マックスとアリア
カイルがいなくなってから、僕は今日で八回目の誕生日を迎えた。
今日の晩餐は、きっといつも以上に立派で華やかなものになるだろう。
町の皆様のプレゼンツもたっくさんあるはず。
僕の妻のジュリアと娘のラムリアの愛がたんまり込められたプレゼントも待っているだろうな。今は、風呂屋に用があるとか言って二人とも屋敷にはいないけれど。
そう。今日秋の月六日は、こんなにも素敵に素晴らしいスッペシャルデイなのに、カイルは戻ってこなかった。
無論、僕はあいつが無事でないわけがないわけがないと思っているから決して心配ごとは面に出さない。
けれど、流石に今年くらいには戻ってくるだろうと思っていた。
何故ならば! 秋の月六日というのは、カイルの親友――否! 大親友であるこのマックス・レムナンド・ヴィヴィアージュのお誕生日だからだ!
だがしかし、僕の予想は見事にはずれて、あいつは戻ってくるどころか連絡の一つもよこしてこない。
自分の部屋にいるのをいいことに、僕は一人珍しく深い深い溜息を吐いた。
「全く、何年経ったと思っているんだ……」
窓から見える木々はもう赤く、木の葉がひらひらと落ちていく。
窓際の席に腰かけ、僕はその木々の様子を静かに眺め、物思いに耽る。
季節の移り変わりは本当にあっという間だ。秋もあっという間に終わってすぐに冬が訪れるだろう。
「カイル、アリアはもう九歳になったぞ。いい加減、戻ってくればいいだろう」
カイルは、嫁と娘を残して、そのまま何処かへ行ったきり戻ってこないような男ではないと僕は思う。
僕の妹のロザリンドに気のある素振りを見せておきながらちゃっかり雑貨屋のマナと結婚しちゃうような男だとしても、だ。
バラの百本や二百本、どうってことない……どうってことないさ。
僕への誕生日のプレゼントがないということも、まあ、大目に見てあげてもいい。
けれど、妻や娘を放ったらかしにしているのはいただけない。
と、急に扉を叩く、軽い音が聞こえた。
椅子に座ったまま、窓から扉へと視線を変えながら「どうぞ」と声を掛ければ、扉は小さな音を立てながら開かれる。
そこには僕の親友の娘――アリアが立っていた。
両手を背中に回して、何やらとってもにこにこしている。
この子はいつも笑顔を絶やさない子だが、今日は特別可愛らしい笑みを浮かべているな。
ちょうどそれが、初めて出会ったときのカイルの姿によく似ているように見えて、
「やあ、こんにちは。僕はマックス」
つい、そんな挨拶をしてしまった。
まだカイルと左程親しくなかった頃は、そうやって挨拶するごとにちゃんと名乗っていたような気がする。早く名前を覚えてもらいたいからね。
ところが、いつもと違う僕の挨拶にアリアは面食らったようで、何度も瞬きを繰り返し小さな口をぱくぱくし始めた。
その様子も初対面のカイルによく似ていて、自分でも知らないうちに気が沈みそうになってしまう。
おかしいだろう、僕。
ここは微笑まなければならない場面なのに。
「冗談だよ、アリア。こんにちは」
僕はこれ以上ないほど優しい笑顔をつくろうとした。
なんたって僕は完璧な男、マックス・レムナンド・ヴィヴィアージュだ。
多少のつくり笑顔なら誰にも見破られない自信がある。
アリアは僕の笑顔を確認すると、小さくはにかんで、
「こんにちは、マックスおじさん」
ピンクに近い、茶色の髪を揺らしながら軽く頭を下げる。
僕は椅子から立ち上がり、アリアの傍へ歩み寄ると彼女の視線に合わせて腰を落とした。
「“おじさん”?」
「あ、えーっと、マックス……お兄さん?」
「はてなは余計だな、アリア」
「う……マックスお兄さん」
「よく出来た、偉いぞアリア」
小さな彼女の頭を撫でようと手を伸ばす。
そのまま彼女のさらりとした髪に触れると、驚いたのかアリアは両目をきゅっと閉じた。
「さあ、わざわざ僕の部屋へやってきてくれた君のご用は何だい?」
静かにそっと手を離す。
アリアが目を開き、琥珀色の瞳が僕を捕らえたのがわかる。
アリアは待っていましたと言わんばかりに、背中に回しっぱなしだった両手を勢いよくずい、と僕へ差し出してきた。
手の上には、ラッピングされた箱が乗ってある。
「お誕生日おめでとう! マックスおじさん!」
テンションがあがったせいか、また呼び名が“おじさん”に戻っているぞ、アリア。
と、無性に突っ込みたかったが僕は出来る男、マックス・レムナンド・ヴィヴィアージュ。
ここは空気を読んで、さらっと流すことにしよう。
箱を受け取り、
「ありがとう! アリア! さっそくだが中を見てもいいかい?」
「うん、もちろん! 頑張ってつくったんだから!」
えっへんと言わんばかりにアリアは両手を腰にあて、胸をはる。
その姿が幼く、可愛らしくて、僕は自然を頬が緩んでしまう。――と、いかんいかん。
「そこまで言うならきっと上等なものなんだろう! では、拝見しようか」
僕は屈みっぱなしだった腰を伸ばす。
すぐ脇にある机に箱を置き、丁寧にラッピングをはがしていく。
これもアリアが自分で包装したのだろうか。だとしたら器用なものだ。
アリアは落ち着かない様子で、僕のすぐ傍らでその手つきを眺めている。
視線が、少し痛いくらいだな。
包装をはがし終え、ゆっくり箱を開ければ、そこには僕の大好物――白く輝く、タイのおさしみが入っていた。
「おお! タイのおさしみじゃないか! 誕生日にこんな素敵なものをもらえるなんて、僕は幸せ者だな」
言いながら、笑顔のアリアへと視線を向ける。
いやあ、さすがアリアだ、わかっているぜ。
誕生日にはやっぱタイのおさしみだよな、うん。
「でしょ! ママに教わりながら、一生懸命つくったのよ」
「そうかそうか! 本当にありがとう、アリア」
またアリアの頭を撫でると、今度は目を瞑らず、彼女は不思議そうに僕を見つめてきた。
何だ? 僕の顔に何かついているのだろうか。
「どうしたんだ、アリア? 僕がいい男過ぎて見とれてしまったのかい」
冗談交じりにそう訊ねると、アリアの頬が少しばかり赤くなる。
それから彼女は慌てて首を振った。
「ち、違う! ただ、その、おじさ――じゃない。マックスお兄さん、何だか元気ないなぁって……」
不安そうに僕を見上げるアリアに、どう返答をしたらいいのか、少し迷ってしまった。
子どもというのは、やけに鋭くて参ってしまうな。
「アリア、心配は嬉しいがそれは間違いだ。何故なら、僕はこの通り元気だからさ!」
「でも、何だか無理してる」
言ってアリアは僕の服の裾を掴んだ。
そこから伝わる小さな力が僕を揺らす。
きっと僕の笑顔が崩れてしまったんだろう、アリアの不安そうな顔が余計曇ってしまったから。
アリアは服の裾から手を離し、目を伏せ、
「パパがいないからなの?」
「え?」
小さな口から零れた言葉、僕はちゃんと聞きとれていたのに聞き返してしまった。
アリアは顔をあげる。
僅かにその琥珀色した瞳が潤んでいた。
「だって、マックスおじさんはパパと仲良しさんだったんでしょ? ママが言ってたわ、あとジュリアさんも」
ジュリアとマナが……?
アリアは続ける。
「ママもね、あたしの前では笑ってるし、学校でも笑ってるけど、でも本当は寂しいの。夜にセレッソの木の下で、ママ、泣いてたもん」
そうやって僕に話すアリアの声が小さく震えていくのがわかる。
僕はまたアリアに合わせて屈み、一生懸命話す彼女に目を注いだ。
アリアは「でもね、でもね!」と大きく声をあげ、
「あのね! 頑張るから! あたし……あ、えっと、内緒だから言えないけど、でもパパ見つけるために頑張るから!
だから、おじさんもそんな顔しないで。私が絶対パパを見つけるわ! パパはきっと無事でいるもの!」
拳を握りしめ、力強くそう言った。
やっぱりこの子はカイルの娘さんだな、と思う。
とても賢くて、とても強くて、ちょっと抜けているけれど、とても優しい、いい子だ。
「アリア」
「うん、なに――ひゃっ!?」
僕は、少女の名前を呼ぶと同時に小さな体を抱きよせていた。
抱き締めれば、僕ですっぽり隠れてしまうアリアはやはりまだまだ子どもだと思う。
だというのに、彼女はあんなにも優しい言葉を僕に掛けてくれる。
服越しに伝わってくる早い鼓動。
アリアが小さく声をあげたのを最後に、部屋には窓の外で秋風が木々を震わす音が聞こえるだけになる。
視界いっぱいにアリアが入るよう顔を寄せれば、彼女は怯えるように両目をきつく閉じた。
その様子がまた何故か愛おしくて。
僕は、彼女の柔らかい瞼の上にそっと口付けをした。
「いい子だ、アリアは。本当に……カイルは、いい娘に恵まれたな」
少しだけ強く、小さな体を抱き締め呟く。
ゆっくりと顔を離すと、アリアの頬が赤く染まっていた。
暑くなったのだろうか。
僕はアリアの体をそっと話し、閉めっぱなしだった窓を開けようと腰を上げる。
さすがに閉め切っているのは体に悪いだろう。
がちゃり、と音がして、窓を開けばすぐ秋の冷たい風がカーテンを揺らし、僕の頬を撫でた。
それが心地よくて、目を閉じ大きく息を吸い、吐いた。
これで少しは空気の入れ替えもできるだろう!
振り返りアリアを見ると、アリアは更に顔をトマト並みに真っ赤にし、その場に硬直して立ち尽くしていた。あんぐり口も開きっぱなしだ。
……ふむ。
どうやら子どもには少しばかり刺激が強すぎたようだぜ。
「アリア?」
「あ、あわ!? あの、え、ええっと、あの、その、あ、あ、え、その……おおおおおお邪魔しました!」
激しくお辞儀をした後、大きな音をたててアリアは扉をあけ、そのまま閉めることも忘れて部屋を出て行ってしまった。
その後どたんばたんとド派手に人がすっ転んだような音が二回。
続いて「アリア!?」とセシリアが叫ぶ声と、父上の「だーいじょうぶでーすかー」とやたら呑気な声が聞こえた。
何が起きたというのだろう。
それから出て行ったアリアとすれ違うように、開いた扉からひょこっと、ジュリアとラムリアが顔を見せた。
「ただいまー、マックスー。さっきの、アリア? どうしたのかしら、ずいぶんあわててたみたいねん」
「ただいま、お父様」
「やあ! おかえり、ジュリア、ラムリア。アリアはな、僕に誕生日プレゼントを持ってきてくれたんだよ」
「あらぁ、よかったわねん。アリア、いがいとこういうのちゃんとしてくれるのよねー」
ジュリアとラムリアが僕の部屋へ足を踏み入れる。
ジュリアが少し寒そうに肩を震わせたのが目に入り、僕は窓をほんの少し開けた状態まで閉めた。
「何をいただいたんですか? お父様」
ラムリアの首を傾げる様子に、僕は机へ腕を伸ばし、
「じゃーん! タイのおさしみだ!」
「わ、おいしそーね。アリアおりょうりじょうずだもんねー。ラムリアもたべるせんもんじゃなくて、ちゃんとみならわなきゃだめよー?」
ジュリアが言いながら、ラムリアの頭を優しく撫でる。
ラムリアは困ったように笑って「はぁい」と答えた。
「あ、でもですね、今日はわたしも頑張るんです! 手作りです! マナ先生から教えていただいたものとか、お母様と一緒に――」
「ラームーリーアー? ないしょっていってたじゃない」
「そうでした! あ、何でもないです、お父様! えっと、今日の晩ご飯楽しみにしててくださいね」
わたわたと両腕を振りながらラムリアは慌てた様子で言って僕を見、それからジュリアへと目を向ける。
ジュリアはその視線に気付いて、母親らしい柔らかい笑みを浮かべた。
こういうとき、結婚する前や新婚の頃からは想像できないくらい、ジュリアは母親らしくなったなと感じさせられる。
より一層、素敵にもなった。
僕が言うのだから間違いない。
ラムリアはジュリアの笑みに瞳を輝かせ、服を揺らしながら慌てた様子で部屋を出て行く。
こうしていると、ラムリアもアリアに負けないくらい良い娘だと思うな。
親ばかだと笑われるかもしれないが、そんなこと僕はちっとも気にしないぜ。
その後ジュリアがラムリアを追うように扉の前まで行き、
「しらないふりしててあげてほしいのねん?」
僕へ振り返り、念を押すように言ってきた。
僕はわざとらしく首を傾げ、笑う。
「ん? 何のことかな。晩餐、期待して待っているよ」
僕の答えにジュリアも同じよう素敵に「まかせといてよねん」と笑って、淡い緑の髪を揺らしながら部屋を出、扉を閉めた。
僕は閉じられた扉を見つめ、窓の外へと視線を移す。
なあ、カイル。
家族っていいものだよな。
全員が揃えば、馬鹿みたいに心が温かくなる。
美人な奥さんと、あんな可愛くて優しい娘に、つらそうな顔をさせちゃ男が廃るってもんだぜ。
だから、早く帰ってこい。
無論、お土産は忘れずにな。
おしまい。