■ 14 ずっとずっと、好きだった。
共に行動する仲魔は、彼が近付くと決まって同じ行動をとる。
まず視線を逸らすか目を瞑るかして彼を直視しないよう何らかの対策をするのだ。
話しかけようとした対象全てに無礼とも思える対応をされて、プライドの高い彼は酷く苛立った表情を見せる。
しかし近寄られた側にそんなことを気にしている余裕は無い。
大切な目を眩い光の直撃から守りたいという自衛本能に逆らってまで、彼の機嫌を損ねないよう気を配る悪魔は存在しなかった。
ただ1体の悪魔を除いては。
正確に言えば、気を配る配らないの問題ではなく、その悪魔は凶悪な光から目を守る必要など初めから無かったのだ。
貝が柔らかい部分を固い殻で覆っているように、その悪魔も頑丈な殻の中に閉じこもり、必要なとき以外は姿を現さない。
棺桶という名の閉ざされた空間の中で、何を考えながら話を聞いているのか覚られることもなく。
モトは日々増え続けるアマテラスの無礼者リストから除外されている、唯一の礼儀正しい悪魔だった。
カグツチの塔の上階へと続く階段は塔の外に設えてあるというのに、落下防止の柵などは一切存在しない。
地を行く者なら足がすくみそうな落ちたら即死は免れない高所を、人修羅とその仲魔たちが足早に登っていく。
その中で様々な意味で1番目立つ存在のアマテラスに、ふいに隣の悪魔が声をかけた。
「アマテラス様はモトを気に入っているんだね」
だから何だと訊き返したくなるような内容だが、話しかけた方は冗談で言ったわけではないようだ。
羨ましさの混じった視線の行く先を追って黄土色の棺桶にたどり着いたアマテラスは、大きく頷いて当然だと主張する。
「彼は礼儀というものを知っている、上半身裸で走り回っているどこかの礼儀知らずとは違う」
「それ、僕のこと?」
すぐに反応した悪魔は目を細めてアマテラスを正面から見ようと努力したが、眩しさに負けて視線を元の位置に戻す。
なぜ目を逸らすのかといつものように非難の声を浴びせようとしたアマテラスは、悪魔の横顔を見て開きかけた口を噤む。
「礼儀知らずはどっちだよ……」
眉の辺りに皺を寄せ、アマテラスの主人である悪魔は不満いっぱいにそう吐き捨てた。
階段を上り切って塔内部の比較的広い空間に出ると、待ち構えていたようにシャドウの群れが襲いかかってきた。
至高の魔弾で1体目のシャドウを倒した人修羅は、モトとアマテラスにそれぞれ万能魔法とプロミネンスを唱えろという指示を下す。
青白い火の玉と見えない衝撃がシャドウたちを次々と消していったが、何体かは魔法を避けて反撃を開始する。
「しぶとい奴らだ!」
電撃魔法の嵐の中で人修羅が悪態を吐く。
モトは痺れて身動きをとることができず、調子にのったシャドウたちが動けない標的めがけて次々突撃を開始した。
そのターンで戦力的には圧倒的に優位だったはずの味方側は大打撃を受け、人修羅は地団駄を踏んで悔しがる。
「泣き喚いたって許してやるものか、皆殺しにしてやる」
集中攻撃を受けてふらふらしているモトと、体に痺れが残るのか肩を抱いて蹲っているアマテラスに前のターンと同じ命令を下し、
人修羅はデスバウンドで敵側に致命的な傷を負わせる。
「さぁアマテラス様、どかんと一発プロミネンスであいつらを吹き飛ばしちゃって下さい!」
どこぞの悪代官のような芝居がかった台詞を口にして、悪魔は怯えて逃亡の体勢をとるシャドウたちへ"ざまぁみろ"と舌を出す。
残る痺れを振り払い、アマテラスは子供のようにはしゃぐ主人に対して不満げな表情を見せた。
「モトを回復してやりたいのだが」
空中に浮くアマテラスを眩しそうに見上げ、人修羅は大袈裟に理解できないと言いたげな仕草をする。
「アマテラス様の一撃で敵を殲滅できるんだから、モトの回復なんてその後でゆっくりやればいいじゃないか」
アマテラスは目が眩んでいても分かるくらいはっきりと首を横に振った。
「私は回復を優先させたい」
アマテラスの気分を損ねることを恐れていたためか温和だった人修羅の顔に、怒りによる赤みが加わる。
それまでのへりくだった態度が嘘のように、魔神を指差して悪魔は苛ついた声を上げた。
「お前が僕のことをどう思おうと勝手だけど、戦闘中の命令だけはちゃんと従えアマテラス!」
今まで聞いたことの無い厳しい声に、アマテラスの表情がわずかに強張る。
それでも光輝く魔神は自分の意見を曲げない。
主人の命令を無視してアマテラスが祈っている間に、死にかけのシャドウたちは次々と逃げていく。
姿を消す紫の綿玉に向けて人修羅は悔しさを地母の晩餐に込めて放ったが、届かないのか手応えは全く無かった。
「お前のせいだぞ、どう責任取ってくれるんだよ」
怒りが収まらないのか喚き散らす主人の言葉を黙って聞いていられるほど、アマテラスは穏やかな悪魔ではない。
「血の気の多い悪魔め……! そこまで先程の悪魔を殺したいというのなら、原始的な本能を剥き出しにしてどこまでも追いかけて行ってしまえ」
侮蔑のこもった言葉を嫌悪感に歪む顔で吐き捨てる。
何がなんでも自分に従う気を見せない仲魔を前に、人修羅の顔の赤みが増していく。
大声で互いを高慢だの野蛮だの罵りあう悪魔の姿を、他の仲魔が竦み上がって見守る中、モトだけは愉快そうに見物していた。
2体の言い争いは長いこと続いたが、見守るだけでは埒が明かないと気付いた仲魔が必死に主人を諫め、人修羅は納得しないままアマテラスを残して先へ進み出した。
大声を出して疲れたのか、ぐったりした様子で肩を上下させていたアマテラスは、人修羅を追わずに佇む棺桶へ声をかけた。
「君は私の考えに賛成してくれるだろ、あの野蛮な悪魔と違い常識的な君ならば」
棺桶はいつもと変わりなく模様の浮かぶ蓋を正面に向け、本体を左右に揺らしてガタガタと音を立てる。
その表現を賛成の意思表示だと解釈したアマテラスは、ほっとした笑みで口もとを緩ませた。
無防備に近付いてくる魔神を、魔王は棺桶の中で微動だにせず待ち構えている。
腕を伸ばして指先で棺の角をなぞり、地に降りたアマテラスはもっと触れてみようと親しげに身を寄せた。
「君の隣は居心地が良い」
背を預けて気持ちよさそうに目を閉ざして魔神が最も気を緩めた瞬間、わずかに開けた棺桶の隙間から腕のみを出して、モトは筋張った長い指をアマテラスの首に絡めた。
急に首を絞められたアマテラスは驚きに目を丸くしていたが、すぐ正気に戻ってモトの指を外そうと試みる。
しかし、しっかりと巻き付いたモトの指は、魔神の全力の抵抗を受けてもビクともしない。
喉仏を圧迫され、呼吸困難に陥ったアマテラスの力は次第に弱まっていく。
喘ぎながら爪で首を絞める冷酷な指を血が出るまで引っかき続ける。
「"君は私の考えに賛成してくれる"? "君の隣は居心地が良い"? ふんっ、虫唾が走る」
ぼんやりとしてきたアマテラスの頭に、地の底を這うような声が響く。
それが誰の声であるか、捕らえられた獲物のように弱っていく魔神は知らない。
知らないのではなく聞いたことが無いだけなのだが、首を絞める手の持ち主と声の主が同じということだけは理解していた。
「残念だったな愚かな悪魔よ、お前の綺麗ごとに賛同する心など持ち合わせておらぬ」
絡み付いていた指の力が緩まり、咽ながらも喉に入ってきた空気をアマテラスはどうにか取り入れることができた。
人修羅と口論した直後よりも弱り果て、目尻に涙を浮かべてぼんやりとしている魔神の顔を、闇の奥に潜む者が満足そうに観察する。
眩しくて外に顔を出す気にはなれないのか腕以外は棺桶に入ったままだが、二つの目が交互に細く開いた棺桶の隙間から覗く。
魔王は自分に対する魔神の見当違いな幻想を破壊して悲しませることに抑えきれない愉悦を感じていた。
「それ……が、ほん……とうの、すがた」
ようやく自分を苦しめていた者とモトが同一の存在であることに気付いたアマテラスが、かすれた声で呟く。
モトが想像している以上に、アマテラスは唯一礼儀正しいと思い込んできた悪魔の豹変振りに衝撃を受けていた。
触れている喉が細かく震えていることに気付き、モトはますます笑みを深める。
「傲慢なお前は、お前を直視できぬ者の半分も相手を見ていない、表面のみで判断し、例えば相手が……」
そこでいったん言葉を切り、喉を鳴らして低く笑ってからモトは続ける。
「相手がお前を見て何を感じるのか、何をしたいと願うのか、全く考えようともしない」
"その通りだ"とアマテラスは心の中で思ったが、素直に認めることはできなかった。
黙って深くうな垂れ、魔王の手中から解放される時を屈辱に耐えながら待つ。
「欲望のみで動くガキよりも愚か」
嘲笑を含んだ声でアマテラスの心に痛みを与え、ようやくモトは首から手を離した。
白い肌に残る指の跡を撫で、魔神は俯いたまま魔王から離れる。
自分で勝手に棺桶を理想の存在に祭り上げていただけだというのに、それを崩されたことを裏切られたように感じて後悔よりも悲しみに沈みながら。
ふらふらと去っていく背中を、先程までの仕打ちを考えれば罠か何かと思えるほど優しい魔王の声が追う。
「だが、その傲慢さを気に入っている」
もう2、3歩進んでから、アマテラスは立ち止まって顔だけモトの方に向けた。
もう少しつつけば泣き出しそうな顔が、懸命に別の感情を表に出そうと努力する。
そうして出来上がった魔神の表情を見て、棺桶の闇に潜む悪魔は口の端を吊り上げて残忍な笑みを浮かべる。
"―― 捕まえた"
声には出さず、心の中で魔王は確信した。
"だからお前は愚か者なんだ、あんなにはっきり教えてやったというのに、いまだに表面しか見ていない"
手で首を締め上げて捕獲するだけでなく言葉で心を支配する。
その企みが成功した証、アマテラスの信頼に満ちた表情を捉え、モトは魔神のプライドをどう引き裂いてやろうかと考えながら、棺桶の中で唇を舐めた。