まっていき、手のひらの中心部分をツンと押し返してくるようになる。
するとラグナはその先端部もまとめて転がすように円を描かせると、そこは手のひらの中でコリコリと向きを変え、その小さな感触がラグナを余計に興奮させた。
「や……ぁ、め。そんなに……されたら……おかしく……なってしまう」
「なら、存分におかしくなってください。僕なんてとっくにおかしくなってますよ」
「んっ……ん、ん」
己の快感を他人に示してしまうのが恥ずかしいのか、冥は必死に声を出さないようにする。
だが、そんなことは今は無意味。むしろ逆にラグナのことを掻き立ててしまうだけだということを冥は気づいていなかった。
「それにね、めい。聞く話によると、胸は揉めば揉むほど大きくなる……とか」
『大きくなる』――その言葉に冥は一際大きな反応を見せる。成長しないのではなく、成長できない身体ゆえのコンプレックスはどうやら冥にとって相当大きな問題らしい。
「ま、まことか!?」
「え、えぇ。以前サラさんが確かそんなことを言っていたような覚えが」
「そ、そう……なのか。ならば、その……嫌ならやめなくてもいいぞ?」
ラグナはクスリと失笑してしまう。
その言い回しのなんとも健気なことか。自力が無理なら他力で……安易なことではあるが、そうまでしたい冥の姿はラグナの目にとても可愛らしく映った。
「……はい。じゃあ、続けますね」
「う、うむ」
許可が下りたところで、ラグナは円運動を再開する。しかも、今回は先程とは逆回りで。
「きゃぅ……は……ぁ。あん……うぅ」
その行為が加速していくことによって、確かに大きくなっていっているのをラグナは感じていた。その……中心の先端部分が。
「こんなに……勃ってきちゃってますよ。痛くはないですか?」
「し、知らぬっ! 我の知ったことではない。それは身体が勝手にやっていることじゃ」
「そうですか。なら、何をやっても大丈夫ですね」
冥のその頑なで反発的な態度が可愛らしすぎて、ラグナはついつい嗜虐心に駆られてそんなことを言ってしまう。
「そろそろこっちも大丈夫ですよね?」
「な――っ!? そこは!?」
胸から腹部、そして下腹部へと肌を撫でるように手が滑っていく。そしてその谷間に辿り着いた瞬間、ラグナの手は左右をがっちりと冥の太股によって挟まれてしまっていた。
「……んっ、はああぁっ!?」
だが、その圧迫が彼の手と彼女の下腹部との距離を縮めてしまい、指がそこに触れてしまっていた。
「濡れて……る?」
ついこぼしてしまった言葉に、冥の顔が一気に真っ赤に茹だつ。
「こ、これも……違うのじゃ。これも身体が勝手に……で……」
「そうですか」
すると、今度はその圧迫から手を引き抜いて、ラグナは冥から離れてしまった。
「えっ? あ……。どうか……したのか、ラグナ殿?」
ラグナはそれに残念そうな顔で答える。
「僕は『めい』に感じてもらいたいと思ってるんです。でも、めいは『感じているのは身体が勝手にやっていることで自分の意志とは違う』なんて言うから。だから、やめました」
「ぁ……」
冥はシュンとなってしまう。本心ではなかったけれど、恥ずかしさゆえに言ってしまった言葉がラグナにそんな風に思わせてしまっていたなんて……そう後悔していた。
そして何よりも、ラグナのことを悲しませたくはなかった。こんな自分のことをあそこまで言ってくれるほどに想ってくれているラグナを。
「あぅ……その。い、いまのは……嘘、じゃ」
だから、恥ずかしさで押し潰されそうになりながらも、小さな声でなんとかそれを口にした。
「何と言うか……。いわゆる、あれじゃ。すごく……気持ち……良かった……から」
自分は何を言ってしまっているのだろう――冥は恥ずかしさのあまり、死んでしまいそうにもなる。だが、その言葉に後悔はなかった。
「そうですか。よかった」
ラグナがそんな安堵した表情を見せるから。
本当はラグナのただの意地悪なのかもしれない。そう思いもしたが、それでもラグナが喜んでくれたから、冥も嬉しかった。
そして思うのである。
ラグナが喜んでくれたら嬉しい。また、ラグナが気持ち良くなってくれたら嬉しい、と。
勿論それは以前からも思っていたことではあるが、今夜の思いは特に一入だった。
「ラグナ殿も……一緒に……」
だから、そんな大胆なことすら口にしてしまう。
ラグナもそれには一瞬驚きはしたものの、すぐに笑顔を浮かべなおす。勿論、故意にではなく自然と。
「めい。いいんですか、ホントに?」
「い、いいも何も……、いつもしていることじゃろ? それに今日は我がラグナのためにしてあげようと……思うのじゃが」
「ぇ」
だが、次に出てきた言葉には流石に驚きを隠しきれなかった。
今までラグナが冥と身体を重ね続けてきても、冥の方から積極的に求めてくるようなことはなかった。
その心の変化は何か……それは考えるまでもないことではあったが、その新鮮な態度はラグナの心をくすぶった。
「無理はしなくてもいいから」
「無理などしておらぬ! 見ておれ!」
すると、冥は突然身体を起こして、逆にラグナの身体を押し倒す。
「…………」
馬乗りになってラグナのことを見下ろす冥。対照的に、ほとんど重さも感じないほどの冥のことを下から見上げるラグナ。
新鮮ということもあるだろうが、ラグナはこうやって下から見上げるのもいいなぁ……などと考えてしまっていたりした。
「す、すこし待っておれ」
ラグナの身体を跨いだまま、冥はスッと立ち上がる。何をするのかとジッと見ていると、冥は己の下半身――そこを覆っているスパッツに手をかけた。
「あ、あまりじろじろと見るでないぞ」
などと言うものの、こんな目の前で……しかも真下から見上げるような体勢ではじろじろと見ないというのも難しい。
冥は恥らいつつも、堂々と……『見せつける』かの様子でスパッツを下着と一緒にずり下ろしていく。
それが下ろされていくにつれて、密着していた『その場所』と下着との間に空間ができてそこに薄い糸が引かれていくのが見えた。その糸も一度切れてはまた上から下へとこぼれ落ち、絶えることもない。
(……ゴクッ)
そんなものを見せられてはラグナも男。興奮せずにはいられずに、大きく唾を飲み込んでしまっていたりした。
下着は下腹部から太股を通り、膝、脛、踝を経て、ようやく冥の身体と分離する。そして手にもったそれをベッドの横に放り投げると、再び冥はラグナと視線を合わせた。
……がその瞬間、ボッと着火音が聞こえてくるほど急に冥の顔が真っ赤に染まる。
「い、いい……い……」
「い?」
「いざ……となると、やはり恥ずかしいもの……だな」
なんて言われてしまうと、ラグナ自身も顔が火照ってしまうのを感じていた。
「やっぱり僕が……」
「な、ならぬ。今日は我がしてやるともう決めたのじゃ。ラグナ殿はのんびりとしておるがよい!」
「……は、はい」
そう気圧されてしまうものの、「のんびりとしていろ」などという言葉にはついつい吹き出してしまう。これがまさか冥なりの緊張の解し方だったとしたら、それはかなり驚きなのだが。
「では、ラグナ殿のも」
「いや、それは自分で……」
と言おうとするのだが、時すでに遅し。ラグナのズボンも先程と同様に下着ごと一気にずり下ろされる。
「うぁ」
「……ふぇ?」
突然外気に晒されたソレは、円弧を描いて反り返った。
「な、なんと……」
ソレは既に限界まで膨張していた。反り返りすぎて、上方を向くのではなく腹部に張り付いてしまうほどに。
「ご、ごめん」
「何故謝るのじゃ? 我はむしろ嬉しいぞ。ラグナ殿もこんなになってくれていたなんて」
「う……」
ラグナは言葉に詰まる。こんな痴態を見せてしまっていては、反論のしようもないから。
「それでは、失礼する」
冥の小さな手がその屹立したモノを優しく掴む。
「……うぅ」
ただそれだけでもラグナの身体には電撃が走るよう。それにつれて脈動が加速する。
「こ、これは……すごいの」
不思議そうに、あるいは面白そうにソレを掴み、手を開いたり閉じたりを繰り返しながらソレをじっと眺めていた。
「こんなモノが……我の……中に……」
冥はしっかりとその幹を掴み、張り詰めたラグナのモノの先端を己の入り口へと誘導する。
そして、そのままゆっくりと腰を下ろした。
「んっ……うぅ、あっ」
「……っく」
ラグナのソレが冥の体内へズブズブと肉を割っていくように埋没していく。
その光景たるや、なんとも淫靡なことか……。ラグナはその二つの性器の重なる様に魅入ってしまっていた。
「やっ……ああぁ。やめ……てくれ、ラグナ……殿。そんなに……見ないで……、んんっ、あぁはっ」
その様を隠そうと足を閉じようとすることによって、逆に内部がきつく収縮してしまい、冥の快感を貪ってしまった。
「はぁ……っ……」
どうやらそれが冥のことを軽く達せさせてしまったらしい。冥はラグナの胸の上で拳をきつく握り締め、歯を食いしばってその快感に耐えていた。
「だい……じょうぶ?」
ラグナ自身にも強烈だったその快感が引いて落ち着いた後、自分の上で肩を激しく上下させる冥に声をかけた。
「あ、あぁ、平気……じゃ。それよりもすまぬ。ラグナ殿のを全部受け入れきれなかった」
ラグナは最初それが何を意味しているのか分からなかったが、目線を再び二人の結合部にやったところでようやくそのことに気づいた。
ラグナの先端部は確かに冥の膣内の最奥部に達している感触を得ている。しかし、ラグナのそれは冥の中へ根元まで収まりきっていなかったのだ。
だが、体位のせいもあって、今更そんなことに気付くくらい、ラグナにはどうでもいいことだった。そして、そのことをまるで歯牙にもかけずに言う。
「そんなの関係ないです。何と言うか、めいの中があまりに気持ちよすぎて、そんなこと言われるまで思いもしなかったくらいですよ」
「ラグナ……殿」
冥の表情がじんわりと緩む。
「そうか。我でもラグナ殿のことを気持ちよくしてあげることができるのじゃな。それなら……」
そうして冥はぎこちなくではあるが、ゆっくりと身体を上下させ始めた。
「……ふっ、ん、んぅ。あ……ぁ……」
腰を持ち上げては、また沈める。その振幅は確かにあまり大きくはないものの、細かい律動と狭すぎる膣内の締め付けがラグナの快楽へといざなっていく。
「どうじゃ? 気持ち……よい、か?」
「あぁ。めいの中……すごく、気持ち良い……」
「ホ、ホントか? よか……った」
特に言い繕うこともしない正直な感想に、冥はとても嬉しそうににっこりと微笑む。
この締め付け具合もだいぶ反則気味だが、涙まじりに見せるその笑顔はもっと反則だ。そして、それがラグナの心に火をつけた。
「……え? あ……きゃぅん!?」
ラグナは冥の太股を突然掴み、腰を突き上げてみせた。
再び最奥部を突くのと同時に、脳天を突き抜けるかのような鋭い快感が二人を同時に襲う。
「や、あ……はぁ。やめ……よ。今回……は、我が……する番……」
快楽に押し流されないようにするためか、首をフルフルと必死に振りながら、ラグナのことを離そうとする。
しかし、それでもラグナの動きは止まらない。それどころか、目の前の穏やかな双丘に手を伸ばし、その先端部を刺激する。
「やっ……は、あ、ああぁ! む、むねは……だ……あぁ」
二つの乳首を同時に摘んだ瞬間、冥の膣内の襞がラグナのソレにさらに強く絡み付いてきた。
「うっ、くぅ……ぁ」
包まれているというよりは、もはやしごかれているというほどの強烈の快感にラグナの口からも言葉が漏れる。
「ううぅ、んんっ……はぁ、んあっ」
「めい。めいも……気持ちよく……なって……?」
「う、うぅ……んっ。ラグナ殿……のが、我の中を満たして……くれているだけで、それだけで我は……」
こぼれる熱い吐息。卑猥で粘着質な水音。痛々しくも聞こえる肌と肌との衝突音。
それらがまるで甘美な音楽となって、二人を包み、酔わせていく。
「んうっ……あっ、やぁっ! 腰が……勝手に……あぁぁ……!」
慣れてきたというのもあるせいか、冥の動きが少しずつ滑らかに、そして速くなっていく。
だが、身体とは違い、心の方はそれにまだついていっていないのか、自らの動きに戸惑いを見せていた。
「め……い……。すご……い」
冥はただただ激しく身体を上下に動かす。一方ラグナはその動きを支えながら、前後の動きを加え、互いの快楽を増させていく。
冥の額からは殊玉のような汗がいくつも飛び散り、その黒く長い髪は跳ねるように空に舞った。
ラグナはその幻想的かつ美しい光景に見惚れながらも、身体の動きだけは止めることはできなかった。
「ラグナ殿のが……我の……中で……今、大きく……」
下腹部に痺れるような快感を覚える。どうやらラグナの限界が近いらしい。
「これ以上は……だめ、じゃ。おかしく……なってしま……はああっ!」
同時に冥も限界を訴える悲鳴を上げる。
「めい!」
すると、ラグナはすかさず上半身だけ起こし、冥の身体をギュッと抱きしめた。
「ラグナ……殿?」
そして、彼女の小さなお尻を掬い上げ、互いに真正面に座るような体位をとった。
「めい。一緒に……」
ぐっと近付けた冥の耳元でラグナがそう呟くと、一気に感じてしまったのか声も出せずに、コクコクと頷くことしかできなかった。
だが、それだけで二人の間の意思疎通は十分だった。
「はうっ……、はあああっ!」
冥の腕がラグナの首回りにきつく絡みつき、また動きにあわせて冥も激しく身体を揺さぶった。まるで彼女自身から快楽の高みを求めようとして。
「だ、だめ……じゃ。我は……もぅ……っ」
「僕もあと……少し……」
ラグナも冥の身体をきつく抱き返し、一気にラストスパートをかける。
「やっ、はっ、あ、あん、あああぁ! はや……く、はやく……」
真正面に見る冥の表情はもう泣きそうなくらいに強張っていた。ラグナと一緒にイきたい……ただその思いだけのために必死に、ただ必死に耐えているようだった。
「めい、めいっ、めい――っ!」
「あぁ。ラグナ、ラグナぁ……んあっ!」
首に巻きついた冥の手が爪を立て、首筋に赤い傷跡を作る。
だが、そんな痛みすら今の快楽の前では感じる余裕すらなく、二人はただただ高みに達するために互いの身体を最後の最後まで貪りあった。
「めい、行こう。一緒に、行こ……!」
「うむっ、う……んっ!」
最後に二人で確かめようとどちらともなく近づきあい、熱く接吻を交わした。
そして……
「めい。……っは、ぁ。もう……イク……」
「我も、我も……。あ、あ、あ……ああ、ああああーーーーっ!!」
ラグナのソレを千切らんばかりの強さで締め付ける冥の膣内。
それと同時に、ラグナは己の欲望の塊をその中に何度も何度も迸らせていた。
ビュク、ビュク、ビュルル……。
いつのまにかラグナの腰に冥はがっちりと脚を絡みつかせ、吐き出される精液を一滴残らず吸い取るように、膣内を脈動させていた。
「はぁ……ぁ……はぁ……」
「……っ、……はぁ」
互いに言葉はない。ただただ荒い呼吸を繰り返すのみ。
力を使い果たしたかのようにぐったりとなる冥の身体を支えつつ、その重みと伝わってくる胸の鼓動を感じながら、ラグナは余韻をゆったりと味わった。
「ラグナ殿? まだ起きておるか?」
行為の後、二人はベッドの上で心地良い疲労感に意識をまどろませていると、冥がふと声をかけた。
「ええ。どうかしましたか?」
ラグナの肩を枕にしている冥とは首を傾けるだけでもう目と鼻の先ほどの距離に至る。
二人の目と目が合った瞬間、冥はもぞもぞと毛布の中に潜り込んでしまった。でも、顔の上半分だけは布団から覗かせており、その愛らしさと言ったら、まるで小動物のそれを思わせた。
しかも、そこで出た言葉というのが……、
「よ、呼んでみただけじゃ。他意はない」
そんな姿を見ているだけで、ラグナの頬は緩んでしまう。
そこでラグナはふと、こんな言葉を口にしてした。
「なぁ、めい? めいは今、幸せか?」
「……幸せ?」
もぞもぞと蠢いていた布団がピタリと動きを止める。
冥は少しだけ考えた後、こう口にした。「分からぬ」と。
だが、その言葉には続きもあった。
「正直なところ、我はいまだに『幸せ』というものを計りかねておる。
今この瞬間が幸せだ……そう言うのは容易い。じゃが、それが壊れてしまうと、幸せだった記憶よりも悲しみの方が勝ってしまって、『本当に幸せだったのか?』と疑ってしまうのじゃ」
ポツリポツリと呟いていくのはまるで懺悔にも聞こえてくる。それは当然、先に語られた冥の過去の出来事に起因しているのであろう。
「だから、我は怖い。『幸せなのかもしれない』と思っている今だからこそ。
もしラグナ殿に嫌われたら。もしラグナ殿がいなくなってしまったら。もしラグナ殿の本来の記憶が戻り、我のことを忘れてしまったら。
そう思うと、『幸せ』が揺らぐ……揺らいでしまうのじゃ」
きつく握り締められた毛布に大きな歪みが生じる。
「…………」
その痛々しい拳の上に、ラグナは無言のまま、そっと自分の手を重ねた。
「めい。それでも……信じて欲しい」
「わ、わかっておる。我はちゃんとラグナのことを……」
だが、ラグナは首を振る。横に。
「それだけじゃないんです。信じて欲しいのは……己自身。めい自身が『自分は幸せになれる』と、そう信じて欲しいんです」
冥の拳から強張りが解けていく。張りつめた筋肉から、いつもの小さくて柔らかな手に戻っていく。
「揺らいでしまうのなら、必ず僕が支えます。でも、自分から『幸せ』を放棄することは絶対にしないでください」
「…………」
冥はゆっくりと瞳を閉じて、その瞼の裏に残る記憶に思いを馳せる。
様々な出会いがあった。別れがあった。
でも、その中で『幸せ』なことなんてほとんどなかった。
何故なら、冥自身がそうなることを諦めていたから。
もう二度と大切な人を失いたくないから、と。こんな身体の自分を誰も好きになってくれるはずがないから、と。
そうやって自分で決め付けて、誰かと深く接しようともせず、ただ一人きりで在り続けたのだから……。
「……フフッ。まさかずっと年下のお主にそこまで言われるとはな」
「す、すみません。偉ぶったことを……」
「いや、よい。それよりもいいものじゃな」
「え?」
重ねられていた手を取り、指の一本一本まできつく絡み合わせる。
「『一人じゃない』ということが、これほどまでに『幸せ』なことだったなんて……な」
「めい……」
「本当に……、本当……に……」
ラグナは冥の頭をそっと自分の胸に寄せて、その表情を隠させた。
そして何度も何度も、長く艶やかな黒髪を撫で続けた。胸元に滲む熱い衝動が収まるまで、ずっと……。
epilogue
あれからどれだけの年月が巡っただろうか。
あまりにも早すぎて、また忙しすぎて、のんびりと年月を数えている暇もなかった……かもしれない。
そして今、ラグナと冥はカルディアとは異なる大地に立っていた。
「ここが、めいの故郷……」
カルディアの東の海を幾千里も隔てた辺境の島国。その中の『火の国』と呼ばれていた地を訪れていた。冥にとっては、もう意識が遠くなるほどに久しい帰還であった。
「…………」
目の前に広がるこの故郷を見て、冥は一体何を思うのだろうか。この一面に広がる『荒野』を見て……。
そこには何もなかった。
森もない。川もない。当然、町や村もない。在るのは、ただひたすらの荒野のみ。
これが火の神――火幻竜フレクザィードの所業。
冥曰く、「この国もカルディアと同じような豊かな大地だった」ということから察するに、この変貌はまさに『神の裁き』と呼ぶに相応しかった。
ラグナはその場に跪き、土を掴んでみる。
それは、土が痩せこけている……とすら呼ぶこともできないほどに乾ききっており、土と呼ぶよりもむしろ砂、あるいは石の塊に等しいものだった。
「一度完全な焦土と化したのじゃ。幾星霜隔てようとも、死んだモノはもう……生き返らぬ」
そう自嘲気味に呟く冥のことを、少し強めに小突いてみせた。
「な、なにをするのじゃ!?」
「めいは本当にそんな風に思っているんですか? この大地を見て」
「し、しかしじゃな……」
そしてまたそんなことを言ってくる冥の頭に、ラグナはもう一発お見舞いしてみせた。
「ずっと前に言いましたよね? 諦めるなって。それに、この土地はまだまだ死んではいませんよ」
「何故そんなことが分かる?」
「僕は一応アースマイトの端くれですよ。この地の息吹を感じることくらいできます。それに……」
ラグナはとある方向へ向かって指をさす。
360度どこを見たところで何の変わり映えしないこの光景に指をさす意味などあるのだろうか…………そんな風に思いながらもそちらに顔を向けたとき、冥は驚愕すべきモノを目の当たりにした。
「ととさま! かかさま!」
大声をあげながらラグナたちの下へ駆け寄ってきたのは…………一人の少年。
とは言っても、その少年はまだまだ幼く、そのトテトテと頼りない足取りは駆け寄るというのとは似ても似つかない感じがした。
その代わりに、呼ばれた二人が少年の下へと駆け寄っていた。
「あまり遠くへ行ってはいけないと言っただろ? それに……随分と汚れてるじゃないか。怪我とかはしてないか?」
ラグナは再び跪き、その子の頭を撫でながら、身体についた土を払ってやる。
「ごめんなさい、ととさま。でも、ととさまのマネしたかったから……」
「僕の……マネ?」
そうして少年は後ろに抱えていた何かをラグナたちの前に出してみせた。
それが……それこそが驚愕すべきモノ。
「そ、それ……は……」
……雑草だった。
何の変哲もない、何処にでも生えていそうな普通の草である。本来ならばそんなモノに驚くこともなければ、価値を見出すこともない。
だが、この場では違うのである。
「生きて……た……?」
全身の力が抜けたかのように、冥はその場に膝をついてしまっていた。
「あ……あぁ、ああ……」
その……自分の『母親』の止め処なく溢れる涙を見て、少年もぼろぼろと泣き出してしまう。
「ごめん……なさい、かかさま。ぼく……ぼく……」
恐らく「自分がいけないことをしてしまった」とでも思ったのだろう。
だが、そんな少年の姿を見た『母親』は、泣きながら笑って、あるいは笑いながら泣いて、その子のことを抱きしめていた。
「……っ。いいのじゃ。本当に、……っ、本当に……」
嗚咽が混じり、声はほとんど言葉にならなかった。
そうして抱き合う二人の姿を見て、ラグナもそっとその身を寄り添わせた。
この大地は力に満ちていた。
たとえその身を焼かれ、焦土となろうとも、ソレは懸命に生きようとした。
『火の神』の力。それは『破壊』。だが、決してそれだけではない。
火の象徴は『破壊』…………そして、『再生』。
そう。この大地はまさに『再生』しようとしているのである。たとえ幾星霜の年月を重ねようと、決して諦めずに……。
「ラグナ殿? 我はまだ、やり直せるのかの?」
その問いに、ラグナは笑って答える。
「ええ、勿論。自分で自分を終わりにしない限り、いつでも」
「そう……か」
冥は空を見上げた。大きかった。いつか見たときの空と何も変わっていなかった。
そして手を握った。温かかった。いつか父と母とで繋いだときの温もりと何も変わっていなかった。
――生きよう。この大地と共に――
そして、冥は自分自身からこの一歩を踏み出した。
「ただいま……」