■ 背中の傷は
人間から悪魔に生まれ変わった人修羅の言葉を借りれば、悪魔は特別意識をしなければ極めて人間に近い存在らしい。
血も涙もないと形容される悪魔だが、戦えば攻撃を防ぎきれなかったぶん怪我をする。
怪我をすれば血も流れ出るわけで、痛みの感じ方には差があるものの、癒さず放っておけばどんな屈強な悪魔であろうと死に繋がる。
「また背後からやられたな? 同じ場所に傷をつくるのは学習能力のない証拠だ……」
きつく眉をしかめて仲魔の背中にできている傷に薬を塗っているのが悪魔なら、
「そんな……。怒っているから魔法で効率よく治さず、傷薬で虐めるんですか?」
と泣き言を言いながら服をたくし上げて背中を露出させているのも悪魔である。
指の腹が背を撫でる感触と薬のヒヤッとした温度がくすぐったいのか、治療を受ける悪魔は首をすくめてみせた。
その様子を見て、治療を行う悪魔がふふっと楽しそうに笑う。
仲魔の間に仲間意識があるかと訊ねられれば、悪魔たちの主人である人修羅は返答に悩んでしまうだろう。
悪魔は自己中心的で、快楽主義で、他者のことなどその辺に転がっている石ころ程度にも認識していないことがある。
その反面、意外なところで同情的だったり、計算抜きで相手を思いやったりすることもある。ごく稀にだが。
それなら仲魔を治療している悪魔が後者の性格かといえば、その問いに関しても人修羅だけでなく多くの仲魔が首をかしげるだろう。
「お前たちが傷つくたびに魔法を使っていては、こちらの魔力がいくらあっても足りないのでな」
男の筋肉質な背中など長時間見ていたくないと言いたげに手早く処置を済ませると、
「終わったぞ、早く背中をしまえ」
と、掌のあとが赤く残りそうな勢いで治療を終えたばかりの悪魔の背中を叩く。
痛いと悲鳴を上げることなく、叩かれた悪魔は大人しく指示に従った。
「ありがとうございます」
頭を下げて礼を言う悪魔へ、ちょっと不満そうに腕組みをして、治療を行った悪魔が愚痴る。
「これからは他の悪魔に治療を頼め、お前の背中は見飽きたからな」
注文をつけられた悪魔は眉を下げてしょんぼりした表情を見せる。
予想もしていなかった冷たい言葉に傷つきましたと言わんばかりの眼差しを向け、狼狽える。
「酷いことを言う。治療の最中はあんなに楽しんでいたのに、終わったらポイ捨てですか?」
「人聞きの悪いことを」
発言を咎められ、治療を受けた悪魔は残念そうにため息を吐く。
「では次からは胸に傷をつくることにしよう。そこも見飽きたと言われたら、いったい私はどこに攻撃を受ければ良いのだろうか」
同情を誘おうとする作戦は逆効果だったようだ。
「全身傷だらけの血まみれになってくれ」
恐ろしいことを事もなげに口にする。言ったあとに、妙に嬉しそうな相手を見て、迫力不足だったかと舌打ちしている。
「背中ばかり傷をつくるのは何か理由があってのことだろう? その理由が判明するまでは面倒を見てやるから安心するといい」
その言葉に、嬉しそうな態度から一変、真面目な顔で治療を受けたオオクニヌシが訊ねる。
「理由など分っているだろうに。私に治療を施したいなら素直にそう言えばいい」
正面に傷をつくると治療を受けているあいだ集中して指の感触を味わうことができないから。
正面を向いていてもまともに相手の顔を見ることができないのだ。
それなら、背中を向けてこちらも表情を隠してしまわないと不公平だから。
「自信過剰は嫌いではないぞ」
治療をしたアマテラスはオオクニヌシの発言をどう解釈したのか、不敵に笑い目を細めた。