■ 10 キラキラ

セタンタがちらちらとロキを見ていることに、大分前からオオクニヌシは気付いていた。
周囲の視線がなければ間違いなく指を銜えているだろうと容易に想像できる物欲しそうな目で。
見られているロキはその視線に気付いているらしく、わざと音を立ててセタンタの欲求を煽っている。
魔王の思惑にまんまと引っかかり、生唾を飲み込んでますます欲求の色を濃くする少年。
「あっ! それ以上は……!」
我慢の限界なのか上擦った声を上げるセタンタを、ロキは目を細めて意地悪そうに笑う。
熱で赤みを帯びた頬に、額に浮かぶ汗の粒。
見ている側が気の毒に思えるほど少年は切羽詰っていて、それを知ってなお魔王は言葉を強要する。
「何だ、もっとはっきり言ってみろ」
命令口調に気分を悪くしたものの、早く従って楽になりたいのか少年の渇いた唇はひくひくと震えている。
言わずに我慢するセタンタを追い込むように再びロキの喉が鳴り、あぁと妖精は切ない吐息を漏らす。
「ちっぽけなプライドにしがみ付いて何になる? ほら、早く言えば楽にしてやるぞ」
縋り付くように両手で握っている槍で震える膝を支え、セタンタは魔王の誘惑を断ち切ろうと最後の気力を振り絞っているようだった。
オオクニヌシも心の中で気高く振舞おうとする妖精を応援する。
しかし、その抵抗も長くは続かない。
零れ落ちるものがはっきりと見えるようわざと舌を出して液体を受けるロキを前に、妖精はついに陥落して地面に膝を付いた。
「その、その瓶の中の水を分けてくださいっ!」
その瞬間、邪悪な笑みがロキの顔いっぱいに広がり、オオクニヌシは興味を失って顔を逸らした。

「あーあー、こんなに飲みやがった」
半分以下に減った瓶の中身を見てロキが呆れたように呟く。
瓶に口をつける度に様子がおかしくなっていく妖精に気付いてオオクニヌシが止めたときにはすでに時遅く、
水だと思い込んでいた液体で喉を潤したセタンタは、すっかり酔っ払って大の字になって倒れこんだ。
「子供に酒を飲ませるとは、全く何て外道だお前は」
熱いのか、朦朧とした意識で鎧や服を脱ぎ散らかそうと手足をばたつかせる妖精を取り押さえることは容易ではない。
背丈は自分より低いものの、上回る力に腹や顔を蹴られながらもなんとか両腕の拘束に成功したオオクニヌシは、当然のようにロキを非難する。
「そいつが飲みたいって言ったんだ、俺に責任はないな」
形の良い眉をつり上げてロキを睨んでいたオオクニヌシは、その無責任な言い訳に怒る気力も失って肩の力を抜く。
腕を拘束されてからもセタンタはしばらく暴れていたが、徐々に大人しくなり、2、3意味を成さない言葉を叫んでから寝息を立て始めた。
「やれやれ……」
ため息混じりに呟き、それでも地面に腰を下ろしたオオクニヌシは、おかっぱ頭を膝の上に乗せて子供らしい無邪気な寝顔を見守る。
「お前も苦労するなぁ」
「……誰のせいで苦労していると思っているんだろうね、あの阿呆は?」
直接ロキに返さず、セタンタに顔を近づけて小声で訊ねる。
息がかかってくすぐったかったのか、眠っている妖精は無意識に頬を手の甲で擦った。
「そんなに機嫌悪くするな、お前にも酒を分けてやるから」
瓶を片手におどけた口調で機嫌を取るロキに、文句を言い続けていたオオクニヌシの口がぴたりと止まる。
きつい目が優しくなり、口もとが見る見るうちに緩んでいく。
自ら酒で釣っておきながら、あまりの効果にロキの頬が引き攣る。
「それでは遠慮なくいただくとするか」
酒を受け取ろうとする手を、ロキは本能が訴える危機感に従ってぴしゃっと叩いた。
瓶ごと渡したら間違いなく全て飲まれる。恐らくではなく確実に。
「全部飲まれては適わないからな、瓶は俺が持つ」
即座に不満いっぱいの顔で舌打ちするオオクニヌシに自分の判断は正しかったと胸をなでおろし、ロキは鬼神の背後に回った。
「口を開けて上を向け」
偉そうな命令も酒が絡むと気にならなくなるのか、オオクニヌシは素直に顔を上に向けて口を開ける。
口の中で誘うようにちらちらと動く舌に妙な戸惑いを感じながら、ロキは瓶を傾けた。
少量の酒が先端の細い部分を伝って鬼神の口へと零れ落ちていく。
喉がゆっくりと上下し、跳ねて唇に散った液体を、濡れた舌が舐め取る。
「もっと」
簡潔な言葉でオオクニヌシが催促するまでロキの目はその光景に釘付けになり、酒の流れが完全に止まっていることにも気付いていなかった。
「欲深い奴だ」
慌てて取り繕い、ロキは先程より更に瓶を傾ける角度を大きくする。
カグツチの光が色付きのガラス瓶に反射してキラキラと輝き、薄い色の模様が左右に揺れた。
徐々にロキの腕が下がり、湿った唇に瓶の硬質な先端が触れ、押し付けるような形になる。
鬼神は満足そうに目を閉じて、貪欲に酒を体内に取り込んでいく。
「間抜けな顔だな」
息をすることも忘れて見入っていたロキが、ようやく重苦しい呼吸と共に感想を述べる。
その言葉にオオクニヌシは薄目を開けて片方の眉だけ上げてみせたが、ロキの失言も酒の魔力の前では帳消しになるらしい。
それ以上抗議することもなく、目元をほんのり赤く染めて鬼神は心行くまで酒を楽しんだ。



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