■ 08 てのひら

右隣に閉じ込められている悪魔が爪で鉄格子を擦る音でパワーは目を覚ました。
初めのうちはどうしてこんな所に自分がいるのか思い出せず、なぜか酷く痛む頭を撫でる。
指先が頭部を保護する赤い兜の一部に触れたとき、天使の背筋に冷たい汗が伝う。
「なんだ、これは?」
呻き声には、わずかに恐怖が入り混じっている。
悪魔の攻撃を受けたくらいならかすり傷1つ付かない表面が、頭を圧迫するほどにへこんでいた。
兜を脱いで改めてそこに加えられた力の巨大さに驚くパワーの目の前を、明かりが通過していく。
ふわりふわりと、1つずつ檻の中の様子を確認しながら浮遊を続けていたジャックランタンは、呆然としている天使を見てケタケタと笑う。
「お前の裁判はもう少し先だホー、今のうちにお祈りを済ませるホー」
種族独自の喋り方なのか、ヒーホーと軽快なリズムを語尾に乗せてそれだけ喋ると、かぼちゃ頭は姿を消した。
どこかの格子が開かれたのか、重い鉄を引きずるような音が響いて隣の悪魔が余計興奮する。
「裁判」
ジャックランタンが告げた言葉を反芻し、天使はようやく自分の置かれた状況を理解した。
命令を受けてマントラ軍の様子を偵察に来たわけではなかった。
混沌としたボルテクス界において、どの勢力こそが神の意に適う集団なのか、多くの天使たちは手出しせずに様子を見ている。
パワーもボルテクス界の各地を飛び、情勢を見守るのみで直接手出しをするような行動を控えていたが、
イケブクロへと連行されていくマネカタたちの末路を見ているうちに、マントラ軍の悪行に対して黙っていられなくなったのだ。
力の強さのみが全てという掟の恩恵を受けた者のみが幅を利かし、軍として統率が取れているとは言い難い野蛮な者どもの集う地、イケブクロ。
その本営へ足を踏み入れたパワーを待ち受けていたものは、鬼神トールの巨大な鉄槌だった。
「力による決闘裁判か」
先程、牢から出されたばかりの悪魔の判決が出たのか、何かが潰れる音と共に、耳を覆いたくなるような悲鳴が反響する。
"俺も出せ、俺にも裁判を受けさせろ"と鉄格子をガチャガチャ揺する煩い声が、すぐに悲鳴の余韻を掻き消した。

結局パワーは牢から逃げ出すこともできず、裁判の時が訪れるまで狭い部屋の中から外の様子を眺めていた。
目の前を非力なマネカタから、わざと捕まったのではないかと勘繰りたくなるほど強そうな悪魔が通り過ぎていく。
悪魔の姿は多く見られたが、その中に自分と同じ天使の姿はなく、パワーは自分の行動を深く反省すると共に落ち込んだ。
"一時的な感情で動くような者と共に行動しなければならない私の身にもなってみて下さい"
本営に入り込む前に、大袈裟にため息を吐きながらそうぼやいていた同族の姿が天使の脳裏に浮かぶ。
"悪かった、今回で最後にするから見逃してもらえないだろうか?"
いったい何度自分は"今回で最後にする"と約束しただろうか。
指を折って数えながら、パワーは困ったことだと笑う。
守られない約束と分かっているのに見逃してくれる天使に甘え、後先も考えずに行動を起こすこと数回。
さすがに今回の約束は守ることができそうだ。
「裁判に、負けても勝っても……な」
皮肉めいた口調で呟き、再び視線を鉄格子の外に向けたパワーは、信じられない者の姿をそこに見た。
オニ2体がかりでやっと取り押さえているようにも見える囚人は、パワーと同じ白い羽の生えた天使だった。
ぽかんと口を開けたままのパワーを見て、天使は急に抵抗を諦めて大人しくなる。
「牢屋の数が足りねぇ、そいつら同じ牢にぶち込んでおけ」
遠くから別のオニが指示をする声が聞こえ、鉄格子がゆっくりと開いていく。
2体のオニは捕まえていた天使の背中を突き飛ばして牢屋に放り込むと、やれやれといった様子で去って行った。
「これだから力馬鹿な悪魔どもは嫌いだ!」
床に叩きつけられる勢いで突き飛ばされた天使は、起き上がってすぐに不快な気分を露にした。
白い着衣に付いた汚れを神経質そうに払い落とし、乱れた青い髪を手櫛で整える。
まるで自分のことなど目に入っていないかのような天使の行動に苦笑いを浮かべつつ、パワーは恐る恐る呼びかけた。
「ドミニオン?」
はぁっ、とわざとらしく肩をすくめ、名を呼ばれた天使は腰に手を当てた姿勢で怒りのこもった眼差しを向ける。
その表情に思わず身構えるパワーの眉間に指を突きつけ、
「いいですか、貴方のせいですからね」
と、低めの声で唸るようにドミニオンが告げる。
突きつけられた指に威圧され、眉間にむず痒さを感じて思わず寄り目になりながらもパワーが問う。
「何故来たのですか? 放っておいてくれた方が良かったというのに」
最後まで言い終わらないうちに急にドミニオンの顔が鼻がぶつかりそうなくらい近くまで迫り、パワーの語尾が小さくなる。
片方の眉をつり上げ、不満を感じていることを分かり易くアピールしてパワーを黙らせたドミニオンは、
「素直に喜べないのですか、愚か者」
と囁く。
温い息が顎をくすぐり、パワーは少し顔を赤らめて視線を泳がせる。
再びドミニオンの顔を正面から見ることができず、足元に視線を落としたパワーは、自分と顔を付き合わせるために爪先立ちになっているドミニオンの足を目撃する。
それは自分より背の低い天使がなんとか威厳を見せつけようと頑張っているようにも見え、パワーは妙に可笑しくなって笑い声を必死に堪えた。
肩を小刻みに震わせるパワーを見て勘違いをしたドミニオンは満足そうに頷く。
「そうやって初めから素直に感激すれば良いものを……」
ついに耐え切れなくなってパワーは声を出して笑う。
何故笑うのか分からず、ただ不審そうに顔を顰めることしかできないドミニオンを見て、パワーの笑い声は余計大きくなる。
笑い声を聞きつけたのか、複数のオニたちが2体の天使が収容されている牢屋に駆けつけ、ようやく笑いを止めたパワーの頬をドミニオンは忌々しげにグーで殴った。

「だから貴方と行動を共にするのは嫌だと言っているのです」
殴られて赤くなった頬を膨らませるパワーに、ドミニオンは迷惑だと言いたげな表情を向ける。
"そんなに余裕があるなら裁判を早めてやるから喜べ"というとても喜べそうもない言葉を残し、オニたちは荒い足音を立てて去って行ったばかりだ。
「ゆっくり脱出の方法を考えようと思っていたところなのに」
こんな展開になるとは信じられないと首を激しく振って嘆くドミニオンを落ち着かせようとパワーは手を伸ばす。
あと数センチで指が肩に触れるというところで、牢屋の前まで浮遊してきたジャックランタンが陽気な声で裁判のときを告げた。
鉄格子が開き、隣の牢屋に入っている悪魔が"何故俺の番じゃないんだ!"と血に飢えた叫び声を上げる。
「最初は赤いの、お前はその次」
オニが、渋々ジャックランタンの後を付いて行く天使たちを整列させる。
前の悪魔が負けたのか、裁判の行方を観戦しているオニたちが下卑た笑い声を上げて歓ぶ。
このような状況に立たされても、不思議とパワーの心は落ち着いていた。
後ろにいるドミニオンに動揺する姿を見られたくないという理由もあったが、それ以上にこの奇麗な天使と共に行動していると、
どんな悪い状況もどうにか乗り越えてしまえるような、そんな根拠のない力強さが腹の底から湧きあがってくることをパワーは感じていた。
それはドミニオンも同じなようで、オニが首を傾げるほど冷静に歩いている。
その歩みが急に止まった。
「どうした? 早くしろ!」
急かすオニに、
「同族と別れの挨拶をしたいのですが」
と丁寧な口調で頼む。
「なんだ、それなら早く済ませろ」
そういったことには理解があるのか、簡単に許可を下すオニににこやかな笑顔をみせ、ドミニオンは立ち止まったパワーへ手を差し出す。
なにか策があるのかと期待したパワーは落胆した様子でその手を握ろうと腕を伸ばす。
「走れ」
一瞬の出来事だった。
手を掴んだドミニオンは鋭い声で指示を出し、戸惑いながらも走るパワーを引っ張って闘技場を駆け抜ける。
「早く閉めろ!」
すぐにオニが反応し、裁判の舞台となる血なまぐさい闘技場の四方の格子が降りてくる。
半分以上降りた格子をスライディングするような姿勢でくぐり抜け、そのまま60階に続くエレベーターに2体の天使は飛び込む。
手を伸ばしてすぐそばまで迫ってくる赤いオニの集団を前に、パワーが閉まるボタンを連打する。
わざとではないかと思えるほどゆっくりエレベーターの扉が反応し、オニの指が扉にかかる寸前、完全に閉じて上昇を開始した。
次々と増えていく階数表示を視界に入れたまま、ふらつく足取りで後退したドミニオンは、壁にぶつかってそのまま床に崩れ落ちる。
パワーは荒い息を落ち着けようと激しい呼吸を繰り返していたが、安心したのか同じように床に膝をついた。
「このエレベーターは60階まで止まらないようですね」
ドミニオンの言葉にパワーは頷く。
「我々なら60階に着いたら飛んで逃げられます、悪魔たちも空の上までは追いかけてくることはできないでしょう」
安心しきったような言葉に、青髪の天使は頷かずにゆっくりと首を横に振る。
「え?」
怪訝そうなパワーに背を向けて、ドミニオンは情けなさそうに理由を語った。
「本営に乗り込んだときにハンマーを持った悪魔に襲われて、羽を上手く動かすことができないのです」
その言葉を証明するかのように、背中から生えたドミニオンの二枚の羽はぴくりとも動かない。
思いもよらない言葉に息をのむパワーへ、珍しく弱々しい笑みを口もとに浮かべて頭を下げる。
"大丈夫だ"そう言うために何とかしなければとパワーは焦った。
"彼にこんな顔をさせてはいけない、頭など下げさせてはいけない"
「大丈夫です、全く問題ありません」
思いが先走り、何も思いついていない状態でパワーはそう断言した。
エレベーターの階数表示は48階を示している。その数字が60に変わるまでに自分が解決方法を導き出せる自信は全くない。
それでもパワーはドミニオンの落ち込んだ様子を見ていたくは無かった。
「そうですか、それなら任せます」
ドミニオン自身パワーが何か策を閃いたとは信じていない様子だった。
それでも信頼していることを伝えるために、パワーの肩を手の平で軽く叩く。
些細な信頼の証だったが、パワーはそれだけで充分だと満足気な表情で頷いた。
頷いた拍子に無謀とも思えるひとつの策が頭に浮かび、もうすぐ止まるのか速度が緩まっていくエレベーターの中で、パワーは覚悟を決めた。

本営の60階から見下ろすイケブクロの地面は、足がすくんで眩暈がするどころの話ではなかった。
飛び降りればまず助からない、死を予感させる断崖絶壁の上空を、バイブ・カハたちが輪になって飛んでいる。
隣で地上を見ていたドミニオンの髪が風で乱れ、その青い波をパワーは無言で見つめた。
「では、計画を……」
「私を抱えて飛び降りるつもりなのでしょう?」
ため息交じりの言葉に発言を遮られ、パワーは言葉に詰まったままうな垂れる。
ドミニオンは呆れていたが、その態度に柔らかさが加わり、厳しい表情が幾らか優しいものに変わった。
「大丈夫、飛び降りたあとのことは私に任せなさい」
穏やかな言葉に背中を押されるように、パワーは顔を上げる。
「それでは、どうぞ」
身を屈めてパワーが手を差し伸べると、ドミニオンの柔らかな手は躊躇しながらもその手の平を握り返した。
ドミニオンを両手に抱かかえたパワーは崖っぷちに仁王立ちになって深呼吸をする。
落ち着かないのか腕の中でもぞもぞ動く天使の腰を自分の腹部にしっかりと密着させ、雄叫びのような声を上げながらパワーは固い地面を蹴った。
羽を動かせるお陰か空中でも体勢は変わらなかったが、落ちる速度は羽のない生き物と同じくらい速い。
風でドミニオンの服の裾が大きく捲れ上がってパワーの視界を覆う。
抱えている天使を離さないよう、ただそれだけに意識を集中して空を飛ぶ生き物は地上を目指した。
地面に叩きつけられた瞬間、体内の臓器が口から飛び出すのではないかと思えるほどの衝撃を受けて、パワーはすぐに冷たい床の上に倒れこむ。
ドミニオンも地面に投げ出されたが、抱えていた者よりはダメージが少なかったのか、すぐに立ち上がってパワーの元へ駆け寄る。
ぜぇぜぇと瀕死の喘ぎを漏らす天使の体を抱え起こして鎧を外し、自分より大きい体を背負う。
鎧を外したとはいえ、ぐったりとした体の重みは容赦なくドミニオンの羽を押しつぶす。
それでも苦鳴1つ上げず、ドミニオンは立ち上がって1歩1歩前へ進む。
その歩みはふらふらしていてとても頼りない物だったが、パワーにとってはこれ以上なく頼もしく思えた。
「……、貴方と、行動を共にすると……、損ばかり……です」
苦しげな息を吐きながら、ドミニオンはやっとの様子でそう愚痴る。
"そう言いつつも、実は楽しんでいるのでしょう"
パワーの心の呟きが伝わったのか、背中から笑いによる微かな揺れが伝わる。
羽の感触や体温、ドミニオンの匂いなどを霞んでいく意識で感じながら、パワーは心地よさそうに目を閉じた。



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