■ 握手
きっと、このひと時が終われば全てが終わりに向かうのだろう。
次への期待と今が失われることへの不安、そのふたつがぐちゃ混ぜになった不安定な気持ちを抱えたまま、時間だけが過ぎていく。
静かな気持ちでカグツチとの対面を待つには、仲間と共に過ごした時間があまりにも長すぎて、その思い出に押しつぶされてしまいそう。
だから、酒場という場所がら酒に溺れてやり過ごす者もいる。ひたすら他者に話しかけて気を紛らわそうとするものもいる。
その光景を眺めるニュクスの目にも、成長して自分のもとを巣立つ子供を見送るような、どこか寂しげな影が見えた。
「あーあ、これでみんなともお別れか」
騒ぐ仲魔とは別に、隅っこの席にだらしなく座っている人修羅がテーブルに顎をのせてハァと息を吐く。
その様子を見て、近くの壁に背を預けていたアマテラスが肩を軽く揺らして苦笑いする。
「カグツチが我らに対しどのような反応を示すのかまだ分からないというのに、気が早すぎるのでは?」
人修羅は脱力感漂う表情で"うぇー?"と唸り、横に口を広げたままの顔を仲魔へ向けた。
「きっとね、きっとだね、そんなふうに思ってんの僕の仲魔の中でお前だけだと思うよ多分、あ、多分だから多分」
なんだその責任の無い発言はと、アマテラスの頬が不自然に引きつる。
人修羅はガバッと力の抜けきった身体を起こし、不満そうに細めた目で眩し過ぎる仲魔を睨み上げた。
「元の生活に戻ったらこれまでのこと全部忘れるんだろ? 忘れて、平気な顔して過ごしていけるかな?」
知らないですよ、とアマテラスの困りきった声。
重なって、忘れるから平気に決まってるよな、と人修羅の小さな小さな寂しい声。
「元の生活に戻れるとも限りません、全ては結果を見てからですよ」
呆れ顔が主人の表情の変化に気付いて、宥めるような柔らかい笑みに変わる。
その暖かさに人修羅はふて腐れたように頬をぷーっとふくらませて横顔を向けた。
「手、かして」
短い命令にアマテラスが怪しみながらも両手を差し出すと、片手でいいよと不機嫌な声。
それなら、と引っ込めようとした仲魔の左手を、主人の手が追いかけて捕まえようとする。
急な握手に驚いたのか、アマテラスは掴もうとする人修羅の手を派手に叩いてサッと両手を背中に隠してしまった。
ちょっとした無言の時間が過ぎ、気まずそうな声が
「そのような行為を受けるのは初めてだったので思わず……、痛かったですか?」
と訊ねる。
叩かれた手を驚いた目で見て、人修羅は首を振った。
「びっくりしたぁ!」
おどけた調子で手をひらひらさせてから、今度は自分の方から握手を求める。
その手をアマテラスはきょとんとした顔で見ていたが、"ほらっ早く"と主人にぐいぐい手を押し付けられ、恐々と左手を重ねた。
湿り気を感じさせる体温が指のあいだを抜けて手のひらを覆う。
人修羅は手の甲の滑らかさを確かめてから薄い肌に食い込ませるように強く握る。
アマテラスの指は真っ直ぐのまま。
まるで、交わることの無い会話のように両者の手は正反対の形を作った。
「きっと、不安になる」
暗示をかけるような囁きを聞き取ったアマテラスが怪訝そうに眉を寄せる。
椅子を動かす音がして、人修羅は口元に意味深な笑いを浮かべて立ち上がった。
「オーディンと話をしてくる」
その言葉にアマテラスが我に返ったとき、人修羅はすでに背中を向けていた。
手を包み込んでいた存在は消え、ほんのり残っていた温もりも自分のものなのか他者のものなのかすぐに判別できなくなってしまった。
握手をかわした左手を握ったり開いたりしながら、アマテラスは不思議そうに首をかしげる。
そんな悪魔の右隣に黄土色の棺桶が並んだ。
わずかに作った隙間から、手に視線を落としたままの光害を窺う。
薄暗い酒場の隅っこにいるせいか光は鈍く霞がかっている。
部屋に留まり続け濁った空気に、女魔のつけている香水の清純とは程遠い爛れた香りが混じり合い、その匂いが霞をいっそう酷くしている。
自分を観察する視線に気付いたのか、アマテラスは慌てたように棺桶へ顔を向けてごまかす様に無意味に笑いかけた。
「なにを笑っている?」
面白くなさそうなモトの声に、恥ずかしそうに俯く。
「なにをしている、全く……」
「手をかしてもらえないだろうか?」
"お前らしくない"と続くだろう台詞を遮り、床に視線を落としたまま多少の遠慮を含んでアマテラスが訊く。
"なぜ?"と不快を伝える響きが拒絶を示したが、アマテラスが応えずじっとしていると、苛立ったように舌打ちして棺桶の隙間を広げて腕を突き出した。
鋭い爪の付いた血色の悪い手にぎこちない動きで白い右手が絡む。
「馬鹿らしい。子どもがえりか?」
モトが相手をなじる言葉にしては嫌味が足りない。
「これは嫌なものだな」
ぽつりと呟き、アマテラスは手が離れたときの感情の揺らぎを思い出したのか、忌まわしいものを見るように自分の左手を睨みつけた。