■ マリンカリン

合体によって召喚された仲魔が、合体材料となった悪魔たちの想いを引き継ぐことはできない。
だからといって、合体により消えていく仲魔は、新しい仲魔に何も残さず去っていくわけではない。
主人である人修羅を幾度となく救った技や魔法をプレゼントして去っていく。
ランダムに引き継がれる贈り物を、喜ぶ者もいれば、不満に思う者もいる。
マリンカリンという魔法を引き継いだオオクニヌシは、間違いなく後者だった。

宝石をアイテムに換える目的で人修羅たちはカグツチの塔から銀座に戻ってきていた。
久しぶりの塔の外とあって、赤色だらけの景観に飽きていた多くの仲魔はいきいきとした表情を見せている。
噴水の傍で雑談をしているオオクニヌシとヤタガラスもまた、緊張から解き放たれた自由なひと時を過ごしていた。
「このような魔法、私のような硬派な悪魔には似合わぬ」
ぶーぶー文句を言うオオクニヌシに、その頭上に乗っているヤタガラスが
「よく似合っているから安心しろ」
と憐れみを込めて言う。
同情にも励ましにも取れない言葉の内容に鬼神はじろっと頭の上を占領する黒い鳥を睨むが、視界にヤタガラスは入らない。
仕方なく言葉のみで反撃する。
「どういう意味だ、人事だと思って適当なことを……」
「軟派な悪魔には良く似合うという意味だ、なかなか便利な魔法だと思うが?」
揺れる頭の上でバランスを取ろうと広げた羽を動かしながら、ヤタガラスがまた微妙なことを言ってオオクニヌシの神経を逆撫でする。
返事のかわりに、鬼神の眉間に皺がよる。
「それでは、便利かどうだか呑気な鴉を使って実験してみようか」
鬼神が意識を集中させるような独特の構えをとると同時に、ヤタガラスは危険地帯から離脱しようと重い羽音を響かせる。
前方で上昇しようと羽を動かす黒烏に照準を定め、かけ声と共にオオクニヌシはマリンカリンの魔法を放つ。
ヤタガラスは上手いこと危険な魔法を避けるように上昇する。
思わず舌打ちする鬼神。しかし次の瞬間、視界に飛び込んできた悪魔の姿に悔しそうな表情は驚きと恐怖で青ざめた。
たまたま通りがかったのだろう。上昇する前のヤタガラスの位置でその悪魔は移動を停止し、慌てて逃げていく烏を見上げる。
悪魔の視線がオオクニヌシに移り、形容し難い表情を浮かべる。
浮いている高さ、角度、距離、まるで悪魔が自ら魔法にかかりにきたようなタイミングだった。
オオクニヌシは軽い気持ちで魅了の魔法を唱えた己を呪った。後悔よりも先にこれから起こることを予測した心臓の鼓動が早まる。
不幸なことに、鬼神の放ったマリンカリンは、ヤタガラスの後ろにいた魔神アマテラスに見事命中した。

絶対にありえないと常日頃から思っていることが現実になると、混乱が生じて正常な判断を下すことが難しくなる。
魔神の表情や仕草は鬼神にとって正に混乱の素であり、回避行動を取ることも忘れてオオクニヌシは近付いてくるアマテラスを呆然と見ていた。
常に浮遊しているせいか、土ひとつ付いていない魔神の素足が滑らかな床を踏む。
「あの、だな、で、これは、あ」
らしくなく意味不明な言葉を繰り返しながら鬼神は少しずつ魔神に追い詰められていく。
背後では噴水が水を噴き上げていて、このまま後退すれば水の中にドボン確実だ。
それを知って慌てた様子のオオクニヌシを嬉しそうに見つめ、アマテラスはふわっと体を浮かせる。
「あぁっ!」
悲鳴を上げて鬼神は急いで後退しようとしたが、下げた足を噴水の柵に突っかけ、水面に尻餅を付く形で大きく体制を崩す。
全身ずぶ濡れを覚悟して目をきつく閉じたオオクニヌシだったが、その衝撃は訪れず派手な水飛沫がたつこともなかった。
水面に付く寸前に魔神が鬼神の体を抱きかかえ、災難から救ったのだ。
「危ないところだったな、気をつけなさい」
救い主はそう言って微笑むが、オオクニヌシの顔は誰が見ても分かるほど引きつる。
その反応を見たアマテラスの表情はそのまま、目だけが別の感情を浮かべて細められた。
「拒めば落とす」
"何を拒めば?"と訊くまでもなく、オオクニヌシの顔が青ざめる。
落とされた方がマシだと叫びたかったに違いない。
しかし、それを叫べば水の中に落とされるより恐ろしい事態を招くと脳が警鐘を鳴らし、鬼神の口を縫い付けていた。
2体はしばらくそのままの体勢で愛情と恐怖の視線を交わらせていたが、魔神がふっと視線を外して顔を上空に向けた。
「遠慮してくれないか、ヤタガラス……」
カァーと鳥の真似をした鳴き声を聞き、オオクニヌシはアマテラスの視線を辿る。
たどり着いた先に逃亡したはずのヤタガラスの姿があり、鬼神と目が合うと気まずそうにカァと鳴く。
魔神が重々しいため息を吐く。
「ここでは落ち着いて出来ぬ」
先ほどと同じく"何を落ち着いていたすのか?"と訊ねるまでもなく、オオクニヌシの全身は強張った。
その体を抱えたままアマテラスは少し考え、"あそこなら大丈夫だろうか"などと不吉な言葉を呟きながら浮き上がる。
急浮上に落下の危険を感じて不本意ながらも服の袖を掴む鬼神を見て魔神が口元を歪める。
カァ、カァと薄情な鴉の鳴き声に見送られながら、オオクニヌシはアマテラスに連れ去られた。

魔神が鬼神を連れ込んだ部屋にはかつてシジマの悪魔が住み着いていたが、カグツチの塔へ応戦に行ったのか姿は無かった。
中に入ったと同時にアマテラスは抱えていた悪魔を乱暴に床に放り投げる。
固い床に腰をぶつけてオオクニヌシは痛みに顔をしかめたものの、上空から光が降ってくると、その表情を驚きに変えた。
太腿の上に乗った魔神は両手で肩を掴んで鬼神を床に押し倒す。
「楽しもう」
「いいえ、まずは落ち着きっ……!」
じたばたと空気を蹴って抵抗を試みる手足の動きがぴたっと止まり、力なく床に落ちる。
一回目の口付けは短く、すぐに解放された鬼神の口から微かなため息がこぼれた。
二回、三回とオオクニヌシの額や瞼に啄ばむように軽く唇を重ね、耳朶を優しく噛んでちろちろと舌でくすぐる。
「遊んで」
マリンカリンの影響は性格まで変えてしまうのか、魔神の甘えたかすれ声に、鬼神の皮膚があわ立ち頬に赤みがさした。
「貴方に羞恥というものは無いのですか? そんな、へっ、変な声を出して!」
つっかえながらも叱り付けるところを見ると、ことの原因が自分が気まぐれで放ったマリンカリンだということを忘れかけているらしい。
耳を弄る顔を押しのけようとするオオクニヌシの指先を、アマテラスは口に含む。
含んだ指を必要以上に丁寧に舐め、誘うように首をかしげる。
オオクニヌシは見てはいけない物を目にしたというふうにすぐに顔をそむけたが、アマテラスが軽く笑うと困ったような目で魔神の顔を窺った。
その遠慮がちな鬼神に、
「好きだ」
と、世界の終わりが訪れそうなことを魔神がさらっと口にする。
「どの辺りがですか?」
魔法にかかって術者を好きだと錯覚しているだけなのだから答えられないだろうという思い半分、それでもどう答えるのだろうかという純粋な好奇心半分でオオクニヌシが訊ねる。
答えはすぐに返ってきた。
「顔が」
オオクニヌシは非常に嫌そうな顔をした。複雑な思いを込めて疑問をぶつける。
「貴方も私と同じ顔ですよ」
アマテラスはきょとんとしてから、
「では、私は自分のことがすきなのだろうか?」
と逆に訊き返し、オオクニヌシを大いに困惑させた。
そんな困惑をよそに、上半身を起こしたアマテラスは腰の紐をほどき、上衣の裾を捲り上げる。
「あ、えーと」
白い肌を見せられてどうすれば良いものかと正直に悩む鬼神に、魔神は苛立ったようだった。
勾玉の首飾りを掴んでぐいっと引っ張り、強制的に上半身を起こさせる。
捲くった裾を口にくわえ、空いた両手でオオクニヌシの手首を掴んで露出した肌へ誘導する。
「ちょ、ちょっと待っ……!」
大胆な行動に焦った鬼神は手を引こうとしたが、抵抗する力よりも誘導する力のほうが強く、暖かい肌に触れた。
冷えた指先はアマテラスの誘導に従って胸から腹への往復を何度か繰り返す。
暖かさや感触を心地よく感じたのか、最初抵抗を示していたオオクニヌシの指は、途中から自らの意思で肌の上を滑った。
指先自体がじんわりと温かくなったと鬼神が感じ始めたころ、腹までで引き返すように誘導していた魔神の手が、くいっと手首を下に引く。
さすがに躊躇したオオクニヌシは誘導主の表情を窺ったが、アマテラスは顔を赤らめてそっぽを向いてしまった。
その仕草が決め手になったのか、鬼神は着衣の中に手を滑り込ませて下腹に直接触れる。
手首を掴む魔神の指の力が強まり、オオクニヌシはこれ以上進めてよいかもう一度確認するためにアマテラスの目を見る。
今度は顔を逸らさず、先ほどよりも目の下を赤く染めた魔神は2度ほど素早く首をたてに振った。

「ふ……ぁ……」
上衣の裾をくわえたままのせいか、くぐもった声がオオクニヌシの耳に届く。
魔神のものに絡む指が擦り上げる速度を上げると声の間隔は短くなり、手首を掴む手を通して小刻みな震えがオオクニヌシに伝わる。
「私の顔が好きなのでしょう? 下を向いていたら見えないですよ」
穏やかな声で指摘しながら鬼神は強い刺激を与える。
「うんっ……あっ!」
びくっと肩が跳ね、アマテラスは左右に首を振り、ずっと掴んだままだった手首から手を離した。
くわえていられなくなったのか、下がった上衣が上気した肌を隠す。
両脇で結ばれた髪を空いている手で掴んで魔神の顔を強制的に上に向けさせる。
アマテラスは虚ろな目で荒い息を吐いていたが、鬼神が濡れた指を口元へ近付けると、赤い舌を這わせて舐め取った。
その様子を冷静な目で観察しながら
「魔法にかかって変なのは貴方のはずなのに、こちらが魔法にかかったようだ」
とオオクニヌシが告げる。
魔神の唇が、かすかに笑いの形を作る。
「何故だろう、貴方のことが好きなのだろうか?」
「私はお前のことが好きだ」
疑問を掻き消すようにアマテラスが断言する。付け足しで、"魔法の力など働いていなくてもな"
自分の気持ちを量るように、鬼神は両腕を魔神の背中に回して抱き寄せた。
始めは軽く、だんだん強く、最後には魔神が苦しがって
「鎧が当たって痛い、脱いでからにしろ」
と文句を言うほどしっかりと抱きしめ、物理攻撃を得意としないアマテラスの身体の柔らかさを味わう。
「貴方をどうしてしまいたいのか私にはよく分からない」
オオクニヌシの言葉に、魔神は呆れたように首をすくめる。
「嘘つきめ、だが分からないならそれで良いのではないか?」
少し沈黙してから、鬼神は首を振って否定した。
「嫌いではないが好きでもない、突き放したいが手放したくはない」
それを聞いたアマテラスは大げさに眉をしかめ"我侭過ぎる"と感想を述べたが、オオクニヌシはそれこそが真の自分の感情だと納得したように何度か頷いた。

「あっ、マテラス様」
ひとり噴水のある広間に戻ってきた魔神へ、恐る恐る舞い降りて肩に止まったヤタガラスが声をかける。
「何だ?」
冷たい声にビクッと身を竦ませながら、鴉は早口で喋る。
「怒っていませんよね、確かに見ましたよマカラカーン……」
それからおっかなびっくり魔神の表情を盗み見、笑っていることを確認してからほっとしたように緊張を解く。
"何のことやら"と、とぼけてみせてから、アマテラスは胡散臭い目を向けるヤタガラスの頭をごまかす様にごしごし撫でた。



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