■ 7.たったの一歩、おおきな一歩
暑いうえに暗い、とにかくこの場所は暑くて判断力も体力も根こそぎ奪われて、最後には自分の体は空っぽになってしまうだろう。
いま自分はいったいどこにいるのか、そして何をして何をされているのか、それさえもがもうどうでも良いことに思えてくる。
どんな魔力が働いているのか不明であっても、それだけは確かなことで自分はその空間に支配されつつある。
もしかしたら、もう支配されてしまっているのかもしれないが、この力に抵抗できるものがいるとしたら、それはこの狭い闇を住居とする者だけだろう。
闇に侵食されていく意識の中で、魔神アマテラスはしっかりしろと自分に言い聞かせるように弱々しく首を振った。
額から流れてきた汗が目に入り、視界がじんわりと滲む。
瞬きをするとその水分は頬から顎へと伝い、ひとつの粒になって足元に落下する。
涙など一滴も混じっていないのに、自分の体を好き勝手にしている相手が気付けば嘲笑うだろうと思うと、汗を流す自分の体が疎ましくて仕方ない。
疎ましいものは汗だけではない。
壁に手と膝をついて支えていないと震えて立っていられない身体も、歯を噛み締めていても漏れてしまう声も、それを煩わしいと思う感覚までもが、
全て自分の命令に逆らって身体を責め苛む相手に味方しているようで、思い通りにならない事実はアマテラスにとって恐怖というより苛立ちでしかなかった。
壁に顔を向け、信頼はしているが信用はしていない相手に下半身のみ服を身に着けていない状態で背中を晒しているという現実。
しかし、どういった経緯で自分が相手の悪魔を信頼するようになったのか思い出すことも億劫で、今更思い出したところで現状が変わるとはアマテラスには思えなかった。
元から湿り気を帯びているのか、何かの粘液を付着させたのか、ぬるっとした感触をもたらす長い指が、皮膚に痣が付きそうなほど強く肉を押し分け、中心に潜り込もうと入り口にねじ込まれていく。
中にはすでに1本指が入り込んでいて、2本目の指が入るよう関節を曲げて内壁を圧迫し、その刺激に魔神の喉が
「ひうっ……」
と小さな悲鳴を上げる。
指を進ませないように締め付けるアマテラスの強張りを解きほぐそうと、背後の悪魔は指を挿れていない方の手で、服の上から背中を筋に沿ってゆっくり撫でる。
布越しに背中を何度か往復したあと、手の平は太腿を這って前に移動していく。
触れられたくないと身を竦ませる魔神の意志を汲んだのか、手の平は立ち上がり先走りを滲ませているアマテラスのものには触れず、服の中に潜り込んで脇腹から胸へ移動し、尖りを爪で引っ掻いた。
言葉なくアマテラスが身を捩り、その隙にすでに入り込んで蠢いていた指が内部を押し広げ、もう1本の指がねじ込まれる。
悪魔の決して細くはない指は様々な角度から魔神の柔らかい内壁を押して刺激を与え、可能な限り奥へ侵入しようとする。
「モト」
たまらずアマテラスは相手の名前を呼び、悪魔の指が動きを止める。
魔神は肩を小刻みに震わせながら、乱れた髪が何本か汗で額に張り付いたままの顔を後方の悪魔へ向けた。
頬に水分が伝ってできた薄い跡を、胸を弄っていた方の指の腹が擦る。
アマテラスが発する眩い光は棺桶の闇に呑まれて消えかかっていたが、それでも淡い光がモトの顔を照らし出す。
息をのむ音が響き、魔神の喉が上下した。
「私は、お前を信じて良かったのだろうか」
肯定を求める目を前にして、モトは感情の見えない薄い笑いで唇を横に伸ばし、無言のまま動きを止めていた指を再び動かし始める。
すぐにアマテラスの身体は本人の意思に反して反応する。
苦し気に眉を寄せて、それでもモトの真意を測ろうとするように目は閉じずに魔王へ向けられている。
頬を包んでいたモトの手が、その視線を隠すように額飾りごと目を覆う。
"モト"と不安の混じった声でもう1度アマテラスは呼びかけたが、その声に魔王は応じず2本の指を激しく魔神の中で上下させて突き上げる。
乱暴な動きにアマテラスは断続的に短い悲鳴を上げ、次第にかすれていくその声は、モトが自分の欲望を満たし終えた頃には声になっていなかった。
行為から解放され、狭い棺桶の中で座り込むこともできず、アマテラスは立ったままぐったりと背中を壁に預けていた。
観察するような目で自分を見ているモトから、棺桶内のどこよりも濃い闇を溜めた底へ視線を移す。
主人である人修羅に反抗してから、アマテラスは仲魔たちの中で少しずつ孤立するようになっていった。
気位が高く付き合いにくいと感じていた悪魔は"主人に逆らった面倒な悪魔"というレッテルを貼られた魔神を避けるようになり、
人修羅はストック内から追い出すことはしないものの、露骨な嫌悪感を向けている。
それでも以前のアマテラスなら全く気にせず、むしろ自分のほうから望んで人修羅の元を去っただろう。
モトとの一件が、魔神の平然とした心に動揺を与え、内側からも外側からも少しずつおかしな方向へ蝕んでいた。
"モトは、誰よりも自分を理解し、その全てを認めてくれている"
確かでなくても、アマテラスのモトに対する信頼はその一点しか支えがない不安定なものだった。
"全ての仲魔が避けても、モトだけは傍にいた"
それがモトの気紛れや計算ずくだとしても、そう認めた瞬間に魔王への信頼が崩れてしまうことを、アマテラスは心のどこかで恐れている。
信頼を疑わせる要素など魔王にはいくらでもあり、そのことに気付くこと自体は難しくはないほんの小さな1歩だということを、魔神はよく分かっていた。
しかし自分がその小さな一歩を踏み出したことにより生じるであろう心への影響が、アマテラスの足をがらん締めにしている。
認めてモトから距離を置くという行為はたったの一歩であっても、今のアマテラス自身にとってそれは余りにも大きな一歩だった。
「モト?」
迷いを振り切ろうとアマテラスは小さく魔王を呼ぶ。
「なんだ」
呼んでも応えないだろうという魔神の予想に反して、魔王はしっかりと反応をみせる。
魔神は微かに笑ったようだった。笑い声は聞こえないものの垂れた髪が小さく揺れる。
「お前は賢いな」
地面に視線を向けたままアマテラスがため息と共に呟き、モトは彼には珍しく怪訝そうな顔をみせた。