■ 09.片道キップを二人分

「"また"セタンタを仲魔にするのですか?」
主人に問うオオクニヌシの声は非難めいていた。
静かにという合図なのか、セタンタから変異したばかりのクー・フーリンを指差して首を振る人修羅に、なおも鬼神は問いかける。
「貴方は同じ悪魔を仲魔として同時に留めておくことはできない、2度目に仲魔にするセタンタはどんなに頑張ってもクー・フーリンに成長することは無い、それでも貴方は……?」
「僕だってそのくらい分かっているよ、でも今はクー・フーリンではなくセタンタの力が必要なんだ」
オオクニヌシの言葉を遮る声は、苦渋に満ちていた。
主人にそう言われてしまってはもう反論する術は無いのか、鬼神は歯を食いしばって悔し気な表情を人修羅から反らす。
反らした目に主人と自分のやり取りを知らず、ただ純粋に自身に起こった変化に驚き喜ぶクー・フーリンが映る。
「酷い悪魔だ、我々のことを道具としてしか認識していないのですか?」
静かな怒りの込められた言葉に、人修羅はなにも言葉を返さずただ1度だけ頷いた。

人間の思念体たちが、救いのない現実を忘れて一時の楽しみに逃避するように激しく身体を動かしている。
煙のように揺れる青白い物体に紛れて、若い女悪魔の姿もちらほら見える。
悪魔たちは踊る思念体を狩ることはせず、純粋に激しい音楽に身を任せて人間たちの遊びに興じている。
命知らずな若い男性の思念体がナンパする口調で女性悪魔に声をかけているが、その男性たちの希薄な身体を爪で引っ掻くこともせず、逆に目を爛々と輝かせて状況を楽しんでいるようだ。
一歩外に出れば誰も自分の命の安全を保証してくれないボルテクス界において、ひたすら自分の快楽を追及する若者たちが踊り狂うその光景は異質とも思えた。
その熱気の中を、人修羅が忙しなく走り回って情報収拾に努めている。
邪魔だと突き放されても諦めずに話しかけ、自分の世界に没頭してしまっているDJの気をひこうと、必死になって手足を動かす。
「ここで、これ以上の情報は望めないでしょう」
"貴方も一緒に踊りましょう"と若い女性の思念体から頻繁に誘いを受け、そのたびに短い言葉で断っていたクー・フーリンが判断を下す。
「そうかな? まだ全員に話しかけていない様子だから、最後の1人で面白い話が聞ける可能性もあると思うぞ」
そう否定するのはオオクニヌシで、こちらは思念体からの誘いを拒まず、まだ不慣れ動きもあるものの持ち前の運動神経で若者たちの踊りに溶け込んでいる。
お気楽な鬼神を見てついついクー・フーリンの口から小言が出た。
「いい歳して」
続く言葉はないものの、幻魔の目は明らかに"恥ずかしい"と語っている。
手の振りを間違えたことで思念体に笑われて丁度良い引き際だと思ったのだろう、オオクニヌシは"まだ踊ろうよ"と腕を引っ張ろうとする女性たちの輪を抜けてクー・フーリンの隣に戻った。
「お待たせして申し訳ないな、寂しがり屋の西洋悪魔殿」
からかいを含んだ言い方にクー・フーリンも負けじとやり返す。
「それはどうもと言いたい所だが、無理に戻ってくる必要は無かったのだよ、若い娘と戯れてご満悦の若者殿」
両者とも顔を見合わせムッとした顔で睨みあった後、そんな自分たちの顔が可笑しかったのかすぐに笑い出した。
屈めた身を震わせていたクー・フーリンが、笑いすぎにより目尻に滲んだ涙もそのままにふいに真面目な表情を取り戻す。
相手の空気の変化を感じ取り、腹を抱えて笑っていたオオクニヌシもひとまず感情を収めた。
腕を組み、落ち着きを取り戻した鬼神の指先辺りを見ながら、
「まだ覚えているか? 私がセタンタだったとき貴方が作った借りを」
とクー・フーリンは訊ねる。
オオクニヌシの指先が記憶を探るように鎧の表面を叩く。
しばらく鬼神は片眉を上げて思い出そうとしていたが、その表情は指の動きが止まると共に苦くなった。
「まさかとは思うが、煌天のヨヨギでのことを言っているのか?」
ほっとしたような顔で頷くクー・フーリンに、オオクニヌシの表情が更に苦くなる。
相手の全身から嫌だという感情が読み取れ、覚えていたことを喜ぶ間もなく幻魔は思わず言葉を喉に詰まらせる。
その喉に潤滑油を与えたのは、意外にも非常に短いオオクニヌシのひと言だった。
「で?」
用件を言えと促され、クー・フーリンの目もとが安堵で緩む。
温和な雰囲気を保ったまま、それでも幻魔のひと言はオオクニヌシの表情を硬くした。
「実は、セタンタのことで頼みたいんだ」
言ってから鬼神の微妙な変化に気付いて、手で先程の言葉を否定するような仕草をしながらあわてて付け加える。
「面倒なことではない、わざわざ頼むようなことでもないかもしれないが……」
「自分がいなくなった後の面倒を見ろというのなら、断る」
「なっ、なんでわかっ?」
心の中を読み取ったのかと疑いたくなるほど正確に続きを言われ、幻魔は動揺してオオクニヌシの顔を見た。
落ち着き無く爪先を上下させていたオオクニヌシの横顔は、眉間に皺を寄せたままどこかを睨んでいる。
その視線を追ったクー・フーリンは人修羅にたどり着き、次いでため息混じりの声を聞き取った。
「そんな悲壮な顔を見ればすぐに分かる、こうなることは初めから見当が付いていたしな」
人修羅から視線を外して正面を向き、動揺したときに腕組みを解いた幻魔と入れ代わりに鬼神が腕を組む。
クー・フーリンはこれから説教されようとしている子供のような顔で項垂れた。
「セタンタにも私が経験したものと同じ、成長する喜びを感じさせてあげたいんだ」
本心から出たとすぐに分かる声は、オオクニヌシの厳しい目を和らげることはできない。
鬼のような形相とまではいかないものの、それに限りなく近い雰囲気を纏ったまま鬼神は低い声を喉から発する。
「ならば止めはしない、その権利を持っているのは私では無く主だからな」
不安そうに顔を上げるクー・フーリンに、"ただ"と付け加え、オオクニヌシは戦闘時ではなく普段の穏やかな眼差しを向けた。
「私はお前もセタンタも欠けることなく主の創世に立ち会いたいと思っている、それを可能にするのも不可能にするのも主の選択1つだが、
少なくともこちら側の選択で欠けるようなことは無いように、願っている」
「オオクニヌシ……」
クー・フーリンは目を伏せて再び項垂れた。
長い黒髪が頬を覆い、幻魔の表情を隠す。
「ここは煩い上に暑い、外に出てもう1度考えろ、それでもお前の意志が変わらなければ構わないよ」
名前を呼んだきり黙ったままのクー・フーリンの背を手と言葉の両方で押して、オオクニヌシは部屋の外へ幻魔を押し出す。
扉が閉まる寸前にはっきりとした幻魔の声が聞こえ、鬼神の口もとが寂しそうな微笑を形作った。
「すまない」

扉が閉ざされてクー・フーリンの姿が見えなくなると、オオクニヌシは背後に立つ人物の気配に
「それでもあの時はセタンタの力が必要だった、そうですね」
と、恨むような声で確認する。
鬼神の背後に立った人修羅は頷いた。頷きながら訊ねる。
「僕はクー・フーリンの決断に対してどう返事をすればよい、オオクニヌシ?」
オオクニヌシは主人に背中を向けたまま首をかしげて沈黙した。
あまりにその沈黙が長かったので、人修羅が、突き放されたと思い込んでその場を立ち去ろうとしたほどだった。
しかし、オオクニヌシは迷った末に主人にひとつの答えを与えた。
「そうですね、それではこう答えてください」
期待していなかった返事に目を驚きで丸くしている主人へ、首を捻って半分だけ顔を向ける。
"自分の好きなようにしろ"
それだけ告げると、オオクニヌシは人修羅を残して部屋の外へ姿を消した。



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