■ 猛獣と小動物
その思念体から感じ取れるものは発掘にかける意欲のみで、人修羅は非常に興味を示しているが、仲魔たちは胡散臭い物を見る目つきだった。
発掘中の地層はそれほど硬そうには見えないものの、どこまで掘り進めればお宝が出てくるのか、そもそも出てくるという確かな保障も無い。
地下鉄のヒヤッとした空気のせいか、戦闘で火照った首に流れる汗は冷たく不快な刺激を与える。
手の甲でその汗を拭いながら、思念体との交渉を終えた人修羅は背後に控える仲魔たちへ品定めするような視線を向けた。
シャベルの先を土の中に埋め込むために足の裏で蹴る音。
掘り起こした土を投げ捨てる音。
その2種類の音がテンポ良く響き、作業が始まる以前は物音ひとつしなかった場所を賑やかにする。
掘り進めるたびに次々と新しい土の山が築かれ、それらが見るものに圧迫感を与え、息苦しい思いをさせる。
「おーい照明係さん、ちょっとこっちを照らしてくれないか?」
思念体の要求に応じようと、土にまみれない様に隅っこに避難していたアマテラスは、注意深く土山を乗り越えて移動する。
途中立ち止まり、作業開始からずっと手を休めずに土を掘り続けている自分そっくりの悪魔に目をやる。
視線を感じたのか、見られたオオクニヌシは土で汚れた不機嫌そうな表情を向け、
「どうせ居残るなら、少しくらい手伝って下さっても間違いではないのですよ?」
と不満を訴える。
アマテラスはそんな悪魔を頭のてっぺんから爪先まで一通り観察して"ふふん"と小馬鹿にしたように笑う。
「それならば。そこの人間、少し下がれ」
思念体にいったん持ち場から離れるように指示を出し、やれやれと腕まくりをして壁と向かい合う位置に立つ。
"おっ、兄ちゃんなんかやってくれるのか"と頼もしそうに訊ねる思念体とは全く逆の感情で鬼神の顔が曇る。
「もう少し離れたほうが良い」
自身もアマテラスから距離をおき、ぼんやりと光る思念体を手招きする。
手招きされたほうはそんな必要はないとばかりに首を振るが、それも当然のことだとオオクニヌシは眉をひそめる。
いかにも破壊行為を嫌いますと言い出しそうな上品な雰囲気を漂わせる魔神がどんな破壊工作を行うのか、ただの人間に予想できるはずもない。
「いや、本当に危険なのですよ」
説得する鬼神の顔からただ事ではない空気を察したのか、呑気な思念体は不思議そうに首をかしげながら更に後方に下がる。
その瞬間、轟音と共に壁を熱波が抉り、爆風に押し出されるようにしてオオクニヌシと思念体は掘った穴の中から線路へ逃げ出した。
生身の身体ならさぞ盛大な拍手が鳴り響いたであろうと予測できる勢いで、思念体がアマテラスを賞賛する。
褒められて良い気分なのか、魔神は口の両端を上げて得意気だ。
爆風は土壁を深く抉り取り、発生した熱は湿った土を脆い砂に変化させた。
気温の影響を受けない思念体は純粋に感動していられるだろうが、熱に対する耐性を持たないオオクニヌシは蒸し風呂と化した発掘現場内で苦痛を強いられる羽目になった。
「これでは熱くて作業をする気力も起きません、早く発掘作業を終えて主と合流したいというのに」
額から汗が流れ込んで霞む目を擦りながら、鬼神は後先を考えない魔神の行動を非難する。
アマテラスは気にした様子もなく興奮して魔法の原理を訊ねる思念体に付き合っていたが、オオクニヌシが無言で立ち去ると、会話を適当に切り上げて後を追った。
発掘中の穴の外はひんやりとした空気が保たれていて、コンクリートで覆われた壁にぴたりと背中をくっ付けて、鬼神は疲れを振り払うように首を振った。
「大人気ない」
小さく呟き、ため息を漏らす。
なぜ人修羅が発掘作業を手伝わせる仲魔として自分を指定したのか、理由を考える以前にオオクニヌシの自尊心は傷ついた。
他のどんな仲魔より、主人の役に立ち、主人のために尽くしてきたはずの自分が何故このような役目を押し付けられたのか。
穴を掘る手を休ませればそんな考えばかりが浮かび、たどり着く先の答えに鬼神の心は苛立ちで波立った。
人修羅にとってレベルの低い自分はなんの価値も無い悪魔になってしまったのだと。
いつ邪教の館で悪魔を合体させる機械に放り込んでも困らないような、そんなどうでも良い存在だったのだと。
能力を信頼して発掘作業を任せたのかもしれないと健全な方向に捉えることは難しかった。
共に残って作業を手伝うとアマテラスが申し出たときの主人の表情は、自分のときとは比較にならないほど困惑し、引き止めなければという意志に満ちていた。
アマテラスを見るたびにじわじわと首を絞め付けられていくようで、そんな卑屈な自分をオオクニヌシは嫌悪した。
なにをしても賞賛の対象になるアマテラス、どう頑張ろうと日陰の存在になりがちな自分。
思念体に褒められている姿にさえ嫉妬している自分に気づくと同時に、オオクニヌシはアマテラスに対して劣等感を抱いていることをはっきりと自覚した。
浮遊しているので足音は聞こえないが、光は隠すことができないので気配で鬼神は近づいてくる魔神に気づいた。
「申し訳ありません、疲れて苛立っていたのでついあんなことを……」
謝る対象に顔を向けず、不貞腐れた態度で謝罪を述べる不誠実な鬼神にアマテラスは苦笑いを隠せない。
「心にも無いことを言わなくても良いのだよ、お前のそんなところを私は気に入っているのだし」
魔神の表情を盗み見たオオクニヌシは、自己嫌悪からかますます表情を暗くする。
鬼神と並んで、真似をするようにぴったりと背中を壁にくっ付けて、アマテラスはやれやれと首を竦める。
「あの思念体には参ったよ、人間に我らと同じ奇跡を起こすことが可能だと信じ込んでいる」
"愚かな考えだと思わないか"と意見を求められ、オオクニヌシは無言のまま強く首を横に振った。
"やれやれ"と、今度は声に出して魔神はがっかりした様子を見せる。
オオクニヌシは、そんなアマテラスを横目で睨み付けた。
「貴方は傲慢だ、自分が誰よりも優れていると信じて疑わず、常に自分以外の者を見下している」
嫌悪感をむき出しにする鬼神に対する声は、意外なほど冷静だった。
「そうだ、それが悪いことだと?」
睨みつける目を受けて立つ目には"悪いことだ"という返事を言わせない強さがあり、それが鬼神の言葉を封じる。
言い返すことができない悔しさに口をきつく結んだまま、それでも隙があれば噛み付きそうな勢いのオオクニヌシと睨みあったままの目が、ふっと緩む。
「劣等感に支配され、己の力を信じることもできない威勢だけは良い猛獣」
すかさず鬼神が言い返す。
「優位に立っていないと、怖くて相手と向き合うことさえできない臆病者の小動物」
お互い相手のことを評価し終えてから、その珍妙な表現に耐え切れず、小刻みに肩を震わせて笑い合う。
すぐに笑い声は止み、オオクニヌシは疲労の濃い表情で深いため息を吐いた。
「貴方のせいで余計疲れました、責任を取っていただかないと困ります……」
文句を言う口に魔神の指が触れ、上唇をなぞってから軽く唇を重ねる。
すぐに離れていく唇を追って鬼神は同じように指で上唇をなぞって軽くキスをする。
触れ合うだけのキスのあと、アマテラスはオオクニヌシの下唇を指でなぞり、先ほどよりは深く唇を重ねる。
唇が離れると、オオクニヌシも全く同じ動作を繰り返す。
今度は指ではなく舌でなぞり、重ね合うことなく魔神の唇は離れようとする。
儀式のようなじれったい動きに早く生気を吸わせて欲しいと飢えの滲む目を向けるオオクニヌシを、
「まだだ、欲張るな」
と牽制し、アマテラスは自分と同じ動作を要求する。
「舌を……」
魔神が言い終えないうちにふたつの舌は突付き、絡み合って互いの口内で湿った音を立てた。
生気を吸い取られて力が抜けるのか、崩れそうになる魔神の体を壁に押し付けて、鬼神は夢中で糧を貪る。
もう無理だと鬼神の肩を押し退けようと頑張る魔神の腕も、次第に抵抗の力を失っていく。
息継ぎの時間も惜しい様子で唇を離すオオクニヌシに、アマテラスがかすれた声でひとつの提案を持ち出す。
うなずく代わりに苦しそうに喘ぐ魔神の喉を軽く噛んでから鬼神は再び口を塞ぐ。
食事が終了する頃には、悪魔たちの体力は逆転していた。
「君の仲魔は元気良く力尽きたよ」
思念体からの報告を受けて、様子を見に来た人修羅はショックを受けて立ち尽くした。
反魂香で蘇らせるから力尽きた仲魔を返せと叫ぶ少年を"腐っちゃったからだめだ"と適当な理由を付けて押しとどめながら、思念体は心の中で呟いた。
"発掘が終わったら主人と合流するのが嫌だから逃がしてくれと頼まれたなんて、言えるはず無い"
「人修羅に別れを告げなくて良かったのか?」
訊ねるアマテラスにオオクニヌシは首を振って否定する。
「良くはありませんが、顔を合わせると決意が揺らいでしまったかもしれないので、これで良かったと思うことにします」
魔神は複雑そうな表情を見せたが、鬼神は背後を振り返ることなく歩き続けた。